第八話 酔いどれ将軍

ブルック大尉とウィリアム・ケリーが鉄鋼技術の研究について楽しそうに議論を始めるとウィスキーを片手にした髭面の大男が声を掛ける。


「技術者というのは、こういうものなのか。

君の言う通りに、鉄鋼技術の研究が成功すれば、アメリカに大いなる繁栄を齎すだろう。

だが、それを君は援助があるからと言って、日本に与えようとしている。

君には、愛国心というものはないのかね」


そう言われて、ケリーがため息混じりに応える。


「愛国心はありますが、アメリカは私の研究に援助してくれません。

援助がなければ、私の研究はおそらく成功しないでしょう。

ならば、黙って失敗を待つのが愛国心だと言うのでしょうか。

私は、そうは思いません。

私には、成功する権利があるはずです。

そして、私の研究が成功すれば、その成功によって、利益を受ける人たちがいるのです。

鉄鋼が安く作れるのなら、沢山の鉄橋、鉄道が作れる。

それで、どれだけの利益が人々に齎されると思いますか?

技術の進歩は人を幸せにする為にあるのです。

たとえ、利益を得るのがアメリカでなかったとしても、私は、それが悪いことだとは思いません」


ケリーがそう応えると、ブルック大尉が更にそのフォローをする。


「彼は軍人ではなく、技術者ですからね。

技術者は、まず、研究の成功を望むものです。

その辺は、ご容赦下さい、グラント中佐」


そう言われて、グラント中佐は嫌そうな顔をして応える。


「私を中佐と呼ぶのは止めてくれませんか。私は、酒の飲み過ぎが原因で軍隊は首になった身ですから」


後に南北戦争最大の英雄と言われるグラント将軍は、1854年に飲酒が原因で軍を退役している。

そして、南北戦争に義勇軍として参戦するまでの7年間、職を転々としていた。

そこに日本が付け入る隙があったという訳だ。


ちなみに言うと、グラント将軍が本来の歴史において、南北戦争で果たした役割は決して小さいものではない。

南北戦争は、奴隷制度の拡大に反対するアブラハム・リンカーンが大統領になって始まった。

リンカーンは、奴隷制度の廃止を訴えて大統領になった訳ではないが、リンカーン大統領就任で不安が広がった南部奴隷州が独立を宣言。

そこで始まるのがアメリカ南北戦争である。


南北戦争は、戦力的に考えると決して互角の戦争だった訳ではない。

北軍の方が工業化に成功しており、軍備も豊富。

鉄道を利用して大量の物資が輸送される上、人口も北部の方が多く、南部には戦力にならない奴隷も多かった。

しかし、どういう訳か質の高い士官ばかりが、北軍を辞め、南軍に参加しまったことが戦争を長引かせる。

『一頭の羊に率いられた百頭の狼の群れは、一頭の狼に率いられた羊の群れに敗れる』

『強将の下に弱卒なし』などと言う言葉がある通り、兵力が豊富であるにも関わらず、有能な指揮官が不足する北軍は南軍に苦戦するのである。

そこで、義勇軍から参加したグラント元中佐が昇進を続け、最後には北軍総司令官にまで上り詰め、北軍の勝利を決定づけるのである。

グラント将軍の勝利のおかげで、リンカーン大統領は大統領選挙に再選出来たとさえ言う人もいる程なのだ。

それが、平八の見た夢の物語。

そのグラント中佐が、今はアメリカを離れ、日本にいる。


その様な運命など知るはずもないブルック大尉がグラント中佐に応える。


「そうは仰いますが、グラント中佐も日本陸軍の教官として日本に来たとのお話ではないですか。

それならば、中佐とお呼びするのが適当ではありませんか」


「確かに、私はリョーマ(龍馬)とセゴ(西郷)に頼まれて、日本軍の教官役を引き受けましたが。

南の島で、指導する軍もいないところにいるだけでは、中佐と呼ばれるのに相応しいとはとても思えませんよ。

一体、いつまでここにいれば良いのやら」


そう言われるとブルック大尉は苦笑して、応える。


「それは、最初に聞いたと思いますが、防疫の為ですよ。

既に、日本人は、アメリカやハワイで、我々が伝染病を広めて、多くの原住民を死なせてしまった事実を知っています。

だから、疫病を起こさないことを確認しない限り、日本への上陸を許可しないという方針になってしまったのでしょう」


そう言われて、グラント中佐は肩をすくめる。


「本当に、それだけとは思えませんな。

日本本土では貿易しないという方針は、日本が視察団を出す前から決まっていたと聞いています。

鎖国していた位ですから、本当は、日本人は外国人嫌いなのではありませんか」


「その様に考えていたのに、よく日本まで来られましたな」


「リョーマとセゴは楽しい奴らでしたから。

それに、好きなバーボンも樽で買って、幾らでも飲んで良いと言って貰えたし。

ですが、日本に来てみると、小さな島に釘付け状態。

私は、アメリカに妻子を置いて、南の島にバカンスに来た訳ではないのですよ」


そう言われて、ブルック大尉は暫く考えてから応える。


「確かに、日本人の一部には外国人嫌いの傾向があるのかもしれません。

我々が、日本に行けば、日本の秩序を乱してしまうかもしれませんからね」


「秩序を乱す?彼らはアジア人でしょう。

アジアと言えば、時代遅れの封建制と汚職と混乱の地であると聞いておりますが」


ブルック大尉は、その言葉に首を振る。


「グラント中佐は、この島に来て、その様な無秩序や混乱をご覧になられましたか?

アメリカに来ていた日本の視察団の評判はどうでしょうか?」


「確かに、ここは、アメリカ以上に清潔だし、混乱も存在しません。

日本の視察団も、礼儀正しく謙虚な人々であるという評判は聞いています。

ですが、賓客に対し礼儀正しくするのは、どこでもあることでしょう。

まして、日本ではキリスト教の布教も禁止されているとも聞いています。

神を知らぬ人々が、その様に秩序正しく生きられるとは」


日本に来てから、キリスト教の布教が禁止されていることを聞いたグラント中佐が不信感を露わにするとブルック大尉が宥める。


「確かに、神を知らぬ日本人が我らよりも礼儀正しく謙虚であることは驚きではありますが。

日本人はおそらく支配階級である侍だけでなく、被支配階級の者たちでさえ、清潔で、勤勉で、秩序正ししい。

これは、私が確認した事実です」


ブルック大尉がそう言うとグラント中佐が問いただす。


「何を根拠に、あなたは日本人が我々よりも文化的だと仰るのですか」


「シーボルトの書いた『日本』という本をお読みになられましたか?

日本では、ほとんど犯罪が存在せず、女性ですら一人旅が可能であると書いてありますが」


その言葉を聞いて、思わずケリーが声を上げる。


「そんなバカな。そんな国、世界の何処にも存在しませんよ。

アメリカだって、女性が一人で旅行するなんて不可能です」


アメリカはレディファーストの国であると当時から言われてきている。

これは、移民に男性が多いため、女性の移民を呼び込む為に、作り上げた文化であると言われている。

この点、イタリア人やフランス人も女性には優しくするのだが、それは女性を口説く為の話であり、無条件に女性に優しくする文化ではないのである。

そして、その様なレディファーストの国アメリカでも、『文明国』であるヨーロッパでも女性が安全に一人旅をするなんて不可能なのである。

それが、アジアのこんな島国で行われているなんて、とても素直に信じられることではなかった。


ケリーの言葉に、グラント中佐が頷き続ける。


「それは、全て聞いた話に過ぎないでしょう。

ブルック大尉、あなたも、日本本土には上陸していないのでしょう」


「確かに、私は公式には、日本本土には上陸していないことになっています。

…ですが、私は見たのです」


そう言うと、ブルック大尉は最初に日本に来た時のことを話し始める。


「我々は、日本の視察団を迎える為に、日本までやってきました。

日本本土に近づかないという約束をしたにも関わらず、この島での役人の制止を振り切って。

江戸湾に入り込み、視察団の出迎えをしようとしたのです。

他のアジアの国は、約束に関していい加減ですし、迎えに行った方が親切であると本気で考えていたのです」


「それこそが、日本人が外国人を嫌いな証拠ではありませんか」


「そうかもしれません。ですが、日本本土に近づかないという約束をしたのは、我々です。

ならば、その約束を守る義務があった。

それに対し、彼らは礼儀正しく、江戸湾からの退去を要求するだけでした。

そんな時に、大地震が我らを襲ったのです」


地震というのは、日本では頻繁に起こることであるが、アメリカでは、そんなに滅多に起こることではない。

その様な天災に一同が驚く中、ブルック大尉が続ける。


「地震は巨大な波(津波)を生み出し、ポーハタン号は大破しました。

そして、街は巨大地震で破壊され、波で破壊された建物が流されたのです。

ですが、日本人は秩序正しく、礼儀正しく、未曾有の災害に立ち向かったのです。

災害が起きたのに、暴動を起こさず、物資の奪い合いを起こさず、助け合い、礼儀正しく並ぶ人々が、そこにいたのです」


アメリカであろうと何処であろうと、災害が起きれば、人間の本性がむき出しになり、醜い争いが起きるのは、何処ででもあることだ。

それなのに、助け合うなんて。

それは、彼らの理解を超えた存在だった。


「あなたは、本当に、そんな光景を見たのですか」


「ええ。実はポーハタン号が大破したので、船を軽くする為に、特別に上陸させて貰ったのです。

その時、確かに、私は、その光景をこの目で見ました。

あれが、日本人の本性であると言うのなら、我々が日本に来ることを日本人が忌避することも理解出来ます。

日本人は、我々が彼らの秩序を乱すことを恐れたのでしょう」


一同が絶句する中、ブルック大尉は続ける。


「その上で、彼らは親切で文明的です。

日本人は約束を守らず、勝手に日本本土に近づき、船を大破させた我々を責めることなく、心から心配してくれました。

何というお人好しでしょう。

約束を破った我らがどうなろうと、それは我らの責任であるはずなのに。

彼らは、可能な限りの便宜を我らに図ってくれたのです」


ブルック大尉が、そう言うとグラント中佐が聞く。


「それが、あなたが日本に肩入れする理由ですか」


「そうです。

日本は礼儀正しく、誠実で、世界でも数少ない、友とすれば、裏切らない存在であると考えています。

その様な国と友誼を結び、協力関係を結ぶことは、アメリカの国益にも叶う。

私は、そう考えています」


ブルック大尉の言葉を聞いて、グラント中佐は考え込む。


佐久間象山の戦略から考えれば、グラント中佐はアメリカから切り離せば、それで十分な存在ではある。

アメリカ南北戦争を長引かせ、アメリカの分裂を固定化させるのが佐久間象山の戦略なのであるから。

グラント中佐が南北戦争に参加出来ないだけで、その戦略目的の一端は達成していると言える。


だが、グラント将軍は、アメリカ南北戦争中、戦術、戦略、両面において優秀であったと言われる人物。

その様な人物の能力を浪費させるなど、佐久間象山ら海舟会の面々にとって我慢出来ることではなかった。


グラント中佐との面会に、佐久間象山、村田蔵六、そして平八がやってくる。

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