第三話 ロシア対策会議

プチャーチンの乗る船が樺太に新しく作られた港に寄港すると、即座にロシア船に日の丸の旗が立てられ、ロシア船の武装解除が実施された。

ロシア船が装備している大砲は勿論、ロシア人が装備していた鉄砲も没収され、樺太駐留軍に預けられる。


ロシア人達に不満がない訳ではないが、武装解除を約束し、条約の締結を望んでいる以上、日本側の要請を拒否することは出来なかったのだ。

また、英仏からの攻撃を避ける為には、ロシア国旗を降ろして日本の旗を掲げる方が合理的であったし、万が一、イギリスの攻撃があった場合は、武器を返して貰えるという約束を藤田東湖がしたことも大きかったろう。


その藤田東湖であるが、彼は松前崇広らに後を任せ、この樺太で作ったスクーナ型西洋帆船に乗り、江戸を目指すこととする。

江戸まで持って行くのは、ロシア皇帝が署名した条約文書とロシア視察団の迎えが来たことの伝令。

ロシア国内に入れば安全とは言え、日本海も樺太のあるオホーツク海も、英仏艦隊の襲撃の危険がある。

そんな中で、招きに応じて出発するのか。

それとも、ぶらかし戦法(時間稼ぎ)を目的とするのだから、ロシアの戦争終了まで待つのか、その判断を聞く必要がある為、東湖自身がロシア側の状況説明と斉昭及び幕閣への説明ありと判断して江戸に向かう事にしたのだ。


東湖の乗る船を動かすのは、ロシア海軍ネヴェリスコイ大佐の指導を受けた水戸藩士。

吉田寅次郎の影響で、樺太の地はロシアと日本の知識交流の場となっていた。

その為、樺太にいる水戸藩士、松前藩士は貪欲にロシアの知識を学び、スクーナ型帆船の作り方を学ぶと次は、その動かし方も学ぶ様になっていたのだ。

そういう意味では、幕府の作る父島海軍操練所よりも早く樺太海軍操練所が成立していたのだ。


そして、東湖の乗る船は危なげなく1週間で樺太から江戸への移動を成功させる。

東湖は、見慣れないはずの西洋帆船が近づくことで、江戸湾に混乱が起きることを心配していたが、江戸湾には既に何度も江戸と父島と往復しているスクーナ型帆船が何隻もあり、江戸湾への入港は驚くほどあっけなく受け入れられ、藤田東湖は直ぐに水戸斉昭に報告に向かうこととなる。


そして、藤田東湖の報告を基に、水戸斉昭より老中招集の動議が出され、阿部正弘らの老中の他に、海外視察団団長候補となる為に家督を譲り隠居扱いとなっている井伊直弼、一橋慶喜、それに外様大名を代表し、島津斉彬が報告を受けることとなる。


一同が集まったことを確認すると早速藤田東湖が報告を行う。


「という訳で、ロシアは皇帝を名乗る者が署名したという条約文書を持って参りました。

この文書が間違っていないかは、既に北蝦夷(樺太)のでロシア語の解る者に確認はさせてはおりますが、念のために、阿部様のところにいる蘭学者たちにも内容の確認をお願いしております。

問題はございませんでしたでしょうか」


「うむ。最初に、私どもが渡した文書と同じ物でした。

ロシアは、北蝦夷(樺太)の我が国領有を認めるならば、特別に北蝦夷(樺太)に来ることを許すこと。

ロシア船が北蝦夷(樺太)に来る場合は、我が国の法を順守すると同時に一切の武装を許さないことが

明記されております」


「うむ、ならば問題ないな。では、公方様うえさまのご署名を頂き、ロシア側に返せば良いな」


水戸斉昭がそう頷くと井伊直弼が慌てて止める。

井伊直弼としては、攘夷の主張の下、幕府に異論を言い、勝手な振る舞いを繰り返すような水戸藩にこれ以上力を付けて欲しくないと考えている。

だから、北蝦夷(樺太)が事実上の水戸藩の領地とされることも、水戸藩がロシアと交易を始めることも望んではいないのだ。


「お待ち下さい、水戸様。ロシア側は本当に北蝦夷(樺太)に武装解除して来たのでございますか」


井伊直弼がそう尋ねると水戸斉昭は藤田東湖を見て、藤田東湖が答える。


「いえ。ロシアは今、他の国と戦の最中ということでして。

その攻撃を避ける為、軍艦で参りました。

しかし、条約違反を責めたところ、ロシア提督プチャーチンは謝罪し、北蝦夷(樺太)到着と同時に、ロシア艦隊を完全に武装解除をさせております。

それで、今はプチャーチン提督を北蝦夷(樺太)に待たせているところでございます」


ロシア艦隊が武装して樺太まで来たという事を確認し、井伊直弼はその点を批判する。


「何と武装したままで来たと。

約束を守らず武装して来るような無法国家と約定など結んでも無駄なのではありませんか」


だが、異国との交易を進めるべきであると考えている蘭癖大名老中堀田正睦らんぺきだいみょうろうじゅうほったまさよしが反論する。


「しかし、それなら、アメリカも約定を破って、江戸湾まで入ってきていますからな。

異人たちは、我らほど、約定をきちんと守れないものかと」


「左様。所詮は野蛮人であるからな。それ位は致し方なかろう。

だが、約定破りと注意してやれば、素直に謝罪し、武装解除したというのであるから、まあ問題はなかろう」


堀田正睦がロシアを弁護し、水戸斉昭までがロシアを許すことに井伊直弼は歯噛みする。

だが、ここにいる者のほとんどは、前年の砲術大会で異国の大筒の威力を確認し、その脅威を理解している者ばかりだ。

ロシアとの戦を避けて、ロシアに樺太領有を認めさせられるなら、樺太でロシアとの交易を認めても構わないと思う者ばかり。

水戸藩がロシアと結びつくことを防ぎたいと考える井伊直弼の考えを理解する者すらおらず、孤立するのも仕方のないことだろう。

そんな中、一橋慶喜が声を掛ける。


「だが、、東湖、ロシアは視察団を迎えに来たとも聞くが、ロシアは戦の最中なのであろう。

そんな危険な中、ロシアに父上を向かわせるつもりか。

視察団の出発はその戦が終わってからで良いのではないか」


「そのことは私もプチャーチンに確認しましたが、実は日ノ本のすぐ近くにロシアの領土があり、そこにロシア皇帝の乗る馬車及び近衛騎士団が待機しているとのこと。

移動するのは基本ロシア国内のみ。

異国に攻撃される恐れのある海を、斉昭様に船で移動して頂くのは、1日か2日程度のことと聞き及んでおります」


東湖がそう言うと、慶喜は答える。


「なるほど、ロシア皇帝の乗る馬車及び近衛騎士団が迎えに来ているのか。

それならば、十分な礼を尽くしているとは言えるのか。

ですが、一日、二日と言えど、攻撃される恐れのある海を父上に移動させる必要はあるのか」


慶喜が尋ねると斉昭が答える。


「うむ、それについては、わしも考えているところだ。

時間稼ぎのぶらかしを目的とするなら、しばらく北蝦夷(樺太)で待たせてやるのも良いとは思うのだがな」


それを聞いて阿部正弘も考える。

平八からの情報も併せて考えると、クリミア戦争中は日本海やオホーツク海でも安全とは言い難い。

平八の見た夢によると、樺太より更に北のロシアの基地には英仏艦隊の襲撃があったはずであり、この時期に出発したはずのゴシケーヴィッチの乗った船は、イギリス船に拿捕されたと聞いている。


そんな危険な状況だから、ロシア船が視察団の迎えに戻ってくるのは、クリミア戦争が終わる1年後になるだろうと予想していたのに。

日本との交易がロシア100年の悲願ということは真実で、ロシア皇帝の意思が全てに優先するのがロシアという国家なのだろう。


だが、実際、クリミア戦争が終わってからロシアが来た場合、ロシアの領土拡大方針はヨーロッパからアジアに移っており、簡単に樺太の領有権主張を放棄する様なことはしなかったことも容易に想像出来る事だ。


そういう意味では、ロシアが早く来てくれたことが有難くはあるのだが。

その分、危険性も高い。

もし、ロシアの希望通り、水戸斉昭を団長としたロシア視察団を出発させてイギリス船に攻撃されたり、拿捕されたりするならば、水戸斉昭の異国嫌いは手に負えない水準にまで達してしまうだろう。


だが、ロシアを樺太で待たせてクリミア戦争終了を待ってから視察団を出発させた場合、果たして、今の条約通りに日本の樺太領有を認めてくれるかどうか。

考えた末、阿部正弘は正直にロシアの現状を話すこととする。


「確かに、ロシアはイギリスらと戦の真っただ中。

短距離とは言え、今、ロシア国旗を掲げ、海を行けばイギリスの船に襲われる危険があるでしょうな。

ただし、戦の最中だからこそ、ロシア皇帝とやらは、北蝦夷(樺太)の日ノ本領有を認めたということがあるでしょうから、戦が終わってからでも変わらず、北蝦夷(樺太)領有を認めるかどうか」


阿部正弘がそう言うと島津斉彬が声を掛ける。


「ならば、ロシア国旗ではなく、日の丸を掲げて北蝦夷(樺太)から対岸まで移動すれば良いのではありませんか?

もし、日の丸の船をイギリス船が攻撃してくるならば、日ノ本に対する理由もなき攻撃。

現在、我らがイギリスと交渉中であることを伝えれば、そう簡単に攻撃することは出来ないはずです」


島津斉彬がそう言うと水戸斉昭は考えてから答える。


「もし、日の丸を掲げておるのに、攻撃してくるのならば、そいつは敵だ。

その様に攻撃されたとしたら、攻撃して来だ船は、どこの船であっても沈めても構わんな」


そう言うと水戸斉昭は凄みのある笑みを浮かべる。

元々、攘夷派の思想的支柱、水戸学の総本山の水戸斉昭としては、攻撃出来るなら、攻撃してしまいたいのは確かなのだ。

水戸斉昭がロシアに行く気になってしまった以上は仕方ないと阿部正弘はため息を吐く。


「イギリスはこの地球最強の海軍を持つと言われ、一橋様が視察を検討されている国家でございます。

出来るだけ、穏便にお願いいたします。

公方様うえさまのご署名は私が責任をもって頂いて参りますので、まずはロシアに行き、皇帝なるものに北蝦夷(樺太)の日本帰属を認めさせ、ロシアが交易をするに値する国であるかを見定めることを第一にお考え頂けませんか」


阿部正弘の言葉に良かろうと水戸斉昭は答える。


こうして、水戸斉昭を団長とするロシア視察団の出発が決定した。

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