第三話 水戸ロスチャイルド会談
日本全国を廻り、日本各地で熱狂的歓迎を受けたアメリカの日本視察団が帰った後、アルフォンス・ド・ロチルド(ロスチャイルド)は父島で水戸斉昭との会談を行っていた。
議題は、アラスカを担保として借りた資金の返済について。
アルフォンスが提案した担保をアラスカから蝦夷地の一部にして欲しいとの依頼に関する交渉である。
蝦夷地の一部の譲渡について、難航することは、アルフォンスも予想していた。
アルフォンスも次期ロチルド家の当主。
日本の素晴らしさや歓迎を満喫しつつも、情報収集を怠ってはいる訳ではない。
日本人の中に、異国に対する抵抗感があることも十分に理解している。
だが、同時に日本人というのは、非常に人が好いということもアルフォンスは気が付いていた。
譬えて言うなら、世間知らずに育った上品なお坊ちゃんという感じだろうか。
相手を知り、好意を向ければ、相手も自分に好意を向けてくれると本気で信じている様なのだ。
2000年の間、ずっとキリスト教徒と付き合い、相手を知っているのに、全く好意を向けられないことを知っている自分達から見れば、何と楽観的で素直なのだろうと皮肉ではなく、素直に感心してしまう国民性だった。
世の中には、好意を向けても、それを利用するだけ利用して、感謝などしない連中は山の様にいるということをアルフォンスらユダヤ人は骨身に染みるほど理解している。
それに対し、好意を向けさえすれば、好意を返してくれる日本人は隣人としては実に理想的ではないか。
最初は外国人嫌いがあろうとも、付き合っていけば、きっと良い関係を築けるに違いないとアルフォンスは考えていた。
アルフォンスとの会談に来たのは、ロシア皇帝とも謁見を果たしたという日本の皇帝の叔父であり、今回の視察に同行したプリンス・ケーキ(一橋慶喜公)の父である、水戸公爵、水戸斉昭公。
交渉の相手として、自分に最大限の敬意を示したものと言えるだろう。
それに、斉昭公の相談役として桂小五郎が、通訳として、最初に蝦夷地の譲渡を提案した勝麟太郎が同行している。
しかし、今回は、随分、有利な条件の交渉になりそうだ。
アルフォンスは内心でほくそ笑む。
交渉の前、勝がアルフォンスに状況の説明をしてくれたのだ。
勝はアルフォンスの提案への賛成派だと言う。
それ故、斉昭公は日本で譲渡反対派の筆頭格であることも教えてくれたのだ。
斉昭公を説得出来れば、日本中を説得出来るとして、斉昭公の反対の根拠も既に勝から聞いている。
ポーカーで言うなら、相手の手の内を知りながら、勝負をする様なもの。
どうやって、斉昭公を説得するかも、勝と既に相談済み。
少々、厳しい条件もあったが、既に勝利は確定しているとアルフォンスは考えていた。
「まず、息子である慶喜を信用し、大金を貸して下さったことに感謝する」
斉昭の言葉を勝が翻訳する。
「だが、申し訳ないが、担保としたアラスカを蝦夷地の一部としたいという提案はお断りしたい。
幸い、アラスカから金が出たという情報も出ている。
もし、貴公が、アラスカを割譲されても、イギリスとロシアから侵略される恐れがあると言うのならば、我らがアラスカで金を掘り出し借款を返済させて貰おう。
ただ、それには多少の時間を貰いたい。
それがダメであるならば、約束通り、アラスカをお渡しするので、それで返済とさせて頂きたい」
斉昭の言葉を勝が訳すとアルフォンスは、その余りの素直さに好感を持つ。
アラスカで、金が見つかったことなど黙っていれば良いではないか。
アラスカに金があり、儲かる見込みがあるならば、自分の物にしておきたいとものではないのか。
シーボルトの言っていた様に、日本の武士と言うのは、西洋の伝説にある正しい騎士の様に(あくまで伝説であって、実際にはそんな正しい騎士はいなかった気もするが)、名誉を大事にする人々なのだろう。
アラスカの金の存在を隠して取引をすれば、卑怯だとでも思っているのだろうか。
少々心配になるほどの正直さ、素直さだ。
そんなことを考えながら、アルフォンスは斉昭に確認する。
「私が申し出た蝦夷地の一部の割譲は、決して日本に損な取引ではないはずです。
アラスカの譲渡では、それで我々との協力関係は終わってしまいます。
それに対し、蝦夷地の一部を譲渡して頂けるのならば、我々は日本により多くの資金と情報を提供し、我々と日本の協力関係は続くのです。
日本が侵略されないことが、我々の安全にも繋がるのですから。
まして、アラスカで金が出るなら尚更のこと。
アラスカの領有を続ければ、あなた方はより多くの資金を入手出来るはずではありませんか。
それなのに、どうして、私の提案を断られるのでしょうか。
取引を断る理由を聞かせて頂けませんか」
アルフォンスが尋ねると、斉昭が応え、それを勝が翻訳する。
その内容は事前に勝から聞いている通りの内容。
理由は大きく分けて二つ。
一つは蝦夷地のユダヤ人への譲渡が日本への外国勢力の侵略を誘発する恐れがあるということ。
その理由も幾つかあるようで、ユダヤ人に日本の領土を譲渡すれば、他の国も日本に領土の譲渡を求めて来るかもしれないというものから、反ユダヤ勢力がユダヤ人を敵視して攻めてくるかもしれないというものまであった。
さすがに面と向かっては言ってこなかったが、勝から聞いた所によると、ユダヤ国家が成立すれば、そのまま領土拡大をしてくるのではないかという声までもあると言う。
この辺は、反ユダヤ主義というよりは、外国人に対する不信感に根差すものだろう。
これに対する対処案は既に準備していた。
そして、蝦夷地譲渡を拒む第二の理由は、日本の国内世論に譲渡反対勢力があり、国論が分裂する恐れがあるという事。
何故、譲渡に反対するかという理屈を勝に確認したところ、日本人には日本列島は神々から与えられた神聖な土地であるという信仰の様なものがあると言う。
その言葉を聞いて、アルフォンスは、思わず苦笑を漏らしてしまったものだ。
それは、アルフォンス達、ユダヤ人の信じる信仰と同じではないか。
神より与えられた約束の土地。
遥かなるカナン。
今はエルサレムという都市のある地域。
それを奪われるかもしれない状況であるならば、彼らが激しく抵抗することも良く理解出来る。
アルフォンスは、日本人というものに、密かに親近感を覚えていた。
斉昭の説明が終わると、アルフォンスが尋ねる。
「蝦夷地の一部譲渡に反対される理由については、よく解りました。
そこで、改めてお尋ねしたいのですが」
日本人は誇り高いと言う。
だから、アルフォンスは斉昭を説得しようなどとは考えていない。
誇り高い人間が論破されるなど屈辱でしかないだろう。
人間、説得されることなんて、好きではないのだ。
アルフォンスは、斉昭に話を聞きながら、自分で斉昭が答えを見つけるよう誘導しようと考えていた。
「まず、蝦夷地の一部譲渡を拒む理由の一つは、異国からの侵略を恐れてのことであるということでよろしいか?」
勝がアルフォンスの言葉を訳すと、斉昭の怒気が膨れ上がるのを感じる。
武力を誇るサムライという誇り高い身分の彼からすれば、臆病故に譲渡出来ないと思われる事は耐えられない屈辱なのであろう。
だが、斉昭はアルフォンスの想定以上に冷静であった。
「残念ながら、今の日本には、武力が足りないのだ。
我々は、この数年間、世界中の情勢を調査してきた。
数日でアメリカから日本まで来られる蒸気船。
信じられない程の距離を射程に入れる鉄砲。
着弾すれば爆発する大砲の弾丸。
それらの軍備を支える巨大な産業。
日本とは比べ物にならぬ程の広大な土地と資源。
それらの国に我らが全く歯が立たぬとは思わぬ。
命を懸けて戦えば死中に活あり。
あるいは、撃退出来るやもしれぬ。
だが、その様な賭けで天子様を危険に晒す訳にはいかぬ。
悔しいが、天下泰平を享受してきた我らでは、まだ武器も、力も全く足りぬ。
それが、今の日本の状況だ。
それ故、その様な中、異国の侵略を誘発する様なことは厳に避けねばならぬのだ」
アルフォンスは悔し気な斉昭の言葉に頷き述べる。
「私は、この数か月、日本を視察させて頂きました。
視察した限り、仰せの如く、日本の武力が全く足りないとは思いません」
アルフォンスら、アメリカの視察団が行く先には、日本の国防軍が最新の武器を持って、寄港地に先回りをしていた。
そうやって、日本には多くの兵と武器がある様に視察団に見せ掛けていたのだ。
それ故、アルフォンスも、実際よりも多くの軍事力が日本にあると思い込んでいる。
「確かに、イギリスやロシアの様な大国には、劣るかもしれません。
だが、十分に戦えると確信しております。
その上で、視察の結果、日本人の優秀さも理解しました。
日本は、時間さえあれば、必ず、世界の一流国になる資質がございます」
アルフォンスは、自分の言葉に斉昭の怒気が治まるのを確認して、続ける。
「そこで伺いたいのです。
もし、日本が異国の侵略を撃退出来るだけの武力を備えた場合の話です。
その場合、侵略を避ける為という理由では、私の提案を断る理由はなくなると思うのですが、如何でしょうか」
アルフォンスが尋ねると斉昭は考える。
外国からの侵略が怖いという理由に対して、日本が軍備強化に成功してしまえば、断る理由の一つはなくなるはずなのだ。
イギリス、ロシアが攻めて来ようとも、それを撃退出来るだけの軍事力の増強。
それだけの軍事力強化に日本が成功していれば、ユダヤ人国家が侵略を企てても、撃退は可能なはず。
少なくとも、この点で、アルフォンスの提案を断る理由はなくなるかもしれない。
そこへ、アルフォンスは追い討ちを掛ける。
「我々は2000年もの間、国を求めて彷徨ったのです。
日本が武装強化するまでの十年、二十年程度なら、十分に待つことが出来ます。
それだけでは、ございません。
もし、我らへの蝦夷地の一部譲渡を約束して下さるなら、我ら、ロチルド家だけではありません。
他のユダヤ人も紹介しますので、我らユダヤ人は、日本に更なる資金と情報を提供しましょう。
あなた方の国が外国に侵略されてしまえば、我らの念願の夢、我らの国も消えるのですからな。
日本の軍事力強化が終わった後で構いません。
その時に、蝦夷地の一部で構いませんので、譲渡して頂けないでしょうか」
アルフォンスの言葉に斉昭は暫く考えた後、尋ねる。
「その申し出自体は非常に有難いものではある。
だが、どうして、そこまで、日本に肩入れして下さるのだ」
「日本を助けることが、我らの利益になると思うからです。
今の世界は、キリスト教徒の倫理、常識に支配されています。
このキリスト教徒と我々、ユダヤ人は非常に相性が悪い。
何か、問題が起これば、すぐに我々ユダヤ人の所為だと怒りの矛先を変える替え玉にされやすいのです。
その様な中、我々に反感を持たない国が力を持ってくれることは、我々にとっても利益なのです」
アルフォンスの言葉に斉昭は苦笑する。
日本の為だと言えば信用出来ないが、自分達の為に日本を援助するという誠実さに好感を持ったのだろう。
だが、それだけでは納得せず、斉昭は聞く。
「しかし、あなた方、ロチルド家はイギリス、フランスなど様々な国に勢力を分けていると言う。
一方の国が弾圧して来たとしても、他の国に逃げれば良い様に。
その上、今回のクリミア戦争でも、ロチルド家は大きな利益を上げ、各国での影響力を拡大していると言うではないか。
その様な状況で、わざわざ国を作る意味が本当にあるのか」
「だとしても、キリスト教徒が一丸となって、我らの排斥を始めてしまえば、武力を持たない我々に抵抗のすべはないのです。
だからこそ、我々は、安全に過ごせる場所、確実な逃げ場所が欲しいのですよ」
「そこが、蝦夷地という事か。
だが、ユダヤ人を知らなくとも、異人であるということで、あなた方を不審の目で見る者は、この日本にもいる。
たとえ、軍備増強が済んだ後であろうと、異人を日本に住ませることに反対する者もいるであろう。
その様な国論の分裂や対立を招く様なことを、私は受け入れることは出来ない」
斉昭の言葉にアルフォンスは頷いて再び確認する。
「蝦夷地は、あなた方以外にアイヌ人も住む土地。
しかし、あなた方はアイヌ人を追い出したりはしていません。
今、アイヌだけが住み、あなた方が住まない土地。
寒くて米が育たないが、麦なら育つような土地。
例えば、サハリン(樺太)や蝦夷地の北東部。
その様な場所ならば、反対する声も決して大きくないのではありませんか」
アルフォンスの言葉を勝が訳すと、斉昭は暫く考えてから答える。
「確かに、蝦夷地にはアイヌが住む、天子様の治める秋津洲(本州)とは違う土地ではある。
だが、我々は蝦夷地も北蝦夷(樺太)も、我が国の領土としてロシアから防衛してきているのだ。
その様な土地を異国に譲れば、どの様な問題が起きるか解らぬ。
軽々に許可することなど出来ぬのだ」
斉昭の言葉を勝が訳すと、アルフォンスは暫く考える素振りをしてから尋ねる。
「それでは、段階的に譲渡を進めて頂くのは如何でしょうか?」
「段階的?」
「そうです。
軍備増強が成功した後でも、いきなり蝦夷地の一部を譲渡すると発表すれば、反対派が激発する恐れがあるでしょう。
だから、順番に国内情勢、国際情勢を確認しながら、段階的に譲渡を実施して頂くのです。
第一段階としては、譲渡地域の調査と相談。
こちらに関しては、一般に漏らさぬ秘密会談ですから、国内、国際世論の反応も存在しないでしょう。
そして、第二段階として、ユダヤ人自治区(藩)の建設の許可です。
長崎にも出島というオランダ人の自治区があるではないですか。
それよりも、場所は広くなりますが、日本人の来ない土地であるならば、反発は大きくないのではないでしょうか。
その上で、ユダヤ人自治区の港には、日本軍の海軍基地を作って頂いても構いません。
我らの土地に対する反ユダヤ主義者の侵略を日本軍が排除して下さるなら、我々にとっても有難いことですから。
そこで国内世論、国際世論の様子を確認し、行動の調整をしましょう。
そして、日本世論の反対が強くないようであるならば、最終段階として独立をさせて頂く。
それならば、国論の分裂や外国の侵略を誘発する恐れはないのではないでしょうか」
アルフォンスの提案を聞いて、斉昭は考えた後、尋ねる。
「それでは、もし、我が国で反対の声が大きくなれば、どうする?」
「そうならない様、日本と良好な関係を築くようには致します。
しかし、それでも、どうしても日本の方々が我らを歓迎出来ないというのなら、蝦夷地は断念しましょう」
「断念してどうする?
借款の返済は改めて金か、アラスカの譲渡で行うという事か?」
「それで構いません」
「なるほど、それならば、こちらに断る理由はなくなる。
だが、本当にそれで良いのか?
我らが軍備の増強に成功したところで、あなた方の要求を拒むかもしれぬとは考えぬのか?」
「だから、契約を交わして頂きたい。
徳川家の名誉に懸けて。
我らの協力で軍備増強に成功した後、必ず、蝦夷地の一部譲渡に全力を尽くすと。
あなた達は名誉を重んじる人々であると聞いております。
徳川家の名誉を穢す様なことは出来ないはずです」
斉昭は、その言葉に深く頷き、考え込む。
だが、アルフォンスは確信していた。
必ず、この取引は成功すると。
この契約が成立すれば、うまく行けば、自分達を守ってくれる良き友人の隣にユダヤ人国家が樹立出来る。
もし、ダメだったとしても、最初に貸した資金をアラスカの領土か金の形で回収した上で、更に貸した分の資金で日本政府に対する影響力を増すことが出来る。
どう考えても損をすることのない良い取引だ。
アルフォンスは内心で情報を漏らしてくれた勝に感謝していた。
*****************
会談を終えた水戸斉昭は気が抜けた様に呟く。
「あーたもので良がったのが。こぢらに都合の良い条件ばがしで拍子抜げだったぞ」
「まあ、事前にこちらの条件は伝え、相談しておりましたから。
なかなか、話の解る御仁でございましたよ」
勝が涼しい顔で応える。
「おかげで、蝦夷地の譲渡をしなくても、日ノ本はロチルド家だけでなく、ロチルド家の紹介で他のユダヤ人達からも資金援助、情報提供を受けることが出来るようになります。
そして、莫大な金を貸してしまえば、貸し倒れにしない為に、貸主は日ノ本を守る為、更なる援助をせざるを得なくなります。
良い事づくめでございますよ」
勝がそう言うと斉昭が応える。
「いや、徳川家の名誉に懸げで誓ったのだ。
本当に、彼らが誠実に、我が国守るごどに協力してくれるなら、誠意には誠意で応えなぐぢゃならめぇ」
「ならば、お互い得の良い取引が出来たということでございましょうな」
その様子を見て桂は苦笑を堪える。
この様な取引が成立したのも、勝さんがロチルド側に情報を漏らす振りをしたからではないか。
人間、自分が狩る側だと思った時、警戒心が薄まると言う。
勝さんと言う協力者を得て、ロチルドは警戒心を弱めてしまったのだろう。
とは言え、この取引は、もともと、どちらも損がない様に考え抜いたもの。
ロチルド側が騙されたと怒る恐れもないだろう。
となれば、良き協力者を得ることが出来たと考えておくべきなのだろうなと桂は考えていた。
*****************
アルフォンスとの会談が終わり、アルフォンスがヨーロッパに向かって暫くすると、新たな情報が齎される。
日本の介入により、従来よりも延長されていたクリミア戦争が最終局面に到達したとの報である。
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