第二十九話 京に残る不安要素

幕末と呼ばれるこの時代は、朝廷の権威が高まっていた時代でもあった。

もともと、天皇家は権力を早々に放棄することにより権力者に滅ぼされることを免れ、権力者の権力を追認する国の最高権威として生き延びてきたのだ。

だから、征夷大将軍といえども、権威だけであるならば天子様(天皇陛下)には敵わない。


その為、徳川幕府初代将軍徳川家康は、朝廷の権威を制限する公家諸法度などを制定したのである。

ところが、あろうことか水戸黄門で有名な水戸光圀が、徳川将軍よりも天子様の方が上であると言い始めることから幕府の権威にヒビが入り始める。

それは、純粋に学問的な帰結であったのかもしれない。

何しろ、儒教の本場中国において最高権威とされる天子は、革命という暴力によって、モンゴル(元)や満州族(清)などの異民族にバンバン乗っ取られて変わっているのだ。

つまり、暴力と権力による覇道によって、人徳で政治を行う王道が負け続けているとも言える。

それならば、2000年変わらない日本の天子様こそ、王道で国を治め続ける、最も正統な天子様であると考えたのかもしれない。

あるいは、同じ徳川家康の血統であるにも関わらず、徳川宗家に服従せざるを得ない水戸家の不満がこの様な言動に導いたのかもしれない。


いずれにせよ、徳川幕府に対抗しうる唯一の権威として、天子様のおわす朝廷が水戸光圀以降、徐々に権威を増して行ってしまうのである。

そして、その結果、平八の夢では、二人の天子様を巡って日本が分裂することとなってしまう訳なのだが。

そして、万が一にも朝廷の動きにより日本が分裂する様な事態を起こさない為に、川路聖謨と平八は京で活動を開始するのである。


既に、日本の分裂を防ぐ為、海舟会の提案を採用した阿部正弘らは、国防軍という中央集権化を進めた軍隊を創設している。

その上で、島津斉彬や吉田寅次郎の活躍により、本来は幕府に対抗する戦力となり得るはずであった薩摩藩及び長州藩から多くの者が国防軍に参加しているので、各藩の軍事力は弱体化している。

国防軍が主導権争いなどで分裂でもしない限りは、内戦の危険は遠ざかっているはずなのだ。


だからこそ、海舟会は、国防軍で主導権争いが起こり、主導権を握りたい何処かの勢力が朝廷を巻き込むことを恐れたのである。


その為、国防軍の最高責任者の任命は、征夷大将軍の専任事項とすると決めている。

征夷大将軍の様に朝廷が国防軍総司令官を任命するのではなく、征夷大将軍が国防軍総司令官を任命する制度にすることによって、国防軍を朝廷から切り離そうとしたのである。

だが、それでも、国防軍の主導権を握りたい勢力が、朝廷の権威を求めてしまえば、全ては台無しになってしまう。

そこで、川路と平八は京で様々な公家との面談を繰り返すこととなる。


平八の夢では、ペリー来航から4年後の1858年に日米修好通商条約を締結しようとした際に、孝明天皇が強く反対したという。

それに、幕府に300年冷遇され続けてきた公家の65%に及ぶ88人の公家が参内して、条約の締結に抗議(廷臣八十八卿列参事件)したことにより、朝廷全体が攘夷の空気に包まれることになり、朝廷は通商条約締結に反対することとなる。

これは、当時の幕府が、開国の責任を放棄し、その許可を朝廷に求めたことが原因なのではあるが、尊王家を名乗る者が増え、平八の夢の様に朝廷の権威を利用する者が現れる危険がある以上、許可を求めないにしても、状況を報告し、不満の芽を潰すことも重要であると考えられていた。


身分の縛りが厳しい、この時代、川路や平八が孝明天皇に拝謁出来るはずもない。

だから、川路らは、地道に会える公家に会って、状況の説明と説得を繰り返すことにしていた。

天子様はともかく、公家に会うことは難しいことではなかったのだ。

幕府に冷遇されて、生活に困窮する者も多かった公家が多い、この時代である。

幕府に、副業も制限され、ヤクザに家を貸し、賭博をさせていた者さえいたともいう位だ。

だから、手土産(賄賂)を渡しさえすれば、会うことだけは問題なく出来た。

何しろ、平八の夢では、九条関白ですら100両かそこらの賄賂で説得が出来ていたのだ。

ちょっとしたお土産を持って面会を求めるだけで、喜んで迎えてくれたのだ。


そして、川路と平八は、地道に状況の説明、説得、切り崩しを繰り返す。

その中の一人が岩倉具視いわくらともみである。


「それで、うちに会いたいとの話やけど、どないな話があるんや」


岩倉は当時31歳。

容貌や言動に公家らしさがなく、公家の子女たちの間で岩吉と呼ばれていた人物である。

平八の夢では、大日本帝国の太政大臣にまで成り上がった人物でもある。

孝明天皇の懐刀であったとも、孝明天皇を暗殺したとも囁かれる、京で最も注意すべき人物が彼であった。


「はい。異国の情勢をお伝えし、ご協力をお願いしたいと」


川路は人懐こい笑顔を向けて岩倉に言うと、岩倉は皮肉に笑う。


「なんも知らへんうちらを丸め込もう言う訳やな。

まあ、手土産も貰うたんやさかい、信頼するかどうかはともかく、聞くだけは聞いたる」


「これは手厳しい。

ですが、信じて頂けず、道を誤れば、日ノ本は異国に侵略される恐れもございます。

是非、お聞き願いたい」


そう言うと、川路はまず隣の大国清国すら異国に歯が立たず侵略され、植民地にされつつある現状を話始める。

川路は無意味な虚勢など張らない。

淡々と異国と日本の戦力差、今、異国が本気で日本を侵略しようとすれば、絶対に日本が勝てないという事実を述べる。

それに対して、岩倉が皮肉る。


「そうか。そやけど、武家は戦うのが仕事やおまへんか。

日ノ本は神国。

元寇ですら、一夜で十万の敵を大海に沈めたんちゃうか。

楠木正成も新田義貞も、天子様の為、僅かな手勢で勝っとる。

天子様への忠があったからや。

今の幕府に、それが出来ひんいうことは、天子様への忠が足りへんちゃうか」


岩倉は決して本気で日本が勝てると信じ込むほど、愚かではない。

彼の得ている情報でも、日本が異国と戦えば、勝てないことは解っている。

だが、幕府の言いなりになったところで、朝廷側に利はないのだ。

だから、少しでもゴネて、幕府から妥協を、利を引き出そうというのが、彼らの戦術なのだ。


「残念ながら、出来ませんな」


だが、散々、公家との折衝を繰り返してきた川路は動揺することもなく、冷静に答える。


「天子様への忠誠は、楠木正成にも、新田義貞にも負けません。

ですが、戦うことを仕事とする武家の端くれとして申し上げれば、いくさは信念だけで勝てるものではございません。

楠木正成も、新田義貞も、少数の兵とは言え、勝てる戦術を使って、戦ったから勝てたのです」


「やったら、幕府もその様に戦えばええちゃうか」


「今のままでは、戦力が違いすぎます。

譬えて言うなら、信長公の鉄砲三千丁に、素手で挑むようなもの。

もし、その様な状況で勝てる、神風を起こせると仰るなら、その方法、是非ご教授頂きたい」


岩倉は、川路が武士には珍しく面目を気にして取り繕うこともなく、真正面からぶつかってくるので、勝てる勝てないの言い争いは諦め、様子を見ることにする。


「それ考えるのが武家の仕事ちゃうか。

で、異国に勝てへんさかい、異国の言いなりになる言うんか」


「言いなりではございません。臥薪嘗胆。時を稼ぎ、武力を整えるのでございます」


「武力なら、国防軍ちゅう物を作って、異国に備えてるて聞いたぞ」


「あれでは、まだまだ足りません。

異国の鉄砲は、我らの鉄砲よりも遠くまで飛び、的に当たります。

異国の大砲は、我らの大筒より遠くまで飛ぶ上、当たれば爆発して、周りを吹き飛ばします。

異国の船は蒸気船と申しまして、帆がなくとも、自在に高速で移動することが可能です。

そして、我が国は四方が海の国。

何処から異国が攻めてきてもおかしくない状況なのです」


川路の言葉は異様な迫力を持って、岩倉にも響く。

それは、川路が平八から聞いた侵略され、分断される日本の姿。

決して、絵空事ではない恐怖がそこに存在した。


「それで、どないしようちゅうんや」


「異国と交易を始めます。

そして、異国の武器を買い取り、日ノ本の職人を集めて、武器の開発を行います。

日ノ本が自分で武器を作れるようにならねば、異国に攻められた際に、対応出来ませんからな」


「そら、今まで通りオランダから買うだけではあかんのか」


「オランダと言えども異国。正直に良い武器を売ってくれる保証はございません。

ならば、門戸を開き、幾つかの国と国交を結び、より良き武器を買うのがよろしいかと」


「そやけど、複数の国を招いたところで、異国が裏で手ぇ組み、ええ武器とやらを売らへんかもしれへんで」


「仰る通り、その危険はございます。

ですから、我らは打って出るのです。

異国に人を送り、店を開き、そこで情報収集を行い、より良い武器を買い取り、職人から教えを乞う」


異国に送られるなんて、まるで島流しだと思いながらも岩倉は頷く。


「確かに、そうしたら、ええ武器を買い取れるかもしれへんな。

そやけど、せやったら、日ノ本を開国し、交易なんぞしいひんでもええのちゃうか」


そう言われて、川路は首を振る。


「残念ながら異国では、相互主義という原則があるそうでしてな。

簡単に言えば、やって貰ったことはお返ししなければならぬ原則でございます。

従って、異国で商売したいならば、我が国でも商売することを許さねばならぬと」


岩倉は交易をしなければいけないことを理解しつつも、更にゴネる。


「そやけど、我国は神州や。洋夷が秋津洲(本州)に来ること天子様も嫌うてはる。

天子様のご意向を無視して、勝手に開国を決めるちゅうのんは、どないなこっちゃ」


それに対し、川路は淡々と返事する。


「これは、したり。まつりごとの話は、既に征夷大将軍を任命された時に天子様より一任されております。

更に、もともと、鎖国も二百年以上前に幕府が決めたこと。

ならば、開国も、また幕府が決められることでございましょう」


「ほんでも、天子様嫌がられること押し付けへんのが忠臣ちゃうのか」


「お国の為、天子様の為、一時の不興を買おうとも、なすべきことをなすのが真の忠臣であると心得ております」


川路が涼しい顔で応えると、岩倉は考え込む。

この男は頼み事があると言ってやってきたようだが、一体何を頼むつもりなのか。

京に来て数か月、様々な公家に会っていると聞いているが、何を頼まれたかまでは誰も口にしない。

天子様に拝謁出来る様な立場ではない自分ではあるが、間接的にでも、その説得を頼みに来たのかとも思ったが、どうやら説得するつもりもない様だ。


「国を守る為に、交易は必須ちゅうことか。

そやけど、天子様に嫌われる以上、うちは交易に賛成は出来ひんな」


そう言われると、川路は頷いて尋ねる。


「なるほど。ところで、さきほど、天子様は秋津洲に異人が来ることを嫌がられると仰いました。

それでは、異国に行って、異人と取引されることには反対なさらないのでしょうか」


岩倉はため息を吐きながら応える。


「異国に行って取引するだけなら反対はなさらへんやろう。

そやけど、異国で商いするなら、日ノ本でも商いすることを許可せねばならへんのやろう」


「その通りでございます。

しかし、我が国は秋津洲以外にも治めている土地がございます。

今、幕府は、異国に人を派遣し、北蝦夷(樺太)、対馬、小笠原諸島、琉球で交易を始める交渉をしております。

これならば、如何でございましょうか」


そう言われて、岩倉は考える。

確かに、異人が秋津洲に来ないならば、天子様は反対なさらないかもしれない。

だが、それなら、この男は、本当に何を頼みに来たのだ。

考えても解らないので、仕方なく、岩倉は率直に聞くことにする。


「天子様の御心はうちに推し量ることは出来んが、確かに受け入れることもあるかもしれんな。

そやけど、そうなると、解らんことある。

頼みがある言うてきたはずだが、あんたは一体何を頼みに来たねん」


岩倉が尋ねると、川路が頷く。

交渉の第二ラウンドが始まる。

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