第十五話 これまでの成果

現実は、アッシが夢で見たこととは異なる方向へと動き出している様に見える。


果たして、アッシらは世界線の変更に成功しているのだろうか。


水戸藩と松前藩は樺太制圧に成功し、ロシアとの交渉は日本の樺太領有を認めさせるのと引き換えに、日本がロシアへ視察に行き、樺太で通商を始めることが検討されている。


アメリカとは、アメリカ大統領が日本に戦争を仕掛けるなという命令をペリーに出してくれていたおかげで、親書の内容とペリーの行動の矛盾を指摘し、アメリカに日本の法を守ることを認めさせた上で、アメリカ視察の提案を出すことにも成功している。


その上で、アメリカから大筒と鉄砲を分捕って、幕府の連中にアメリカの力を見せつけることにまで成功している。

まあ、この辺は象山先生が自慢げに説明してくれたから知っているんだけど。


アッシの夢では見たことない光景ばかり。

全てがうまく行っているように見える。

だが、歴史がちょっとした行動で簡単に変わる物ではなく、歴史の修正力だの、運命だのというものが本当に存在するなら、揺り返しがいつ起きるかわからない状況だろう。


そして、その揺り返しが起きるとすれば、まずは長崎だろうと象山先生は予想して、長崎に勝さんと吉田さんを残し、川路様と共に待たせているのだけれど。

果たして、アッシの夢の通り、あいつらは来るのか。

アメリカ、ロシアの行動が変わった影響で来ないのか。

その回答は、あと数か月で判るはずだ。


そんな中、江川英龍先生が象山書院にやってくる。

砲術大会の数日後だから、その後の幕閣と外様大名お歴々の話し合いの結果報告だと思うのだけれど。

しかし、海舟会との連絡役は大久保忠寛様のお役目だと思ってたんですが、どういう風の吹き回しなんですかね。

江川先生も忙しいお方のはずだから、理由もなく来るはずはないのだけど。

まあ、元々、象山先生が嫌いだから、大久保様に海舟会との連絡役を任せていた可能性はあるのだけれど。


象山先生と一緒にペリーと交渉したり、阿部様と面会したりしたから、少しは仲良くなったのかな。

そんな風にも思ったんだけど、二人の間に、そんな空気は流れていなかったりする。

集まっているのは、勝さんと吉田さんを除いた海舟会一同。

その前で、江川先生は話し始める。


「まず、今日集まって貰ったのは、先日決まった内容を海舟会の面々に伝え、依頼を出す為である」


「ほう、ご下命ではなく、依頼でございますか」


象山先生がそう確認すると、江川先生は少し嫌な顔をして応える。


「その方らは、幕臣でもなく領民でもない。

それ故、ご下命を賜るのではなく、選ばせよとの阿部様よりの指示だ。

海舟会には、平八の様に、幕府に対する忠などない町民もおることだしな」


「アッシが覚えていることは、ほとんど全部お伝えしてますからね。

もう、こんな老いぼれがお役に立てることがあるとは思えませんが」


アッシは正直にそう応える。

多少なりとも、江戸の町には愛着があるし、ここにいる人たちにも親しみが湧いてきているから、ここが火の海になるようなことにはなって欲しくないって気持ちはありますがね。

もう、伝えることは、ほとんど伝えたはずだから、凡人であるアッシは高みの見物をさせて貰い、後は英雄たちにお任せしたいというのが本音のところ。


「そう思っているのは、お前だけだろうな。

佐久間の手綱を握っているのもお前だけだし、長崎でのオランダ、ロシアとの交渉でも、ペリーとの交渉でも、お前の助言が随分役に立っておる。

だから、阿部様としても命ずるのではなく、出来る範囲で協力して貰うようにと考えられたのだ」


「まあ、そうですな。

人間、やりたくないことを押し付けられたところで、やる気にはならん。

それでは、効率も悪い。

平八には、勝手にやらせておくのが一番でしょう」


象山先生が偉そうに論評すると、再び江川先生が嫌な顔をした後、続ける。


「それで、まずは、先日のお城で決まったことを伝える。

その上で、各々おのおのどうするか考えるのだ」


「そのようなこと、象山先生はともかく、アッシらにまで伝えてよろしいので」


幕府は基本、下々の者にはお触れという形で命令を伝えるだけで説明なんかしないのが普通。

だから、アッシの夢で、阿部正弘様が黒船に関する情報を公開し、対策を広く世に問うたことが幕府の権威の失墜に繋がったと言われている位なのだから。


「もともと、佐久間の案ではあるし、この後、庶民にも公表する話だ。問題はなかろう」


「僕の案とすると、異国への派遣案の話ですな。

それを、庶民に公表するとなると。なるほど、やはり、阿部様は中々仕事の出来るお方のようだ」


象山先生がそれだけで話の内容を察したようで腕を組み満足げに頷くのを見て、江川先生は眉間に皺を寄せる。


「佐久間、貴様、どうして、賢しげな口を叩く。

目上の方を論評するなど、もってのほかであることが何故わからぬ」


「あ、これは失礼致しました。僕の予測を上回る阿部様の仕事ぶりについ口を滑らしました。

平にご容赦を。しかし、他の者は、事情が判らぬ様子。どうぞ、お話しをお続け下さい」


象山先生が謝罪とも思えない謝罪を偉そうにするのを睨みつけた後、江川先生はため息をついて話を続ける。


「今、日ノ本には多くの異国の船がオランダのように交易をしたいとやってきておる。

異国を追い返すにしても、異国の戦力も知らず、砲撃をするなど愚の骨頂。

敵を知り、己を知り、地の利を知れば百戦危うからずという兵法の基礎にももとる行為。

だが、今、異国の情報を知る方法はオランダを通すしかないのが現状。

もし、オランダがいい加減な情報を流してもそれを信じるしかない危険な状況だ。

そこで、幕府は、海外渡航の禁を緩め、日ノ本との交易を求める国に対する視察を実行することを決定した」


なるほど、これは幕府が庶民や他の大名に発表する建前を話しているという訳か。

決して、幕府が異国を恐れている訳ではないことを強調し、

戦う為に異国を知るのだと攘夷論が沸騰するのを防ぐ方針な訳ですな。


「そこで、異国への視察に行く者を広く募集したい。

異国に行けば、何に襲われるかわからぬ。いくさになるやもしれぬ。

だから、お家を守らねばならぬ者の参加は認めぬ。

もし、家の当主であるなら、家督を譲ってから参加せよ。

藩への忠があるというのなら、参加してはならぬ。

だが、藩への忠義よりも、日ノ本を異国から守りたいというのなら、藩主はその志を閉ざしてはならぬ。

それは国を思う立派な志である」


これで攘夷の意思のある武士たちが多く集まることになるだろうな。

家督を継げない次男、三男の部屋住みの武士も。

藩と家に縛られない国防の為の人々が集まるという訳か。

これは、象山先生の長期の策に手を出した訳ですね。


「日ノ本を守りたいなら、学者、職人、商人も参加せよ。

庶民でも、異国の技術、商いなど、調べられることは多いはずだ。

調べたことを報告し、共有し、この国を守るのだ」


そして、武士という身分に拘らず、様々な身分の者を募集する。

そうすれば、間違いなく、技術の情報も、商業の情報も、豊富に入手出来るとは思いますがね。

だけど、これは、そのまま身分制度の崩壊へ繋がる可能性もあるんじゃないですか。

よく、こんなもの、幕閣が了承したものだな。

一体、阿部様、どうやったら、こんなこと実現出来るんだ?


「参加意思のある者は、護衛、学者、職人、商人とそれそれの分野につき、江戸で審議を行う。

藩や家を捨てるのは、その採用が決定してからで良い。

その結果、採用された者には、一代限りではあるが幕府から碌を賜ることとする」


「その碌は、参勤交代を軽減することによって得られるものですか?

それとも、幕府の御金蔵から支払われるものですか」


「参勤交代を3年に一度と軽減することにより、藩の財政を幕府に報告。

参勤交代を減らして浮いた分の資金を幕府に上納することが決まったのだ」


「ほほう、そこまで。いや、阿部様は僕の予想を超えてきますな。

いやいや、おみそれいたしましたな、これは」


象山先生が感心しているが、これにはアッシも驚きだ。

かつて、参勤交代を緩和して、その分、米を幕府に上納させるという上米の制はあったし、夢の中では、今から八年後に、参勤交代は3年に一度に軽減されている。

だから、参勤交代が緩和されること自体は、決してあり得ない話ではない。

だけど、どちらの緩和も、幕府の権威低下、藩の力の充実に繋がっていたのだけれど。

藩の財政報告と参勤交代分の資金の上納が確保されるとなると、話は逆だ。

幕府の力が一気に増強され、各藩の実際の力が幕府に把握されるようになる。

内政は各藩の工夫に任されるにせよ、外敵に対しては幕府が中央集権で対抗出来るようになる。


こんなもの、どうやって合意が取れたんだ?


「阿部様は、佐久間、お前のように、理をもって、強引に論破したりなどされない。

じっくり話して、相手が阿部様の望む答えに辿り着く手助けをされるのだ。

論破されて渋々従う場合、反証をみつければ、人は意見を簡単に変える。

自分で答えを見つけたと思っていれば、簡単に意見を変えることはない。

そういうことだ」


江川先生がそう言い放つと象山先生が少し悔しそうな顔をする。

二人とも天才なんだから、意地の張り合いなんかしないで、仲良くして下さいよ。

子どもか、あんたらは。


「さらに、幕府は異国と戦う為に武器が必要と、使わぬ武器を買い取ることを宣言される。

藩に仕えず、かと言って異国と戦う意思のない者に武器は不要である。

不要な武器を持つ者は幕府に翻意があると見做す。

これを献刀令とする」


これで、戦う気概のある浪人はこぞって派遣団への参加を申し出るだろう。

で、もう戦う気のない連中は、刀を売った支度金で生活をしていくということか。

この命令なら、やくざ者の長ドスも規制対象になりそうだし、攘夷浪人が異人に勝手に斬りかかるようなことも防げそうだな。


まあ、この辺は、低い立場の浪人がどうなろうと関係ないので、結構自由に決められたのだろうけど。

参勤交代の緩和で豊かになった予算で、戦わない侍のことまで考えるってのは、阿部様の繊細な平衡感覚、敵を作らず、不平不満を生まない、穏やかな改革のやり方なのだろう。


「それで異国視察団は、ロシアには既に隠居されている前水戸藩主、水戸斉昭様が団長となり、アメリカには彦根藩主井伊直弼様がご嫡男に家督を譲られ団長として行くことが決定しておる。

そこで、海舟会の者どもに、これらへの参加の意思と、これからの方針に関する意見を聞かせて貰いたい」


阿部様が繊細な舵取りをしようとも、改革の速度は象山先生が予想していたよりも遥かに早い。

流れが早ければ、暴走、事故が起きる可能性も否定出来ない。


海舟会での国防対策会議がこれから始まることになる。

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