第七話 日本に呼ばれたエンジニア

ヨーロッパから遣欧視察団が日本への帰国の途に就く頃、父島では日本視察団に呼ばれたアメリカ人達が交流会を行っていた。

当然の事ながら、アメリカ人の教官役たちが日本に到着して以来、日本側の人間も交えた食事会は何度も開催されている。

父島にいる人間は、海外の技術、人間に興味がある者ばかりだ。

そこには、オランダ海軍とアメリカ海軍の一部が共同で教官役を務める海軍操練所に通う研修生がおり、蒸気機関等の西洋技術を研究する技術者がおり、実際にアメリカまで行った視察団のメンバーも多数含まれるのだ。

排外的なイメージの強い日本とは思えない程の歓迎を遣米視察団と共にやって来たアメリカ人達が受けたのは当然と言えば当然であったのかもしれない。


だが、日本とアメリカでは文化が大きく異なる。

アメリカでは当たり前のことが日本では当たり前でないことも少なくなく、その逆もまた然り。

例えば、アメリカは銃社会で銃を持っている者がいても恐怖感を覚えるアメリカ人は少ないだろうが、日本人は慣れるまでは銃を持つ人間を見れば、何処か恐怖を感じてしまうだろう。

逆に、日本では刀を持っている侍がいても恐れる日本人は少ないだろうが、アメリカ人は何処か緊張感を感じる者が出るのは当然であったろう。

どんなに歓迎しようと思っても、文化的なギャップは存在するのだ。

その様な観点から、アメリカ人の中で日本滞在が一番長いアメリカ海軍ジョン・ブルック大尉は、日本に来た同胞が日本に馴染む為に、アメリカ人同士で交流しておいた方が良いと考え、このパーティーを主催したのである。

ブルック大尉の傍にいるのは、陸軍教官として呼ばれたグラント元中佐、アメリカで鉄工所を経営しているという発明家ウィリアム・ケリーである。


「さて、日本に来て、暫く経ちましたが、もう慣れましたかな?」


父島名物の鯨のステーキを食べながら、ブルック大尉が尋ねる。

父島ではアメリカの捕鯨船が油を取ったら捨てるはずだった鯨を、日本側が格安で引き取ることを始めている。

日本では鯨は神様からの贈り物と考える文化があり、髭から骨まで何一つ捨てることもなく、利用する。

だから、日本側では、鯨を全て有効に利用する為に買い取った鯨を日本本土に輸出しており、その中でも父島で作る鯨のベーコンは、保存食として、日本中に売られ、早くも父島の名物となりつつあった。


「私はアメリカを離れるのも初めての田舎者ですからね。

日本人のアメリカ訪問のニュースは新聞で見ていましたが、見る物、聞く物、珍しい物ばかりで。

鯨というのも、油を取って捨てるだけの物と思っていましたが、こんなに美味しいとは」


ブルック大尉の質問にウィリアム・ケリーが鯨のステーキをナイフで切りながら応える。


「そうでしょう。私も、驚きましたよ。捨てていた鯨が、こんなに美味しいとはね」


ブルック大尉はもう一口、鯨のステーキを食べ、口を拭うと続ける。


「しかし、あなたは、アメリカを出たこともなかったのですか。

その様な方が、よく、こんな地の果ての日本まで来られましたな」


「はい。幕府の役人の小栗様とリンタロー(勝)に、どうしても日本に来て、製鉄工場を作って欲しい。

その為の予算は幾らでも、幕府が払うと言われましてね。

私も、製鉄に関しては試行錯誤の最中。

研究費用の捻出に困っていたところ、新技術開発の為の便宜なら全て図ると言われまして」


この当時の日本の製鉄は、たたら製鉄という方法が主流であった。

たたら製鉄は、砂鉄や鉄鉱石を、ふいご等で木炭を大量に燃やして火力を強めた火で溶かし、鉄鉱石や砂鉄から不純物を取り出して、そこから鉄を生み出す製造方法である。

この方法は、大量の木炭を必要とするので、製鉄費用が高額である上に、鉄に大量の炭素が混入してしまう為、鉄が脆くなるという欠点があった。

そして、これこそが、鉄を軍事利用するには、致命的な欠点であったのだ。


大砲や鉄砲を遠くに飛ばすには、大量の火薬を詰める必要がある。

しかし、火薬を増やせば、砲身そのものが爆発の圧力に耐えられず壊れてしまう危険性が上がる。

だから、当時の日本の製鉄技術では、遠くまで飛ばせる銃や大砲が作れなかったのだ。

更に、産業革命の牽引役を果たした蒸気機関にも強い鉄、すなわち鉄鋼が必要であった。

鉄鋼がなければ、蒸気機関の中の蒸気の圧力に耐えきれず、爆発する危険があったのである。


その対策として、ヨーロッパでは18世紀頃から、炭素が混じらないように製鉄を行う反射炉等の技術を開発していた。

幕末の日本が導入しようとしていたのは、この反射炉である。

日本で、鉄鋼作製の必要性を理解した薩摩藩の島津斉彬、佐賀藩の鍋島直正、幕府では江川英龍らは、オランダの文献を研究して、反射炉を作っていた。

ちなみに、今回、ポーハタン号二世号や咸臨丸に搭載した蒸気機関は、江川英龍が父島に作らせた反射炉で作った鉄鋼を利用して作成した物である。

鉄鋼がなければ蒸気機関の作成も困難であったのだ。

とは言え、反射炉はヨーロッパから見れば、100年前の技術。

反射炉は、鉄鋼作成の為に、大量の燃料を燃やす必要があるので、莫大なコストが掛かるという欠点があり、平八の夢の中では、日本では結局、反射炉は普及せず、鉄鋼業は発展していないのだ。

その話を聞いて海舟会では平八の夢の知識を利用して、反射炉の導入を飛び越え、まだ世界でも気が付いている者の少ない最先端の鉄鋼業を日本に導入しようと考えたのである。


「製鉄を研究していると仰いましたが、どの様な方法を研究されているのですか?」


ブルック大尉は、海軍大尉であると同時に発明家でもある。

ウィリアム・ケリーの研究という言葉に興味を持ち、その内容を尋ねる。


「はい。実は溶けた鉄に空気を吹き込むと、酸化還元反応を起こりまして、鉄から不純物を取り除くことが出来るのです。

空気を流し込むだけですから、これまでより燃料を使わずに済み、安価で鉄鋼を作れるのです。

恐らく、最低5倍以上は安く、鉄鋼を作れると考えております」


そう言われて、ブルック大尉は暫く考えた後、尋ねる。


「それは、最近、イギリスで開発されたというベッセマー法ですな」


発明家であるブルック大尉は日本から鉄で出来た蒸気船の開発を依頼されている。

これは、まだ世界の何処にも存在しない新発明。

だが、平八の夢ではブルック大尉が南北戦争中に鉄で出来た船を開発し、木造の船を圧倒している。

その結果、世界中の船が木造から、鉄製の船へと変わっていく未来を平八は見ているのだ。

だから、幕府はブルック大尉に鉄の船(当時の言い方だと甲鉄艦、現代の呼び名だと装甲艦)の開発を依頼したのである。


そして、甲鉄艦を開発する為には、大量の鋼鉄が必要。

本来の歴史において、ブルック大尉は南北戦争中に、大破した軍艦を修理する為に、大量にある鉄道のレールを使ったと言われるが、日本にはその様な鋼鉄は存在しないのだ。

その為、ブルック大尉は、日本の遣米視察団と共にアメリカに帰国中にも、最新の学術書を可能な限り調べ、1856年に発表されたばかりのベッセマー法を知ることが出来たのだ。


「いえ、ベッセマー法ではありません。

私が5年前に考え、アメリカで特許を取った技術です」


そう言うとケリーは誇らしげに胸を張る。

この当時、アメリカは、先に閃いた者に権利があるとする先発明主義を採用している。

先発明主義とは、実物を発明していなかったとしても、閃けば特許を取る権利があるとする主義の事を言う。

その上、ケリーは実際に5年も前にその権利を出願し、アメリカ政府に受理されている。

その為、ケリーはアメリカ鉄鋼業の父と呼ばれることになるのである。


もっとも、平八の夢では、今から1年後、1857年にケリーはアメリカに起きた金融恐慌で破産してしまう。

そして、ケリーは破産の結果、特許を売り渡さざるを得なくなってしまい、鉄鋼業は彼の手から離れてしまう。

その点から考えると、ケリーが今回の日本の招待に応じたことは、ある意味、日本だけでなく、ケリー自身にとっても、歴史への挑戦になるのかもしれない。


「そうでしたか。あなたの発明でしたか。それは、失礼いたしました。

それで、どの様な研究をなされるご予定ですか」


「いくら日本政府が全ての便宜を図ってくれると言っても、日本には鉄鉱石や石炭がないと聞きます。

とすると、石炭、鉄鉱石を輸入しなければならないならば、手間と費用が掛かり過ぎる。

まあ、今回、工作器具、鉄鉱石、石炭などを買ってきて貰いましたが、少なくとも最初はそんなに頻繁に輸入など出来ないでしょう。

となれば、まずは実験から始めるしかありません。

鉄鋼炉のひな形を作り、そこから様々な実験を行い、私の製鉄方法を確立しようと考えております」


ケリーがそう言うとブルック大尉が頷いてアドバイスする。


「それならば、日本の技術者たちに相談することをお勧めしますよ」


そう言われて、ケリーは驚いて尋ねる。


「日本人?彼らは、文明的に遅れた東洋人でしょう?

私はペンシルバニア州西部大学で冶金やきんを学んでいますが、その様なことが解る人間がいるとは」


「確かに、日本に大学はありません。

ですが、私が聞き及んでいる限り、日本の教育のすそ野は広く、おそらく識字率はイギリスを超えて世界一。

その教育を基礎として、様々な分野で研究がなされ、ヨーロッパでも教授を出来る程の技術者が多くいる国であると私は考えています」


日本に来て、田中久重や嘉蔵と共に蒸気機関を作り、甲鉄艦を研究しているブルック大尉は、心からそう考える。

まして、平八経由で江川英龍の下にいた門下生たちは、ベッセマー炉の完成形を聞いているのだ。

彼らと協力すれば、本来は、鉄鋼業で成功出来なかったケリーが、鉄鋼の製造に成功する日も遠くないだろう。


「とても、信じがたいお話ではありますが、本当にその様な技術者がいるなら、ありがたいことです」


ケリーがそう言うと、ブルック大尉はにこやかに頷く。


「日本人の能力には期待してよろしいかと」


そう言った後、暫く考え、ブルック大尉は続ける。


「しかし、ある意味、残念なことです。

あなたの仰る通り、鉄鋼を今よりもずっと安価で製造出来るならば、祖国アメリカで成功して頂きたかった」


「もし、アメリカが日本の様に私を援助をしてくれたのならば、私は、もっと早く鉄鋼の製造に成功していたのかもしれません。

ですが、その様な援助はなく、研究費の捻出も困難、製鉄所の経営も苦しい状況だったのです」


そう言われて、ブルック大尉は頷く。


「確かに、研究が出来なくなるのならば、援助をくれるパトロンの下で研究を続けたいと考える。

それは、研究者として当然の気持ちでしょう」


「はい。研究費は制限なく使え、その上で、技術伝授の為の教授料も受け取れる。

研究者としては、こんなにありがたいことはありません」


「それだけの事をして貰って、あなたが日本に支払う報酬はなんですか?」


「私の鉄鋼製造に関する特許の使用権です。

しかし、日本の援助がなければ、利用出来るかさえ解らない特許の使用権。

それ位のことを許しても、全く問題ないと思っていますよ」


ここから、日本が鉄鋼業、武装強化を目指しているとも知らず、ケリーは嬉しそうに微笑むのであった。

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