第十三話 サンクトペテルブルグに降り立ったサムライ

ロシアが、100年も前から日本との交易を望んでいたことは事実である。


だが、そこに実益の為の必要性という要素はあまりない。

神秘のヴェールに包まれた日本という謎の国。

そこに皇族や学者たちが興味を持ったから、日本との交易を望んだと言った方が良いだろう。

オランダが日本との貿易を独占し利益をあげていると聞いたので、交易を望んではいるが、そのことによって、どの様な利益があるかはロシア人もわかっていなかったのだ。


ロシア人から見た日本人は主に漂流民たちである。

実のところ、ロシアには何年か何十年か一度位の割合で、日本からの漂流民が辿り着いている。

この当時の日本は幕府の方針で、船は大きさを制限され、複数の帆を掲げることも禁止されていた。

これは、全て江戸に攻め込む船をなくす為の法であるのだが、このような法の為、日本の造船技術は停滞していた。

その結果、嵐にあって帆が折れてしまえば、修理することも出来ず、海流に流され、商船や漁船が漂流してしまうことがよく起こっていたのである。

その漂流者が多数たどり着いたのがロシアのカムチャッカ半島である。


おそらく、清や朝鮮にもたどり着いた人々はいるのだろうが、同じアジア系の人種であるため、これらの漂流者に、清や朝鮮はたいした関心を示してはいない。

これに対し、ロシア政府は、このように漂流して来る日本人に興味を持ち、これらの漂流民を手厚く保護し、日本語を学ぶ為の日本語学校で日本語を教えさせたりしていたと言う。

この当時、ロシアは、日本以外の土地で日本語を教える学校のある唯一の国であったのだ。


彼ら漂流民は、その出自から考えて、当然のことなのだが、日本社会では身分の高い人々ではない。

商人や漁師が中心である上に、長期の漂流や移動の果てにサンクトペテルブルグに招かれるのであるから、その装いは、どうしても草臥れた物となるか、ロシア側に用意された物を着るしかなかったのである。


そんな中、これまでと全く異なる装いの日本人がサンクトペテルブルグに降り立つこととなる。


日本のロシア視察団一行が、乗ってきた列車から降り立っていく。

モスクワからサンクトペテルブルグへの鉄道が敷設されたのは、この時より4年前の1851年。

約10年の時を掛けて建設されたロシアでも最新の設備。

だが、既に蒸気船を見せられ、蒸気機関の存在を知っていたロシア視察団の一行は、陸の上を走る蒸気船の様な物であることを比較的簡単に理解し、然程、恐れることもなく、列車に乗り込み、約650キロメートルの距離を約一日でサンクトペテルブルグに到着したのだ。

その速さと馬力には脅威は感じるものの、それを表面に出さずに平然として見せるロシア視察団一行。


ロシア視察団は、水戸藩士を中心に構成されている。

従って、視察団員のほとんどは、斉昭を中心に秩序だって行動することに慣れている。

服装は今までの漂流者とは大きく異なる清潔で、品のある礼装。

列車から降り立ったロシア視察団一行は、正装を整え、荷物持ちさえも秩序だって、サンクトペテルブルグ駅に並び、整然と歩いて見せる。

それは、サンクトペテルブルグに住むロシア人が初めて目にするサムライの姿であった。


サンクトブルグ駅には、皇帝から迎えの馬車が用意されてきていた。

シベリアから乗ってきた物とも異なる黄金で装飾され、八頭の白馬に牽かれる特別な馬車だ。

その様な迎えを当然の様に受け、堂々と歩く奇妙な髪型をした髭のアジア人、水戸斉昭。

その姿は、ロシア人たちに強い驚きをもって迎えられる。


こうして、ロシア視察団一行のサンクトペテルブルク視察が始まるのであるが、到着したからと言って、すぐに前皇帝の墓参りが出来たり、皇帝への謁見が許される訳ではない。

この時代のロシア人は、おおらかで細かい予定を事前に厳格に決めることはあまりしない。

特に、ロシアでは、専制君主であるロシア皇帝の意思が第一であり、予定があったとしても、皇帝の意に沿うように、予定は調整されるべきものであるとされるのだ。


従って、日本のロシア視察団も、ロシア皇帝アレクサンドル2世が会う気にならなければ待たされることとなる。


もっとも、待たされると言っても、滞在するのは10年前に外国要人の迎賓館として建築されたばかりのマリインスキー宮殿。

そこで、最大限の歓待を受けながら、サンクトペテルブルグ視察が自由に許されることとなるのだ。

文句が出るはずもなかった。


日本から来た客を待たせる形になった新皇帝アレクサンドル2世だが、実はこのとき、日本の視察団を受け入れるどころではなかったのだ。

父である前皇帝は、世界で最も早く日本を開国させることに拘り、急いで視察団を招いたが、この時は長く続いたクリミア戦争の最大の山場。


時に、西暦1855年9月。

ロシアの黒海の拠点であるセヴァストポリ要塞が陥落して、ロシアの勝ちがなくなり、その直後、今度は英仏側の拠点がカルス要塞が陥落して、英仏側にも勝利がなくなる非常に重要な局面であったのだ。

その様な状況下、ロシア宮廷は、刻々と届けられるクリミア戦争の報に一喜一憂し、日本のことなど考える余裕はなかったのだ。


おかげで、その間、ロシア視察団はサンクトペテルブルクの軍港、市場などを自由に見て回ることが可能となっていた。

日本を出る前の水戸藩士達ならば、異国を穢れと考え忌避していたかもしれないが、長い間ロシアと接してきた彼らにロシアを侮る気持ちはない。

むしろ、自分たちの行動が日本を代表しているとの気持ちが皆にあり、礼儀正しくされど、貪欲にロシアを知ろうと話を聞いていくことになっていた。

これに対応する、ロシア人たちは、皇帝の客であるという奇妙なアジア人達に包み隠さず、正直に状況を説明していく。

まさか、この奇妙なアジア人達が巨大なロシア帝国と戦った場合どう対応するか考えているなどとは

想像することさえも出来ずに。


そして、この様に活発な活動をしていれば、日本の視察団に興味を持つ貴族達が現れる。

クリミア戦争中と言っても、直接戦争に関わっていない貴族も存在するのだ。

そして、彼らが日本の視察団を招待し始める。

招待されて出席するのは、藤田東湖、松前崇広、吉田寅次郎、桂小五郎が中心であり、水戸斉昭は身分的に釣り合うのは皇帝のみだとして、ほとんど招待に応じていない。


この点、斉昭がロシア貴族の招待に応じなかったことについては、諸説が存在する。


一つは、斉昭がロシア貴族の作法を間違えて恥を掻くわけにはいかないと、宮殿に籠り、ロシアの作法につき、特訓をしていたという説。

これは、後にロシア皇帝との謁見の際に、斉昭がロシア貴族のマナーを完全にマスターしていたことから、言われている説である。

この説は、斉昭を高く評価する人々からは批判を受けている。

斉昭を高く評価する人々に言わせると、斉昭ならロシア移動の半年の間にプチャーチンより、その程度の作法は身につけているはずであり、引き籠って特訓などする必要はなかったはずだと主張する。

これに対し、女好きの斉昭がロシア貴族に手を出して問題を起こさない為に隔離したのだ、という説もあるが、不思議なことに、斉昭を評価する人々の一部でも、その可能性を認める人がいると言うのが、斉昭の人柄を現していると言えるであろう。


いずれにせよ、斉昭が参加しないロシア貴族の晩餐会で、東湖、寅次郎、崇広、小五郎による一種のロビー活動が展開されることとなる。


この晩餐会で、主賓は斉昭の名代の東湖であるが、中心となって話すのは寅次郎であり、彼はロシアに数々の逸話を残している。


これらの寅次郎の活動は、全て象山から授けられた策の一つであるとされている。

寅次郎が象山と平八から受けていた指示は大きく分けて二つ。

長く続いた日本の文化の存在をロシア人に知らしめ、この文化を破壊するべきでないと思わせること。

もう一つは、ロシアの内情を知ることである。

この指示を寅次郎は、ロシア人と友となることであると解釈し、日本の弱みも強みも全てぶちまけ、ロシア人の心の鎧を剥ぎ取るという方向で実現していく。


何しろ、これまでも日本から来たのは商人や漁師達、漂流者。

それでも、娯楽の少ないロシアでは、神秘の国からの来訪者として、人気者となっていたのだ。

それに対し、寅次郎達は日本の知識人。

軍学者の寅次郎の言葉を、水戸学の東湖と、西洋通の松前崇広が捕捉するのだ。

ロシア貴族達が先を争って面会を求めるのも無理はなかった。


寅次郎が残した逸話の中でも最も有名な逸話は、モンゴル撃退の話であり、この話は長くロシアに語り継がれることとなる。


「日ノ本は、万世一系、一つの血筋の天子様の下、約2500年もの間、他の国に支配されたことのない国であります」


寅次郎がそう言うと、ロシア貴族達は興味深げに尋ねる。


「ほう、そうすると、この度来られている水戸様は、その方の親戚に当たられるのですか?」


その質問にどう答えようと、寅次郎が迷うと、松前崇広が助け船を出す。


「日ノ本の天子様は、あなた方の世界でいうローマ法王の様なものです。

権威として崇められてはいますが、実務は将軍が任せられ、水戸様はその将軍の血筋に当たるのです」


ローマ法王の話をされて、ロシア貴族は苦笑する。

彼らロシア貴族は、ロシア正教会の教徒であって、ローマ法王の権威を認めてはいないのだ。


「それで2500年もの間。そのかたの家は、分裂したり、断絶したりはしなかったのですか?」


「確かに、天子様の血筋が分裂し、争った不幸な時代は存在しましたが、最終的には統一されております」


寅次郎は自慢気に語る。


「だが、権威だけては、蔑ろにされることもあるのではありませんか?」


ロシア貴族が形だけの存在であることを疑うと東湖が口を挟む。


「そんなことはない。確かに、我らは天子様よりまつりごとをお預かりしているが、その勤皇の心は誰にも負けないと競っている程である」


水戸学の東湖も、天子様の朝臣を自認する長州藩出身の寅次郎も勤皇精神に嘘はなく、その真っ直ぐな忠誠心にロシア貴族は羨望の念さえ感じさせる。


そして、寅次郎は平八から聞いていたモンゴルとの話を始めることにする。


「その忠誠心があったからこそ、我々は、あなた方ロシアをも蹂躙したモンゴル帝国を撃退することが出来たのです」


何度も話しても、この話になると、ロシア人達は強い好奇心を示す。

13世紀にあったモンゴル帝国の侵略は、ロシア人を含む多くのヨーロッパ人のトラウマだ。

特に、ロシアなどは、モンゴル帝国に占領され、支配までされていたのだ。

それを撃退したという神秘の国の人々。

興味が沸かないはずはないのである。


「その話を伺いたくて、今日はお招きしたのです。詳しく、聞かせては戴けませんか?」


そう言われて、寅次郎は話を始める。

そこで語るのは、寅次郎が象山から聞いた元寇の『真実』。

本当は、象山と平八が相談し、作り上げたプロパガンダなのだが、寅次郎は真実と信じて、滔々と語る。


モンゴル帝国の内、現在の清の地域を支配する元という国に従属を要求され、それを拒否したことで、数万の軍勢が海を渡り攻めてきたが、戦い方の違いから苦戦したことから、寅次郎は語り始める。


「我ら侍にとって戦いは名誉の為のものであり、戦であろうとも、名乗りを挙げて、正々堂々一騎打ちで、戦うのが常であったと聞いております」


「ほほう。まるで騎士物語の騎士ですな。

あなたの国にも、我らの国の様な騎士道精神があるのかもしれませんな」


ロシア貴族が感嘆すると、寅次郎は先を進める。


「ところが、モンゴル人のいくさは集団戦でありました。

名乗りを揚げても聞かず、弓矢を使い、集団で攻めてくる。

こちらは、準備も足りず、数百の軍勢に対し、モンゴル軍は数万。我々は苦戦することになります」


「その様な状況で、どうやってモンゴルを撃退出来たのですか?」


「我らの祖先は命を掛けて戦い、彼らの戦い方に適応していきました。

一騎打ちを諦め、集団戦に合わせ、どんなに傷つき、全滅しようとも引かず、仲間の応援を待つ。

大陸での戦いは不利になると撤退するのが常であると聞きますが、我らは引かず、踏みとどまり時を稼ぐのです。

その時間が幸運をもたらしました。

嵐が起き、モンゴルの船は沈んでいったのであります」


寅次郎がそう言うと、ロシア貴族は首を振る。


「あなた方の神が、あなたの国をモンゴル人から守ったのですね」


「そうかもしれません。だが、事はそれでは終わりません」


寅次郎は間をとり、驚くべき事実を告げる。


「数年後、今度は、モンゴルは十数万の大軍をもって、再び我が国へと攻めてくるのです。

モンゴル軍は残虐非道。

占領地の人間を虐殺し、奴隷として連れ去る恐るべき野蛮人達です」


寅次郎の言葉にロシア人達は息を飲む。


「しかし、我々の祖先も時を無駄には過ごしてはおりませんでした。

モンゴルの戦い方から学んでいたのです。

集団船での戦い方を理解し、彼らが上陸出来ないよう、砦を築き、モンゴルよりも威力のある弓矢を使い、水際で上陸を阻止する戦法を取ったのであります」


「その様な方法でモンゴルを防げたのですか?」


「モンゴルは騎馬を使った集団戦に強みのある軍団であります。

決して、船での戦は強くありません。

その上で、我らは彼らを弓で船に釘付けにし、彼らの食料が尽きるのを待てば良かった」


寅次郎がそう言うとロシア貴族たちは唸る。


「陸の上の戦いと、海を越えた戦いは違うということか」


「そうです。陸でどんなに強くとも、海を渡って占領出来るかは別の話であります。

とはいうものの、正直に申せば、近年、我ら、日ノ本はいくさを避け、太平の世を謳歌し過ぎました。

その結果、軍は弱体化してしまった。

ですから、もし、今、モンゴルの様な国が攻めてくれば、苦戦することになるでしょうな」


日本の弱みを平然と晒す寅次郎にロシア人が驚くのを尻目に、寅次郎はニヤリと笑う。


「だが、今、あなた方が来て下さった。

モンゴルの様に危険な国イギリスが地球を席捲していることを知らせて下さった。

そのことには、心から感謝を捧げたいのであります。

あなた方が来て、イギリスという脅威の存在を知らしめて下さったことは、我らにとって、神風であります」


寅次郎がそう言うとロシア貴族は訝し気な顔をして尋ねる。


「確かに、かつてモンゴルを撃退出来たというあなた方の国が弱体化していたと言うなら、危険な敵の存在を知ることが出来たことは、大きな利益でしょう。

ですが、イギリスはモンゴルと違い海軍国です。

ましてや、イギリスは産業革命というのを起こし、蒸気船も、大砲も、信じられない様な性能を誇るのです。

あなたの方が弱みを晒して下さったから、正直に言いますが、我がロシア帝国ですら、イギリスには苦戦させられているのです。

また、あなた方の隣の大国清も、イギリスには惨敗したと聞きます。

そう考えれば、もし、イギリスが日本を攻めてくれば、とてもあなた方が立ち向かえる相手だとは思えませんよ」


ロシア貴族たちが口々にそう言うと、寅次郎はいつも目を輝かせて答えたという。


「確かに、イギリスは危険で、強大で危険な敵でしょう。

だから、学ぶのです。

かつて、モンゴルから我らが学んだ様に。

いつか、彼らの牙が我らに剥かれた時に倒す為に。

産業革命を起こす必要があるなら、産業革命を起こすのです。

ロシアの皆さまも、イギリスに苦戦していると仰るならば、一緒に学びませんか?

ロシアは、我が国と異なり、広大な領地をお持ちとお見受けする。

共に学べば、きっと強い力を得ることが出来るでしょう」


自分達ロシアはともかく、アジアの小さな小国である日本がそんなことを出来るはずがない。

それなのに、自信満々に、イギリスに苦戦する自分達を励ますように話す寅次郎をロシア貴族たちのほとんどは、何も知らない幼子を見るように、微笑ましく、好意的に受け取ったと言う。


そして、寅次郎は、必ずこう付け加えることを忘れない。


「それに、イギリスが我が国に攻めてきたとしても、得られる物は何もないのです。

モンゴルは、日ノ本を黄金の国と信じていたようですが、そんなに黄金がある訳ではありません。

資源も田畑も決して多くはないのです。

緑豊かで風景は美しいが、あるのは、人という資源だけ。

こういう物を作ることは出来ますが、戦って奪える物ではないのですよ」


寅次郎はそう言うと、東湖に許可を貰い、持ってきたお土産を、招待してくれた貴族に渡す。

渡すお土産は、事前に高田屋がリサーチしてきた主催者の趣味にあった物だ。

陶器が好きな物には有田焼の皿、絵の趣味がある者には浮世絵、小物を集める趣味の物には美しい蒔絵が書かれた漆塗りの書箱、

ご婦人の立場が強い家にはドレスに使える美しい西陣織の反物等々。


そして、そのプレゼントの中で、ロシアの武人たちが最も欲しがったというのが日本刀であったという。


これは、酔ったロシア軍人に絡まれた桂小五郎が西洋鎧を兜割りして日本刀の切れ味を見せつけたことが原因とも言われるが、小五郎及び同行者の報告書には、この件について一切残されていない為、伝説に過ぎないという人もいる。

だが、小五郎が斬って見せたという鎧や刀を大事に持っているロシア貴族が多数存在することから、あるいは余興として、刀の腕を見せつけていたのではないかと考える人々も存在する。


また、日本刀を贈ることについて、ロシアでは鋭い物を贈ることは、家に不幸を持ち込むことになるとの言い伝えがあることから、ロシア側が日本刀を欲しがったということは事実ではなく、日本側の作り出した伝説に過ぎないという反論も存在する。


だが、当時のロシア貴族の残した日記の中に、日本刀を欲しがる記述も散見されることから、不吉な言い伝えがあるものの、日本刀の持つ妖しい力に魅せられ、多くのロシア貴族が日本刀を欲しがったということは事実であったと見做されている。

また、ロシアでも、カフカス地方では、武器を贈るという伝統もあり、この当時の全てのロシア人が鋭い贈り物を禁忌と考えていたのではないとも主張されている。


もっとも、どんなにロシア貴族に頼まれても、刀は武士の魂と言って譲ることはなかったのだが。


いずれにせよ、寅次郎達の活躍で、東の果てに、強く礼儀正しい騎士の国があり、様々な美しい物を作る人々が住んでいると評判となり、その評判がロシア皇帝の耳に入り、ロシア皇帝との謁見が叶うこととなる。


ヨーロッパのジャポニズム(日本ブーム)はプリンス・ケーキが引き起こしたが、ロシアのジャポニズムは、トラとミトが引き起こしたと言われる由縁である。


この様にロシア視察は順調に進んでいるように思われていたが、ロシア視察団の多くの人々は知らない。


この頃、江戸が壊滅的な打撃を受けていることを。


日本を巡る過酷な運命は、まだまだ始まったばかりなのである。

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