第二十二話 西郷吉之助

西郷吉之助様が亡くなったことは、アッシの夢の話を知る方々に大きな衝撃を与えたようでございます。


西郷様は、今年まだ三十歳。

まだ、一般的に考えて死ぬ様なお歳ではございません。

そして、アッシの夢で見た通りなら、西郷様は、これから後19年、49歳まで生きて、分裂した日本の最後の大戦おおいくさで死ぬはずのお方。

その死なないはずの方が突然亡くなってしまったのです。

何故、亡くなったのか。

そもそも、アッシの見た夢って奴が何処まで当てになるのか。

議論になるのは当然のことでございましょう。


そこで、裏閣議が招集されたのでございます。


とは言え、当然の事ながら、参加者の間には温度差がございます。

温度が高いのは、薩摩藩出身で西郷とは幼馴染、最も親しかった大久保一蔵様。

空気が震える様な怒りを堪えておられる様にすら見受けられます。

そして、同じ日本商社に参加して西郷様の同僚として親しくしされていた勝麟太郎さんも動揺されている様です。

勝さんは西郷様とはアメリカにも一緒に行ってらっしゃいますからね。

それなりに、親しくなさっていたのでしょう。

最後に、西郷様の主であった島津斉彬公も悲痛な顔をしてらっしゃいます。


これに対し、老中の安藤信正様などは比較的冷静なものです。

事態を不審に思っているようですがね。

斉彬公の側近の一人が亡くなった程度のことだとお考えの様で、動揺はしてないようですな。

まあ、状況次第では、血の気の多い薩摩藩の方々が復讐だとか言って立ち上がる可能性もございますので、そんな他人事みたいな顔は出来ないと思うのですが。

まあ、薩摩の方々の血の気の多さを理解しなければ、慌てることもないのでございましょうな。

他人事の感じなのは、長州の桂小五郎様も同じ。

桂様と西郷様は、ほとんど面識がございませんからね。

桂様から見れば、西郷様は島津様のお付きの一人に過ぎないということなのですかね。

ほとんど直接二人で話したこともないのでしょう。

これが、吉田寅次郎さんが犠牲になる様でしたら大騒ぎなのでしょうけど。

知らぬ方に何かあっても、人の心は動かぬものなのでございましょうな。

そして、相手の気持ちを汲むとか、そういう事を一切しない佐久間象山先生。

何故、こんな事が起きたのか、それを知りたい好奇心の方が圧倒的に強い感じでございますな。


「さて、麟太郎君、西郷君に何が起きたのか、説明して貰えるかな」


象山先生はいつも通り序列など気にせず、裏閣議の口火を切られます。

それに対して、話を振られた勝さんは戸惑いながら話始めます。


「いや、正直なところ、おいらも良く解らねぇんですよ。

対馬から帰って、三日目でしたか。

朝になっても西郷さんが来ないんで、西郷さんの部屋まで迎えに行ったところ、西郷さんは、もう冷たくなっちまってて」


西郷せごどんな無事やったはずじゃなかとな」


大久保様が静かな怒りを滾らせて尋ねられます。

その怒りを物ともせず、象山先生が平然と返されます。


「何もしなければ、そうなったのだろう。

だが、僕らは、多くの事象を変更してきた。

丁度、対馬に行く前にも話したことだ。

事象には変えられないこともあれば、穴埋めの様に変えた結果、別の事象が起きることもあるようだ。

僕たちには、江川(英龍)先生や阿部(正弘)様が病で倒れることは防げなかった。

藤田東湖殿が地震で犠牲になる運命を避けることは出来た。

だが、結局、藤田殿は病で急死してしまい、死の運命からは避けられなかったようにも見える。

ロシア船が津波で沈む運命を避けることは出来た。

しかし、その代わりにアメリカのポーハタン号が津波に巻き込まれ大破することとなった。

この点、異国の船が日ノ本の津波で沈むという事象だけが確定していたと考えられるのかもしれんな」


象山先生は思考を進めながらも、未知の状況を何処か楽しんでいるように続けられます。


「一方で、江戸での二回の地震では、準備をしておいたおかげで、多くの命が救われている。

加えて、無秩序な開国によって起こったはずの流行り病で死ぬ人もいなくなっている。

その代わりかもしれないが、クリミア戦争は、本来より長引き多くの犠牲が生まれている状況だ。

第二次アヘン戦争は勃発していないが、その代わり天竺の大反乱は規模も大きくなり、太平天国の乱での犠牲も増えている。

今回の対馬でのポーハタン号事件は準備しておいたおかげで最善の結果を得られたようではある。

だが、事件そのものは時期を変えながらも発生している。

これまでは、こちらに都合の良い犠牲ばかりではあった。

だが、別に運命というのが、僕らの味方と言うはずもない。

僕らの側に、思いもよらない犠牲が出る可能性も甘受せねばならないと言う事だろう」


「そいが西郷どんやったちゆとな」


憤懣やる方ない様子の大久保様に斉彬公が悲痛な表情で声を掛けられます。


「それは、私の代わりに西郷が犠牲になったという事か」


驚く大久保様を尻目に、象山先生が冷静に応えられます。


「その可能性は高いかと思われます。

本来ならば、この年の夏、亡くなる運命だったのは島津様。

西郷君は、島津様を守る為に、付きっ切りで活動し、毒見まで買って出ていたと聞いております。

ならば、本来、島津様が受けるはずだった死にゆく運命を西郷君が引き受けたと見るのが適当かと」


象山先生が言いにくい事をサラっと応えると、島津様は苦し気に頷かれます。


「私は自分の死の運命を受け入れていた。

たとえ、死んでも、日ノ本の行方が揺らがないだけの準備は済ませていた。

いや、それだけではない。

これでも、自分の死の運命を覆そうと出来る限りの事はしてきてもいるのだ。

家督を譲り、隠居して、命を狙われる危険だって下げたはずだ。

それなのに、西郷が私の身代わりとなるとは」


島津様は本当に苦しそうに呟かれます。

普通、他の尊い身分のお方なら、こんな風に悲嘆にくれないでしょう。

臣下が自分の為に犠牲になったとしたら、その忠誠に対し大義であるで済ましてしまいそうなのが、普通の君主たるもの。

ですが、島津様は違う様なのですな。

何しろ、臣下でも何でもない中浜万次郎様の身を本気で案じて下さった様な方ですから。

あるいは、150年先を夢で見たアッシ同様に、島津様は、身分という物に縛られない感覚をお持ちの方なのかもしれませんな。


辛そうな島津様の様子を見て、大久保様も息を飲まれます。

西郷様の理不尽な死に対する怒りはあるものの、その怒りは、島津様を責めることになりかねないことに気が付いた様でございますな。

そんな中、一切の空気を読まず、象山先生が返します。


「西郷君が、島津様の代わりに犠牲になったのかもしれないというのは、あくまで、僕の推測です。

証拠のあることではございません。

だから、島津様は死の運命を逃れられたと油断なさらぬように。

もし、これで島津様まですぐに亡くなる様なことがあれば、西郷君は完全な無駄死にとなってしまいますからな」


象山先生の身も蓋もない発言に呆れた空気が流れます。

まあ、実際、そうなのかもしれませんが、言わなくても良いことってありますからね。

もしかすると、島津様の気は多少軽くなるのかもしれませんが。

西郷様が亡くなり、島津様が生き残ったとすると、変えられない事象は、この年の夏に薩摩藩の大物が亡くなるということだったのでしょうかねぇ。


西郷様が、運命の流れだの、象山先生が仰る様な理屈を理解していたとは思えません。

だけど、西郷様は自分が島津様の身代わりになっても構わないとお思いだったのでしょうか。

だから、本来やるはずのない毒見役まで引き受けたのでございましょうかねぇ。

アッシがそんな事を考えていると、大久保様が聞かれます。


「そいで西郷どんがけ死んだ理由はどうなっちょっ?」


「解らねぇよ。

朝になったら冷たくなっていたのは間違いねぇことだがな。

前日の夜まで、病で苦しんでいる様な風はなかったんだよ。

怪我なんかもしていなかったから、誰かに襲われた訳でもない。

眠るように穏やかに、いっそ微笑んでいるみてぇな死に顔だったよ」


勝さんがしんみり呟くと象山先生が空気を読まずに横槍を入れる。


「襲撃ではなく、病でもないなら、毒の可能性が一番高いか。

まあ、運命という物があって、死神という奴がいるなら、あるいは、そいつが西郷君の命を奪っていったのかもしれないが。

証明も、確認も出来ない事は考えても仕方がない。

となれば、やはり毒殺の可能性が一番高いと考えられるな」


象山先生の不用意な発言に大久保様の目が険しくなる。

大久保様は別に剣客とか、そういう物ではなかったはずなのですが。

人斬りと呼ばれた人間でさえ、その胆力で威圧することが出来たとも申しますから。

この迫力は、そう言うところから来ているのでございましょうな。

そんな中、島津様が重い口を開く。


「で、あれば、私の命を狙う何者かの毒を西郷を受けてくれたということなのだろうな」


アッシの見た夢では、今年の夏、斉彬公は病で急死したとされていたのですが。

状況を考えると、斉彬公も毒殺されていたと考えるべきなのでございましょうかねぇ。

実際に毒殺であるとすると、アッシの夢の中で、一番怪しいのは薩摩藩先代の島津斉興公一派なんですが。

家督を譲り、薩摩から離れている斉彬公の命を狙う理由があるのかどうか。

本当に、斉興公一派なら、利の問題ではなく、それだけ斉彬公が憎かったということなのか。

運命という奴が命を狙っているなら、そもそも、別の理由で、別の人間が命を狙っている可能性もあるってことで。

何とも、言いにくいところでございますなぁ


「毒であるならば、犯人を断ずるのは極めて困難でございますな。

何の毒で亡くなったのか。

どうやって、毒を接種させられたのか。

犯人、犯行方法、その全て特定するのが難しい」


「そいでは、西郷どんをだいが殺したかも解らんてゆとな」


「証拠がない以上、怒りを向けたところで意味がない。

間違えて他の者に敵意を向けては、有害無益。

私の子どもたちが死んだ時と同じだ。

ここは、堪えるしかないことだろう」


自分の子どもが殺されているかもしれないのを、全て飲み込んで受け入れてきた斉彬公の言葉には重みがある。

このお方は臣下だけでなく、跡継ぎとなるべき子供たちが次々に殺されたかもしれないのに、その怒りも全て飲み込み受け入れてきたのだ。

その重みに大久保様も頷かざるを得ない。

それに対して、象山先生が応える。


「それがよろしいでしょう。

辛く、苦しいことでしょうが、恐らくそれが最善手。

証拠もなく、怪しいというだけで敵意を向けたところで意味がありませんからな。

もし、私たちの不和を望む者がいて、島津様の命を狙ったのであるならば、互いが疑心暗鬼に陥ることこそ、敵の思う壺。

怒りや悔しさは全て飲み込み、西郷君の望んでいた、より良い未来を実現するしかないでありましょうな」


そう言うと象山先生はため息を吐いて続ける。


「それに、西郷君は微笑む様に死んでいたのであろう。

ならば、きっと彼は、この生に満足していたのだろう。

死んでも守りたい主がいる。

自分より優れた者がいない僕の様な天才では、決して持つことの出来ない気持ち。

それを抱き、全う出来た西郷君をある意味、羨ましくさえ感じますぞ」


象山先生の言葉に斉彬公が応える。


「西郷の奴は、何という重荷を私に背負わせるのか。

私は、西郷の命を背負い、西郷の満足いく生を全うしない限り、死ぬことも許されない」


「西郷どんが期待しちょったんであれば、あても微力を尽くし、お手伝いさせて頂きます」


斉彬公の言葉に、大久保様が応えられます。


こうして、事態は、誰が犠牲になるか、どんな未来が待っているか解らない新たな局面へと向かっていくことになるのでございました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る