第十二話 株式会社 日本商社 代表取締役 井伊直弼

「さてさて、次はどうしたものか」


井伊直弼は老中阿部正弘の通達を見て考える。

直弼が株式会社 日本商社 代表取締役に幕府より任命されて一か月が経った。

阿部正弘に頭を下げられ、島津斉彬を信用してくれと言われても、そう簡単に信じられるものではない。

井伊家と島津家は関ケ原以来の因縁の間柄。

徳川四天王と呼ばれた直弼の祖先、井伊直政は島津との戦いでの負傷が元で死んだと聞いている。

薩摩は敵であるという意識はどうしても抜けない。

内乱を避けるべきという趣旨も十分に理解出来るのだが、裏切られたらという警戒心はどうしても消えないのだ。


いや、むしろ、阿部正弘が島津斉彬を信用しているのなら、直弼自身は最後まで島津を警戒し、万が一に備えるべきではないかとさえ考えている。


だから、直弼は日本株式会社の設立という手柄を持って、今の日本で最大武力を持つ国防軍の最高司令官となることを望んでいた。

直弼が恐れるのは、島津や他の外様大名が異国と組んで、幕府に叛旗を翻すこと。

それを防ぐ為に、異国と繋がる危険のある薩摩などの勢力を叩ける武力を必要だと考えていたのだ。


だが、実際に、任命されたのは、日本商社の代表取締役。

本来は、この地位は、小栗忠順おぐりただまさに就任させ、直弼自身は国防軍の主導権を握るつもりだったのだ。

だが、その目論見は、皮肉にも日本商社に資金が集まり過ぎたことで崩れ去ることになる。

資金が集まるのは、望むところではあったのだが、集まり過ぎたのだ。

その結果、幕府に匹敵する資金を集めた日本商社の代表を任せるには、幕府開闢以来の直参旗本とは言え小栗に任せるには身分が低すぎるという嫉妬混じりの声が幕府の中から上がってしまった。

それで、株式会社の提案者であり、大老就任という大役を担う血筋の直弼に白羽の矢が立ってしまったのだ。


日本商社にこれだけの資金が集まる切っ掛けとなったのは、島津斉彬が真っ先に大量の株購入を表明したことであった。

その事により、島津などに交易の利益を独占されるものかと、譜代の余裕のある藩も株の購入を申し出、更に異国との交易を望む、多くの外様大名も日本商社の株の購入に乗り出したのだ。

そして、日本商社の株を商人たちにも売り出すと、この様な大量の資金が流入する事業に商人たちが黙っているはずもなく、大店おおだなの商人たちは、株購入だけでなく、交易の手伝いの為の人員供給まで申し出て来ている。

これだけの資金の流入が島津斉彬の最初の行動で始まったのだ。

いくさなら一番槍も同様。

大きな手柄だと言えるだろう。


その上で、島津斉彬は、琉球まで交易場所及び海軍基地として提供を申し出ているという。

全ては日ノ本を異国から守る為に。

島津斉彬は、武力を国防軍に委譲し、藩の余剰資金のほとんどを日本商社の株購入に使っている様だ。

日ノ本を守る為に、全力を尽くしていると言われれば直弼でさえ信じてしまいそうになる。


だが、その結果、直弼は望んでいた国防軍の最高司令官ではなく、日本商社の代表取締役に就任することになったのだ。

直弼が商社の代表となれば、国防軍の最高司令官は欧州から帰って来る一橋慶喜公が就任することとなるだろう。

慶喜公と言えば、薩摩藩などが次期将軍へと推していた人物。

その様な人物が、国防軍の最高司令官に就任することに直弼は一抹の不安を感じる。

まるで、たちの悪い騙りに騙されて操られている様な感覚さえしていた。

だからこそ、直弼は島津斉彬を信用せず、万が一裏切った場合に備えねばと考えていたのだ。


もっとも、今の直弼が実際に斉彬に何かを出来る状況にはない。

商社の代表となった以上、まず利益を上げなければならないのだ。

与えられた資金を運用して増やさなければ、責任を問われ、代表取締役の地位を追われかねない。

国防軍の最高司令官なら、簡単に戦争にはならないから、責任を問われるようなことは滅多にないのに。

商社の莫大な資金を利用出来るのだから、幕府や、日本を豊かにすることが出来る。

産業振興に資金を利用することも出来る。

だが、日々の業務に追われるのが直弼の日常なのだ。


「それで、阿部様は、今回はどの様な指示をされたのですか」


小栗忠順おぐりただまさは、直弼に尋ねる。

日本商社の代表には、直弼が就任したが、実際に日本商社を切り盛りしているのは小栗だ。

そのことは、阿部正弘も積極的に認めており、実際にこれだけ莫大な資金をやり繰りして利益を出せる能吏は、彼位しかいなかったのだろう。


「国防軍の依頼で、哨戒の為に、北蝦夷(樺太)、蝦夷、対馬、琉球、父島を繋ぐ連絡船を作れとのことだ。

その上で、何十年掛かっても構わぬから、日ノ本中にレールウェイ(鉄道)を引けとのことだな」


直弼にそう言われて小栗は暫く考えると応える。


「国防軍からの依頼と言うことは、日ノ本を異国から守る為の策という事ですな。

なるほど、多数の連絡船を動かせば、異国の侵略を早く見つけられる。

その上で、日ノ本中に張り巡らせるレールウェイは、国防軍の兵士を現場に迅速に送り込む為ということでしょうか」


「うむ、そうかもしれぬ」


「国防軍の依頼という事であるならば、幾らほどの料金が、国防軍や幕府から依頼料は支払われるのでしょうな」


小栗がそう尋ねると直弼が驚いて言い返す。


「何を言う、小栗。幕府よりの上意であるぞ。料金を支払えなどと、言えるはずもなかろう」


直弼がそう言うと、小栗はため息を吐いて返す。


「井伊様こそ、勘違いなさらないようにお願いしたい。

この日本商社は利益を上げ、その利益を日ノ本中に還元することが目的でございます。

我らが国を豊かにすればこそ、日ノ本を守れるのです。

国を守る為の名目で資金を浪費させられて、日ノ本を豊かに出来なくなれば本末転倒。

そのことは、井伊様からも阿部様に伝えて頂かねば困ります」


小栗にそう強く言われると、直弼は気圧されながらも反論する。


「確かに、そうかもしれぬが、武士たるもの、商人あきんどの様に金のことを細かく言うのもなぁ」


「商社とは、そういうものでございます。

金を稼ぐことが第一。

そうして稼いだ金が、国を支えるのです。

幾ら幕府と言えど、見返りもなく、要求を繰り返すなら、我ら、揃って腹を斬らなければならなくなりますぞ」


徳川家とくせんけの為なら、腹を斬ることなど、私は恐れんぞ」


直弼がそう反論すると、小栗が語気を強める。


「無駄使いをさせられて、腹を斬らされるのは無駄死にでございます。

見返りを要求して、溜詰(老中になれなかった譜代大名らの臣下が待機する場所)の方々に批判されるのが嫌なだけではございませんか」


「その様なことはない。

必要とあれば、この井伊直弼、幾らでも泥を被ろう。

だが、幕府には予算がないのだ。

国防軍にしても、武器を買う為に予算が必要。

見返りを要求しても、応えるだけの資金がないのだ」


直弼がそう言うと、小栗は暫く考え込んだ後に応える。


「では、資金以外の物を要求するとしましょう。

まずは、国防軍が研究している技術をこちらにも伝授することを要求するのです。

レールウェイを作るなら、蒸気機関の作り方は教えて貰わねばなりませんし、鉄鋼を大量に作成する必要もございます」


そう言われて、直弼が再び渋る。


「しかし、それは国防の要。軍事機密ではないのか。とても、教えて貰えるとは」


「機密と言っても、異国では広く知られていることではございませんか。

蒸気機関の技術が国防軍より我ら日本商社に委譲されれば、異国への交易も積極的に出来るようになります。

その上で、蝦夷、北蝦夷(樺太)、対馬、琉球、父島の間を動くのも、我ら日本商社の独占にして頂く。

異国の船も、他の商人も、これらの交易地の間を動くことを禁止にして貰うのです。

そうすれば、我らは哨戒と同時に稼ぐことが出来るでしょう」


小栗の頭の中には、単純に日本で日本の物を安く買い、異国で日本の物を高く売って儲けるという以上の交易が芽生え始めている。

日本を仲介せずとも、物の沢山ある所で安く買い、物のあまりない所で高く売る。

それだけで儲かるのだ。

日本に来る様々な国の需要を見極め、安く買える物を安く買い、それを高く売れる場所で売り、利潤を稼ぐ。

その為に、日本の交易地を行き来させれば、日本近海の哨戒活動が出来る上に、利潤を上げることが出来るだろう。

だが、細かいことを、解らない直弼に説明しようとしないのも小栗なのである。

小栗は続ける。


「次にアメリカから技術者を呼ぶ許可も取って貰えますか。

レールウェイを作るなら、機関車を作る技術者が必要ですし、機関車を走らせるなら、機関車を走らせることが出来る鉄橋を作る必要がございます」


「うむ、まあ、それ位なら、問題はないと思うが」


直弼がホっとして言うと、小栗が更に続ける。


「レールウェイは最初はひな形から作らねばならぬと思いますが、それまでの間にも道の整備を進める許可を取って頂きたい。

国を守る為、異国の侵略があった際、国防軍が一刻も早く駆けつける為です。

何処の藩であろうと、我らが要求すれば、道を整備し、橋を作る許可を取って頂きたいのです。

まあ、基本、最初に整備するのは、日本商社の株主が中心。

交易品を運ぶために、道の整備が必要であると言えば、株主の藩は、街道整備の為の資金を喜んで出すのではございませんか?」


「確かに、交易の為の道の整備なら、喜んで協力してくれそうではあるな」


直弼がそう言うと小栗はニヤリと笑い。


「井伊様もそう思って下さるなら有難いことでございます。

道の整備は、交易に役にも立ちますが、本来の目的通り、侵略があった際に国防軍を派兵出来る上、その藩が異国と繋がり反乱があった場合も、すぐに鎮圧の為に国防軍を派兵させることが出来ますからな」


そう言われて、直弼も納得する。

日本商社の株主になっているのは、外様の雄藩も多い。

それらの外様の雄藩への道路を整備し、利潤を上げながら、警戒することも出来るという事か。


「それならば、薩摩はどうする?」


「国防軍を派遣するなら、地続きでなければなりませんが、さすがに関門海峡に橋を架けることは不可能でしょう。

となれば、長崎と薩摩を繋ぐ街道を整備し、中継地点の熊本藩辺りに国防軍の一部を駐屯させ、そこから九州各地に繋がる街道を整備するように上申しては如何かと」


「なるほど、確かにそうだな。それで、何とかなりそうではあるな」


直弼は安心して一息を吐くと、フと姿が見えない勝の事を思い出し、小栗に尋ねる。


「ところで、勝の奴は何処に行っている?

アメリカ関係の交渉なら、奴の通訳が必要になるぞ。

来年の春のアラスカ視察の準備も進めねばならぬし」


「勝なら、来年の春に来るアメリカ視察団の出迎えの為に走り回っておりますよ」


「ああ、それがあったか。さて、どの様な持て成しを考えたのやら」


直弼は勝の言い分を思い出し、苦笑する。

勝麟太郎は、庶民の国であるアメリカは武家の格式なぞ理解出来やしない。

庶民の喜ぶ様な派手な出迎えをして、祭りにしちまいましょうと直弼を説得し奔走していたのだ。


アメリカ視察団の到着が近づいていた。

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