第十話 日本防衛戦略

「日本を守る防衛戦略か」


そう言って暫く考えると、グラントは話始める。


「まず、大前提として、私は日本の軍事的な状況を詳しく知る訳ではない。

だから、話せるのは、基礎中の基礎ということになる。

その観点として述べさせて貰うが、まずは敵よりも多くの兵を揃えること。

少数の兵で多数の兵と戦うことになった時点で戦略上は敗北だ。

次に、敵よりも高性能の武器を揃えること。

敵よりも遠くまで届く銃や大砲を揃え、敵よりも頑丈で早く動ける船があれば、戦いは有利になる。

武器・弾薬、食料が不足しない補給体制を作ること。

武器・弾薬・食料が足りず、撤退するなど、戦略的な敗北以外の何物でもない」


平八が聞いても、当たり前と思える様なことを言い出すグラント。

だが、戦略論を理解している佐久間象山と村田蔵六は黙って頷いている。


「確かに、それは基礎中の基礎であります。

ですが、それでは、日本の様な小国は欧米列強国に狙われれば、守りようがないということになりませんか」


他の武士なら日ノ本を意地でも小国なんて言えないだろうに、村田さん事実は事実として口に出しちゃうんだなと考えていると平八が考えていると、グラントが頷いた後、蔵六に答える。


「基本としては、その通り。

軍事力が足りないのなら、敵国へ対抗出来る軍事力が整うまで時間を稼ぎ、戦いを避けるべきだ」


それこそが、象山先生が現在立てている日本防衛の基本戦略でもある。

グラント中佐に、象山先生の戦略の正しさを裏打ちされたようで、平八は改めて感心する。


「その上で、それでも敵国が侵略をしてくるのなら、豊富な兵力、高性能な武器、豊富な補給、そのどれかが使えなくする戦術で対抗するしかないでしょうな」


「それは、具体的などういうことだね。例を挙げて説明して貰えないか」


象山先生が好奇心に目を輝かせて尋ねる。

そう言われて、グラントは暫く考えた後、話を続ける。


「まず、敵が自国よりも大量の兵を揃えてきた場合、敵を分断し、戦う時は敵よりも多数の兵で戦える体制を整えるべきであるということ」


グラントがそう言うと、象山先生が得心したという様に頷き、合いの手を入れる。


「ナポレオンと同じ戦術ということだな」


象山先生がそう言うと、グラントが驚いて尋ねる。


「あなたは、ナポレオンを知っているのですか?」


「当然だ。一時はヨーロッパのほとんどの地域を占領したヨーロッパでも最も有名な武将の一人だろう。

僕に匹敵する数少ない英雄であると認識しているよ」


象山先生のあまりの傲慢な言葉にグラントが絶句すると、象山先生がナポレオンの戦術について説明してくれる。

ナポレオンの戦術の根幹を象山先生に言わせると、戦力の一点集中と充実した兵站であったという。

たとえ、敵の総兵力が自国よりも多くとも、同じ場所で同時に戦えるのは、総兵力の全てではない。

だから、ナポレオンは兵を高速で移動させ、敵の少数の部隊を、より多くの部隊で攻撃し、勝利を重ねていったという。


「だから、日本を守る戦術としては、大軍で攻められた場合、敵軍を分断し、時間を稼いでいる間に、敵よりも多くの部隊を戦地に派遣するということでよろしいかな?」


象山先生が確認すると、グラントは気を取り直して応える。


「ああ、その通りだ。日本の場合、島国であるから、まず海戦で勝利を収めれば上陸される危険はない。

もし、そこで敵上陸部隊の上陸を防げないなら、海軍と上陸軍を分断し、それぞれに敵以上の部隊を派遣して戦うのだ。

そうすれば、多少、武器が劣っていたところで何とかなるだろう」


グラントがそう言うと、蔵六が尋ねる。


「ナポレオン以外に、何か例はありますか」


「そうだな。この国に近い例で言えば、イギリスが清国を侵略したアヘン戦争。

それに、今やっているクリミア戦争なども良い例となるだろうな」


「なるほど、アヘン戦争とクリミア戦争か。

それを聞けば、僕は、それだけで解るが、解らない者もいると思うので、今度はリズから皆に解りやすく説明してくれないかな」


先程、うっかりナポレオンの解説をしてしまいグラントの戦略眼、戦術眼を明らかにすることを怠ったことを平八に小声で注意されたので、今度は、象山はグラントに説明を求めることにする。


「まず、アヘン戦争において、清国はイギリスよりも多くの兵を持っていた。

だが、武器の性能が段違いだったのだ。

清国が使っていた武器の中には、青銅で出来た大砲など、200年以上前に作られた骨董品の様な武器まであったという。

そんな大砲の射程距離は、鋼鉄製のイギリスの大砲と比べて圧倒的に短い。

そんな大砲、無いのも同然だ。

そして、大量の兵がいようとも、攻撃が届かなければ、只の的と変わらなくなる。

その上で、イギリス軍は蒸気船で高速移動し、戦う時は、多数で少数に当たるようにしていた。

これが、アヘン戦争におけるイギリス勝利の要因の一つだと言えるだろうな」


グラントがそう言うのを聞いて、背筋に冷たい物が走る。

日本も、また、最近まで青銅の大砲を利用しており、鋼鉄の大砲の製造と配備は、まだ進んでいないのだ。

清国の敗北は、そのまま、日本の敗北の理由の一つになりうるだろう。


「クリミア戦争の方はどうなりますか?」


「クリミア戦争も、武器の差が大きな役割を果たしていますが、アヘン戦争程、武器の性能に差があった訳ではない。

どちらかと言うと、補給能力の差が勝敗を分けたと言えるだろうな。

ロシアは、国内の拠点への補給さえも、馬車で行っていたと言う。

それに対し、イギリス・フランスは、蒸気船を使っての補給が可能。

その結果、兵力だけなら圧倒的だったロシアが、国内の攻撃拠点を陥落されたと聞いている」


もっとも、クリミア戦争に関しては、日本の密かな介入で最新の武器がロシアに流れ、状況は変わりつつあるのだけどね。

平八がそんなことを考えていると、蔵六が確認する。


「兵力の差は兵の高速移動と一点集中で防げることは理解しております。

それでは、武器の性能差は埋める方法はありませんか?」


その問いに対し、グラントは暫く考えてから答える。


「高性能の武器を使えないような状況を作り出して戦うしかないだろうな。

例えば、戦場を選び、射程距離の長い武器が使えないようなところで戦うなどな。

我々、アメリカ人がアメリカ原住民に倒されるのは大体、そういう場合だと言う。

遮蔽物の多い岩場や、木の多い森林などで包囲されて不意打ちされれば、たとえ相手が弓矢であろうとやられる危険性はあるだろう」


その言葉を聞いて象山先生が頷く。

実際、その辺の作戦を授けているのが、インド戦線なんだよな。

イギリスの方が明確に高性能な武器。

そんな相手に正面決戦を挑めば、どんなに兵力を集めようとも対応のしようがないだろう。

だから、インドの反乱軍は市街地に潜み、イギリス人を攻撃する形で戦っていると言う。

イギリス人はインドにいる限り、いつ撃たれるか、解らないという恐ろしい状況ということだ。

本当に、恐ろしいことを考えるお方だよ。


「では、敵軍の方が豊富な武器・弾薬、食料を持っている場合はどうするでありますか」


それに対し、グラントは暫く考えた後に答える。


「まず、敵の補給線を叩く。

兵站が戦場まで届かなければ、どんなに豊富な補給も恐れるに足りないからな。

そう言う意味では、日本は島国であるから、海軍力を充実させることが急務となるだろうな。

その上で、敵が大国であるならば、こちらから、敵の生産拠点を攻めて、補給物資、そのものを無くしてしまうことも重要になるかもしれないな」


グラントがそう言うと、西洋の軍事教本を読み込んでいたはずの村田蔵六も驚く。

この時代、戦争というのは基本的には、現在ある戦力同士を戦わせることで勝敗を決めるというのが常識。

敵がいない戦場となっていない場所に兵を派遣して、敵の生産拠点を叩くなどと言う考え方は、この時代、まだ存在しないのだ。

南北戦争で始まったと言われる国民全体が戦争に参加するという総力戦。

その中で、敵の生産拠点を攻撃し、焼き討ちなどをさせたという男こそ、グラント将軍なのだ。

平八から話を聞いている象山は、目の前にいるグラント中佐こそが、グラント将軍になるはずであった男であると確信する。


「しかし、軍に所属しない庶民や生産拠点を焼き討ちするのは、戦争に関する法に触れるのではありませんか?」


その様なことを知らない村田蔵六がグラントに尋ねると、グラントは苦笑して応える。


「確かに、法律違反にはなりますな。だが、負ければ、全てが失われる。

それならば、違反しても他国から非難を受けないような建前を用意し、それを利用して他国の参戦を防ぎ、勝利を掴むしかないでしょう」


その建前が南北戦争では、奴隷解放宣言となり、国際世論を味方にしたという訳か。

奴隷を虐待する悪漢達ならば、多少の被害を受けても仕方ないとされることになる。

これが、平八の見た夢の世界線での話。

そう簡単にはいかないよう準備はしてあるのだが、果たしてどうなるか。

平八がそんなことを考えていると、グラントが続ける。


「ただし、どんな建前を用意したところで、国際世論を味方とし、日本の生産地拠点攻撃を正当化することは難しいでしょう。

今、国際社会を形成しているのは、ヨーロッパを中心とした同質文化、人種で形成された仲間同士。

日本が正しいことを主張したとしても、余程のことがない限り、認められる可能性は低く、生産拠点への攻撃が、他国の攻撃を誘発する危険があるでしょう。

まあ、その様な戦いをしないで済むに越したことはないのですが」


グラントの話を聞きながら、佐久間象山は考える。

どうやら、この男が平八の夢で見たというグラント将軍であることは間違いなさそうだ。

そして、聞いていた通りの有能な男。

ならば、何としてでも、日本の味方にしなくてはならない。

ならば、することは一つだと佐久間象山は決意する。


「なるほど、戦略の基礎の話は良く解りました。

我らが学んだことは、間違ってはいなかったようです。

では、改めて、我が国の現状の詳細をお伝えしますので、日本を守る為の戦略を、村田君と一緒に練って頂きたい」


異人に対して、日本の内情を明らかにする。

もし、グラントが裏切れば、売国行為とすら言われかねないことを言い出した象山をグラントがギョっとして見つめる。

見かけ上は、動揺しているようには見えない蔵六も、声を大きくして、日本語で尋ねる。


「佐久間先生、さすがに、国の内情までも伝えるのはやり過ぎであります。

確かに、グラント殿は有能であります。

しかし、国の内情を伝えずとも、私を通して相談すれば、それなりの成果は挙げられるかと」


「しかし、それでは効率が悪い。

彼の能力を十分に発揮して貰うならば、誠意を示し、信じなければならない。

その上で、裏切られたとしても、彼を上回る戦略で勝てば良いだけの話であろう」


象山の言葉に、合理主義の蔵六が頭を猛烈な勢いで回転させ始める。

もし、日本の内情を全て伝えたにも関わらず、グラント中佐が日本をアメリカに売り渡すとしたら。

一体、どうやって情報を伝えるのか。

手に入れた情報を基に、アメリカが日本侵略を目論むとすれば、それをどうやって防げば良いのか。


蔵六が黙り込んだのを確認すると、象山が今度は英語でグラントに話しかける。


「失礼。日本の軍事情報の詳細を伝えることに反対されたので、説得に時間が掛かりました」


そう言われて、グラントは我に返り、象山に応える。


「彼が反対するのは、当然でしょう。

日本には外国人嫌いの人がいると言う。

それにも関わらず、外国人である私に国の内情の詳細を明らかにしたことが知られれば、あなたは売国奴として糾弾されるかもしれません」


「もとより覚悟の上。私は、日本を守る為に命を懸けています。

今の日本は異国からの侵略を受ければ、それを跳ね除ける軍事力など無い状況。

侵略を受ければ、私は死ぬことになるでしょう。

そうであるならば、日本を守る為、他の者に非難されようと、最善の道を選ぶことに迷いはありません」


象山の言葉にグラントは少なからず感動させられてしまう。

グラントは、飲酒が原因で祖国アメリカの軍を首になった人間だ。

必要とないと追い出された人間が、その能力を見込まれ、信じられるというのは、少なからず、心を揺さぶるものだ。


「しかし、私はアメリカ人です。

心配になりませんか。私が日本よりも、アメリカを優先し、裏切るのではないかと」


「あなたは、日本に来る契約の際に、日本を第一とすること、職業中に得た秘密を洩らさないということを約束して頂けたと思いますが。

その約束を破る恐れがあるのですか」


象山がそう言うと、グラントは声を上げる。


「私は契約を守ります。私の神に誓っても構いません」


「ならば、問題ないではありませんか。私はあなたの能力も誠実さも信用することにしました。

あなたが、裏切らない限り、何の問題もありません。

私は、日本を守る為、あなたが知りたいことなら、全てお伝えします。

それを利用し、異国に侵略されない強い軍隊を作る為の戦略を作り上げて頂きたいのです」


グラントが象山の言葉に息を飲むと、象山は続ける。


「我らは、異国を侵略するつもりはありません。

ただ、この国を守りたいだけなのです。

その為に、最強の軍隊を作るお手伝いをお願い出来ないでしょうか」


グラントは暫く象山を見詰めた後、象山の手を両手で握りながら応える。


「そこまで信頼して下さるなら、私は、その信頼にお応えしましょう。

隠さずに申し上げますが、私は、飲酒が原因で軍を除隊となった人間です。

祖国に必要ないと言われた人間です。

そんな私を信じ、全てを任せてくれるというのならば、私は、この国に忠誠を尽くしましょう。

つきましては、私が裏切らない証に、アメリカにいる家族を、この国に呼び寄せることを許して頂きたい。

家族と別れて何年も過ごすようなことはしたくありませんからな」


そう言われて、象山はグラントの手を握り返す。


「喜んで、お迎えしましょう。

丁度、アメリカの日本視察団が半年後に来る予定となっております。

その視察団に参加して、ご家族が日本に来られるよう手配させて頂きます。

その為、ご家族へお伝えする手紙を書いて頂けますか?」


象山とグラントが微笑んで、これからの予定や家族への手紙について話しているのを眺めながら、平八は顔に出さないよう注意しながら、象山のやり方に感心していた。


相変わらず見事な騙りっぷりだ。


グラントは、象山が売国奴と糾弾されるリスクまで犯して、自分を全面的に信じてくれたことに感動しているのだろう。

だが、本当のところ、象山は本当にグラントを信じている訳ではない。

平八から聞いた話によれば、5年後にアメリカは南北戦争で分裂するという。

アメリカ視察してきた勝麟太郎らの報告を見ても、南北戦争勃発は間違いないことであると分析出来ている。

その様にアメリカが分裂する様な状況でアメリカが日本に侵略してくるなど不可能だ。


そして、アメリカが侵略出来ないのならば、グラントが裏切ったところで日本に不利益はない。

それを見切った上での情報の公開。

確かに、グラントに日本の情報を公開したことを知られれば、攘夷派に糾弾される危険はある。

だが、既に阿部正弘にも相談して、グラントに情報を公開する許可を受けているのだ。


全く、酷い騙りっぷりだ。


信じていないにも関わらず、絶大な信頼を寄せていると信じさせるとは。

信じて貰えると思えば、人間、信頼に応えようと思うもの。

おかげで、グラント中佐は日本の為に全力を尽くしてくれることだろう。

象山先生に言わせれば、グラント中佐が全力を尽くせば、幕府もその忠誠に報いるのだから、問題ないということになるのではあるが。


そして、それから1か月後、佐久間象山、村田蔵六、グラント中佐によって、日本防衛計画が完成することとなるのである。

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