第三十話 不安要素の潰し方

「岩倉様には、日ノ本の為に働くことをお願いに参りました」


川路聖謨の言葉に岩倉がどの様な反応を示すか、平八は襖一枚隔ふすまいちまいへだてた隣の部屋で気配を探る。

身分の厳しいこの時代、お公家さんとの会談に中間の平八が同席することはない。

他の公家との会談でも、平八は隣の間に控えて、話を聞く様にしていた。

そして、川路が平八から何か聞きたいと思えば、考えたいと中座して平八に話を聞きに来たし、平八が何か伝えたいことがある場合は伝言の振りをして、平八が川路に伝えることにしていたのだ。

これは、部屋の仕切りを紙でしている為に出来る、密談がしにくい日本文化ならではの方法だろう。

おかげで、川路と会談をしても、平八の存在を気に留めている公家は誰もいない。

それは、最大の情報源である平八を信用出来ない相手から隠しておこうという海舟会の方針とも、特に目立ちたくもない平八の希望とも合致していた。

もっとも、切れ者であるとされる岩倉との会談については、平八が岩倉の前に出ることはなるべく避けるべきであると考えられ、事前に川路と平八の間でかなりの打ち合わせが行われ、途中で平八と川路が相談しないで済むよう十分な準備がされていたのではあるが。


さて、岩倉様がアッシらの予想通りの方であれば良いのですが。


平八は考える。


アッシが夢で見た通りなら、岩倉様は思想や教条よりも、現実を大事にする現実主義者。

夢の中では、最初、幕府を利用して朝廷の権威を上げようとしていたようなんですがね。

やり方が実にえげつない。


まずは、本気で攘夷なんて出来ないことを理解しながら、異国嫌いの孝明天皇をも利用して、幕府に圧力を掛け、朝廷の権限を拡大させようとしてきたみたいなのですよ。

その上、通商条約締結に反対し、朝廷の勅許を出ないようにして、幕府の権威を低下させた上で、孝明天皇も反対する皇妹和宮様の輿入れを上申する。

孝明天皇が仰る通り、婚約者のいる和宮様を将軍家茂に降嫁させるなんて無理筋も良い所なんですよ。

天子様に絶対の忠誠を従う勤皇の人間ならば絶対にやらないことを平然とやっちゃうところを見ても、尊王家とは思えない。

で、その目的は、公武合体を唯一の希望とする徳川家の希望を叶える様に見せかけながら、実際は、皇妹和宮様降嫁の条件として、攘夷を幕府に約束させることにより、更に幕府を締め上げること。

岩倉様が動くたびに、どんどん幕府の権威が低下し、追い詰められていくんでございますよ。

出来もしない武力攘夷を約束させられちまったものだから、幕府は朝廷の前で常に平身低頭させられるんですからね。


そして、幕府の弱体化が明確になってくると、今度は方針を転換。

幕府を利用する価値なしと看做せば、倒幕を目指すように変わる怖いお方でもある。

その時は、佐幕攘夷を主張する天子様を批判したりもするんでございますよ。

だから、日本皇国からは、岩倉様が天子様を暗殺したんじゃないかと疑われたりもしたみたいなんですが。

夢で見た通り、慎重で広い視野を持っているなら、十分に協力関係を築ける素地はあるはず。


「うちは既に、朝廷の為に働いてる。その上で、日ノ本の為に働けとは何して欲しい言うんや」


「朝廷の為に働いて頂くのは構いません。

ですが、異国の脅威に対抗する為、国防、情報収集とやるべきことが増え、幕府も人手が足りなくてこまっております。

そして、今回新たに立ち上げた国防軍は、優秀な方であるならば、これまでの実績に関係なく、お役目をお願いする組織。

岩倉様には、そちらに協力をお願いいたしたく」


そう言うと、川路が頭を下げる。

朝廷対策で海舟会が決めたのは、公家たちを朝廷から引き離し、国防、外交の為に働いて貰う事だったのですよ。

幕府に冷遇され、不満を持っているお公家さん達を異国嫌いの天子様の近くに置いておくことは危険過ぎる。

野心と能力を兼ね備える岩倉様は特にね。


何しろ、夢の中では、命を狙われ出家した後でも、復活して大日本帝国の外務卿、太政大臣にまでなったお方だ。

どんなに権力から遠ざけようとも、復活の方法を見つけて来る可能性がある。

優秀な人間が野心を持って活動してくるならば、それが日ノ本の不安要素になる危険は十分にあるんですよ。

それなら、物理的に『排除』って方法もあるんでしょうが。

でもね、列強国の侵略に晒される日ノ本には優秀な人間を排除する様な余裕はございませんよ。


それにね、アッシも個人的に嫌というのもあるかな。

別に岩倉様に個人的な恨みがある訳ではございませんからね。

老い先短い身の上で、大義とやらの名の下に、誰かを踏みつけたりするのは、やりたくはないのですよ。

誰かに恨まれながら死ぬなんざ、やはり御免こうむりたい。

だから、不安要素は全部、体制側に取り込んじまいたいというのが、正直な気持ちなんですがね。


「優秀な人間か。優秀であるか、優秀でへんかは、一体誰がどないして判断するちゅうんや」


岩倉は川路の言葉を鼻で笑って見せる。

さすがは、岩倉様。

他のお公家さんと違って、そう簡単に餌には喰いつかないか。

他のお公家さんだと、すぐに報酬の話になったものなんだが。

まあ、これはお公家さんの能力の話だけではなく、厳しい身分社会がお公家さんを縛っているというのもあるんですがね。

何しろ、お公家さんは、家の格だけで、官位の昇格も制限されていたという話ですから。

そこで、家の格に関係なく、評価されるというのは、自分が優秀であると自負のある者ほど魅力的に映るはず。

だから、岩倉様も多少は興味を持ってくれると思ったのだが。

そんな風に平八が考えていると、岩倉が続ける。


「まして、うちら公家は、主上(天皇陛下)の傍に侍るさかい、意味のある存在。

主上から離れれば、何の意味ものうなって、徳川家の好きに出来る存在になるだけやろう」


確かに、お公家さんたちを天子様から引き離すことが出来れば、お公家さんは怖い存在ではなくなる。

岩倉様の言うように、貧しいお公家さんに捨扶持を配って、反幕府運動をさせないよう飼いならすという方法もあるにはある。

だけど、今の日ノ本に、優秀な人間を遊ばせておく余裕なんて、ないのですよ。


「確かに、岩倉様が幕府を信用出来ないと仰るのも解ります。

何しろ、幕府は250年もの間、朝廷を冷遇してきたとも言えますからな。

ですが、日ノ本の為に働いて頂くのならば、京を離れて頂かなくとも、方法はございます」


川路様が愛嬌のある笑顔を向けて続ける。


「もし、京に残りたいと仰せなら、お願いしたいことが二つございます。

まずは、京にやってきた人の言葉、天子様のお言葉、朝廷で起きた全てのことを分かる限り、お教えて頂きたいのです」


つまり、天子様を利用して内乱を起こしそうな連中の情報を報告して欲しいということだよな。

本当のところ、一番危険だと思うのは、岩倉様ご本人なのだが。

そして、次の一手で岩倉様の逃げ道を塞ぐ。


「そして、第二には、その様に日ノ本の為に働いていることを、誰にも知られないこと。

幕府に協力していることを知られない限り、幕府より、定期的に上納金を納めさせて頂きます」


そう言えば、岩倉様なら理解出来るだろう。

もう、お公家さんが一致団結して行動することなど、出来ないということを。

何しろ、誰が幕府に協力しているのか、解らない様になるのだ。

この協力を拒めば、それだけで反乱勢力と看做される。

口だけ幕府に協力した振りをして、報酬を得ようとしたとしても、他の公家が本当に協力していれば、裏切りもバレるのだ。


既に岩倉様に会う前に沢山のお公家さんと会い、協力関係を結んでいる。

今の状況で、幕府をどうにか出来るなんて信じられるお公家さんなんて、ほとんどいない。

それなら、協力して、報酬を貰った方が良いと考えるのは当然だろう。

だから、もし、誰かが反幕府的な行動を取れば、その情報はすぐに、こちらに伝わることになる。

お公家さん同志が互いを監視しあう状況が生まれているのだ。

天子様に近づき、利用しようとする人間も簡単に補足される。

その事実を理解しているなら、そもそも、天子様を利用した陰謀を企むことすら困難になる。


世の中ってのは、実に不思議で矛盾に満ちたものだよな。

道徳や倫理、宗教では、良い事をするには隠れてやれ、陰徳を詰めと教える。

そして、悪い事は暴けと。

だけど、現実という奴は正反対。

良い事をした時は、やった奴の多くは大声で宣伝して、褒められることを期待し、悪い事や陰謀は必ず隠れて行われ、悪事や陰謀は暴かれれば、光をあてられた影の様に消えていく。


「うちを間諜にしよう言うんか」


全てを理解したであろう岩倉様が悔し気に呟くと、川路様が応える。


「間諜などとトンでもございません。

岩倉様には、もっと大きな役割を果たして頂きたいのです。

ですが、京に残られるのならば、天子様を利用する不逞の輩を取り締まるお手伝い位しかお願い出来ることがございませんと申し上げております。

列強諸国に狙われた日ノ本には、主導権争いなどして、内輪揉めをしている余裕はございませんからな」


「おっきな役割?何させよう言う気や」


岩倉が尋ねると川路は愛嬌のある笑顔で告げる。


「岩倉様にはヨーロッパという異国に行き、日ノ本の代表として活動して頂きたい。

ヨーロッパは、我が国より発展し、様々に進んだ武器を持っております。

その諸国が、清を始め、地球中の様々な国を侵略、蹂躙しているのです。

岩倉様には、それらの国に赴き、情報を収集し、彼らの野望を未然に防いで頂きたいのです。

それは、武器もなく、朝廷を守り続けた、お公家様の岩倉様だからこそ、出来ることもあると考えております」


これが海舟会の出した結論だった。

何の武器もなく、政治力だけで、幕府を追い詰めた現実主義者岩倉具視。

それを様々な列強の思惑が絡む、ヨーロッパに派遣して、判断を任せる。

下級のお公家さんだとしても、身分がある立場であることは間違いないので、ヨーロッパでは貴族として扱われるであろうということも都合が良い。


川路がそう言うと、岩倉はため息を吐く。


「そんなん体のええ島流しちゃうか。だいたい、うちは異国の言葉も解らへんのだぞ」


「言葉なら、解る者を共に付けますし、ご希望ならお教え致します。

それに、島流しと言われますが、岩倉様には、一国を代表する形で異国に駐在して頂くのです。

異国から侮られる様な待遇には出来るはずがございません。

公方様に負けない待遇をお約束いたします。

更に、先程、岩倉様は、天子様と離れたお公家様には価値がないと仰せになられました。

ですが、ヨーロッパに数年滞在すれば、岩倉様は誰よりも異国の情勢に通じるという力を得ることが出来るのです。

それは、日ノ本に帰ってきた時、岩倉様の大きな力となることでしょう」


川路にそう言われて、岩倉様は考え込んだようで沈黙が続く。

幕府を信用出来ないなら、京に残れば良いのだ。

反幕府的な行動は出来なくても、今までとは比較にならない程の捨扶持(報酬)を与えられるから、生活は改善される。

まあ、それだけでも、幕府に敵意を持ちにくくなるはずなんですけどね。


だけど、それで満足せず、更に大きな力を求めるなら、賭けるしかないことは、岩倉様にも判るはずだ。


「島流しであらへんなら、日ノ本にはいつ帰って来られるんや」


「勿論でございます。あまり長くいて、異国に取り込まれても困りますからね」


川路がそう言うと、そんなことあるかいと岩倉が悪態を吐くのを宥めながら、川路は続ける。


「今、一橋慶喜公がヨーロッパに行っておりますから、慶喜公が戻られてから入れ替わりで5年ほどでは如何でしょうか?

行ってみて、肌が合い延長を希望するとしても、最大10年が限度かと」


アッシの夢の通りなら、この5年の間に、阿部正弘様、島津斉彬様が亡くなる危険がある。

対策は考えているが、その死は、日本を混乱に陥れる危険があるのだろう。

そんな時に、謀略家の岩倉様に日本で妙な活動をして欲しくないのが第一の理由。

だから、その間に、岩倉様には日本から離れて貰いたいのだ。

そして、代わりに、ヨーロッパでアロー戦争、アメリカ南北戦争への対処をして貰いたいというのが第二の理由。

これが、今の日ノ本にとっての最善手だと思うのだが。


一か月後、岩倉具視はヨーロッパ行きを決意することとなる。


その決断が何を引き起こすのかを知る者は、まだ誰もいない。

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