第九話 異国の脅威
砲術大会の後、優秀な成績を収めた藩を表彰するという名目で有力な藩が江戸城の一室に集められる。
鉄砲競技会、砲術競技会で優秀な成績を収めた外様の薩摩藩、佐賀藩、福岡藩。
水戸藩、紀州藩、尾張藩の御三家。
彦根藩、会津藩などの譜代大名。
そして、阿部正弘を始めとする老中の面々。
その中に、江川英龍の姿もあった。
江川英龍が呼ばれたのは、西洋の専門家として、あるいはペリーと実際に交渉をしたものとして、聞かれたことに答える為だ。
能力だけを考えれば佐久間象山でも良いのだが、身分とその態度から、象山の出席は見送られた。
江川としても、参加していると言いつつも、平伏し、聞かれたことに答えるだけなので、出来れば参加したくないのだが、異国を知らないお歴々に現実を知って貰う為には仕方ないこととして受け入れている。
全員が揃うと、阿部正弘が挨拶をする。
「まずは、皆さま、お見事でございました。
今回の砲術試しには、オランダ商館長クルティウスにも観戦頂いておる。
我ら、日ノ本の力が、決して侮れないものであることは、彼らの目を通じて異国にも届くことでございましょう」
阿部正弘がそう言うと、外様大名を敵として警戒する井伊直弼が口を挟む。
「全く、実に見事な鉄砲と大筒でございました。
一体、あの様な武器をどうして、どうやってお歴々は手に入れられたのやら」
井伊直弼は暗に九州の外様大名たちが、異国と結びつき、抜け荷(密輸)をしているのではないかと口にしたのだ。
阿部正弘に外様大名が異国と手を組んで幕府に叛旗を翻す可能性を示されている
井伊直弼にとっては、妄想でも何でもない。切実な危機感である。
そして、外様大名に砲術大会で負け、恥を晒したと思う他の譜代大名も、その言葉に乗ろうと考える。
自分たちが負けたのは、力が足りなかった為ではない。
外様大名が卑怯なことをしたからに違いないと思いたがり、抜け荷をしているならば、そんな藩は取り潰してしまおうと考えた。
それに対し、疑われた側の外様大名は涼しい顔をしており、彼らを代表して、島津斉彬が応える。
「いやいや、お恥ずかしい。あれは、蘭書を研究し、薩摩で作った物。
所詮は、本を読んでの人真似に過ぎませぬ」
「左様、左様。九州は、こちらとは比較にならぬ程、多くの異国の船が参りましてな。
それらに対抗する為に研究させた苦肉の策でございます」
それを佐賀藩の鍋島直正が付け加える。
「何と、本を読んだだけで、あれだけの物が作れるとおっしゃるか」
井伊直弼が疑わし気に言うと島津斉彬が応える。
「もちろん、随分と試行錯誤がございました。何度失敗して苦渋を舐めたことか。
ですが、何とか形になりましてな。今なら、鉄砲を作るところをお見せ出来ますぞ」
生きて帰れぬ薩摩飛脚と呼ばれるように、薩摩は何度幕府の隠密を送り込まれても実力で排除してきた国だ。
実際は、斉彬が薩摩藩主就任前の内紛、高崎崩れで情報が幕府に流れたことはあるのだが。
そんなことを知らない直弼は、薩摩に視察に来ても構わないと告げる斉彬の迫力に気圧される。
「だが、あの鉄砲はゲベール銃と申すのですが、早打ち、連射、遠当てには良いのですが、威力、命中精度では、お歴々の火縄銃には敵いませぬ。
随分と訓練させた者に撃たせたのですが、おそらく射程距離内なら、的の中央付近に当てているのは、皆さまの鉄砲でございましょう」
斉彬がそう言うと阿部正弘は、近侍に鉄砲競技会の的を持ってくるように指示する。
すると、既に打ち合わせが行われ、準備されていたのだろう。
各藩毎に整理された的が、彼らの前に並べられる。
それを見ると一見でわかる。
なるほど、確かに、薩摩藩らの鉄砲は遠くには届いているが命中精度は、あまり良くない。
火縄銃は的の真ん中近くを打ち抜いたものが多いが、薩摩の鉄砲は遠くても、近くても、的の真ん中に当たっているものがあまりないのだ。
ゲベール銃と言うのは50年も前のナポレオン戦争頃から構造の簡略化、大量生産、大量発射を目的する銃で、その命中精度は低かったが、構造の簡略化のおかげで真似をするのも難しくはなかった銃だ。
そんな中、最後に江川英龍が撃たせた的も一緒に並べられており、斉彬が感心する。
「それにしても、幕府の的当ての実に見事なことよ。
我らの鉄砲の倍も飛びながら、見事に真ん中を打ち抜いているではござらぬか。
幕府が、このような鉄砲をお持ちとは、驚きでございましたぞ」
斉彬がそう言うと阿部正弘が事も無げに幕府の秘密を明かしてしまう。
「いやいや、あの鉄砲は、アメリカより先日借りたばかりのものでございますよ。
黒船で我らを騒がせた詫びとしてですな。そうであろう。太郎左衛門(江川英龍)」
「は」
英龍が平伏して応えると、幕閣が声にならない悲鳴をあげる。
阿部様は何故、外様大名に弱みを見せてしまうのだ。
外様の連中が、幕府に敵わないと恐れ
江川英龍にも、そんな風に日ノ本しか見ない幕閣、譜代のお歴々の考え方は手に取るように判る。
だが、異国の脅威に対抗する為には、国を一つにし、一人でも多くの人間が異国と立ち向かう必要があるのだ。
阿部正弘にも、江川英龍にも、詰まらない見栄を張っている余裕はない。
それほどに、日本が危機的状況にあることを彼らは実感していた。
「あの鉄砲は何故、あの様に遠くに飛び、的に当たるのだ。余程、腕の良い鉄砲隊を使ったのか」
「いえ、あれは、下田の農兵でございます」
その言葉を聞いて、幕閣は更にギョっとする。
英龍が下田で農兵の訓練をしていることは知っていたが、百姓など戦の役に立たぬ、百姓に武器を渡せば身分制度の破壊に繋がり、反乱を起こされたらどうするのかと英龍を批判してきた者ばかりなのだ。
「何と、百姓が、あの鉄砲を撃ったのか。何故、その様なことをさせた」
「アメリカなる国は身分制度なく、百姓から君主や兵士が生まれる卑しき国と聞き及びます。
ならば、預けられた品とは言え、武士が使うに値する武器とは思えず、農兵に使わせることといたしました」
「なるほど、そうか。立派な心掛けじゃ」
攘夷の急先鋒である水戸斉昭が、大声で英龍を褒めると、英龍を批判しようとしていた連中は声を上げることが出来なくなる。
その様子を見て、阿部正弘は更に続ける。
「そうか。で、あの鉄砲は何故、あんなに当たるのだ。百姓とは言え、余程の訓練をさせたのか」
「いえ、鉄砲の弾が勿体のうございますから、然程の訓練はさせておりません。
全ては、あの鉄砲の性能故かと」
「何が違う?」
「最大の違いは、鉄砲の内側がライフリングと申しまして、銃の筒の中に浅く溝が彫られておるのです。
そのことにより、弾丸が回転しながら飛ぶのです。
その為、弾丸は的から逸れることなく、真っ直ぐ進むようでございます」
「左様か。それで、あの鉄砲を黒船に乗っていた連中はどれ位持っていたのだ」
そして、事前の打ち合わせ通り、異国の武器の脅威は、そのまま異国の脅威に繋がることを示す為に話を進める。
「最低でも、一人一丁は持っていたかと。
そして、アメリカという国は武士がおらず、百姓が皆武器を取る国と聞きますから、果たして、どれだけの武器と兵があるのやら」
そこで、余程鈍い者でも、アメリカという国の厄介さに気が付かされる。
百姓ばかりの国と侮っていたが、それが全て兵となり、襲い掛かってくるのだ。
百姓の中から君主を決めるのならば、君主を倒したとしても、
その上で、武器は、危険だと思っていた外様大名も感心する程の出来だ。
「では、あの大筒も、アメリカの物でございますか」
島津斉彬が確認すると、英龍が応える。
「は、その通りでございます。
イギリスが無法を行ってきた時に備え、戦えるようにと何十門も軍艦に積んできた大筒の内の幾つかと爆発する爆裂弾を貸し与えられたものでございます」
本当は、16門しかないペクサン砲の内、2門だけを強引に借りただけなのだが、そこは正直に教えず、英龍が応える。
効果は覿面で、何十門もの大筒から爆裂弾が一里近く(約3.2キロメートル)も飛んで、江戸の町をを吹き飛ばす光景を幻視して、多くの者が青ざめる。
「太郎左衛門、その様な相手をよくも、追い返せたものだな。どうやったのだ」
阿部正弘が尋ねるので、英龍が応える。
「今回は、アメリカに
連中が本気で日ノ本を攻撃することを決めれば、苦戦は免れませぬ」
「異人どもに、
では、これらの武器を研究し、作ることは出来るか」
「時間が必要でございます。
大筒を作るには純度の高い鉄が必要で、その為に反射炉が必要ですが、江戸にはまだ反射炉がございません。
更に、このライフリングというのをどうすれば実現出来るのか。
かなりの研究が必要でしょう。
爆裂弾にしても、然り。
その上、これが異国の最も優れた鉄砲と大筒であるという保証もございません」
英龍がそう言うと、阿部正弘は考え込み、外様大名に問い掛ける。
「お歴々は如何に」
「難しゅうございますな。江川殿が仰る通り、これらの武器は、我らの持つ技術の水準を超えたもの。
反射炉の建設は進めておりますので、鉄は手に入るやもしえませんが、それだけでは」
と島津斉彬が応えると鍋島直正が付け加える。
「我が藩では反射炉の製造に成功しておりますから、鉄を作るだけなら可能ですが、それ以外となると、やはり時間が必要ですな」
「更に、
ですが、我らは大船建造の禁で、蒸気船の研究すら出来ない状況ですからな」
と福岡藩藩主黒田長愽が付け加える。
ちなみに、この黒田長愽は、家は黒田長政の家を継いでいるが、島津家からの養子であり、斉彬にとっても遠い親戚にあたる。
血統ではなく、お家が大事の江戸時代では、こういう事が結構良く行われているのだ。
強大な力を前に対抗手段がないことに空気が沈んできたところ、
楽観的で、譜代大名には珍しい蘭癖大名の
「それ故、我らはオランダより、既に武器と蒸気船の買い取りを依頼しております」
この堀田正睦は平八の夢では、阿部正弘の後、老中首座となり、幕閣を率いていくはずの人間である。
だが、蘭癖家で開国派あるが為に、水戸斉昭を無視し、攘夷派を刺激し、数々の失策を重ねてしまった人物でもある。
それに対し、水戸斉昭が反駁する。
「ふん、オランダも所詮は異国。そんな連中が、正直に良い武器など、売ると考えておるのか」
「いえいえ、水戸様。だからこそ、今回のオランダ商館長の観戦が効くのですよ。
これで、オランダは我らが優れた武器を持っていることを知りました。
更に、アメリカが我らと交易を望んでいることも知っております。
ならば、古い武器を売って暴利を貪ろうなどとはしないはずではありませんか」
そう言われて、斉昭は不満そうにフンと鼻を鳴らす。
確かに堀田の言うことは正しいのだろう。
実際、本来の歴史において、ライフル銃など知らない日本に、世界では古い物として使われなくなったゲベール銃が高値で大量に売られたという事実がある。
今回の砲術大会は、その様な取引を抑止する一手となるのかもしれない。
だが、多くの人は自分の意見を真正面から否定されれば、不愉快になることの方が多い。
身分の高い人なら、尚更だ。
正しいことは言えば良いというものではない。
正しいことを知った上で、どう伝えるかということも重要なのだ。
それを、堀田正睦は、どれ位わかっているのだろうか。
阿部正弘は自分の後釜に据えようと思っていたのは、この堀田正睦である。
開国を進め、異国に負けない力をつける方針で国を進めるには、譜代唯一の開国派とも言える堀田正睦しかいないと思っていた。
だが、平八の夢の話を聞いた影響か、阿部正弘は堀田正睦の軽率さが気になり始めていた。
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