第三十七話 上海議会

アッシの策を聞いて、議場では活発な議論が始まりました。

一人で考え込むのではなく、話し合うことによって、より良い答えを見つけ出す。

三人寄れば文殊の知恵とも言いいますからな。

恐らく、こうして話し合うことが、異人たちの強さの理由の一つなのでございましょう。

一人の人間の頭の中だけなら、どうしたって視点は偏り、見逃す視点が出てきてしまう。

その辺を隠さずに積極的に話し合うことから、盲点をなくし、より良い答えを見つけようというやり方なのでございましょうな。


もっとも、今回の太平天国の上海租界の攻撃の場合の様に、全員に、太平天国の連中は頭の悪い野蛮人なんて思い込みがあったりすると、野蛮人だから不合理なこともするという思い込みに辿り着いちまうこともあるのかもしれやせんがね。

それでも、その思い込みを打破さえ出来れば、見えてくることは多いようでございますな。

上海議会の方々が、互いに活発な議論を交わす中、たまにアッシにも確認の質問が飛んできます。


「ロシアが清国もに援助しているという噂は、どれほどの信憑性があるのか。

日本は、ロシアや清国から、その様な話を聞いているのか」


「いえ、あくまでも、これは天竺(インド)の反乱軍にロシアの武器が流れているという噂から考えた推測に過ぎません。

だから、本当はロシアが清国に援助しているなどという事態はないのやもしれません。

しかし、もし、本当にロシアが清国を援助しているのに、あなた方が太平天国との戦いを継続すれば」


アッシがそう言うと、あちらもアッシの言いたいことを察した様で考え込む。

確かに、このまま、英仏が太平天国を攻撃すれば、太平天国に勝つことは出来るでしょう。

もっとも、今はオスマン帝国(トルコ)、天竺(インド)と幾つかにイギリスは兵力を分散しているから、太平天国を倒すのに時間が掛かることになりそうではありますが。

ですが、それまでにイギリス、フランスが被る被害は、どの位になることでございましょう?

その上で、勝ったとしても得られる利益はどれ位のものなのになることでございましょう?

英仏が、太平天国を倒せば、太平天国の支配地域を占領することは出来るかもしれません。

しかし、本当に清国がロシアの援助を受けているならば、その後、間違いなく英仏とロシアの援助を受けた清国は対立することになるでしょう。

その結果、下手をすれば、清国はロシアへの依存を高め、ロシアの支配地域を広げる手助けにもなりかねません。


アッシの夢で見た第二次アヘン戦争(アロー戦争)では、英仏とロシアは対立しませんでした。

クリミア戦争が終わった後に始まったのがアロー戦争でしたからね。

それで、イギリス、フランスが清国に因縁をつけて戦を吹っ掛け、清国や太平天国を食い散らかした後、中立を自称するロシアが仲介に入り、外満州を仲介の報酬として清国から奪い取ったというのが、アッシの見た夢の話。

つまり、アッシの夢では、英仏露が協力して、清国を食い物にした訳でございますな。

ですが、今回、クリミア戦争は継続し、英仏とロシアの争いも継続しております。

だから、実際に清国へロシアの援助があるかは解りませんが、イギリス、フランスはロシアの影に怯え、その影響力を少しでも排除したいと考えざるをえないのでございますな。


「だが、清国に対するロシアの援助がなければどうする。

それならば、そもそも、太平天国と停戦すること自体が無駄ではないか。

むしろ、太平天国に花を持たせ、上海からアヘン商人を追放すれば、各地の反乱勢力、反植民地勢力が勢いを増すことになるのではないのか」


「所詮、野蛮人の反乱勢力に勢いを増したところで恐れるに足りぬ。

清国の正規軍と戦ったアヘン戦争でも我らの圧勝だったではないか。

ロシアが清国を援助していない場合は、どっちに転んでも倒せば良いだけの話。

それより、警戒すべきは、ロシアの勢力拡大だ。

ロシアが清国を援助していなければ、それで良し。

ロシアが清国を援助しているなら、太平天国が勢力を増し、ロシアの援助する清国を苦しめるなら、それも結構。

いや、それどころか、本当にロシアが清国を援助しているというなら、我らは太平天国を援助して、清国からロシアの勢力を駆逐すべきではないのか」


「ロシアが清国を援助しているかの確証はないと日本側も言っているではないか。

だいたい、上海租界を襲撃してきた太平天国に援助するなど、住民の賛成が得られるはずがないではないか」


議会の議論は白熱して参ります。

中島三郎助様や江川英敏様も、その成り行きに驚いておいでです。

その中でも、日ノ本の人間と異人の議論において、一番大きな違いに思えるのは、それぞれの者が自分の意見にあまり固執しないということでございましょうか。

アッシら、日本人、特にお武家様は、己が言葉に魂を込めておられます。

この意見が通らねば、腹搔っ捌いてでも、諫言するなどと言うのがお武家様のあるべき姿などと申しますからなぁ。

その結果、意見の違いから斬り合い、殺し合いに発展してしまう危険もあるのが物騒な話ではございますが。

まあ、それ程ではないにせよ、アッシらの様な庶民でも、意見を否定されると、自分自身が否定された様な心持ちになるというのが一般的な感覚でございましょうか。

だから、話し合いから喧嘩になったりすることも少なくはございません。


ところが、異人たちは、どうも違うようなのですな。


まず、見ている限り、異人たちは、この話し合いで、命なんて掛けていない様に見えます。

勿論、責任感はあるのでしょうけれどね。

何としてでも、己が意見で説得しようという気持ちがないのでしょうか。

熟考するよりも、思いついたことを口に出し、互いに出てきた意見を皆で練っている様子なのですな。

話していることは思いつきだから、突拍子もない意見も結構多い。

思いつきだから、どんな意見を出したところで、相手の人品(人格)を否定する様なことはない。

意見と人格が別のものの扱いなのですな。

で、思いつきだから、否定されたところで傷つくこともない。

おかげで、普段は考えない様な意見や考え、見方が頻繁に出てくる。

そうやって、協力して答えを見つけるというのが、異人たちの話し合いなのでございましょう。

なかなか、面白いやり方でございますな。

そんなことを考えていると、またアッシに質問が出されます。


「もう一つ、確認したいことがある。

太平天国が難民に紛れ込ませて兵を送り込んでいるかもしれないという見立て。

これも、日本の憶測に過ぎないのだな」


「はい。確かな証拠はございません。

最初にオールコック様が仰せの通り、太平天国の将軍は面子を気にして撤退しないだけなのかもしれません。

しかし、清国と激戦中であるならば、南京を落とした程の将軍を、何もさせない游兵にする余裕があるとは思えません。

そして、天竺でも民衆の暴動が起きていると聞いております。

ならば、最低でも、民衆の暴動が起きない様な策を講じる必要があるのではありませんか」


「難民の暴動が起きた場合の対策か。

警備部として、何か方法はあるのか」


「正直、難民に太平天国の兵が紛れ込んでいた場合、完璧に取り締まるのは困難かと。

既に、上海市内には、多くの難民が街中に紛れ込んでしまっています。

彼らを、これから隔離しようとすれば、それだけで難民は不満に思い、暴動が起きる可能性が高い」


「上海が陥落する恐れはあるのか」


「その様なことはさせません。

主要部分を守り、船から攻撃すれば、太平天国の軍を撃退することは可能です。

ただし」


「ただし、暴動が起きれば、我らの被害をゼロにすることは難しいということか」


「太平天国が上海を襲撃する前に、逆に太平天国を壊滅することは出来ないのか」


「兵力が少な過ぎます。

太平天国の軍は民衆も含めれば数十万単位。

対する我々は、世界各地に兵力を分散し、香港から辛うじて、軍艦を何艘か回して貰っている状態。

蒸気船すらなく、圧倒的に少ない兵力で、すぐに太平天国を壊滅させることは非常に困難です」


「すぐに、太平天国を壊滅させられないなら、いずれにせよ、暴動対策は必要だろう。

隔離という名目ではなく、難民の食事や寝床を用意するという名目で、保護施設を作り、そこに難民を誘導してはどうだ。

清国や太平天国よりも、良い待遇を用意してやれば、暴動参加者は減り、それだけ危険は下がるのだからな」


「そんな予算、何処から出てくるのだ」


「難民が増え、治安対策で住民からの抗議も出て来ている。

その対策の一環として、寄付を集っても良いだろう」


等など、いやぁ、実に多岐に渡り議論を進められます。

そして、小一時間経った辺りで、オールコック様が意見をまとめられます。


「だいたいの意見は出揃ったようなので、そろそろまとめましょう。

まずは、太平天国対策について、これまで通り、本国からの援軍を待ちながら、攻撃を続けるべきと考えられる方、挙手をお願いします」


そうオールコック様が尋ねられましたが、誰一人、手を上げられません。

まあ、ロシアが裏で暗躍している可能性があったり、上海市内で暴動が起きる可能性を示唆されれば、呑気に対策も立てずに行動出来るものではございませんでしょうからな。


「それでは、次に暴動対策の為、難民保護施設の建設を発表し、難民を集める為に炊き出しを開始するべきと考える方、挙手を」


今度、手を上げたのは七割程度でございましょうか。

反対理由は、実際に起こるかどうか解らない暴動対策の為に、無駄な予算を使いたくないということ。

対して、賛成する方は、対策に加えて、人道上も、難民保護は道理に適っているのであるからという理由が多いようでございました。


「そして、次に太平天国との一時停戦を目指して、交渉開始を試みるべきであると考えられる方、挙手を」


「すぐに撃退出来ず、被害が出る恐れがあるなら交渉を提案し、時間を稼ぐしかあるまい」


フランス領事がそう仰るとと、他の方々も次々に手を上げていかれます。

その状況を確認すると、オールコック様が続けられます。


「では、続いて、日本の提案通り、アヘン商人を上海から追放することを条件に停戦を申し入れることに賛成される方」


オールコック様がそう聞くと、フランス領事が再び発言されます。


「アヘン商人たちは、今、上海では取引が出来ないと言う。

その様な状況で、追放ではなく、安全の為の脱出だと告げれば、反対するアヘン商人はいないでしょう。

だが、それで、本当に太平天国は停戦に応じるのでしょうか?」


フランス領事がそう言うとオールコック様が、その意見を止められます。


「お待ち下さい。話は順番に進めましょう。

まず、話すべきは、太平天国に対して、アヘン商人の追放を条件に停戦を申し入れるか否かです」


オールコック様がそう言うと、バラバラと手が上がって参ります。

口々に仕方ないだろうとか、そこまでなら問題はないだろうと仰っていると江川英敏様が説明して下さいます。

その様子を確認されると、オールコック様が続けます。


「賛成多数のようですね。

では、アヘン商人の追放を条件とした停戦の提案をすることにしましょう。

それでは、次に、どうやって太平天国に交渉を持ちかけるか。

誰を交渉に出すか。

そして、何処まで譲歩するか。

その条件について話し合いましょう」


オールコック様の言葉に早速、フランス領事が尋ねられます。


「まず、交渉の窓口を統一するか、ということか」


「そうです。フランスは、上海防衛については、防衛共同会議への参加を拒否されましたからな」


オールコック様が皮肉気に笑うと、フランス領事も苦笑を返されます。


「申し訳ないが、交渉をイギリスに全面的に任せることは出来ないな。

それが、本国の方針だ。

こちらからは、ベルクール君を交渉役として出そう。

その上で、条件を揃えておけば、混乱することなく、交渉可能だろう」


フランス領事がそう言うと、オールコック様が頷き、パークス様に声を掛けられる。


「では、こちらからはパークス君に行って貰いたいのだが、構わないかな」


オールコック様がそう確認すると、パークス様が頷いて見せる。


「パークス君は清国の言葉も話せる。

交渉役としては、適任であると私は考えている」


オールコック様が議場の面々に説明すると、議員たちも、その提案に賛成された様だ。


実際、アッシの見た夢の中でも、アロー戦争の際、パークス様は通詞として清国との交渉に参加しておいでです。

まあ、その時は、交渉中に清国軍の拉致されたりしたとも言いますが。

その辺の運命が、ここに収束したりしないと良いのだがなぁ。

そんなことを考えていると、オールコック様が尋ねられます。


「交渉役は決まりました。

では、次に、どの様に、交渉を提案するかですが、これも日本の言う通り、捕えている捕虜を交渉役として解放してやるべきかという事ですが」


「解放するのは構わないが、捕えている捕虜は怪我人か、末端の兵士ばかり。

交渉役を期待して解放しても、逃げてしまうのではありませんか」


「それならば、軍艦に乗せ、敵陣近くまで、捕虜を運んでやれば良いでしょう。

敵陣の目の前まで、軍艦で運べば、さすがに捕虜も、陣に戻ることでしょうからな」


「しかし、それでは敵陣のすぐ前で交渉するということになる。

さすがに、それは危険ではありませんか」


「問題ないでしょう。

そもそも、太平天国には、軍艦に対抗出来るだけの軍事力などないのですから。

交渉の場で襲い掛かって来れば撃退すれば良いだけ。

連中が暴動を計画しているならば、暴動を起こされる前に交渉を始めないと全てが無駄になってしまう」


議論が取り交わされ、意見が出尽くしたのを確認し、オールコック様は決を採り、何隻かの軍艦で捕虜を交渉役を乗せ、長江を遡ることを決められる。


「では、最後に、何処まで妥協するかというところですが。

ご意見はありますか」


オールコック様が尋ねられると、フランス領事が答える。


「そこは、交渉して見なければ解らないところでしょう。

アヘン商人を香港に脱出させれば、太平天国はアヘン商人を追放したと対外的に成果を誇ることが出来るはずです。

ですが、こちらが弱気になっていると太平天国が判断し、調子に乗って、更なる要求をしてくれば、かえって対立を引き起こす危険もあります」


「交渉で時間が掛かるのは構わないのではありませんか。

先方からの要求が過大になるならば、本国に確認しなければならないと持ち帰れば良い。

時間は、こちらの味方です。

時間が経てば、ヨーロッパからの援軍が期待出来るのですから」


「とは言っても、問題は援軍が来るまで、どれだけの時間が掛かるかです。

クリミア戦争やインド大反乱がいつ片付くか、その見込みはあるのですか。

あまり交渉が長引けば、交渉決裂と判断して、暴動を起こされる危険があります」


「ですから、太平天国に武器の供与を提案するべきだと言っているのです。

太平天国の本来の敵は清国。

武器が供与される限り、わざわざ、我々を攻撃して、武器供与の道を閉ざすことはないはずです」


「しかし、さすがに、襲撃した太平天国に武器を供与するなど、市民感情が許さないでしょう。

それに、与えた武器で、太平天国が上海を襲撃してきたら、その責任をどうやって取ると言うのですか」


議論が紛糾して来たところで、アッシは手を上げて見せる。


「何か、ご意見ですか?ミスター・サクマ」


「我が国としては、上海との停戦を条件に、太平天国と交易をする準備があります」


今までニコニコ話を聞き、質問に答えるだけだったアッシの突然の提案に議員たちは驚いている様でございますな。

その驚きの空気の中、続けます。


「我が国としては、大陸の争いに関わりたくないというのが本音。

とはいうものの、上海の皆さまの手助けをしたいというのも本音でございます。

だからこそ、上海を攻撃させない為に、停戦を条件に、交易を申し出ること位までなら、協力が可能でございます」


そう、強調するのは、あくまでも上海を守る為の交易の提案でございます。

ですが、当然、オールコック様は疑問点を確認されます。


「交易というのは、武器も供与するということですか。

その武器が、上海への攻撃に使われれば、日本への非難が沸き起こる危険もありますよ」


「もし、希望があれば、武器も販売しますが、それは、あくまでも取引。

只で与える訳ではございません。

その上で、売るにしても、最新の武器など売るつもりはございません。

我が国にも、古い武器は沢山ございますからな。

それらを売ったところで、上海の脅威になることはないでしょう」


アッシがそう言うとイギリス人達は苦笑されます。

そう、これはイギリス人商人たちが、植民地でやってきたやり方そのものですからなぁ。

自分達と同じやり方を真似ていると思えば、疑うことなく信じて下さる。


「ですが、それでは、あなた方は清国と敵対することになるのではありませんか」


「仕方ありません。

清国から抗議があった場合は、清国とも武器取引をさせて頂くしかないでしょうな」


困った様な表情を作りながら、事前に中島三郎助様と江川英敏様と相談してきた策の続きを考える。


アヘン商人を脱出させ、第二次アヘンを停戦に持ち込むことが出来れば、それだけでも十分な成果でございますよ。

上海を太平天国の襲撃から救い、アヘン商人だけでなく、異人の婦女子を脱出させれば、欧米の新聞は間違いなく、日ノ本を賞賛してくれるこことでございましょうから。


ですが、その上で、こうやって、太平天国と清国、双方に武器を供給する販路を確立出来れば、その影響力は更に大きなものとなるでしょう。

もしかしたら、少しは、この内乱の展開に、日ノ本が影響力を持つことが出来るかもしれませんからな。

上海を守る為という大義名分もございますし。


アッシらが望むのは、大陸の群雄割拠。

欧州の勢力も、それぞれに大陸の利権を求めて覇権を争い、大陸の様々な勢力は、それぞれ欧州の勢力と戦うだけの戦力を持っている状態。

互いに争い、日ノ本に手を出す余裕などない状態が生まれてくれるのが一番有難いのでございます。


まあ、東洋の果てのこんな小国の提案なんぞ、何処まで聞いてくれるか解りません。

鼻で笑われて却下されるだけかもしれません。

そうだとしても、上海に対し、好意的な提案をしている我が国の評判が上がってくれれば、それで十分。


まあ、その辺は、ここで議論する方々とアッシは似ているのやもしれませんな。

提案はしますが、断られたところで、面目が潰れるなどと考える様な立場ではございませんから。


お武家様に通詞を頼んでいることをウッカリ忘れて、アッシは気楽にそんなことを考えていたのでございます。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る