第三十話 アラスカ探検

何と地球とは大きいのだ。

1857年6月、目の前に広がるアラスカの大地を眺め、松前崇広まつまえたかひろは、改めて地球の壮大さに感動していた。


松前崇広は、蝦夷を支配する松前藩の前藩主である。

この松前藩は、藩士の数と比較して、広大過ぎる蝦夷地警備を任されている藩でもある。

それ故、松前崇広は雄大な風景など見慣れているつもりであったのだ。

勿論、崇広は藩主となる前、部屋住みの頃から、西洋事情、西洋文物に興味を持ち、英語やオランダ語も学ぶ西洋通であったから、広大に思える蝦夷地も地球全体から見れば芥子粒の様なものであると頭では理解しているつもりではあったのだ。

だが、知識だけでは感じることの出来ない実感というものもある。


思えば、現在の状況において、崇広ほど、長距離を移動した日本人は他にいないであろう。

まあ、中浜万次郎辺りは日米間を何度も往復しているので、合計移動距離では負けるかもしれないが。

まず、松前崇広は、ロシア視察団に参加し、ロシアの広大な領土を陸路で往復している。

高速で走る馬車に乗り、馬を何頭も取り換えながら進んでも、首都サンクトペテルブルクまで、数か月も掛かる広大なロシアの大地。

そして、今度は国産の蒸気船に乗り、太平洋を横断してサンフランシスコまで到着。

その後、北上して、アラスカ探検の指揮を執っているのが、現在の状況。

帰りは日本がアラスカと一緒にロシアから買い取ったというアリューシャン列島から、カムチャツカ半島の都市ペトロパブロフスク・カムチャツキーまでを視察してから、日本に帰る予定となっている。

そして、それだけ移動すれば、地球の広大さが嫌でも実感させられる。

地球とは、何と広大であるのか。

だが、同時に崇広は、現在置かれている状況に、そこはかとない違和感があった。

これほど広大な土地なのに、どうして、こんなにも簡単に金鉱山を見つけられるのだと。


松前崇広がアラスカ探検に来たのは、アラスカを日本の領土としておくだけの価値があるのか確認する為であった。

もし、領有する価値がないのならば、借金の担保として、ロチルド(ロスチャイルド)家にアラスカを渡してやれば良いと言うのが日本商社代表取締役井伊直弼様率いるアラスカ領有懐疑派の主張である。

単純に考えれば、領地が増えた方が良い様な気もする。

だが、領土が増え、異国との接触が増えれば、異国が日本へ侵略する口実作りも増えることになるだろう。

その上で、井伊直弼はアラスカ購入の様な資金があるならば、日本の産業振興に資金を使うべきだと主張しているのだ。

その意見に対し、ロシアからアラスカ購入を決めてきたという一橋慶喜公も強い反対は示していない。

慶喜公の戦略目的は、ロシアに資金を与え、イギリスとロシアのいくさを長引かせることであったというのだから、無理に日本のアラスカ領有まで主張する意味もなかったのであろう。

しかし、アラスカには莫大な金が埋蔵されているという噂が流れると状況は変わる。

もし、アラスカに莫大な資源があるならば、日本が領有しておくべきではないのかとい意見も幕府の中に出てきているのだ。

実のところ、この噂の出所は平八の夢であり、金よりも、後の世で重要になるという石油という資源の埋蔵という情報を聞いている海舟会に関わる者たちによって、流された情報だったのだ。

それ故、海舟会の面々の中にはアラスカ領有が可能であるならば、将来の日本の為にアラスカを確保しておくべきと考える者もあり、アラスカに大量の金が埋蔵されているという噂がばら撒かれることとなったのだ。

この点に関し、筆頭老中阿部正弘は、アラスカ領有した場合の利点も欠点も理解しているので、まだ結論は出していない。

しかし、アラスカの現状、資源を幕府内でも周知させておくべきだとは考えていた。

だから、阿部正弘は、念のためという名目を立てて、アラスカ探検隊を組織したのだ。

そして、その論争に巻き込まれ、松前崇広は、こんな地の果てまでやってたのである。


こんな念のためという名目に過ぎない派遣であるから、アラスカ探検を任じられた松前崇広は、その成果に懐疑的だった。

何処に金があるか明確に解っているのならば、ロシアが安値でアラスカを手放すはずはない。

つまり、金があるかどうかさえ、解らない土地なのだ。

更に、本当に金があるとしてもアラスカが広大なのは、地図を見れば誰でも解ること。

その広大な土地で、何処にあるかも解らない金鉱をどうやって見つけ出せると言うのか。

その上、その期間は、越冬を避け、年内に日本まで帰って来いなどと言う。

その様な条件で、成果の上げようもないではないか。

となれば、今回の探検はあくまでも調べたという証拠作り。

万が一、ロチルド家にアラスカを譲った後に、金が発見されれば、責任を取らせる為の要員にされたのだろう。

平八の夢という知識を持たない松前崇広は、そう考えていた。


ところが、である。

アラスカに到着して以来、同行した山師たちが次々に金鉱を発見してくるのである。

常識的に考えてありえない話だ。

勿論、この裏には平八の知識がある。

平八からだいたいの金鉱の場所を聞いている中浜万次郎が、何か所か調査の為に寄港する港の中に、金鉱のある港を選んでいるから、結果として、驚く程の短時間、高確率で金鉱を見つけてしまうのである。

そんなことを知らない崇広から見れば、不信感しか覚えない事態であった。


アラスカは、こんなに簡単に金が見つかる程、金の多い土地なのか。

だが、そんなに豊富な金があれば、ロシアもアラスカに豊富な金があることを知っていて当然だろう。

それなのに、どうして、ロシアはアラスカを日本に売却したのか。

本当に、ロシアは、イギリスとのいくさの最中で、アラスカの金を掘り出す余裕がないから、日本の資金提供を望んだのか。

確かに、ロシアが、イギリスとの戦争中に、資金稼ぎの為にアラスカの豊富な金の採掘を始めれば、イギリスはカナダを経由して、アラスカへの侵略を開始していたかもしれない。

それを避けたいというのは間違いないだろう。

だが、それならば、ロシアは、一旦、イギリスと停戦した上で、アラスカの金を採掘すれば良いではないか。

目先の金を欲しいからと言って、莫大な金を捨てるとは、とても考えられない話だ。

となれば、ロシアは一旦、日本にアラスカを売却し、その資金をもってイギリスとの戦争に勝利した後、日本からアラスカを奪い返すつもりではないのか。

アラスカを領有することにより、ロシアの日本侵略を誘発するかもしれないという考えに、松前崇広は寒気を感じた。


とは言え、さすがに、これだけの莫大な金がある土地を二束三文でロシアが売るということは、正直考え難い。

となれば、日本側がどうやったか解らないが、金鉱情報をロシアやイギリスに先駆けて入手したと考える方が自然であろう。

その場合、ロシアは役に立たない土地を、金鉱があるかもしれない土地と日本を騙したつもりで売り付けたにも関わらず、本当に金が出てしまったということになり、中々痛快な話ではあるのだが、現在の国力を考えれば、ロシアだけでなく、イギリスにも知られるべきではない情報だろう。

もし、アラスカに莫大な金があるという情報が流れれば、アラスカを売ったロシアだけでなく、隣国カナダからイギリスが攻めてくる可能性も捨てきれない。

となれば、金の存在を隠して、金の採掘を行い、利益を上げねばならないのだが、どうやって、それを隠しぬくか。

実に面倒な話だ。

そんな面倒な話であるならば、自分ならロチルド家に渡してしまった方が楽で良いと思うのだが、決定するのは幕閣のお歴々。

自分としては、幕府の命に従い、情報を伝えるだけで済ませるしかないだろう。

そんな風に考えていると、アラスカ探検隊護衛軍軍団長を務める西郷吉之助が声を掛けてくる。


「次々金が見つかっちゅうとに、わっぜ難しか顔をされちょりますな。どげんしたんやろうか?」


西郷は純朴とも言えるドングリ眼で松前崇広を見詰めて聞いてくる。

西郷と松前崇広の付き合いは、咸臨丸に乗ってからの約半年になるが、崇広は西郷のことを嫌いではなかった。

西郷は、裏表がなく、喜怒哀楽もハッキリした、実に解りやすい人物だ。

西郷の忠誠は、明確に島津斉彬にあり、その目的は、島津斉彬の命に従い、日本を異国の侵略から守ることであることが全身から溢れて来ている。

そして、その解りやすさは、多くの人を引き付ける。

この半年で、国防軍の中のはみ出し者であった護衛軍の面々の多くは、西郷と酒を酌み交わし、彼に惹かれて行ったことは松前崇広の目から見ても明らかであった。


「確かに、驚くほど、金は見つかった。

だが、それを異国に知られれば、異国の侵略を誘発しかねん。

だから、それを、どうしたものかと考えていたのだ」


崇広がそう言うと、西郷は感心して答える。


「あては、金が見つかったちゅうだけで喜んでおったが、そん先んこっまでお考えやったか。

さすがでごわすな」


「まあ、実際のところ、アラスカを領有するか、それとも、ロチルド家に渡すかは幕府が決めることで、こちらが決めることではないのだがな」


松前崇広がそう言うと、西郷が不満げに溢す。


「じゃっどん、折角、これだけ大量ん金が出っ土地を借金ん担保に渡してしまうとも惜しか気がすっ。

金が出っことを異国に隠しちょけばよかとじゃらせんか」


それは当然、崇広も考えていたことだ。

実際、松前崇広のいた松前藩も、西郷のいた薩摩藩も、幕府から隠れて異国との抜け荷(密輸)を行い、利益を上げてきた藩である。

あの厳しい幕府の目を搔い潜り、利益を上げることが出来たのならば、異国の目を誤魔化すことなど造作もないことの様に思える。

だが、そんな進言をして、万が一、異国に見つかった場合の責任を取らされるなど、真っ平ごめんと考えるのが松前崇広という男なのだ。


「まあ、確かに金山を隠し金山にするってのは一つの手ではあると思う。

だが、隠し金山を作ったとして、ここアラスカには原住民がいる。

連中はアイヌ人の様なもののようだが、彼らの口を塞げるかどうか」


崇広がそう言うと、西郷がキョトンとして返す。


「新しか領主として、良う土地を治むれば、原住民も忠誠を誓い、金山んこっも黙っちょってくるっとじゃらせんか」


西郷の言葉を聞いて、崇広は西郷がアイヌ人ら、狩猟民族のことを理解していないことに気付く。


「なるほど、西郷殿はアイヌ人を知らなかったか」


そう呟くと、崇広は続ける。


「西郷殿は、異国嫌いの護衛軍をアメリカまで率いてよくやっている。

異国を知らず、毛嫌いしていた連中に、異国の現実を実感させ、相手を知ることにより、反感をなくさせることに成功しているようだ」


崇広がそう褒めると西郷は照れて返す。


「そんた、全て斉彬さぁん命じられたこっでごわす。

日ノ本ん攘夷思想んほとんどは、異国ん実情を知らんこっから生まれちょっ。

異人も人であっことを理解すりゃ、ほとんどん異国好かんななっなっ。

それ故、アメリカでは異人と攘夷志士ん架け橋となれと斉彬様に命じられたで」


西郷の言葉に苦笑しながら頷き、松前崇広は説明する。


「確かに、日ノ本の攘夷思想のほとんどが、知らないことから生まれているのだろう。

だが、知っても、理解出来ないこともあるのだ。

蝦夷地のアイヌと我らは200年以上の付き合いではあるが、常識が違い過ぎる。

異人以上に我らと異なる常識を持つのがアイヌ人。

そして、このアラスカの原住民にはアイヌ人と似た雰囲気を感じるのだ」


その違いは、おそらく、狩猟民族と農耕民族の違いなのであろう。

狩猟民族と農耕民族の間には、それだけ大きな差が存在する。

お互いに知り合えば、解り合えるという楽観主義を吹き飛ばすほどの大きな違いがあるのだ。


狩猟民族は、アメリカ原住民やアイヌ人を代表とする人々であろう。

その特徴は、少数精鋭。

それ故、狩猟民族、一人一人は、農耕民族よりも、賢く強い。

脚を引っ張る間抜けは殺しても良い社会。

無能が生きられない社会なのだ。

人口は、一定で制限され、獲物を求めて移動する為、土地の私有の概念も希薄。


これに対して、農耕民族は日本人だけでなく、欧米人もまた農耕民族に含まれる。

その特徴は、人海戦術であろう。

狩猟民族の様な一騎当千な精強さは必要とされないのだ。

極論を言えば、一見無能と思える様な人間でさえも生き残れる社会ということが出来るかもしれない。

その為、人口はどんどん増えていくし、土地を開拓し、耕す必要がある為、土地に縛られる人々であると言っても良いのかもしれない。


そして、これだけ大きく常識が異なれば、解り合うことなど不可能なのも明白であろう。

土地の領有の概念を持つ者と持たない者。

人口が一定数で制限されている者と人口を増やし続け資源を消費し続ける者。

その様な差がある中で、農耕民族である領主が狩猟民族の領民を、狩猟民族のままで、良く治める方法など存在しないのだ。


松前崇広がそう言うと西郷が尋ねる。


「そいでは、どうすっとな」


「もし、日ノ本をアラスカを領有するなら、松前藩が蝦夷地を治めたように金山などの拠点に兵を置き、そこを守るしかないだろうな。

そもそも、アラスカは広過ぎる。

アラスカ全土、その国境線を守ることなど、不可能であるし、無駄の極みだろう。

その上で、原住民が望むなら、その拠点で交易などしてやれば良い。

それが原住民にとり、有利な取引であるなら、そこで何が採掘されようと気にもしないだろうからな」


実際のところ、松前藩はアイヌ人の統治という意味で、あまり褒められた成果を挙げてはいない。

アイヌ人との交易で儲けてきた松前藩であるが、アイヌ人との交易独占を良いことに、過酷な交換レートをアイヌ人達に強い、何度も反乱を起こされているのである。

そのことを誰よりも理解している松前崇広は苦笑しながら続ける。


「金が出ると異国に知られれば、いつロシアやイギリスの侵略の魔の手が伸びるかわからぬのだ。

そういう意味では、アラスカの原住民との交易は、蝦夷地よりもずっと良い条件にして、原住民を味方にしておく必要があるかもしれないがな」


「そうすりゃ、アラスカは我らが領有すっことも可能であっと」


西郷がそう言うと、松前崇広は再び苦笑して首を振る。


「もし、領有するなら、どんな手があるかと聞かれたら、どう答えるかと言う話だ。

決めるのは幕府のお歴々。それがしがするのは報告のみ。

確かに、日ノ本の外に領土を持っていれば、最初の戦場は、秋津洲あきつしまの外になるやもしれん。

だが、そこでいくさが始まり、異国の侵略を食い止めることが出来ねば、結局、秋津洲にも戦火が及ぶことになる。

いくら金が豊富にあるとは言え、それがしなら、その様な火中の栗を拾う様なことをしたいとは思わぬ」


「じゃっどん借金ん担保としちょるんなアラスカだけち聞いちょります。

これから行っアリューシャン列島やカムチャッカ半島ん領土(ペトロパブロフスク・カムチャツキー)に関しては、どちらにせー我が国ん領土になっんじゃあいもはんか」


そう言われて、松前崇広は苦虫を嚙み潰したような顔をする。


「確かにな。

アラスカをロチルド家にやっても、ロシアが我が国への侵略を企んでいるのならば、カムチャッカ半島からいくさが起きる可能性は否定出来ん。

ならば、毒喰らわば皿まで。

アラスカの金を手に入れ、ロシアやイギリスとのいくさに備えるのも手ではあるのだが。

まあ、幕府のお偉方も頭の痛い問題であろうな」


そう言うと松前崇広は、少し意地の悪い笑顔を浮かべる。

精々、幕府の連中には、悩んで貰うことにしよう。

所詮、外様大名出身に過ぎない松前崇広に、日本の行く末を決める様な決定権は与えられない。

だから、幕府の命に従い、調べられるだけ調べ、考えるだけ考えて、報告したら、それで終わりにしよう。

明確な進言を行い、その進言に従った結果、問題が起きたからと言って、責任を取るつもりなど彼にはない。

あくまでも、彼は選択肢を選ぶ為の情報を用意するだけ。

一体、幕府が、どんな選択をするかは解らないが、その結果を高みの見物で眺めてやれば良いではないかと考えていた。


しかし、時代は松前崇広が傍観者となることを許さない。


その為、彼は、もっと考えておくべきだったと後悔することになるのだが、それは、まだ、もう少し先の話となるのである。

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