第五話 父島海軍伝習所
ロシア視察団が出発する頃、父島海軍伝習所ではアメリカ、オランダによる海軍教育が続けられていた。
海軍伝習所では、四班に分けられて授業が行われる。
まず、全ての基礎となる語学学習。
父島に来られる時点で、英語かオランダ語が最低限解ることが条件となっていたのだが、より語学の上達を望む者、既に学んできた言語と違う言葉の勉強を望む者が参加していた。
次に、西洋知識の教授を目的とした講義。
これを教えるのは、教師を連れてきたオランダ人が中心。
医学、物理学、化学などの座学を学ぶには、オランダ語の習得が不可欠となっていた。
武官としてよりは、文官を望む者がこれに参加し、勝麟太郎、小栗又一(
第三班が行うのは、造船の実施。
既に、ブルック大尉を中心とした指導により、蒸気船の実験船の製造は成功している。
加えて、上田寅吉を中心とした船大工たちは、既にスクーナ型の船を1艘完成させており、これは父島と江戸の間の物資の輸送に既に利用されている。
蒸気機関の研究には、田中久重、嘉蔵などが参加している。
これに対し、造船技術の伝授がアメリカ独占になることを望まないオランダも、造船や蒸気機関の伝授に積極的に参加しているので、蒸気船の研究は加速している。
第四班は、操船の実施。
蒸気船はオランダから寄贈されたスクリュー船観光丸が航海練習に使われ、オランダ人が指導。
帆船は上田寅吉が作ったスクーナ型の西洋帆船がアメリカ人に指導され練習を兼ね、江戸と父島の往復で使用されている。
これに参加しているのは、坂本龍馬に榎本釜次郎(武揚)他多数。
アメリカ視察団に参加する者は、アメリカ人に操船を習い、航海練習を兼ねて、アメリカ人指揮の下アメリカまで行くことが決められ、遣欧視察団に参加する者は、オランダ人に操船を習い、オランダ人指揮の下、ヨーロッパまで行くことが決められている。
そんな中、龍馬と勝が、西郷と大久保を呼び出す。
目的は情報の共有。
平八の夢通りに、江川英龍が倒れたことから、平八の夢を知っている人間が減っていく危険に気が付き、改めて薩摩との間にも直接のパイプを築いておくべきであろうという話になったのである。
勝が、大久保と西郷を連れてくると、龍馬が漕ぐ小船に三人を乗せ沖に出る。
万が一にも、平八の夢の話が、誰かに聞かれ、広まらないようにする為の対策だ。
「大久保さん、西郷さん、よく来てくれたな。
まあ、海の上なら、誰にも聞かれることはねぇ。
この船頭も、オイラの仲間で土佐の坂本龍馬君だ。ここでの話を外に漏らすことはねぇ。
ここで聞いた話は口外無用。見たこと、聞いたこと、許可なく誰にも話さねぇで貰いてぇんだ」
「我らは、勝殿に話があっち呼ばれたで来ただけん話。
どん様な話であっかも知らず、えーころ加減な約束は出来もはんな」
大久保がそう言うと西郷が付け足す。
「勝どん、まずはどげん話か聞かせて貰えもはんか。そん内容が分かれば一蔵どんも、約束出来って思うで」
そう言われて勝は少し考える。
「そうだな。ちと性急過ぎたか。
一言で言えば、この国の未来についての話だ。
それについて、二人の正直な気持ちを聞かせて貰いたい。
もちろん、この事は誰にも話さねぇよ。
まず、聞かせてくれ。お前さん達は、どうして、この視察団に参加したんでぇ?」
西郷は率直に答える。
「斉彬さぁが視察団に参加して、異国を見てけと仰ったでじゃ。そいで、日ノ本ん未来を考えち言われちょっ」
それに、大久保が付け加える。
「そいで、斉彬さぁには、日ノ本ん中で主導権争いなどすっな。
藩を捨ててでん、日ん丸を守っことを第一とせよち言われちょっ」
その言葉を聞いて勝と龍馬は目を合わせて頷く。
今の話を聞く限り、島津斉彬様は二人に平八の夢を知った上で、その話をせずに二人に釘を刺したのだろう。
だが、平八の夢通りなら、斉彬は3年後に亡くなり、薩摩の主導権は最終的に、この二人が握る。
斉昭様が二人に伝えなかったことは気になるが、勝は改めて二人に平八の夢について伝えることを決めた。
「なるほどな。さすがは、斉彬様。慧眼で有らせられますな。
仰せの通り、今は異国からこの国を守ることが第一。
幕府だの、藩だのに拘っている場合じゃねぇ」
勝がそう言うと西郷は嬉しそうに頷き、大久保は訝しげに勝を見る。
「じゃっで、ないが言いたい?」
大久保が尋ねると勝が答える。
「実はだな、今の異国視察団だの国防軍の話ってのは、その考えの基、動いている話なんだよ。
で、その先にあるのは、藩をなくし、日ノ本を一つの国にすること。
それが、斉彬様の考えに沿っていることは解っているよな」
勝がそう言うと大久保が頷く。
「だけどな、このまま行くとうまく行かなくなる可能性が出てきたんだ。
それで、お前さん達にも協力して貰いたいと思ってな」
「うまっ行かんくなっちゅうたぁどげんこっと」
西郷が目を丸くして尋ねる。
「まあ、15年先も阿部様や斉彬様が無事なら問題はないんだよ。
でも、そうならないかもしれねぇって話があるんだよ。
で、斉彬様に万が一のことがあった場合、どうも薩摩の動きはお前さん達に掛かっているみてぇなんでな」
「斉彬さぁに万が一んこっがあった場合とはどげん意味や」
大久保が勝を睨みつけると西郷が叫ぶ。
「もし、そげんこっがあれば、おいは死にもす」
「そいつは、立派な忠誠心ではあるがな、西郷さん。
主君に万が一のことがあった時、主君の望みを叶えるのが真の忠臣なんじゃねぇのかい」
そう言われると、西郷は動揺しながらも頷く。
二人の様子を見て、勝も頷き、懐から二冊の書を出す。
「まずは、これを見てくれ。
オイラ達の仲間には、未来を見られるという奴がいる。
こいつは、そいつの言葉を基にして書かれた予言書みてぇなもんだ」
勝がそう言うと大久保が鼻で笑いながら一冊の本を受け取る。
「笑ったね。まあ、わかるさ。
予言なんて言う、怪しげな物は信じられねぇよな。
だから、信じることなんかねぇんだ。
だけど、頭の片隅に入れて、予言が本当になっちまった場合に備えて欲しいんだ。
オイラ達も、この予言を信じていた訳じゃあねぇ。
だけど、この予言が当たった場合に備えて、今起きている現実を確認し、策を練ってきた。
それを基にして書いた建白書がこいつさ。
予言書を見たら、建白書にも目を通してみてくれ。
その上で、意見を聞かせてくれねぇか」
勝は、二冊目の本を手の空いている西郷に渡すが、西郷は大久保の持っている予言書の方を覗き込んで読み始める。
読み始める二人の様子を見て、船頭をしていた龍馬が勝に声を掛ける。
「勝センセ、これで大丈夫ですかいのう」
「わからねぇよ。決めるのはこいつらだ。
もともと、斉彬様の意思を尊重していれば、あの夢みてぇなことになっていないはずなんだからな。
そもそも、オイラ達を信じる理由もねぇしよ。
どうするかなんざ、わからねぇよ」
そんなことを小声で話していると、暫くして二人が読み終わったようで顔を上げ、大久保が尋ねる。
「こいがほんのこて起きっと信じれちゆとな」
「だから、信じろとは言ってねぇだろ。
ただ、予言の通りなら、2年後に阿部様が亡くなり、3年後に斉彬様が亡くなる。
その予言がされたのは、ペリーが最初に来た2年前。
その時から、建白書を書き、異国と交渉し、状況を変えようと必死にやってきた。
だけどさ、予言の通り、江川英龍様が倒れられたんだよ。
そうするってぇと、予言は変えられねぇ可能性もあるって気がしてきてな。
頭の片隅に入れて、注意だけしておいて欲しいんだよ」
勝の言葉を聞いて、大久保は考え込み、西郷が尋ねる。
「斉彬さぁに万が一んこっがなかごつ、あてが守ってん良かとな」
「ああ、それでも構わねぇよ。だけど、予言の通りなら、斉彬様が倒れるのは、これから3年後だ。
異国に行くことは、やめねぇでくれよ」
勝がそう言うと大久保が聞く。
「こん書が書かれたのが二年前じゃとすっと、去年ん地震も知っちょったちゅうこっか」
「ああ、だから、被害はだいぶ抑えることが出来た。
斉彬様に確認して貰っても構わねぇよ。
聞いた所、斉彬様は阿部様と協力関係にあるって話じゃねぇか。
おそらく、斉彬様はこの書の存在を知っている。
だから、あんたらに、藩の為じゃなく、国の為に動けと釘を刺されたんだと思うぜ」
そう言われて大久保は頷き考える。
確かにそう考えると、わざわざ薩摩から自分達、精忠組を呼び出したことも、自分と西郷を呼び出して話したことも納得出来る。
問題は、その状況において自分に何が出来るかだ。
既に、予言されたという内容と比較して、状況は随分動いている。
斉彬様の意向で薩摩の兵力は江戸に動かされたので、薩摩の兵力は減っている上に、江戸に招集されている国防軍は戦力増強を続けている。
薩摩が反乱を起こしたところで、簡単に勝てる状況ではなくなっているのだから、内乱を起こすなど、馬鹿げたことをするつもりはない。
まあ、そもそも、斉彬様がご無事であるならば、無事に日本は統一国家に向かい、異国の侵略も跳ね除けることが出来ることは予測出来る。
となれば、大久保一蔵がやるべきは、斉彬様に最悪の事態が起きた場合のこと。
まず、勝の言う通り、異国に行って見聞を広めておくことが第一だろう。
その上で、帰国後に、斉彬様に万が一のことがあった場合、日ノ本の統一を妨げるとすれば、既得権に拘る幕府が国防軍と対立する場合か。
戦にならない様にするには、幕府軍と戦っても勝負にならない程、
国防軍を強化することであるが、それは一蔵の出来ることではない。
最悪の事態としては、幕府の意向で国防軍が突如廃止されたり、逆に幕府が国防軍に対抗して無意味な軍備増強を行ってしまい偶発的に国防軍と幕府軍が戦を起こしてしまう場合か。
となると、一蔵の出来ることは、とりあえず、国防軍の中で協力者を作り、国防軍の主導権を狙うこと位しか出来ないだろう。
そういう意味では、勝とその仲間たちと協力関係を築くことは悪いことではない。
問題は、そうやって国防軍の主導権を握ることが出来、内戦を防げたとしても、国防軍の力で、異国の侵略を防ぐことが出来るのかということ。
この父島に来て見せられた異国の軍事力の一端。
それだけで、彼らが圧倒的な力を持っていることが理解出来る。
まともにやっては、絶対に勝てないだけの力の差が、異国と日本の間には存在する。
となれば、異国全てを敵に回さず、異国の一部でも味方にすることが必要か。
そうなると、自分と西郷どんは別の国に視察に行き、それぞれに知己を作っておくべきであろうな。
大久保一蔵は、静かに考え始めていた。
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