第六話 ポーハタン号2世号完成

ロシア視察団が出発した一か月後、予定通り、ポーハタン号2世号が完成し、航海実験が行われる。


田中久重は、ポーハタン号2世号の舳先から、少年の様に目を輝かせながら、動き出した外輪を見下ろす。

ポーハタン号2世号の外輪は静かに回り、波を切って進んで行く。

この船を動かすのは、ブルック大尉が率いるアメリカ海軍。

これまで、ブルック大尉率いるアメリカ海軍は、日本人にも操船訓練をしていたが、蒸気船の操船訓練はまだやっておらず、アメリカ人達が手本を見せてやると乗り込んだのだ。


「動く、動いとりますぞな」


隣にいる嘉蔵が嬉しそうに久重に語り掛ける。


「動くのは当然です。実験船でも、うまく行っていましたから。

問題は、蒸気機関が爆発したりせず、安定した速度で動いてくれるかです」


久重がそう言うと嘉蔵が興奮して頷く。

得難い人材だ。

嘉蔵を見て、久重は思う。

これまで、久重はからくり人形や万年時計など様々な物を作ってきた。

その為に、様々な人々と交流してきたが、嘉蔵は頭一つどころか二つ程飛び抜けている。

あまり口は回らず、人付き合いはあまりうまくない様だが、カラクリに対する理解、手先の器用さ、工夫、どれも驚くべき程、高水準なのだ。

元々は、宇和島藩で提灯張りの他、何でも屋の様なことをやっていたと聞いたが、誰にも何も習わずに、こんなことを出来るなど、天才と言うしかないではないか。


久重自身も天才と呼ばれるに相応しい人間であるが故に、初めて自分と同じ水準でカラクリについて話せる人間と話すことが出来て楽しくて仕方がなかった。

おまけに、ここには西洋技術を教えてくれるアメリカ人のブルック大尉がいる。

最近では、ブルック大尉に負けるかとオランダ人の技術者も西洋技術を教えに来てくれる。


毎日、寝る間も惜しんでの技術の開発。

昨日出来なかったことが、今日出来るようになる。

今までは新しいことを思いつくのは自分一人だったのが、今は嘉蔵も新しい提案をしてくれる。

息子や弟子たちも、どんどん腕を上げてきてくれる。

何と楽しいんだろう。

自分が好きなことをやって楽しんでいるだけなのに、禄まで貰い、金を稼ぐことを考えなくても良い。

正直、雇ってくれたお上には、申し訳ない位の気持ちだ。


田中久重は、今年で56歳になる。

いつ死んでもおかしくない歳ではある。

それなのに、この上、もうすぐ異国にも見に行けると言う。

もっと時間が欲しい。長生きしたい。

少しでも長く生きて、沢山のことを知りたい。沢山の物を作りたい。

久重は、心の底からそう思う。


「船はこのまま外洋に出て、長時間動かし、最高速度実験と耐久実験に入るとブルック殿が申しております」


渋沢栄二郎(栄一)は、アメリカ海軍ブルック大尉の言葉を訳して、二人に声を掛ける。

その言葉を聞いて、久重が聞く。


かしこまりました。ところで、そろそろ機関室の様子を見に行ってもよろしいでしょうかと聞いていただけますか?」


久重がそう言うと栄二郎は苦笑して応える。


「田中様、それ位は、自分で聞いて下さいよ」


「私も年寄りですからな。アメリカ言葉をこれから覚えるのは、さすがに骨が折れまして」


「都合のいい時だけ、年寄りにならないで下さい。

カラクリの事なら、私を通さずとも、ブルック大尉と相談しているではないですか」


栄二郎が呆れたように言うと久重が答える。


「いや、カラクリの事なら、何とか通じるのですが、年を取ると、どうしても物覚えが悪くなってきましてな。

渋沢殿も、年を取ればわかりますよ」


飄々と答える久重に苦笑しながら、栄二郎は久重の言葉をブルック大尉に伝える。

機関室を見に行きたいという言葉を聞いて、ブルック大尉は暫く考えた後に答えるのを栄二郎が訳す。


「蒸気機関を作ったお二人からすれば、爆発などするはずがないとお思いでしょうが、万が一の危険を考え、最初の航海では機関室には入らないで欲しいとのことです」


「しかし、私としては、蒸気機関を改良する為には、動いている現場を見ておきたいのです。

どの様な音が出て、どの様に動いているのか。それは動かしている間でなければ見られないことですから」


久重がそう言うと隣の嘉蔵も勢いよく頷く。

その内容を栄二郎がブルック大尉に伝えるとブルックが答える。


「それは、私もよく理解しています。

ですが、万が一、爆発などして、あなた方が傷つくことがあれば、かえって蒸気機関の改良、完成が遅れることになるのです。

あなた方は、自分の価値をもっと知るべきです。

あなた方は、アメリカはおろかヨーロッパに行っても、一流の才能を認められる職人です。

そんな人間は危険を冒すべきではありません」


師に当たるブルックに褒められて少し嬉しそうな顔をするが、すぐに顔を引き締め、久重が答える。


「ブルック殿に、その様に評価して頂いて感謝致します。

ですが、この蒸気機関の作り方は既に息子や弟子たちにも伝えてあります。

万が一、爆発する様なことがあっても、息子や弟子たちが仕事を引き継げます。

だから、機関室に行かせては貰えませんか?

自分は失敗しないなどと自惚れるつもりはありません。

危ないと思えばすぐに逃げます。

爆発するなら、その原因を早く知りたいのです。

その為には、現場にいる方が早い。

失敗があるからこそ、改良点が見つけられるのです」


その言葉を聞いて、ブルック大尉は暫く考えた後、久重と嘉蔵の機関室への入室を許可する。


ポーハタン号が沈没した時、アメリカ人の誰もが、アメリカから迎えが来るまで帰れないと思ったものだ。

日本はアジアの未開の蛮族で、まともな帆船すらない国のはずだった。

だが、彼らは既にスクーナ型帆船の作り方を知っており、帆船を作り上げてしまった。

おまけに、動かなくなったポーハタン号の蒸気機関を分解すると驚くべき速さで、その仕組み、動かし方を理解し、教えたことを聞いて、蒸気機関のひな型を作り上げてしまった。

本当に、驚くべき男たち。

もう、アメリカ人の技術者で、彼らを侮る様な人間はいない。

技術者に必要なのは感情など関係のない理性であり、現実であるのだから。

その彼らが、見ておきたいというのだ。

それは、本当に必要なことなのだろう。


ブルック大尉の先導で、一行は機関室に入っていく。

石炭が燃焼する熱を感じ、自分達が作った巨大な機械が音を立てて回っているのを見る。

それを見るだけで、久重も嘉蔵も、嬉しさに頬が緩むのを抑えられない。

機関室にいれば、蒸気機関がどう動き、その力がどの様に外輪に伝わって動かしているかが解る。

何よりも、カラクリが動いているのを見るのが楽しいのだ。

これから、最高速度実験と耐久実験をやるらしいが、久重も、嘉蔵も、機関室に籠って見続けるつもり満々だ。


さて、この実験でどんな欠陥が出るのか。

蒸気機関の馬力をどうやって上げることが出来るのか。

久重も嘉蔵もワクワクする気持ちを抑えきれずに機関室を見渡す。


本当に楽しいことばかりだ。

この蒸気機関が改良の必要がなければ、次に製造するのは、オランダの寄贈した観光丸を参考にして作るスクリュー船。

樺太で西洋帆船の作り方を学んだ船大工、寅吉がオランダ人にスクリュー船の構造を聞きながら、既にスクリュー船咸臨丸の作成に入っている。

今回のポーハタン号2世号の航海実験を参考に、弟子たちに蒸気機関の作成を指示すれば、この船よりも良い船を作ることが出来るだろう。


咸臨丸とポーハタン号2世号での航海に問題がないと解れば、視察団を乗せるポーハタン号2世号と航海訓練を兼ねた咸臨丸とで、アメリカ視察団は出発する。

出発は9月を目途にしているとのことだ。

咸臨丸を動かす船員にとって、訓練期間は短いかもしれないが、ブルック大尉とアメリカ海軍士官が乗り込み、操船を教えながらアメリカを目指すなら航海に問題はないだろう。


そして、出発までの間、久重と嘉蔵は、ブルック大尉と共に甲鉄船の製造に挑む。

かつて、鉄張りの船は、信長公が作ったことがあると言うが、今度作るのは全面鉄製の地球で初の戦船。

地球の何処にもない初めての船を作る。

それが、技術者である久重、嘉蔵、ブルックの心を震わせる。


アメリカ視察団出発まで後四か月。


田中久重は幸せであった。

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