第七話 国防軍陸軍軍備増強中

梅雨がやって来たところ、アッシは村田蔵六(大村益次郎)先生の下に急ぐ。

本日は国防軍陸軍の演習を高島平で行うというので、その見学を兼ねてと、村田先生の上申書への回答を持っていく為でございます。

既に、父島ではポーハタン号2世号が完成し、蒸気船を使った航海練習をしているらしいので、そっちも見に行きたくはあるのですが。

約1年余りで、村田さんの率いる国防軍陸軍がどんな状況になっているのか、確認しておけとの指示が象山先生より出されておりまして。

それで、アッシが高島平に向かったのでございます。


「村田先生、暑くなってまいりましたな」


「夏が暑いのは当たり前であります」


アッシが挨拶をすると村田先生は仏頂面でそう答える。

これで不機嫌とかいう訳ではなく、通常の状況なんだよな、この人にとっては。

実家は村医者だったと聞くけど、絶対医者には向いてないよな。


象山先生も合理の人だけど、村田先生は更にそれを突き詰めたような感じがある。

物理とか、数式に美しさを感じ、一人で宇和島藩を近代化をさせた手腕を考えると、異国に視察に行って貰い、蒸気船製造とかにも参加して貰った方が良いかもしれないと考えるんですがね。


この人も、間違いなく天才なんですよ。

それも、異国に行かず、異人の教師を持たずに、自力で日本を進めることが出来る水準の。

象山先生を始め、この時代に天才って多いんだけれど、異人の教師に付かずに、戦略を理解して、軍を動かし勝てる天才というと、この人位しかいない。

戦術的な天才は、他にも結構いるんですけれどね。

もしかすると、日本人という民族は、与えられた条件で戦う戦術を考えることは得意だけれど、最初から状況を作り出す戦略を考えるのが苦手なのかもしれませんね。


で、その苦手なことが出来る、日本人の枠を何処か踏み外した象山先生が政略・戦略を組み、更に陸軍では村田先生が戦略、戦術を組む。

村田先生には不本意かもしれないけれど、異国の侵略を防ぐ為には、陸軍は、戦略と戦術を理解している村田先生に任せるのが一番そうなのである。


「そうでしたな。本日は佐久間象山先生の言い付けで、演習の見学と村田先生の上申書への返事を持って参りました」


「そうですか。では、回答を拝見してもよろしいですか」


村田先生がそう仰るので、アッシは懐から上申書への回答を出して目を通す。

回答を見ても、顔色も変わらないから、何を考えているかわからない。

だけど、国防軍陸軍の指揮は、この人にお願いしているから、上の方針に不満を持たれたままでは困るのだけど。

読み終わって暫くすると、村田先生がアッシに尋ねる。


「この回答について、問いただしたい事があるのですが、あなたはそれに答えることが出来ますか?

それとも、再び書面にした方がよろしいのでしょうか?」


「アッシでお答え出来ることならお答えしますが、わからないことは書面にして頂けますか?」


「当然でありますな。知らないことに答えられるはずはない。では、幾つか聞かせて頂きます。

まず、第一にどうして反射炉を小笠原にだけ作って、江戸に作らないのでありますか」


「それは、回答に書いてある通り、予算の都合の関係でございます。

まずは、異国視察団の装備を整えることが第一。

そこに予算を集中している為、反射炉の製造も小笠原、樺太に限定しているとのことでございます」


「なるほど。ですが、江戸にも作って頂いた方が大筒、砲弾の整備の為には良いのですが」


「あくまでも、秋に異国視察団が出発するまでの話です。

それが終われば、江戸にも反射炉を作る計画があると書いてあると思いますが」


「そうですか。では、何故、国防軍の演習が始まっても、火消しの訓練に時間を取るのでありますか?

火消しの訓練は、あくまで私が軍事関係の書物に一通り目を通し、訓練の方法の目安が付くまでの間、基礎的な体力をつける為に行っていたものであったはずであります。

私が、訓練予定を立てられる様になった今となっては、火消しの訓練など不要であると思われますが」


「それは、昨年の地震の被害を国防軍が随分と食い止めることが出来た為でございますよ。

ここに、そう書いてあると聞いております」


アッシは、この達筆な文字は読むことが出来ないので、聞いた内容をお伝えすることしか出来ないのですよ。


「確かに、役に立ったとは聞いておりますが、それは本業ではないはずです。

大きな地震など、そう滅多に起きるはずもありませんし、もう少し火消し訓練の時間を減らして欲しいのですが」


それが、もうすぐ起きるんですよ、江戸に大地震が。

アッシの夢の通りなら、今年の10月、後4か月で大地震が起きる。

そこでの死者は7000人以上。

火事も随分出ると聞いております。

地震で壊れる可能性が高いから反射炉の作成は地震が来るまで待って貰い、地震の被害を減らす為に、火消しの訓練をお願いしているんですけどね。


だけど、合理の人、村田先生にアッシの夢の話をしても信じて貰えるとはとても思えない。

まあ、未来の話なんかしなくても、論理的であれば、納得してくれるだろうし、自ら反乱を起こすような人ではないと思うから話さないということでもありますが。


「火消しの訓練にしても、いつまでもする訳ではないと思いますので、もう暫くお待ち下さい」


アッシがそう言うと村田先生は尋ねる。


「承知しました。それでは、待つことにしましょう。

では、最後に国民皆兵はいつ頃実現されるのでしょうか?

今回の国防軍招集は、それを見越してのものでしょう。

それは、私にもわかります。

そして、今回の招集では、幹部級の訓練が目的なのでしょう。

そうであるならば、いつまでに最低限のことを叩き込む必要があるのかを知っておきたい。

だから、国民皆兵に移る予定を聞かせて頂きたかったのですが」


そこは、正直難しくて、象山先生も頭を捻っているところではあるのですよ。

今回の地震や津波で家が流されたりして、仕事にあぶれた人たちを雇う方向で話は進んでいる。

それに、もうすぐ江戸で起きる地震で、家や店が焼かれ、仕事にあぶれる人間を吸収することも出来るでしょうけどね。


『国民皆兵』ともなると、日本中から人を集める必要が出てくる。

この時、各藩で訓練させると、結局、各藩の軍備増強に繋がってしまうから、訓練する兵は必ず江戸とか小笠原に集める必要がある。


でも、日本中から人を集めるとなると、農閑期だけで訓練を終わらせることは不可能だ。

とすると、各藩の農業や産業に影響を与えても構わない様、一定期間訓練を施す必要がある。

だけど、軍事訓練をやっている間、農作業や職人作業、商業の生産性が落ちるのは間違いないところで。

国を異人から守る為とはいえ、各藩の収入が減ることをどうやって不満を持たせず納得させることが出来るか。

その辺が、難しいところなんでございますよ。

だから、その辺は正直に伝える。


「国民皆兵がいつ実現するか、その要素の一つが村田先生が国防軍の訓練状況なのですよ。

国民皆兵と言っても、全ての民を戦うだけの兵にすることは出来ないことはおわかりでしょう。

そんなことをすれば、米を作る者がいなくなってしまいますからな」


アッシがそう言うと村田先生が頷くので、先を続ける。


「となれば、一定期間、本来の仕事を休ませ、その間に戦い方を訓練し、いざと言う時に武器を持って戦える兵とする必要があるということなのでございますよ。

西洋の武器を知らない者が、どれくらいの期間の訓練で戦えるようになるのか。

その為に、必要な武器はまだ揃っておらず、訓練に必要な期間も不明です。

だから、本日は村田先生に演習の状況を確認し、どれくらいの期間の訓練が必要であるかを確認する為に参ったのでございます」


「なるほど、納得いたしました。さすがは、佐久間先生ですな。

そうであるならば、訓練期間は2年は欲しいとお伝えください。

海軍については、もっと訓練期間が必要かもしれませんが、武器の扱いについては2年もあれば、基礎から叩き込むことが出来ますので、それまでに武器のご用意をお願いしたい」


「2年?たった2年で只の農民や町民を戦えるように出来るのですか?」


アッシが驚くと村田先生は仏頂面で答える。


「銃や大筒は、弓や刀と違い短期間で誰でも使えるようになるのですよ。

だから、訓練期間はそれほど必要ありません」


「昨年、象山先生がお願いしたと思いますが、既に西洋の兵学書に目は通されたのですか」


「大丈夫です。もう全て理解をしました。

ストラトギイ(戦略)は象山先生が整えて下さいましたので、私はタクチック(戦術)を練るだけで良い。

ストラトギイの基本は、敵よりも多くの兵を集め、補給を整えること。

タクチックの基本は、集めた兵を素早く、効率的、集中的に運用することです。

その為に、兵たちには、疲れず、素早く動いて、有利な攻撃地点を敵よりも早く確保する訓練が出来ています。

更に、小隊指揮を執る者として、既に長州の久坂玄瑞殿、越後長岡藩の河合継之助殿、土佐の岡田以蔵殿、薩摩の田中新兵衛殿、井上源三郎殿などにタクチックの講義も始めております」


さすがは村田先生だな。

1年の読書だけで戦略と戦術を理解し、有能な人間を見抜いている。

まあ、語学が出来る人間は、海軍伝習所に行っているはずだから、残った人は語学が出来なかった人ばかりなんだろうけれど。


「すると、本日の訓練は?」


「まず、江川先生が作られたという新型の砲弾の発射実験を行い、その性能の確認をします。

性能確認が終われば、すぐに移動距離、次の的の計算を行い、移動、照準、発射の訓練を繰り返します。

異国を相手に戦うことを想定する以上、相手の武器の方がこちらよりも優れていることを想定すべきです。

日ノ本を守る為には、海軍を充実させ、異国の船が攻撃出来ない体制を作り上げること。

それでも、我が国の海軍を突破されてしまった場合は、一か所に集まらず、可能ならば敵を包囲しながら、異国に攻撃される前に攻撃し、次に別の地点から、攻撃することでしょう」


村田先生の頭の中では、既に異国と戦う場合の状況が明確に想定出来ているようだ。

さすがは、戦闘の開始から終了までを予定通りに終わらせたという兵学者だな。


「そうすれば、異国を破り、日ノ本を守れるということでございますか」


アッシが感嘆してそう尋ねると村田先生が不思議そうな顔で言う。


「何を言っているのです。異国の戦力も解らないのに、勝てるなどと言えるはずがないではありませんか。

その為の異国視察でしょう」


ああ、そうだよな、この人はこういう人だった。

論理に忠実で、感情的になって大言壮語などは絶対に言わない人だ。

アッシが訓練の状況を確認し、上に報告すると言っているのに。

何の忖度もせず、淡々と事実を言えるというこの神経ってどうなっているんだろうね。


「まあ、ストラトギイで考えれば、日ノ本と異国の国力の差は明らかです。

運良く目先の戦闘に勝てても、結局負けることになるでしょう」


そして、こんなことを堂々と江戸で話せる指揮官も、この人だけだろうな。


「それでは、この様な訓練は無駄だと仰るのですか。この国防軍の強さはどの程度の物なのですか?」


アッシが聞くと村田先生はすぐに答える。


「無駄ではありません。

その為に、佐久間先生たちが時間を稼ぎ、日ノ本を変え、国力を上げようとされているのでしょう。

国防軍の強さについては、今日の発射実験をやってみなければわかりません。

ですが、私が知っている限り、日ノ本の中なら、どの勢力、どの藩と戦おうと負けることはないでしょう」


村田先生が明日の天気を占うかの様に気負うことなく、冷静に答える。


そして、この日の砲弾発射実験で、江川先生の発明した椎の実型爆裂団は、アメリカから貰った砲弾よりも遠くに飛んで、的に当て全て着弾時に不発弾なしで全て爆発するという驚くべき結果を残した。


論理と合理の鬼、無愛想な村医者、村田蔵六の下で、日本陸軍が動き出す。

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