第十二話 ロシア視察団の決断
ロシア皇帝ニコライ1世崩御の可能性について、実は海舟会の面々は既に平八から聞いていたことであった。
平八の夢では、クリミア戦争中にニコライ一世が崩御していたということを聞いていたからだ。
それが、クリミア戦争が終わるまで、ロシア視察の迎えが来ないと予想した理由にもなっていたのだ。
だが、残念ながら、平八は、いつ、どういう理由でニコライ一世が亡くなったかまでは覚えていなかった。
だから、佐久間象山はプチャーチン再来の報を聞いた時、手紙を書き、ニコライ一世が生きていた場合と死んでいた場合の策を吉田寅次郎と桂小五郎に与えていた。
まず、ニコライ1世存命中にサンクトペテルブルグに辿り着くことが出来れば、それが最善だろうと象山は考えていた。
病床を見舞うという形でも、ニコライ1世に日本のロシア視察団が謁見を果たすことが出来れば、
日本有利で交渉が進められる可能性が高い。
異国嫌いの水戸斉昭でも死の床にあるニコライ一世に同情を示すだろうから関係は良くなるだろうし、ロシア100年の悲願として、日本との交易を始めたがっているニコライ1世からならば譲歩を引き出すことも容易であろうと言うのが象山の想定だ。
だが、実際のところ、この見込み当たるはずがないものでしかなかった。
ニコライ1世はプチャーチンがサンクトペテルブルグを出てまもなく、この年の3月にインフルエンザをこじらせて亡くなってしまっっていたのだ。
つまり、プチャーチン提督が樺太に到着した時、ニコライ1世はこの世の人ではなかった。
従って、病床のニコライ1世に水戸斉昭が出会う可能性など最初からなかったのだ。
しかし、状況が期待通りに進まなくとも、二の矢、三の矢の対策を用意するのが優れた軍師である。
その点、自称地球で一番の天才である佐久間象山は、状況に応じた策を用意することを怠ることはなかった。
今、徳川斉昭の手元には、前ロシア皇帝ニコライ1世が署名をした条約文書がある。
その内容は、樺太や対馬を含む諸地域をロシアが日本の領土として認め、更に、ロシアは日本に武装して入ってこず、ロシアが日本に来た際は日本の法に従うことを条件として、日本は樺太でのみロシアと交易することを認めるというものである。
これは、現在、純軍事的には欧米列強に対抗する手段がない日本にとっては、是が非でも、確保して起きたい条件であった。
しかし、署名をしたのは崩御したニコライ1世であり、まだ日本側が同意せず発効していないことが問題となってくる。
そして、クリミア戦争は、平八の夢で見たところによると、後数年でロシアの敗北で終わるという。
ヨーロッパでのロシアの南下政策が失敗に終わるのだ。
そして、ヨーロッパでの南下政策に失敗したロシアは、極東アジアに目を向け、アジアの不凍港を確保する為に動き出すと言うのだ。
その様な状況になってしまえば、ロシア新皇帝アレクサンドル2世が、ニコライ1世の署名した条約を追認してくれるかさえわからない。
だからこそ、日本側は、早く新ロシア皇帝アレクサンドル2世と謁見し、条約を締結してしまう必要があるというのが象山の考えであった。
到着したモスクワで、ロシア視察団の一行はクレムリン宮殿へ案内され、そこでの滞在を許されていた。
これは、国賓として最高級の待遇である。
クレムリン宮殿は12世紀、日本で言う鎌倉時代に建てられた建造物に増築を重ね、何と約700年を掛けて作られた巨大建造物である。
そこは、一部は儀式として使われ、一部は皇帝の住居として使われ、ナポレオン戦争の時には砦としても使われて破損したところ、10年前に大規模修繕したばかりの荘厳な建物である。
異人を野蛮人と見下す水戸学の人間であっても、もう認めない訳にはいかなかった。
シベリアを移動中、建物も人口も少ない大森林を移動中は、ロシアを領土と軍事力だけ突出した野蛮人の国と見做すことも出来ただろう。
だが、プチャーチン提督は武士として見ても尊重出来るほどの戦績と教養を持つひとかどの人物。
彼の存在は、ロシア人を見下すことを困難にしていった。
もちろん、プチャーチン提督を特別な人物で他はたいしたことがないと思い込むことも出来ただろう。
だが、西に近づくにつれ、ロシアを見下すことはどんどん困難になっていく。
みすぼらしかった建物は巨大に美しくなり、
到着したモスクワの光景を見て蛮族の街などと言える者は一人もいなくなっていったのだ。
そして、今、彼らが滞在するクレムリン宮殿。
大理石や孔雀石、花崗岩などの諸石材が装飾された荘厳で巨大な美しい城。
その美しさ、規模、豪華さを見て、ロシアを野蛮と侮れる者など、もはや誰もいなかった。
そして、滞在を許されたクレムリン宮殿でロシア視察団は待たされることとなる。
プチャーチン提督は、目に見えて落胆しているのがわかり、斉昭らは同情したくなった程である。
主君に会わせる為に客人を連れて来たにも拘わらず主君が急逝してしまっていたのだ。
ニコライ1世は、冷徹な専制君主であり、戴冠直後に反乱を起こされた経験があったことから、秘密警察を駆使し、猜疑心も強かったと言われるが、プチャーチン提督にとっては、約30年間にわたり忠誠を尽くしてきた主君である。
その最後の望みを叶えられなかったのだ。
その落胆はどれほどの物であろうか。
それでも、プチャーチン提督は、モスクワから首都サンクトペテルブルクに使者を立て、新皇帝アレクサンドル2世の指示を仰ぐこととしていた。
これに対して、斉昭らロシア視察団は時間稼ぎも目的の一つであったことから、このまま、ロシア皇帝交代の混乱の中で、時間を稼いで、モスクワに滞在し、その情勢を探ることも悪くはないと考え始めていた。
その方針を変更させようとするのが、吉田寅次郎である。
寅次郎は通訳の為に、斉昭の馬車に同乗してきたが、本来は斉昭と口を聞ける様な身分ではない。
長州に戻れば、長州の軍事顧問として、また藩主毛利敬親の軍学の師として、堂々と意見を言える立場ではあるが、今は視察団に入り、身分を捨てている身。
理屈としては、隠居して視察団に参加している斉昭とも身分は変わらないはずではあるが、畏れ多くて諫言など出来ないというのが、この時代の人々の通常の感覚である。
だが、寅次郎は正しいと信じれば身分、立場に関係なく、猪突猛進し、説得出来ると信じる男であった。
「今は攻めるべき時です。手をこまねいていては、勝機を逃すのであります」
視察団に与えられた応接室で、斉昭らがロシア皇帝が崩御したなら、喪に服する間は放置し、時間を稼ごうとの結論に達しようとしたところで、寅次郎が口を挟む。
相談をしていたのは、斉昭、東湖、松前崇広らであって、寅次郎の身分を考えれば同席させて貰えるだけでも畏れ多い様な状況。
まして、そこで発言するだけでなく、決まりかけた決断に意見するなど、あってはならない暴挙。
だか、斉昭らは不快感を示すことなく、その発言に興味を示す。
師である佐久間象山と異なり、寅次郎は友人が多く、上役であろうと生徒であろうと多くの人を惹き付ける才が寅次郎にはあった。
そして、その才は樺太で共に過ごしてきた東湖ら水戸藩士にも、半年ほど同じ馬車で移動してきた斉昭にも発揮されていたのだ。
「勝機とはなんじゃ。
もともと、このロシア視察は敵情を視察し、ぶらかす(時間を稼ぐ)ことが目的であったはず。
何をもって勝機と呼ぶのじゃ」
「恐れながら、斉昭様はもう理解されているはずでございます。
ロシアという国の力、決して侮れないものであると」
「それはわかっておる。
広大な領土、驚くほど多数の精強なる軍、この街や城を見れば判る高度な技術。
これを見て、侮るほど、ワシの眼は節穴ではないわ」
「ならばこそ、勝機を逃してはならないのであります。
ロシアは我が国よりも強い。脅威であります。
そのような状況で、我らには
これは好機。
この書状を新たなロシア皇帝にも追認させ、我が国の領土を守るのであります」
寅次郎がそう言うと、斉昭は腕を組み、渋面をする。
「確かに、我が国の領土を守ることは出来るだろう。
だが、代わりに樺太で交易を始めねばならぬのだぞ。
ロシア皇帝が署名した書状は既にあるのだ。
焦らずとも、時を稼ぎ、数年後に書状を交わしても良いのではないか」
水戸学の異国蔑視は幼い頃から叩き込ませた水戸藩士の価値観である。
実際にロシアが侮れない相手であることが理解出来て、交易で、その技術を取り入れる必要があると解っても、感情的には、なるべく異国と付き合いたくないという本音が斉昭達にはあるのだ。
そして、そのような本音があることを、象山から聞かされている寅次郎は怯まず追及する。
「確かに、250年の江戸幕府の祖法を破り、交易を始めることを躊躇われることは理解出来ます。
あるいは、斉昭様は、そのことにより、非難を受けるやもしれません。
ですが、この機を逃して、新たなロシア皇帝が、前皇帝の書状を認めなくなれば、如何なさるおつもりか」
寅次郎の迫力に斉昭がたじろぐと、東湖が寅次郎を嗜める。
「こら、寅、言葉が過ぎるぞ。斉昭様は、他の者の非難など恐れて、躊躇されるような方ではない」
「勿論であります。
斉昭様は、真の英雄。
誹謗中傷を恐れるような方でないことは存じております。
だからこそ、迂闊にロシア人を信用することなく、勝てる時に勝っておくべきだと申しているのです」
「ロシア人を信用するな?どういうことじゃ?」
斉昭が訝しげに聞くと寅次郎が答える。
「確かに、プチャーチン提督は立派な方であります。
ですが、全てのロシア人がプチャーチン提督の様であると考えるべきではございません。
また、我らにとって、先代の遺志を継ぐことは重要でありますが、ロシア人にとっては、そうとは限らないのであります」
そう言われて斉昭は驚く。
彼の価値観から考えれば、先代の悲願を達成することなど、常識中の常識。道徳の基本中の基本だ。
ロシア人は、その様な道理も弁えぬ禽獣であったのか。
「まことか?松前殿」
そこで、斉昭は西洋通である松前崇広に確認を取る。
「彼らには、彼らの法があり、徳がある様ですが、確かに先代の遺志を継ぐことを重大な事とは見なしていない可能性はありますな」
そう言われて、斉昭は身震いする。
常識が全く違う。
斉昭は、先代君主の遺志ならば、何年経とうと、当然畏れ入って受け入れるものだと思っていた。
だが、ロシア人にその様な常識はないというのだ。
先代君主の遺志であろうが、踏みにじる可能性があると言うのだ。
「何と、野蛮な。プチャーチン殿を見て見直したが、やはり異人は禽獣じゃな」
斉昭が呟くと松前崇広が訂正する。
「彼らは、我らと異なるというだけ。
彼らには、彼らの法と徳があるのですよ。
だから、言葉にし、書状にして、合意を形にする必要がある。
彼らは、明示的に合意された約束事ならば、簡単には覆しませんからな」
そう言われて、斉昭は考え込んでから、尋ねる。
「だか、どうやって、新しい皇帝とやらに会いに行き、同意を取り付ける?
前皇帝が身罷かられたならば、喪に服しているところであろう。
その様なところに、どうやって行って、領土や交易の話をしろと言うのじゃ」
斉昭が尋ねると東湖も頷く。
ニコライ1世の訃報に際し、プチャーチン提督は落胆し、その後の対応を首都に確認している最中だ。
そんな中で、領土や商いの話をするなど、非礼にも程があるではないか。
実際のところ、アメリカのペリーなどは徳川将軍が死んでも関係なく、条約締結を迫ってきたが、斉昭達は、そんな無礼なことをやりたくもないのだ。
それに対し、寅次郎が自信たっぷりに答える。
「ロシア皇帝ニコライ1世殿の弔問を申し出るのです。
彼の方は、我らとの交易を悲願とされていたと聞き及びます。
ならば、墓前に花を手向け、故人の遺志を叶える事こそ、最上の敬意を示すことになるかと」
そう言われて、斉昭は考え込み、尋ねる。
「それで、故人の遺志を慰める為に、合意を交わすよう迫れと申すか」
言われて寅次郎は頷く。
「松前殿、どうだ。この行動はロシア人の目から見て、非礼には当たらぬか」
「さて、
少なくとも、ロシア人に儒教の様に何年も喪に服すという習慣はないはず。
ならば、プチャーチン提督に聞いてみても良いのではないでしょうか。
亡き主君の墓前に会いたがっていた水戸様が行かれることは、あるいは喜ばれるやもしれません」
その言葉に斉昭は頷くと、東湖に尋ねる。
「そうか。お主はどう思う?」
「もし、弔問に行ぐのならば、最大限の敬意を示す必要があっぺな」
東湖がそう言うと寅次郎が声を挙げる。
「斉昭様が弔問に行き、ロシアと条約を交わすことで、国に帰れば非難されるかもしれません。
ですが、我らは、日本人の誇りをロシア人に見せつけてやろうではありませんか。
誰にも理解されずとも、我らは日ノ本を守る為に、条約を交わすのです。
英雄である斉昭様ならば、恐れるものなど、何もないはずであります」
そう言われて、斉昭は高揚する。
日ノ本を異人から守る為に命を懸ける。
これこそ、武士の本懐ではないか。
「無論だ。弔問に行くことをプチャーチン提督に提案に行こう。
わしに会いたがっていたニコライとやらの墓前に会いに行ってやろうではないか」
斉昭達が高揚する中、松前崇広は失笑を堪えるのに苦労する。
ロシアと条約を結んだとして、水戸藩の人間以上に非難する人間が日本の何処にいると言うのだ。
本来、条約締結に反対するはずの人間を条約締結する立場に追い込んだのは、この吉田寅次郎か、それとも、その背後にいる師だという佐久間象山か、あるいは老中筆頭の阿部正弘か。
松前崇広は、この事態を引き起こしている人物に興味を持ち始めていた。
そして、斉昭がプチャーチンにニコライ1世の弔問を申し出ると、プチャーチンは主君の最後の望みを果たせると非常に喜び、サンクトペテルブルグ行きを進めることとなる。
こうして、日本の侍が、ロシア社交界に降臨することとなるのであった。
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