第二十九話 西部のサムライ

一体、どうなっているんだ。

清河八郎は不満気な顔で辺りを見渡す。


清河達、攘夷志士がサンフランシスコに到着して、既に数か月が経過している。

咸臨丸が、サンフランシスコに来たのは、アラスカ探検の為だけではない。

前松前藩藩主、松前崇広が、幕府の親書をアメリカに手交するのが、最初の目的。

この親書がアメリカ政府に伝えられ、ハリスを団長とするアメリカの日本視察団が出発したのだ。


この親書は、アメリカ視察団が日本に出発する前に届けなければならなかった為、咸臨丸は急ぐ必要があったのだ。

だが、同時にアラスカを探検するには、寒い季節は避ける必要があると考えられた。

その為、異国嫌いの攘夷志士たちは、サンフランシスコに数か月留まる羽目になったのである。


異国を穢れと考え、異人の指揮官に教わる事を拒み、外国語を学ぶことも拒絶し、アメリカまで来たのが、清河達、国防軍攘夷派の面々である。

異国に来たからと言って、彼らは異人と慣れ合うつもりなどなかった。

敵を知る為という事で、アメリカ海軍基地の視察などには参加していた。

そこで、日米の軍事力の差を理解し、村田蔵六などが言う通り、今は、まだ攘夷としてアメリカを追い払うことなど出来ないことも理解させられていた。

その上で、身体を鈍らせない為、サンフランシスコ郊外で訓練を行ったりはしていた。

だが、それ以外の時間は、アメリカ人と交流などせず、咸臨丸で待機するか、日本商社サンフランシスコ支店が彼らの為に借り上げたホテルに籠っているつもりだったのだ。


しかし、その予定は、サンフランシスコに滞在して数日で大きく変わることとなる。

1857年1月サンフランシスコに大地震が襲い掛かるのだ。

後の世で、フォルト・テホン地震と呼ばれる、この地震は、日本国防軍の面々にとっては、たいした物ではなかった。

彼らは、既に日本で二つの大地震に直面し、救助訓練も十分にこなしている。

そんな彼らから見れば、江戸よりも圧倒的に人が少なく、道幅も広く建物も大きい、サンフランシスコの地震など、驚く程のものではなかったのだ。


しかし、サンフランシスコにいるアメリカ人達にとって、大地震はこの世の終わりの様な災害だったのだ。


サンフランシスコはアメリカでは珍しく地震が起きやすい土地だと言われる。

だから、長期に渡って、サンフランシスコに住んでいたならば、江戸っ子達の様に地震に慣れることが出来たのかもしれない。

だが、サンフランシスコに住む人の多くは、カリフォルニアのゴールドラッシュの噂を聞きつけ、金目当て、一攫千金を夢見て集まった者、その集まった者達に娯楽を提供して儲けようとした者など、新参者ばかりだったのだ。

結果として、地震など慣れていない者ばかりの中、アメリカ人達は恐怖を感じパニックや暴動を起こしたのである。


そんな中、アラスカ探検隊護衛軍、軍団長である西郷吉之助は、アメリカ人の救助を護衛軍の面々に命じたのである。

これは、西郷の独断ではなく、探検隊隊長の松前崇広の指示であったとも言われている。

松前崇広が日本の親書を渡した建設中のサンフランシスコ海軍基地を尋ねて、街の救助を申し出る頃、アラスカ探検護衛軍は、街の救助に走り出す。

国防軍攘夷派の面々は異国嫌いではあっても、苦しんでいる人々を見捨てる様な冷酷な人間ではないのである。


西郷指揮の下、国防軍の面々は、何人かの集団に分かれサンフランシスコの街を縦横無尽に走り回った。

倒れた建物に人の気配があれば瓦礫をどけ、怪我人がいれば応急処置を施し、必要があれば背中に背負って病院まで運ぶ。

ボヤがあれば、呼子で人を集め、火事を未然に防ぐ。

暴動を起こそうとするならず者がいれば、気合で鎮圧する。

日本商社では炊き出しを用意したので、被災者たちに声を掛け、列を作らせ、横入りなどの規制を行う。

彼らは江戸で火消したちに教わった訓練の成果を十分に発揮したのだ。

それは、彼らにとっては、既に江戸でも行った当たり前のことに過ぎなかったのだが、アメリカ人達の目にはそうは映らなかった。


この当時のアメリカに身分がないと言っても、差別がない訳ではなかった。

黒人の奴隷はいるし、アメリカ原住民も差別の対象だ。

サンフランシスコ自体が、約10年前にメキシコから戦争で奪った土地なのだが、メキシコ系の住民は差別の対象。

それどころか、同じ白人同士でも、キリスト教のプロテスタントが優位とされており、カソリック教徒は差別の対象、更に何処の国から来た移民であるかで差別があったりもしたのだ。

従って、日本の遣米視察団が日本ブームを起こしたと言っても、差別的な言動をし、見下す人間も少なからず存在したのだ。

それを、サンフランシスコのサムライ達が完全に打ち砕いてしまったのだ。


誰もが恐怖し、混乱し、暴動すら起こしかねない地獄の様な光景の中、恐れることなく規律と秩序を持って走り回るサムライたち。

走り回る彼らが齎すのは、秩序と援助。

それは、多くのアメリカ人の理解を超える存在、英雄ヒーローと呼ぶに相応しい存在であった。


実のところ、国防軍の面々は、江戸の二度の地震でも、それを切っ掛けに庶民の自分達に対する目が変わったことを経験している。

江戸でも地震前は田舎者の集まりと侮られていた国防軍は、大地震の救助をすることにより、一躍、江戸っ子の人気者になったのだ。

だが、サンフランシスコのそれは彼らの目から見ても常軌を逸した程の熱狂であった。

そして、その絶賛はサンフランシスコの新聞を通して、アメリカ全土に広がっていくことになるのである。


キリスト教の言葉で『右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ。あなたの敵の為に祈れ』という言葉がある。

だが、それは聖人君子の在り方であって、普通の人間が簡単に出来る様なことではないだろう。

自分を嫌う人間は、やはり嫌いになるのが人間というものだ。

逆に、自分に好意を寄せる人間を嫌い続けることが、難しいのも人間なのだ。


攘夷志士たちは、サンフランシスコにいる限り、好意を向けられる。

言葉は解らずとも、アメリカ人達は全身で感謝と敬意を表現するのだ。

もともと、新興国であるアメリカは伝統と歴史という物に憧れに近い感情を持っている者が多い。

その上で、英雄としての行動。自分が実際に助けられていなくても、知人で助けられた者もすくなくないのだ。

その結果、攘夷志士が街を歩けば、女子どもの歓声が上がり、何処の店に行ってもサービス満点。

攘夷志士達の異人たちへの敵意はいつの間にか無くなり、アメリカ人の言葉を学びだす者まで現れる始末なのだ。

清川八郎から見れば、計算外も良い所だった。


「さて、おまんら、これから異人の武器を奪い取りにいくぞ」


憮然としている清河らのところに、日本商社サンフランシスコ支店の坂本龍馬という男が威勢の良い声を掛けてくる。

そんな威勢の良い掛け声を西郷が苦笑しながら返す。


「坂本どん、奪い取りに行っなんぞ、大げさな。異人の武器屋から銃を買いに行っだけんこっやろう」


「何が大げさなもんか。

武器を買うということは、金を使うて、異人の最新の武器を手に入ることや。

そうすりゃ、異人の手元からは武器が減り、日ノ本の武器が増える。

十分な成果やろうが」


実のところ、アラスカ探検隊護衛軍がサンフランシスコで武器を買うのは予定通りの行動である。

まだ、日本では欧米列強に比べて、武器の量も性能も、まだまだ足りない状況だ。

だから、護衛軍が日本を出発する段階での武装は最低限とされていた。

揃いの軍服と着替えは用意していても、それ以外の靴、防寒着、銃などは、サンフランシスコで買うように資金を預けられていたのだ。

そういう意味では、龍馬の言う様に、アメリカから武器を奪い、日本の物にするというのは間違いでないのかもしれない。


「それに、国防軍の活躍のおかげで、日ノ本へのアメリカの好意はうなぎ登り。

アメリカも、アラスカ探検の無事を祈って、最新のライフル銃まで売ってくれる許可を出してくれたって話ぞ」


そう言うと龍馬はニカっと子どもの様な無邪気な笑顔を浮かべる。


これまで、龍馬はアメリカから最新の武器を買おうと色々交渉に苦労してきた。

日本の物を売る時は良い。

アメリカは、相変わらずの日本ブームで、日本の物ならば、咸臨丸が運んできてから数日で売り切れる程の人気ぶり。

人手が足りず、アメリカ人を雇うことにしている様な状況。

まあ、雇ったのが、平八から聞いた、今は日本で教官を務めているユリシーズ・グラントと共に南北戦争の北軍で活躍するはずだった未来のアメリカの英雄ウィリアム・シャーマンであるのは、佐久間象山の指示ではあるのだが。

ちなみに、この当時のシャーマンは軍を退役し、サンフランシスコの銀行経営で苦労し、ストレスで身体を壊していた。

平八の夢では、この銀行は結局倒産し、紆余曲折の結果、シャーマンは南北戦争では軍に戻り、北軍の英雄の一人になるのだが、潰れるはずのこの銀行に日本の資金が大量に注入されることになったのである。

日本商社にしても、交易に必要な資金を何処かに預け、あるいは借り入れる必要があったのだから、シャーマンの銀行を利用することにデメリットはない。

その上で、龍馬ら日本商社サンフランシスコ支店は、シャーマンに元アメリカ軍人として武器購入の際の顧問としての活動や帳簿の手伝いを要求したのである。

複式簿記に慣れず、これまで大福帳で帳簿を行っていた日本商社には、シャーマンの知識は非常に役立つものであった。


そうやって、元アメリカ軍人を雇っても、武器商人たちは、なかなか未開の国、日本に最新の武器を売ろうとしなかった。

古くなった武器を高く売りつけて儲けようとする連中ばかりだったのだ。

だから、これまでは鉄鉱石や石炭を買い取り、日本に送ることが輸入の中心であったのだ。


それが、今回の国防軍の活躍のおかげで、完全に風向きが変わった感じだ。

もともと、攘夷志士の面々に武器を持たせなかったのは、異人嫌いの連中に異国で揉め事を起こさせない為だと聞いていた。

それが、今やアメリカ人達は攘夷派だったはずの志士達に好意を持って心より歓迎し、その歓迎に多くの志士達もほだされつつある。

今まで学ぼうとしないアメリカの言葉を覚え始めた者もいれば、ヤンキー娘と懇ろになった者までいるという話。


全く、あのセンセは何処まで先を見ゆうのかのう。

武器や備品を買い揃えれば、アラスカ探検隊はアラスカに向けて旅立つ予定。

そうすれば、龍馬も、次の一手の布石の為に、日本商社サンフランシスコ支店を三野村利左衛門(三井)とシャーマンに任せて、暫くはサンフランシスコを離れる予定。


平八の夢では、アメリカ南北戦争開始1861年まで、後4年。


アメリカに嵐が近づいていた。

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