第十話 同床異夢の遣米視察団

1855年、この年、初めてアメリカを公式に訪問した人々は様々な思惑を持った者の集まりであり、団体としてのまとまりに欠けた集団であったと言われる。

この点、水戸藩が中心となってロシアに行った遣露視察団とは大きく異なる。


勿論、公式の目標として、幕府として挙げられていた目標は存在する。


第一は、文字通りアメリカの視察。

アメリカの国力、人口、組織、経済力などを見定めること。

日本がまともに戦っても勝ち目のない蒸気船を送り込んだアメリカという国の軍事力は?

蒸気船や銃、大筒などの技術は、日本に持ち込めないのか?

交易を求めてきたようではあるが、交易をする価値はあるのか?

何が売れるのか、何が求められているのか?

そもそも、交易をして、本当に日本の為になるのか。儲かるのか?

アメリカという国の力の源はどこにあるのか?

それらを調べること。


第二は、時間稼ぎ。

今の日本は、欧米列強が本気で侵略しようと思えば簡単に防ぐことは出来ない程度の軍事力しかない。

幸い、目の前に日本以上に資源も人口も豊富な清という獲物がいるおかげで、すぐに侵略してくることはないかもしれない。

また、日本は土地が少なく資源も少ないのに、人口が豊富で激しい抵抗が予想出来るので、侵略する価値が低いのかもしれない。

だから、日本侵略の危険性は低いのかもしれない。

でも、帝国主義で欧米列強が世界を植民地として分割している状況において、無防備のまま日本を放置することなど出来るはずがなかった。


そこで、選んだのが時間稼ぎ。

欧米列強に、まだ日本を侵略する必要がないと思わせる為に交流を行って時間を稼ぎ、その間に交易で儲け、欧米列強の技術を導入することを目指す。

これらの目的は水戸学による攘夷思想が蔓延している日本でも広く認められやすいものであった。


だが、この様に公式の目的を期待されながらも、視察団参加者はそれぞれの目的を持って行動していたと言われている。


米国視察の間に、徳川家の権力を維持する方法を探ろうとする井伊直弼、小栗忠順のグループ。

彼らは表向きの目的とは別に、アメリカ国内に徳川の味方を作れないかを探していたと言われる。


そして、彼らが船室で相談している頃、彼らから大分離れたところで、船酔いで甲板から戻している勝とその背中を撫でる福沢諭吉の姿があった。


「大丈夫でっか?ほんまにどれだけ船に弱いんですか?今日はええ天気で、船も全然揺れてへんやないですか」


福沢諭吉が大阪弁で勝に聞く。

諭吉は、九州の中津藩出身ではあるが、父親が大阪蔵屋敷勤めであった為、言葉、服装に大阪の影響が強く、身分制度の厳しい中津藩に馴染めない男でもあった。


「しょうがねぇだろ。オイラ、ガキの時に犬に金玉片っぽ食われて平衡が取りにくいんだ」


「そないなの船酔いには関係あらへんねん。船に弱いなら、視察団なんかに参加せなええのに」


「オイラも長崎に行くまでは船に乗ったことがないから知らなかったんだよ。

自分がこんなに船に弱ぇーとはな。

おかげで、船が大好きだってのに、海軍に入るのは諦めたってーのに」


「そんなん当たり前やで。こないな船酔いする様な奴の船になんざ、誰も乗りたないわ」


諭吉は船に酔いにくい体質だったようで、平八の夢では、咸臨丸の船長でありながら、嵐の中で、船酔いに苦しんで操船の指揮を取れなかった勝を理解出来なかったのか、生涯勝を軽侮していたと言われる。

だが、今回の勝は船長ではなく、諭吉と共にアメリカに渡り、様々なことを学ぼうとする仲間。

そして、諭吉は体調の悪い仲間を見捨てるような情の薄い男ではなかった。

諭吉に背中を撫でられながら、勝が呟く。


「オイラには、アメリカでやらなきゃいけねぇことがあるんだよ。

今の日ノ本を異国から守る為には、異国でやらなきゃいけねぇことが山ほどあるんだ」


「そら、ご苦労様ですな。ですけど、特使のアダムス様は立派な人でっせ」


「アダムス様が立派だったとしても、今の地球は戦国時代みてぇなものさ。

今の地球はアメリカを含んだ異人の国に、切り分けられている最中なんだぜ。

このままにしておいていいはずがねぇだろ」


「そら、そうですけど、せやったら異国に行くより先に、

身分に拘って、無能な奴らを上にせえへんのが一番とちゃいますか」


勝と会ってそんなに時間も経っていないが、お調子者で意地っ張りである勝の人格を理解した諭吉は、まともな幕府関係者には決して言ってはいけない様なことをアッサリと言ってのける。


実際、平八の夢で勝は咸臨丸から帰った時の報告で、

『アメリカで身分の高い人は、皆相応に頭の良い人であったことが、我が国とはまったく違っておりました』

と老中に言ってしまう様な男。

身分だけで地位を得ている連中に諭吉が怒りを覚えていることもよく理解出来ていた。


平八の夢では、決して交わることのなかった二人の男が同じ方向に向けて動き出すことになっていく。


****************


そして、その頃、ポーハタン号二世号から離れた海をジョン・ブルック艦長が指揮する咸臨丸が進む。

ポーハタン号二世号と咸臨丸は、共にアメリカに向かう視察団ではあるが、艦隊を組んでまとめてアメリカに進んではいない。

咸臨丸は海軍操練所の遠洋航海訓練も兼ねていたので、ジョン・ブルック大尉が艦長であり、アメリカ海兵隊員が多く乗り込んではいても、主に操舵を行うのは海軍操練所の日本人であった。

その為、航海に不慣れな咸臨丸とポーハタン号二世号の距離は徐々に開いていき、今ではお互いの位置が視認できない程に離れている。


とはいうものの、平八の夢よりも5年も早くアメリカに向かう遣米視察団は、出発時期も良かったのか、史実と異なり嵐に遭うこともなく、順調に進んで行く。


平穏な航海の中、ブルック大尉は日本人の訓練を一通り終えると、いつも通り咸臨丸の機関室へと向かう。

そこには、機関室で動く蒸気機関を眺める田中久重が待つ。


「お待たせしましたかな?」


「いいえ。たいして、待ってはおりません」


たどたどしい英語で久重が答える。

さすがに天才の久重でも、50歳過ぎてから英語を一から習得することは困難であったのだ。

そこで、これまでは、ブルックと久重の会話の通訳は渋沢栄二郎(栄一)が行っていたが、渋沢は遣欧視察団に参加することになった為、二人の間に通訳が参加することは少ない。

だが、それでも、技術のこととなると身振り手振りや、図面などの筆談で交流は可能であり、技術的専門用語の翻訳が難しかったことから、通訳がいないことに二人は不自由を感じていなかった。


「しかし、ヒサは蒸気機関を見るのが好きですね」


「はい。自分が作った物が、順調に動き続ける。目で見て、音を聞いているだけで、全く飽きません」


その気持ちをよく理解出来るブルック大尉は満面の笑みを浮かべて頷く。


「その気持ちはよくわかりますが、私の時間も限られています。

甲鉄船の設計に戻ることにしましょう。一つ新しいアイデアを思い付いたのです。

ヒサの意見を聞かせて下さい」


その言葉を聞いて、久重は嬉しそうに目を輝かせる。

海軍操練所でポーハタン号二世号の再建と咸臨丸の建造命令を実行し、蒸気船の作り方を久重だけでなく、久重の弟子たちも蒸気船建造方法を習得すると、次に幕府から下った命令は、まだ地球上の何処にも存在しない鉄で出来た軍艦を建造することであった。


地球のどこにもない船を作り上げる。

伝説では織田信長公が、鉄板を張った鉄甲船を作ったという存在もあるが、全て鉄で出来た船など、前代未聞。

技術者、発明家であるブルックと久重の心を掴むには十分の存在であった。


こうして、本来の歴史では6年後に史上初の装甲艦を作り上げるブルック大尉と田中久重は国籍も人種も超え、技術者として、互いの知恵を分け合い、その力を磨くことになっていく。


そして、夜になり、操船訓練が終わると、航海訓練をしていた龍馬、万次郎に加えて西郷吉之助が交流を深める。


「そうすっと、坂本どんは、商売ん為にアメリカに行っとな」


「そうじゃ。アメリカと交易を始めるにしても、儲からんと意味がないきな。

その為には、まずアメリカではどんなものが、なんぼくらいで売れるか知らんと」


実際のところ、ポーハタン号二世号には、小栗忠順のお供として、三井財閥中興の祖となるはずの三野村利左衛門も、アメリカの交易条件調査の為に乗り込んでいる。

その為、縄張り意識を考えれば、他の者が調査などするべきではないのだが、正確な情報は多角的に見なければわからないという象山の薫陶もあり、龍馬自身、儲け話を他人に独占させるつもりはなかった。


「それで、西郷様は、どうしてアメリカまで行かれるのですか」


万次郎が聞くと西郷が答える。


「おいはでくのぼうじゃっで、ないもわかりもはん。

ただ、斉彬さぁが、異国にも目を向け、地球ん様子を知って来えと仰っで、参加しただけじゃ」


「そうやな。知ることはええことだ。勝さんから、未来の話も聞いたんやろ。

今、日ノ本は一丸となって異国に立ち向かわんとならん状況なんやき。

アメリカに行って、自分が何をするべきか、考えてみるがええさ」


龍馬は警戒心のない赤子の様な笑顔で笑い、西郷の肩を叩く。


この様に遣米視察団は、様々な思いを胸に、これから6年後に南北戦争という内戦を起こすアメリカという国を目指すこととなる。


そんな中、半年前に樺太を立った遣露視察団は、モスクワで驚愕の情報に遭遇することとなる。

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