第八話 欧州よりの招き
八月、父島に欧州視察の為のオランダ船が到着したとの連絡が入る。
最初、オランダ船は長崎に到着し、そこから父島に向かった様なのだが、長崎到着の知らせが江戸に届く前に、オランダ船は父島に到着し、父島到着の知らせが先に江戸に届いてしまったのだ。
それは、幕府の通信網の脆弱性を示すものであり、もし西洋列強が攻め込んできた場合、幕府が反撃する為の兵を送ろうとしても、連絡が届く前に、別の場所が攻められることを示していた。
それを理解出来る阿部正弘などを背筋を凍らせることになるが、幕閣のほとんどの連中はその様なことも理解出来ないでいた。
平八の夢で見た世界線において、オランダが視察団受け入れの為の船を出したという事実はない。
これから7年後のオランダへの留学生の受け入れでさえ、オランダは長崎から留学生を小型商船に乗せて、
オランダ植民地バタヴィア(ジャカルタ)まで移動し、その後、大型船に乗り換えさせて、オランダまで連れて行った程なのだ。
それが、今回は地位の高い者が視察団を率いて行くと伝えてあるから、オランダ側も船を用意したのか。
加えて、ロシア、アメリカから視察の迎えが来ていることも大きいだろう。
海軍操練所を作り、幕府との関係を強化しようと思ったにもかかわらず、父島には大破したポーハタン号の乗員たちがいて、既に英語を教え、造船技術、操船技術まで教えていたのだ。
オランダの焦りはどれほどのものだろう。
そういう状況の中、オランダ視察に行くことは利点が大きい。
今のオランダと日本の交易条件が変わることはないだろうが、他国より日本との関係を有利にする為にも、情報提供や教官役の提供ならば進んで行ってくれることが期待出来る。
ただ、問題なのは、昨年9月に交渉したイギリスから、まだ返事が来ていないということだ。
クリミア戦争真っ最中のイギリスが、極東の小さな島国の視察団など受け入れる余裕がなかったということなのか。
それとも、まだ交渉の結果すらイギリス側に届いていないのか。
せっかく、欧州まで行くのだから、日本としては、訪問するならオランダだけでなく、イギリスとフランスにも訪問しておきたいところだ。
そこで、これからオランダ視察団団長を務める徳川慶喜らと阿部正弘ら幕閣及び、井伊直弼、島津斉彬らで協議が行われることとなった。
「別に出発を急ぐ必要はないでしょう。
一橋様がわざわざオランダまで行ったのに、そこでイギリスやフランスに追い返され、日ノ本に帰らねばならないことになれば、日ノ本の面目が立ちません。
イギリスからの返事が来るまで待ってから、出発すればよろしいかと」
水戸藩とそれに連なる者になるべく異国と接触をさせたくない井伊直弼が慎重論を述べる。
「そうだな、
確かに、地球の裏側まで行って追い返されるのでは行った甲斐はないか。
だが、そうすると、オランダの迎えの船をいつまで待たせる?
待っている間に、わしが征夷大将軍になってしまえば、さすがに簡単に行けなくなるぞ」
慶喜が皮肉気に口元を歪めて話すと直弼が目に見えて動揺する。
「一橋様は、家督を返上され、征夷大将軍になるつもりはないと伺っておりますが」
「まあ、わしは征夷大将軍になりたいという気持ちはないがな。
わしに征夷大将軍になって欲しいという者はまだおるのだ。
そして、家督を正式に返上するのは、わしが異国視察に出るときだ。
わしとしては、家督返上すると決めた以上は、とっとと返上したいのだがな。
その間、楽をしようと思うていたら、今は代わりに一橋家の家督を継ぐ者がいないから、わしがいるなら働けと言われてのう」
直弼が動揺する様子を楽しむように眺めながら、慶喜が続ける。
「だから、わしは、まだ征夷大将軍候補から外れている訳ではないのじゃ。
親父殿がロシアに向かったから、わしを支持する者が減ったと思うているかもしれんが、大奥に嫌われておる親父がいなくなった方が、都合のいいこともあってのう」
これは本当のことである。
水戸藩の男たちには厚く支持されていた斉昭であったが、大奥には蛇蝎の如く嫌われていたのである。
その為、慶喜の征夷大将軍就任に悪影響があったと噂される位の水準で。
これは、斉昭の女癖が悪かったことに加え、大奥の経費削減を強く主張したことが原因とも言われている。
その様に、慶喜就任に悪影響を及ぼす斉昭がロシアに行き、斉昭と大奥との接触が減ったことが、少なからず慶喜に有利に展開する方向性が見えてきていたのである。
「繰り返し申すが、わしは征夷大将軍の地位など望んではおらぬ。
わしが気にするのは、異国から、この国を守ることが第一。
将軍の地位を巡って、日ノ本の中で下らぬ争いなど起こしたくはないからのう」
井伊直弼は紀伊藩藩主徳川慶福を次期征夷大将軍に押す南紀派と呼ばれることになる派閥の中心人物である。
そのことを匂わせながら、自分は天下万民の為に動き、私利私欲などないとアピールして見せた訳だ。
とても18歳やそこらの青年とは思えない胆力と知力。
東照大権現の再来と噂されるのも納得だなと島津斉彬は考える。
「そういうことであるから、わしはオランダに向かっておいた方が良いと思うのだ。
異国視察の目的は、異国の様子を探ること。
それならば、オランダに行くまでの間、異人共が支配している国を見て回ることも視察の役に立つだろう。
オランダ訪問だけで、イギリスに追い返されるのでは面目が立たぬというならば、オランダに滞在し、ゆっくり学びながら待てば良い。
お前も、わしが日ノ本を離れていた方が都合が良いのであろう?」
その方が仕事もせずに、異国でノンビリ出来るという本音を隠して、慶喜は直弼に問いかける。
「い、いえ、その一橋様が日ノ本を離れていた方が良いなどという事は」
井伊直弼がしどろもどろになると、慶喜が畳みかける。
「なんだ。掃部は慶福を将軍にしたがっていると思っていたが違うのか?
わしが残って征夷大将軍になった方が良いのか?」
「い、いや、その、私如きが、次の征夷大将軍のことについて話すことは僭越でございますれば。
少なくとも、一橋様の様な英才が日ノ本を長く離れることは、国の損失でございますので」
直弼が返事に窮するのを見て、阿部正弘が助け舟を出す。
「一橋様、井伊様も決して、一橋様を蔑ろにしている訳ではございません。
仰せの通り、一橋様にはオランダ視察に行って頂くとして、オランダに1年滞在してもイギリスに行ける見込みがないならば、帰ってきて頂くのは如何でしょう」
阿部正弘がそう言って、慶喜を見ると、慶喜は直弼を見て確認する。
「ということだが、どうだ、掃部。わしはオランダに行って1年で帰ってきても構わぬか」
「お、恐れ入ります」
「そうか。構わぬか。
だが、戻ったところで、家督を返上したわしが日ノ本の為に出来ることなどあるかのう」
慶喜は困ったように呟くと、島津斉彬が提案する。
「それでは、戻られたら国防軍の指揮官をやって頂いては如何ですか?
一橋様が日ノ本のことを第一と考え、野心をお持ちでないことは、よくわかりました。
一方、国防軍は、
それならば、異国に行き、その脅威を知った慶喜様に国防軍に入って頂き、国防軍を率い、
仇敵島津の提案に直弼は反射的に反対しかけるが、反対する明確な理由がないことに気が付く。
一橋慶喜が家督を返上した上で、異国に行き、日本に帰って来た場合、
何処かの家督を継ぎなおしても良いとしてしまえば、藩や家を捨てさせた意味がなくなってしまう。
となれば、異国視察団に参加した者が戻った際は、国防軍がその受け皿となり、視察団長が国防軍の指揮官になることを認めるなら、井伊直弼自身にも指揮官になるという道が開けるのだ。
正直、島津などの外様大名が異国に視察した後に、国防軍の指揮官になるのは反対だ。
幕府に叛旗を翻す恐れがあり、信用出来ない。
だが、御三家である水戸家や、御三卿である一橋家を信用出来ないとは公言出来ないことだ。
直弼がそんな風に考えているところ、阿部正弘が確認をする。
「この様なご提案がありましたが、ご意見のある方はいらっしゃいますか?」
その言葉に反対する者はおらず、慶喜が声を出す。
「わしも反対はせぬが、それでは、オランダ行きも問題ないか。
オランダ行きに際し、注意すべき点は何かないか」
慶喜がそう言うと、この中で一番の西洋通である島津斉彬に皆の目が向く。
「そうですな。まずは、ヨーロッパに行きますれば、少しでも多くの知己をお作り下さい。
水戸学においては、異国は穢れであり、敵なのやもしれません。
しかし、日ノ本一国で、全ての異国を敵に回しては、決して生き残れません。
敵の中に味方を作り、異国を団結させないことが肝要かと」
「ふん、親父殿が聞けば、怒鳴りそうなことではあるが、道理じゃな。
他に、何かあるか?」
「もし、イギリスやフランスが交易を望んだとしたら、他国の交易条件と比較した上で、交易を許可するならば対馬で行うとお伝えください」
「長崎ではなく、新たに対馬を開港するというのか?」
「対馬は
そうであるならば、樺太同様、異国に対馬の領有を認めさせた上で、武器の持ち込みを禁じ、交易をするのが一番であるかと」
「だが、対馬は対馬藩の領地であるぞ」
慶喜がそう言うと、阿部正弘が考えて答える。
「かつて日朝貿易で豊かであった対馬も、朝鮮人参と木綿の国産化の成功で、財政的にも困窮していると申します。
ならば、より豊かな地に転封した上で、対馬に海軍基地を作り上げると言えば」
「対馬藩も飲むかもしれぬという事か」
実際、平八の夢では対馬はロシア軍艦に居座られ、奪われそうになったこともあるのだ。
その時のロシアの雑な対応の所為で、攘夷の気風が爆発し、攘夷侍の巣窟の様になったという問題もある。
それならば、最初から対馬を幕府の支配地域として確立しておく方が良いと考えたのだ。
慶喜は考えた後に続ける。
「いや、あるいは対馬藩を転封せずとも、海軍基地を作る場所と交易する場所を提供させる代わりに、参勤交代で免除する予算の支払いを免除してやれば良いのではないか。
幕府の力の強い時代であるならば、幕府の意向だけで藩の転封も、取り潰しも自由であったろう。
だが、今は日ノ本が一丸となって異国に立ち向かわねばならない状況。
可能な限り、反感を買うようなことは避ける必要があり、その点、慶喜の提案は一考の余地があった。
「畏まりました。それでは、対馬藩に使者を送り、幕府よりの提案として、転封か、海軍基地と交易所との共存かを選ばせることといたします」
「うむ、頼む。それで、他に気を付けておくべきことはないか」
慶喜が聞くと斉彬が答える。
「他には、供で連れていく者には、なるべく幅広く、最新の技術、制度を学ばせるようして下さい。
そして、その技術、制度を日ノ本に持ち帰って頂く。それが、異国を撃退する力となりますからな」
「供がどうするかについては、
「いえ、ございません」
島津斉彬がそう答えると、慶喜が頷く。
「そうか。他の者もないな。では、わしはオランダへ向かうことにする。
供の者の選考は頼むぞ。決まったら、わしに報告せい」
こうして、1855年9月一橋慶喜を団長とする遣欧視察団が日本を離れることになる。
慶喜は側近として、元からの側近、中根長十郎、平岡円四郎、原市之進らを連れていくが、それ以外の供の選択は、阿部正弘に任せた為、阿部正弘は各国に配る土産物を慶喜に渡した上で、国防軍に参加していた者の中から、海兵兼護衛として、近藤勇、土方歳三、榎本釜次郎(武揚)、異国の技術・制度を習得する為として、
この遣欧視察団を率いるプリンス・ケーキ(一橋慶喜)がヨーロッパに最初の日本ブームを引きおこすことになるのである。
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