第八章 激動する世界

第一話 時に西暦1861年

西郷様が亡くなってから、約3年の時が流れました。


象山先生の予想された通り、今更、井伊直弼様が安政の大獄を引き起こすことはございませんでした。

そのおかげで、無益な死を迎える方も減ったようです。

吉田寅次郎さんも、橋本左内さんも、ヨーロッパで元気にやってらっしゃるようです。

先日も、吉田さんからは、岩倉具視様の権謀術数を絶賛する手紙が届いたところでございます。


何でも、岩倉様は、ディズレーリ英国大臣と面談の上、バルカン半島住民に武器を売る許可を貰ったとか。

いやぁ、元々はロシアから武器を売って欲しいとの依頼だったようなのですがな。

ロシアのヨーロッパでの勢力拡大を恐れる英国を舌先三寸で丸め込んでしまうとは。

実際、イギリスと比べて、産業の発展が遅れているロシアでは、バルカン半島住民の期待する善政を維持出来る見込みは低いだろうというのは象山先生の予想でもございます。

そんな風にロシアの治世に失望するバルカン半島住民の手元に武器を渡したらと話したらしいのですが。

ロシアが天竺(インド)でやっていることを、そのまま、バルカン半島でやり返そうと唆した訳でございますな。

おかげで、武器の供給を依頼してきたロシアには感謝され、バルカン半島の内乱を期待するイギリスにまで感謝された上で、日ノ本は武器売買で大儲けしたようでして。

その上で、ヨーロッパの不安定化は、日ノ本の安全にも繋がって来る。

全く、恐ろしい方でございますよ、岩倉様は。

敵に回らず、本当に良かったと思うところでございます。


ちなみに、今の日ノ本の交易は、日ノ本の工芸品を欧米に売る以外は、武器の販売がドンドン増えて来ております。

ヨーロッパでは、先程申した通り、イギリスから買い取った武器をロシアに横流しすることで儲けた訳でございますが。

それ以外でも、イギリスから買った武器を売るという体で、太平天国、天竺、アメリカ原住民等、欧米の植民地や欧米の脅威を感じる地域の原住民たちに武器をコッソリ売り始めておるとのことです。

本当は日ノ本で最新型の武器を製造出来るようになる度に、使わなくなる旧型を地球中に売りさばいているのですがな。


とは言っても、欧米の武器商人がやる様な阿漕あこぎな商いをしている訳ではない様なのですがね。

欧米の武器商人は、基本、植民地を支配する宗主国の国民が中心。

それ故、武器を売るにしても、現在使っている武器よりも何世代も遅れた使えなくなった武器を売り捌いて、植民地の原住民が反抗出来ないようにしている様なのですがな。

元々、異国に植民地など、持つ気もない我々は、異国の原住民が宗主国に反抗する力を持つことに抵抗がございません。

ですから、良い武器を安く売って原住民に喜ばれている訳ですな。

まあ、それでも、高いイギリスの武器を買ってから売ってるという体で、日ノ本で作って使わなくなった一世代前の武器を売っているものですから、儲けは驚く程出るのだとか。


そうやって、日ノ本は交易で儲け、工業製品の企画の統一化、ライフル銃、ガトリング砲、甲鉄艦(装甲艦)などの武器を開発し、軍備の大量生産を続けていったのでございますな。

日ノ本を異国の侵略から守る為に。

とは言え、象山先生だけは、更に、その先、地球の命運を見据えておられる様な感じが致します。

アッシの知識を基に、実際の情勢を見据え、更に、その先まで見据えておられる。

こんな方が、アッシの夢では全く活躍の場が与えられず、暗殺されてしまったのですから、本当に勿体ないことでございますよ。


そして、そんな象山先生の最後も、後3年後に迫って来ております。

アッシには西郷さんの様な忠誠心がある訳ではございませんが、たいして惜しくもない命でございますからね。

西郷さんの様に象山先生に寿命を分け与えることが出来たらと考えちまうものですよ。

いや、実際に、そんな事が出来ないか、ウッカリ象山先生に話したこともあるのですが、その時には、こっ酷く叱られちまって。


「自惚れるな!

僕は地球で唯一無二の天才。

この僕の代わりなど、誰にも出来るはずもない!

それが、僕の身代わりに死ぬなど、傲慢も甚だしい!」


そう言うと象山先生は声を和らげられました。


「僕に匹敵する存在ならば、精々、ヨーロッパを征服したというナポレオン一世程度の者だろう。

だが、今の時代、そんな者は存在しない。

そんな僕を助ける為に釣り合いを取るなら、下手をすれば、この国が亡ぶ方が容易いかもしれん。

だが、僕は、そんな事は望まぬのだ。

与えられた時間で、出来る限りの物を残す。

君たちが困らない様にな。

妻のお順(勝の妹)に僕の子どもを産ませてやれていないのが、心残りではあるが。

僕は英雄として生き、英雄として死ぬ。

その場を与えてくれた平八君には、心から感謝しているのだよ。

だから、凡人は凡人らしく、精一杯、自分の生を全うすれば良いのだ」


全く、我儘で、傲慢で、可愛い方でございますよ。

実際、運命という物がどうなっているか、解らないので、アッシとしても、どうしようもないことなのではありますがね。


アッシの夢とは違い日ノ本で地震や開国による疫病の流行で死ぬ方が減りました。

安政の大獄の様な弾圧がなくなり、それに反発して起こる襲撃事件もなくなりました。

国防軍の治安維持はうまくいっており、日ノ本で内乱が起きる可能性も減りました。

これは、阿部正弘様の執念の産物なのでしょうね。


ですが、運命という物が川の流れの様な物ならば、必ず、穴埋めの様な事件、犠牲が起きるというのが象山先生の予想。

島津斉彬様の命を救う為に西郷様が犠牲になった如く。


ちなみに、あれ以降、島津様は今まで以上に身辺の安全に気を配り、敢えて西郷様が毒殺された可能性を公表して、周りにも注意喚起されているとか。

命を狙われていると要人が主張すれば、幕府も面目に掛けて守らざるを得ず、命を狙う人間も手を出しにくくなりますからな。

その上で、島津様は、日本商社で、日ノ本の産業振興を小栗忠順おぐりただまさ様と積極的に進められているとか。

西郷様の死を無駄にしない為、島津様は全力を尽くされているようでございます。

まあ、そんな風に犠牲になった方の想いが、残された方々に引き継がれているなら良いのですが。

全て、うまく行くはずもございませんからな。


クリミア戦争延長で増えた犠牲、天竺(インド)大反乱の大規模化で生じる犠牲、第二次アヘン戦争回避で助かった命、代わりに起こった様な太平天国の乱の激化。

それらが、どんな影響を地球に及ぼすことになるのか。

その際に、日ノ本に変化の波紋が訪れ、日ノ本が犠牲になることにならないのか。

まだまだ、解らないところ。


とりあえず、今の日ノ本は、イギリス、フランス、オランダ、プロシアなどの欧州列強との関係は良好。

美と芸術と礼の国として、日ノ本に憧れる方も多く、日ノ本視察から、観光に来たがる国を断るのも苦労しているとか。

とは言え、欧州には、白人とは違う黄色人種を劣等人種として見下す方もいるようでございますし。

特に、植民地の原住民に武器を売っていることがバレれば、風向きがいつ変わるか解らないところなのでしょうな。


そして、今、一番、日ノ本が気を付けるべき相手はロシア帝国。


ロシア皇帝アレクサンドル2世陛下の目は手に入れたバルカン半島の発展とヨーロッパに向けられている様ではあるのですがね。

閑職にされたくないムラヴィヨフ東シベリア提督が、アジアで暗躍されているようでして。

ポサドニック号事件で日ノ本に直接手を出すのは、一旦諦めたようなのですが、清国に圧力を掛け、外満州を入手されたようで。

ウラジオストク(東を征服せよ)という名を付けて、新たな街を作り始めているようですからね。

ロシア皇帝はともかくムラヴィヨフ提督辺りは、日ノ本に対する野心を失っていないかと。


アッシの夢では、日ノ本はロシア帝国と大英帝国にある意味、分割統治されておりますからね。

警戒するに越したことはございませんな。


もっとも、ロスチャイルド家をはじめとするユダヤ人の財閥と良好な関係を築けている日ノ本としては、多少の手は打てているのですが。

アッシの夢とは異なり、ユダヤ人の投資は、ロシアやスエズ運河には向かわず、日ノ本の産業振興に向かっておりますから。

豊富な資金を持ち、技術開発、産業振興を進める日ノ本と、開発資金がなく苦労するロシアという図式にはなっているので、まだ警戒する必要はないというのが象山先生の予想なのではありますが。


そして、アメリカ。

今回の地球の激震の震源地となる場所でございます。

アメリカは昨年の大統領選挙で奴隷制に反対するエイブラハム・リンカーンが当選されました。

当選当時のリンカーン大統領は奴隷制の廃止をすると言っていた訳ではなかったようなのですがね。

大規模農場を持ち奴隷の存在を必要とする南部州がリンカーン大統領の就任に反発して、次々に、アメリカ合衆国からの脱退を宣言されたのでございます。


そんな知らせを見ながら、象山書院に来ていた勝麟太郎さんが象山先生に尋ねます。


「やはり、アメリカは内戦になっちまうんですかね?」


「僕としては、ブルック君を通してではあるが、内戦を防ぐ為の一手は示したはずだ。

それを使わずに、内戦と言う道を選んだのは、彼らの判断。

アメリカ人から見れば、異人の僕たちにアメリカ内戦を防ぐ手は存在しない」


「おいらは、アメリカに行ってきたし、日ノ本に来たアメリカ人達との親しくさせて貰ってますからね。

連中は単純な田舎者でさぁ。

野蛮かもしれねぇが、悪い奴らじゃねぇ。

そのアメリカが戦火に塗れるって言うのは、どうも」


「まあ、いくさなんぞ、無いに越したことはない。

だが、アメリカ人は戦うことを選んだのだ。

そして、一度、戦が起きたなら、それを利用しないのは、機を逃すのに等しい」


「そりゃあ、象山先生が随分前から色々仕込んでこられたのは、おいらも知っていますがね。

連中にしてみりゃ、溜まったもんじゃぁないでしょう。

その辺、象山先生だって、ジョン(ブルック大尉)やリズ(グラント中佐)と親しくしているんでしょ。

全部知りゃぁ、連中、起こりますよ。恨みますよ。

先生は、連中に恨まれて、心は痛まないんですかい」


「そりゃぁ、痛む。彼らは良い奴だからな。

だが、それは僕の私的な感情。

公の大義の為には、飲み込み、受け止めるしかないだろう。

報いを受ける覚悟も出来ている」


象山先生が胸を張ると、勝さんはため息を吐き、苦笑されます。


そして、この年の4月、アメリカ合衆国から脱退し、アメリカ連合国を名乗る南部州がアメリカ合衆国に対して攻撃を開始することとなったのでございます。


日ノ本で言うところのアメリカ南北戦争、地球を揺るがすこととなる大戦の始まりでございます。

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