第五章 侍、海を渡る

第一話 父島にて

アダムス特使は父島に建てられた迎賓館の執務室にジョン・ブルック大尉を呼び報告を受けている。

建物は木造でありながら、たった1か月で建設されたと思えない程、しっかりしたつくりで、和風でありながらも、畳はなく、板張りが多く、土足で出入りしやすいつくりになっている。

執務室には、ポーハタン号から降ろした家具が並び、アダムス特使はブルック大尉と差し向いで、洋風の椅子に座り、二人の間の机には、日本の従者に入れられた緑茶が入れてある。


「それで、ポーハタン号2世号の建造は順調かね」


「はい。既にポーハタン号を基にして作った実験船で蒸気機関建造のノウハウも掴んだようで、2世号の完成は後2か月もあれば可能かと。

そもそも、日本に船舶建造技術はないと聞いていましたが、トラという船大工は西洋帆船建造技術は何処かでマスターしていたようで。

この街を1か月で作り上げた日本人なら、問題なく、完璧なポーハタン号2世号を完成してくれることでしょう」


何処か誇らしげに答えるブルック大尉に、アダムス特使はため息混じりに答える。


「ああ、実に日本人は優秀だ。

津波が起きた直後の被災者のモラルの高さに感動し、アメリカに報告書を書いたが、1か月で街を作り出してしまうとは、彼らは完全に私の予想の上を行っているよ」


アダムス特使は窓の外に広がる街並み、港に目を向ける。

3か月前、津波の被害を受けたポーハタン号が曳航されてきた時、この島も津波の被害を受け、酷い有様だったのだ。

それが、たった一か月で、新築の建物が並び、港が整備され、街が出来上がっている。

あっという間に大量の材木、食料を持った船が次々にやってきて、建設されていく街並み。

それは、日本人より進んだ文明人を自任するアメリカ人達にとっても驚くべき光景だったのだ。


この時代の日本人の土木、建設能力は決して欧米人に劣るものではない。

平八の見た夢でも、ペリーの黒船対策で、たった半年で江戸湾を埋め立て、砲台を置ける島(お台場)を作ってしまっている。

おまけに火事と喧嘩は江戸の華と呼ばれるように、何度も街が焼かれることに慣れている江戸っ子達は即席で家を建てることなど、慣れっこになっていたのだ。

そんな連中が、幕府の全面的な支援を受けて、街づくり、港づくり、大船の建造に全力を向けた結果が、現在のこの島の状況。

既に港の整備は終わり、スクーナ型の小型帆船が二艘、実験用の小型蒸気船が一艘完成して停泊しており、ポーハタン号2世号はドックで建造中だ。


「凄いのは、土木建築技術だけではありませんよ。

蒸気機関を作る技術者も素晴らしい。私の助手として、アメリカに連れて帰りたい位ですよ。

ヒサは、もう年寄りですが手先の器用さと粘り強さは驚くべき点がありますし、カゾーは英語をほとんど理解出来ないようですが、図面を理解し、それを作り上げる能力は飛び抜けています。

彼らは歯車の合理性、美しさを理解しているのです。

こんな優秀な人材は、アメリカはおろか、ヨーロッパにだって、滅多にいませんよ」


再び自慢気に話すブルック大尉にアダムス特使は苦笑しながら話す。


「その様な優秀な連中に、蒸気船の秘密を教えてやることはないだろう。

我が国の国防に影響を及ぼしたらどうするつもりだ」


「そうは言っても、ポーハタン号二世号を完成させる為には、日本人の協力が不可欠です。

何しろ、ポーハタン号には、私以外に、蒸気機関を理解出来る人間がいないのですから」


「それならば、アメリカから救援が来るのを待てば良いではないか。

津波でポーハタン号が沈んだことを非難する者はいないはずだ。

それよりも、我々の技術を日本人に漏洩させる方が問題になるのではないか」


「インディアンと同じアジアの黄色人種に技術を伝えて、我が国が危険になると思うアメリカ人がどれだけいるでしょう。

問題になるはずがありませんよ」


ブルック大尉自身は合理的で、理性的な紳士だ。

人種差別が合理的でないことを知っており、差別的意識は持っていない。

だが、この時代のアメリカ人の多くに、人種に対する差別意識があることは間違いはない。

だから、日本人に技術を伝えたところで、それを理解出来ると考えるアメリカ人など、ほとんどいないだろうと言っているのだ。


「確かに、日本人に技術を伝えたところで、それがアメリカの脅威となる恐れがあると認識出来るアメリカ人はほとんどいないだろうな」


「それに、我々が技術を伝えなかったとしても、オランダ人が教えますよ。

彼らは、幕府の依頼で、先月から海軍操練所を開設し、操船技術を教え始めましたからね」


「馬鹿げている。オランダ人は250年も日本人と付き合っているんだろ?

それならば、日本人がどんな連中かを我々よりも理解しているはずだ。

なのに、何故、日本人に技術と軍事力を与えようとする」


「今の日本は、銃も持たずに荒野に放り出されているような状況です。

長い付き合いのオランダとしては、欧米列強による侵略で、この美しい国が火の海とならない様に少しでも助けてやろうと考えたのではないですかな」


ブルック大尉がそう答えるとアダムス特使が鼻で笑う。


「この時代に、そんな善意溢れた行動でオランダが行動していると本気で考えている訳ではあるまい」


そう言われてブルック大尉は肩をすくめて答える。


「まあ、本当のところは、せっかく日本と仲良くやっているところ、何処かの欲張りな国が割り込んで来たので、慌てて日本のご機嫌取りをしているというところでしょうな」


その横入りした国がアメリカなのを解っていながら、苦笑混じりにブルック大尉は答える。


実際のところ、オランダは平八の見た夢よりも、半年も早く海軍操練所を父島に設立している。

これは、オランダ商館での勝達の交渉が実を結んだおかげか。

それとも、日本が次々と積極的に、海外視察を計画し始めたことが原因なのか。


「オランダの方が日本の役に立つから、他の国とは仲良くしないでくれと。

それで、目先のことだけ考えて、日本が自分より強くなった時、オランダはどうするつもりなんだか」


「まあ、それだけではなく、日本人は生徒としても理想的ですからね。

真面目で、熱心で、礼儀正しく、教師に対する敬意を忘れない。

教える側としても、楽しくて仕方ないのではないでしょうか」


ブルック大尉にそう言われて、アダムス特使は皮肉気に口元を歪める。


「それは君も同じだろ。船の建造だけでなく、操船技術も叩き込んでいたではないか」


「どちらにしろ、オランダが日本に技術を与えてしまうのです。

それならば、こちらがオランダに先んじて、良い関係を構築した方が利口ではないでしょうか。

彼らは、『恩』と呼ばれる、感謝を教師に忘れないと言いますからね」


そう言われてアダムス特使はため息を吐く。


「本当にそうであれば良いのだがな。

だが、この国は敵にするには厄介過ぎるぞ。

土地も広くなく、資源もないのに、面積の割りに人口だけは多く、国民は優秀だ。

戦えば、得る物がないのに、犠牲が多数になることが目に見えている」


「しかし、友となれば、得難い存在になるでしょう。

感謝を忘れず、決して裏切らない誇り高い相手です」


「本当にそうなってくれれば良いのだがな」


そんな風にアダムス特使が呟くと、アダムス特使の従者をしている日本の青年が、いつの間にか空になっていた茶碗にお茶を注ぐのを見て、アダムス特使は自分が喉が渇いていたことに気づき、お茶で喉を潤す。

この従者の青年はいつもそうだ。

彼は、アダムス特使が欲しいと思った時に、欲しいと思ったことを叶えてくれる。

その上、最初に着任した時は、たいして英語も話せなかったはずなのに、勉強してきたとは言っていたが、数か月でもう簡単な会話程度なら出来る様になっている。

どうも、夜もロクに寝ずに英語を学んでいるようなのだ。

全く、ブルック大尉ではないが、自分も彼を執事としてアメリカに連れて帰りたいと思わせる程に優秀だ。


そして、そんな男なら、日本人としての意見を聞いてみても良いかもしれないという気分になってくる。


「ユキ、君はどう思う?日本はアメリカに追いつけると思うかね」


急に話を振られ青年は首を捻った後、答える。


「いいえ。難しいでしょう。日本には厳格な身分制度があります。

能力ではなく、生まれの地位が、その先の人生を決めてしまう。

そんな国が簡単に発展出来ると、私は思いません」


意外にも辛らつな青年の日本評価に、アダムス特使は驚かされる。


「だが、それは武士の世界の話だろう。

私の従者のエージは、日本の商人は、もっと柔軟で必要なことはなんだってすると言っているぞ」


ブルック大尉が反論すると、ユキと呼ばれた青年が返答する。


「確かに、商人の世界では能力次第で稼ぐことが出来るのかもしれません。

ですが、それでも、この国を支配するのは武士です。

商人がどんなに稼いでも、いざとなれば、武士は全てを没収することが出来ます。

その点、能力が正当に報われるというアメリカが、私は羨ましいです」


ユキがそう言うと、アダムス特使が微笑む。


「聞いたかね、ブルック大尉。日本にも、共和主義者が誕生していたようだぞ。

ああ、彼の様な共和主義者が日本にも増えてくれれば、アメリカとの関係も良くなるんだろうが」


そう言われると、ユキは申し訳なさそうに答える。


「申し訳ありませんが、私は下級武士に過ぎないので、幕府の決定を変えるような力はありません」


「まず、それが驚きなんだよ。君は優秀だ。それは、私が保証する。

だから、私の従者として選ばれたと思えば、身分的に出世はないと言う。

それならば、我が国への移住を進めたのだが、幕府が許さないと言う。

非常に不合理だよ」


アダムス特使が嘆いて見せると、ブルック大尉もそれに同意する。


「私に付けられた従者のエージも、彼に劣らず優秀だが、商人の出だから幕府での出世はないと言います。

この辺りが、ユキの言う通り、日本が簡単に発展出来ない不合理な伝統というものなんだろうね」


そう言われてユキと呼ばれた青年、福沢諭吉は肩をすくめる。


ちなみに、ブルック大尉についているエージと呼ばれる従者は、後の渋沢栄一。

日本資本主義の父と呼ばれる男である。


父島はまだ平和であった。


そして、この年、1855年の海外視察は3月の樺太から始まったと言われている。

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