第三十一話 英国首相パーマストン子爵
川路聖謨と平八が京で公家との面談を繰り返し、朝廷勢力の切り崩しを続けている頃、ヨーロッパでは、まだクリミア戦争を巡る交渉が続いていた。
平八の夢では、既に1856年3月に終結しているはずのクリミア戦争が終結していないのだ。
日本がロシアから700万アメリカドルでアラスカを購入するという提案はロシアでも議論を呼び、その結論が出るまで、パリ講和会議は遅延に遅延を重ねることとなっていた。
そして、ロシアの不可解な動きは、イギリス、フランスの疑念を生むこととなる。
その中でも、特に困惑していたのは、英国首相パーマストン子爵である。
彼は、この時代、非ヨーロッパの低開発国を軍事力を使ってでも脅迫して不平等条約による『自由貿易』を押し付け、自由貿易帝国主義を強行した「パクスブリタニカ」を象徴する人物である。
アヘン戦争も彼の主導で行われ、国民的にも戦争遂行の象徴となり、クリミア戦争が勃発すると、70歳の高齢にも関わらず首相となった人物でもある。
また、彼はクリミア戦争の最中でも、自分の権力基盤を確固たるものとすることを忘れない抜け目のない人物でもあった。
パーマストン子爵の英国首相就任直後の1855年3月にオーストリア外相の提唱でクリミア戦争を終わらせる為の和平交渉会議がウィーンで開催された。
すると、彼は英国国内で覇権を競い合うライバルであるジョン・ラッセル元英国首相をこの会議に送り込んだのである。
これは、対外的には、英国がこの会議を重視していると国際的に見せつけるという意義があったのだが、パーマストン子爵の目的はそれだけではない。
この当時は、まだクリミア半島のセヴァストポリ要塞を巡り、ロシアとイギリス、フランスの激闘が続いている最中であったのだ。
パーマストン子爵は、このセヴァストポリ要塞が陥落しない限り、ロシアが妥協することはないと考えていたのに、ラッセル卿を派遣したのだ。
つまり、ラッセルをこの会議に参加させたのは、クリミア戦争が終わらなかったことを彼の責任として非難し、失脚させる為だったという訳である。
とは言え、それは彼が私利私欲の人物であったことを示すものではない。
彼の行動は、全て大英帝国の国益と英国民の利益を守る為であった。
そして、その為には対外的に強硬策を取ることは勿論、国内において国益に反する可能性があると彼が考える人物ならば、たとえヴィクトリア女王や英国王室とでさえ対立していたというだけなのだ。
従って、彼が権力基盤を確立させることは、彼の中では国益に則ったことであった。
そして、今回パーマストン子爵がパリまで来ていたのは、パリ講和会議が順調に成功するものと判断していた為に他ならない。
本来、パーマストン子爵としては、もう少し戦争を続けて、よりイギリスに有利な状況で戦争を終わらせたいというのが本音であった。
しかし、戦争継続が難しいと見て、妥協として、せめて戦争終結を成果として誇ろうと考えていたのである。
実際、パーマストン子爵は、ロシアとの戦争は継続すれば更に確実な勝利が手に入ると確信していた。
この当時、ロシアの鉄道網は未発達で、蒸気船も少ない。
ロシアは、国内の補給であろうとも、まだ補給を馬車で行う様な状況であったのだ。
更に、ロシアでは未だライフル銃もほとんど配備されておらず、ナポレオン戦争の頃のマスケット銃が使われている様な状況。
ライフル銃であるミニエー銃を使える英仏は、ロシアの射程距離の外から攻撃出来る、圧倒的に有利な状況。
このように、クリミア戦争が続けば、イギリスが、より有利な状況で終わらせる見込みはあったのだ。
だが、クリミア戦争において、双方の犠牲が想像以上に大き過ぎた。
技術差は明確であったが、ロシアは物量作戦で、英仏にも多大な犠牲を強いていたのだ。
その結果、英仏共に財政が破綻。
特に、フランスのナポレオン三世は戦争終結を望む世論に抗えない状況にあった。
その為、フランス陸軍がいないならば、単独でロシア陸軍を撃退出来ないイギリスも戦争継続を諦めざるを得ないというのが真相であったのだ。
そして、ロシアもセヴァストポリ要塞陥落直後には、不利な講和を強いられることに反対する声があったもののロシア新皇帝アレクサンドル2世は戦争継続を望まず、和平交渉を進めていたはず。
だからこそ、パーマストン子爵は、クリミア戦争を終結させ、イギリスを財政破綻から救ったという手柄を立てにパリまでやって来たというのに。
どうしてロシアが態度を豹変させたのか。
その不可解な動きがパーマストン子爵を悩ませていた。
そんな中、ロシアとオランダから、ロシアが日本にアラスカ売却を持ちかけているという情報がパーマストン子爵の下に届けられる。
世間知らずの日本に、ロシアが、冷蔵庫としての役割しか果たせそうもない不毛の土地アラスカを売却し、戦費を賄おうとしていると言うのだ。
パーマストン子爵は考える。
まず、ロシアがクリミア戦争を続けてくれるならば、望むところではある。
今度こそ、ロシアを徹底的に叩き、ずっと有利な講和条件でクリミア戦争を終わらせることが出来るはずなのだから。
だが、その為には、フランスを戦争継続に何としてでも巻き込まなければならない。
イギリスだけで勝てる戦争ではないのだ。
もし、フランスが最後まで戦争継続を拒むならば、イギリスは、ロシアより劣るトルコ軍と組んで戦うしかなくなってしまう。
それは、パーマストン子爵としても、望むところではなかった。
更に、まだ問題は残っている。
度重なる財政負担で、英国国民にも戦争継続を望まない者が増えてきているのだ。
今回のパリ講和会議で、クリミア戦争が終わると期待している者も多い。
そんな中、ロシアの説得に失敗して、戦争が続いてしまうならば、1年前にクリミア戦争講和に失敗したラッセル卿同様、パーマストン子爵の権威も失墜してしまうかもしれない。
そこで、パーマストン子爵は、まずナポレオン三世と面談を行い、戦争継続の説得を始めていた。
ラッセル卿の様に、ロシアの説得に失敗して戦争が続いてしまったのではなく、フランスの説得に成功したから、より大きな勝利を得る為に戦争を継続するという形を取れば、権威の失墜は免れられると考えたのである。
そんな中、日本の一橋慶喜がパーマストン子爵に表敬訪問を求めてやって来る。
神秘の国から来た王子様。
今、パリ社交界で最も話題の人物。
プライドばかり高く中身のない他のアジアの野蛮な皇帝たちと異なり、謙虚で、聡明であるとの評判でもある。
既に入手している情報によると、日本は、英国の視察と英国との通商条約締結を求めているようである。
この点、パーマストン子爵は英国視察を許し、大英帝国の力をこの辺境の小国に見せつけてやろうという考えはあっても、日本の望む通商条約締結の意思はなかった。
パーマストン子爵は、非ヨーロッパの未発達国を脅迫して不平等条約を押し付けるのことを英国の利益としている人物だ。
それなのに、わざわざ、日本の国土保全、日本国内での法律順守などの平等な条件などを定めた日本との通商条約など、最初から受け入れる気にはなれなかったのだ。
更に、日本は既にオランダ、フランスに商社を構えると言う。
それならば、日本の商品が欲しければ、そこで買えば良い。
わざわざ、日本の望む条件で貿易などする必要はないだろうと考えていたのだ。
そんな彼が、忙しい中、一橋慶喜の表敬訪問を許可した理由は二つ。
一つは、ロシアからのアラスカ購入について話を聞いておこうと思ったこと。
ロシアとの戦いを継続したいと思っていたパーマストン子爵としては、日本のアラスカ購入を妨害するつもりはない。
戦争を続ければ勝てると考えているパーマストン子爵としては、ロシアに騙され資金提供をしてくれる日本はありがたい位の存在ではある。
これが、もし、日本が無償でロシアに資金提供をするならば、日本の裏の意図を探り、資金提供する日本をロシアの同盟国と看做すと脅迫することもあったかもしれない。
だが、ロシアからアラスカの様な不毛な土地を買い取ると聞けば、どうしても日本がロシアに騙されているという印象にならざるをえなかったのだ。
それ故、ロシアを倒し、清国を倒した後の獲物となりそうな日本の指導部に会っておこうと考えたのである。
そして、日本に会おうと思った理由の二つ目は、評判となっている日本の文化という物に興味を持ったから。
慶喜は表敬訪問を申し出た際に、女王陛下への土産として、田中久重の万年時計を渡している。
それは、清国、ムガル帝国など、アジアの大国を知っているつもりだったパーマストン子爵に少なからず驚きを与えたのだ。
それは、機能美とエキゾチックな美しさが同居する芸術品であった。
その様な文化を持つ、評判の人物に会ってみたいと思ったのだ。
この時点で、パーマストン子爵は大英帝国首相として、日本を未開の地の獲物の一つとしてしか見ていない。
だが、彼は知らない。
現在の状況は、全て獲物に見える日本が作り出していることを。
パーマストン子爵と一橋慶喜との会談が始まる。
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