第十六話 これからの対策

「ワシ、参加したい。アメリカに行ってみたい」


江川先生が海舟会に異国視察団への参加意思を聞くと、龍馬さんが目をキラキラさせて叫ぶ。


「参加しても脱藩にならんのなら、黒船に乗ってみたい。

入れ札で公方様を決めるアメリカっちゅー国が、どんな風になっちょるか見てみたい」


「俺は別に異国へ行きたいとは思わん。

だが、異国から、この国を守る為に百姓でも戦わせて貰えるなら、是非、参加させて貰いたい。

なあ、かっちゃん」


「私たち、多摩の農民は一朝事ある時は、徳川家とくせんけの為に立ち上がれと言われております。

ですから、公方様が私を必要として下さるなら、喜んで馳せ参じます」


龍馬さんに続いて、土方さん、近藤さんが参加を表明する。


「私は参加しても剣術を教える程度しか出来ん。

だが、これからは剣術など、役に立たぬのだろう但庵」


いくさとなれば、全く剣術が無駄になるとは思わん。

だが、これからは、主を持たぬ者が剣を持つことは許されない世になる。

それなら、道場の連中を引き連れて、参加しておけ」


江川先生が応えると、斎藤先生が苦笑しながら言う。


「まあ、私の役割は、お前と海舟会を繋ぐことで終わっているような気もするんだがな。

もし、まだ出来ることが残っているなら、微力を尽くさせて貰おう」


そう言いながら、斎藤先生はアッシを見る。

さすがは斎藤先生。すっかりアッシの意図を見抜いているよ。

だけど、アッシと違って立派なお人だからね。

アッシの思惑なんぞ超えて、何とかしてくれるんじゃないかな。


「アッシは、斎藤先生と違い何の取り柄もなく、夢の話も大体しちまってます。

おまけに、皆さんは夢とは違うことを始めてらっしゃいます。そうすると、お役に立てることはないかと」


「やはり、幕府に仕える気はないか」


「別に、幕府を毛嫌いしている訳ではございませんが、役にも立たない老いぼれが禄を賜るのが申し訳ございませんので」


「・・・そうか。時に、平八は大塩平八郎殿を知っているか?」


「大塩平八郎?確か、15年程前に、大阪の方で、乱を起こした方ですな。

名前も似ているし、歳の頃も同じなので、覚えておりますよ」


「そうか。平八は大塩殿をどう思う?」


「お武家様のことを庶民のアッシがあれこれ言う資格なんぞ、ございませんよ」


「そこをあえて聞かせて貰うと」


「まあ、志が正しければ結果は勝手についてくるという陽明学というのは、どうも違うようですな」


「そうか」


そう言うと江川先生が考え込む。

何で、大塩平八郎の話なんか出てくるんだ?

江川先生、本気で、アッシを大塩平八郎だと疑ってる?

確かに、年も名前も近いけど、全然関係ないからね。

だから、幕臣になることを拒んでいると思われているのかな?

アッシが江戸にずっといたことは、調べりゃ解るはずなんだけどな。

そんな風に考えていると、象山先生が声を上げる。


「まあ、平八君は僕の中間ちゅうげんですからな。

僕が参加すれば、一緒に来ることになります。心配なさることはないかと」


確かに象山先生が、この計画に参加するならば、否応なくアッシも参加することになるのかな。

本当にお役に立てるとは思わないので辞退しているだけなのに、どうして江川先生はそんなにアッシを使いたがるんでしょうね。


「ここにいない勝君と吉田君には、話を伝えてもよろしいですか?」


「問題ない。中浜に長崎に向かわせる。そこで、二人の意思を確認して貰う予定だ」


「なるほど、まあ、あの二人なら、間違いなく参加することでしょう。

それで、勝君にはイギリスの言葉、吉田君にはロシアの言葉を学んで貰うのが良いでしょうな」


「イギリスの言葉なら、ワシとお前と中浜君がいるから、教えることが出来るとして、ロシアの言葉はどうする?日ノ本には、ロシア語を話せる人間はいないはずだが」


「ロシア視察に行く者たちには、北蝦夷(樺太)に行き、ロシア語を学んで貰うのです。

今、ロシア兵が北蝦夷(樺太)にいると言います。

軍人なら、その中に教養のある者もいるでしょう。

その中の何人かを北蝦夷に残って貰い、ロシア語やロシアの知識を教えて貰うのです。

ロシアへ視察に行く為に時間が掛かるとも言いますし、その間にこちらは日ノ本のことを教え、代わりにロシアの言葉を教えて欲しいと言えば、何人かは喜んで北蝦夷に残ることでしょう」


「確かに、その方がロシア視察も効率的に出来るな。

では、その旨を中浜に伝えさせよう。当然、水戸藩にもな。それで良いか」


「同時に、アメリカに行く者にはアメリカの言葉を学ばせるべきでしょうな。

アメリカに行くのに、あちらの言葉を話せるのが3人だけというのでは不便過ぎます。

話せる者が多ければ多い程、手に入る情報は増えますからな。

最初は、僕と江川先生、それに中浜君が、蘭学者に言葉を教えます。

まあ、蘭学者なら、すぐに読み書き、会話出来るようになるでしょうから、その後は、蘭学者たちにアメリカの言葉を教えさせて行けば良いでしょう」


「まあ、ワシも半年でアメリカの言葉はある程度分かるようになったからな。

アメリカから視察の迎えが来るまでに、ほとんどの者が話せるようになるだろう」


いや、先生方は天才だから出来るんで、普通の人は不可能ですから。

確かに象山先生は30歳過ぎてから、わずか2年でオランダ語を習得し、その後は独学で英語、フランス語習得したと聞きましたけどね。

おまけに、江川先生は50歳過ぎているのに、オランダ語が解るとは言え、半年程度で相手が何を話しているか大体、わかる水準まで英語を習得しちゃってますが。

そんなことを出来るのは、ごく一部の天才だけでしょ。

このままだと、大量に落ちこぼれるのが目に見えているぞ。


そんなのについて来られるとすれば、からくり儀右衛門と呼ばれた田中久重とか、長州藩の軍を率いた天才軍師、村田蔵六(大村益次郎)、それに今頃長崎にいるはずの福沢諭吉位だろう。

まあ、田中久重に関しては、夢の中では、長崎海軍伝習所の一回生として参加していたからね。

今回の募集に参加してくれる可能性は高い気がするが、

後に東洋のエジソンと呼ばれることになる彼がアメリカで最新の技術を見てきたら。

一体、何処まで、日本の技術を発展させられることだろう。

そう考えると、是非、アメリカに行って貰いたいものだが。


一方、村田蔵六は蘭学の名門、適塾で首席だったのに、宇和島藩に呼ばれるまで、村医者で満足していたような男だからな。

今回の募集に応じてくれるかどうか。


逆に福沢諭吉は、まだ蘭学もロクに出来ないはずだけど、噂だけで、ここまで来ちゃいそうな感じがするな。

好奇心と押しの強さは非常強く、武家の身分社会に強い反発を持っているみたいだから。

藩と縁を切れる、今回の募集は渡りに船だろう。


まあ、そんな特別な人間しかついて来られない計画には反対しておくべきだろうな。


「あの江川先生、象山先生。そんなに簡単に異国の言葉を習得出来るのは、お二人が天才だからであって、アッシのような無学な者から見ると、異国の言葉を、そう簡単に習得出来るとは思えぬのですが」


「うーん、確かに僕は天才だが、凡人でも努力すれば何とかなるのではないか。

異国行きの条件を異国の言葉の習得としてやれば、死ぬ気で学ぶだろう」


その言葉を聞いて龍馬さんが嫌な顔をしている。

異国行きの条件を異国語の習得にされたら、そりゃあ、嫌だよな。

一方、近藤さんと土方さんは涼しい顔だ。

この二人は異国に行く気がないってことなのかな。

そんなことを考えていると、江川先生が頷いて話す。


「そうだな。日ノ本の命運と異国行きが異国語習得に掛かっているとすれば、50歳を過ぎたワシでも何とか出来たのだ。若い連中なら、十分習得は可能だろう」


もう、根性で何とかするだろうって大丈夫なのか。


「江川先生、ちゃんと休みは取っておられるんでしょうな。

先生が倒れれば、残された者が苦労することになりますぞ」


「大丈夫だ。ワシに万が一の事があったとしても、穴を埋めるよう仕度は出来ておる」


そういうことじゃないんですよ、江川先生。

もう、どうしてお武家さんてのは、死に急ぐのかな。


「いや、江川先生。本当に無理はせんで下さい。もういい年なんですから。

それに、先生がいないと、阿部様への連絡が面倒になりますし、僕の計画の進行に支障をきたします」


象山先生も心配しているのかもしれませんが、その言い方だと、相手を怒らせるだけです。

江川先生も、機嫌を損ねているじゃないですか。

まあ、仕事量に関しては、斎藤先生とか、江川先生に親しい人から、何度も言って貰うしかないのかね。

江川先生は、一頻り象山先生を睨みつけた後、まだ自分の行動を宣言していない桂さんに声を掛ける。


「わしのことは、まあいい。それより、桂君、君はどうする?」


「私は、吉田先生に付いて行きたく思います」


「吉田君次第か。随分と彼に心酔しているのだな。

だが、彼とて人間だ。間違うことはある。だから、常に自分で考えることは止めるな。

考えることを吉田君だけに押し付けてはならぬ。

そして、吉田君が間違ったと思えば、諫言することを恐れるな。それが結局は、彼の為になるだろう」


象山先生がそう言うと桂さんは少し驚いたような顔をした後に頷く。


「まあ、僕は天才だから間違うことなぞないから必要ないんだが。

凡人は凡人同士で注意しあった方が、良いのだよ」


と、余計なことを付け足すから、尊敬されないんですけどね、象山先生。

ほら、また江川先生が睨んでる。

そんな空気を読まずに、象山先生が江川先生に尋ねる。


「ところで、江川先生、僕たち、海舟会が異国視察団に参加するとして、幕府側の受け入れ態勢はどうなっているのですか」


そう言われて江川先生は渋い顔で応える。


「まだ、決まっておらぬ。ただ、幕府の中に取り込むことはしない方針だ」


「幕府と別の組織を作るのですか」


「そうだ。いくら参勤交代軽減により、資金が豊富であろうと、幕閣のお歴々は部外者が召し抱えられ、自分の地位を脅かすことを嫌ったのだ。

だから、召し抱えられる者は何人になろうと、幕政に関わることはない」


江川先生がそう言うと象山先生がため息を吐く。


「全く、小人は度し難いな。だから、阿部様は彼らを切り捨てる覚悟を決めた訳か」


象山先生の聞き捨てならない言葉を聞いて、江川先生が驚く。


「どういうことだ」


「幕府の外に潤沢な資金、兵力、技術力を持つ組織が生まれるのです。

うまく、運営することが出来れば、幕府から徐々に実権を奪い、幕閣の連中を今のお公家さんのような存在にすることも可能でしょう」


家柄を誇るだけで何もしない無能な連中には捨扶持すてぶちを渡し、何も出来ないようにするってことか。

それで、やる気のある人間は審査を受けて、新組織の運営に参加出来るようにすれば、幕府側からの抵抗も最低限に抑えられるかもしれない。

それを誰にも気づかれずに進めるつもりだったのか。

そんな事を考える阿部様も阿部様だが、今の話を聞いただけで、隠した計画に気が付く象山先生もさすがだな。


「だが、徐々にだろうと実権を移そうとすれば、幕府は抵抗するだろう。そう簡単に行くとは思えぬ」


「ええ、簡単ではないでしょう。

うまくやらねば、新組織の軍と旗本八万騎が衝突することもありえます。

それで、新組織の長はどなたで」


「これも、決まっておらぬ。

公方様が指揮すべきという者と、名目上公方様であるとしても、その補佐として一橋慶喜様が実際の指揮すべきとする者で意見が分かれておる」


これは完全に将軍継嗣問題の先駆けだな。

もし、慶喜公が新組織の長となるなら、次の将軍候補として圧倒的に有利になるだろう。

だから、それを防ぎたい勢力が存在するということか。

とは言え、本来14代将軍となるはずの徳川慶福様は、元服しているとは言え、まだ数えで8歳。

どう考えても、慶喜公の代わりに新組織の長に出来る年ではないだろう。

だけど、今の公方様は病弱で軍の指揮を取れるような状況にないと言う。


「マズイですな。

慶喜公就任に反対する者は、おそらく本気で公方様に新組織の指揮を取らせるつもりはないと思われます。

ただ、時間を稼ぎ、慶喜公の対抗馬となりうる慶福公が成長されるのを待つつもりでしょう。

だが、その間にも、攘夷の意思を持った多くの者が全国から集まってくる。

これを組織し、制御せねば、江戸の治安は非常に危険な状態になりかねませぬ」


江戸が夢で見た京都の様な状況になりかねないということか。

家督を譲り、藩との関係を断って来た連中なら、夢で京都に現れた攘夷浪士と変わらないからな。

家と藩に責任を問えない以上、制御に失敗すると勝手な行動を取りかねない。


「ああ、だから、とりあえず、護衛希望で集まる者達を集め、軍事教練を施すことを提案しておる。

場所がなくば、下田で引き取ってもええ」


「そうですな。長が決まらずとも、組織作りは早くした方が良いでしょう。

ですが、下田にするのはどうかと。平八の夢によると、冬になれば」


「ああ、そうか、それがあったそうか。

では、江戸で教練を行い、ついでに救護訓練でもさせておくか。

確か、今年だけではなく、来年は江戸にもあるのだろ」


「ええ、そこで活躍出来れば、新組織は一気に江戸っ子たちの支持を得られることでしょうな。

勝君が戻ったら、火消しの元締め、新門辰五郎を紹介させましょう。

救護訓練をさせるなら、火消したちとの連携も重要となるでしょうからな」


こうして、海舟会の対策会議は続いていく。


まだ、どのような未来に辿り着くかは決まっていない。

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