第七話 増長を打ち砕け
ペリーは条約に署名すると、すぐに江戸湾を出て、アメリカに帰っていった。
一刻も早く日本の遣米視察団を迎える為に。
その結果、江戸城は浮かれに浮かれた。
前回は、ペリーに江戸湾に居座られた上に、浦賀への上陸まで許したのだ。
ところが、今回は一度の会談で撃退出来た。
幕閣以外の人間には、幕府がペリーとどんな約束をしたかわからない。
だが、一日でペリーが江戸湾を出ていったのは事実だ。
ペリー撃退に成功した江川英龍は英雄のように賞賛され、前回のペリー襲来で、傷ついた幕府の権威は完全に回復されたと幕閣の多くの者は感じていた。
その為、日本には、異国など追い返せるという認識が広がり始めていた。
その結果、条約の文案については、既に幕閣にも許可を貰っているはずなのに、遣米視察団など、またアメリカが来たら難癖をつけて断ってしまえば良いと言い出す老中も出始めた位である。
歴史において、勝ってはいけない場面で勝った為に、それが原因で暴走し、その結果滅亡する国家というのは実は少なくない。
だからこそ、平八は勝ち過ぎないようにと注意したのだ。
だが、平八の心配した通り、幕府のお偉方は安心すると、異国を甘く見始めていた。
アメリカも、ロシアも撃退出来たのだ。
日本は、今まで通りで大丈夫だ。
そんな空気が生まれ始めていた。
そこで老中阿部正弘は、ペリー撃退の功労者を労い、その成果を聞くという名目で、江川英龍、佐久間象山、中浜万次郎を江戸藩邸の茶室に呼び出すことにしたのだ。
茶道において、建前上、いわゆる上下関係はない。
亭主と客は対等な関係であるとされる。
佐久間象山という傲慢と評判の男を迎えるには、身分など関係のない茶室が相応しいと考えたのだ。
それに対して、江川英龍は絶対に失礼を働くからと反対したのであるが。
この佐久間象山という劇薬を何とか使いこなす必要があると阿部正弘は考えていた。
茶室に招き、江川英龍、象山、万次郎の順で席につき、茶を振る舞い一息入れると、阿部正弘はまずペリーを撃退した彼らに労いの言葉を掛ける。
「此度のこと、誠に大義であった」
老中に声を掛けられ、江川英龍と万次郎が平伏する中、全く空気を読まず、象山が返事をする。
「今回は、ペリーが大きな失策を犯しましたからな。僕は、誰でも出来る簡単なことをしてきただけです」
堂々と答える象山を江川英龍は睨み付ける。
いくら茶室の中といえど、完全に対等の様に話す象山はやはりどうかしている。
身分に煩い人間ならば、今のやり取りだけで、無礼を許せないものもいるだろう。
彼の前の主で先年亡くなった前信濃松代藩藩主真田幸貫が、彼を悍馬と称したのも納得だ。
だが、阿部正弘には、そんな態度を気にしているような余裕はなかった。
「なるほど、簡単なことか。では、佐久間修理、この先、どうなるかを話してみよ」
「はて、僕の考えは既に海舟会の建白書でお伝えしているはずですが。
まだ、読んでいらっしゃらないのですか」
読んで当然という象山の態度に阿部正弘は苦笑しかけるが、それを堪えて尋ねることとする。
「あの建白書に書いたこと以外に、何も起きないと考えておるのか」
阿部正弘がそう尋ねると、象山はすぐに答えた。
「ああ、今回のペリー撃退で調子に乗った連中が現れましたか」
象山が苦も無く、今の問題点を指摘したことに阿部正弘の期待は高まる。
「ほう、何故、そう思う?」
「最初から予測出来る範囲です。
その上、江戸の庶民ですら、アメリカが大筒を献上して帰っていったと評判ですからな。
異国を舐めて調子に乗る馬鹿者が現れることを予想出来ない輩がいる方が驚きですな」
象山の傲岸不遜な口振りに、思わず江川が噛みついてしまう。
「何を他人事のように言って居る。
打ち合わせになかった大砲と鉄砲をペリーから奪ったのは、お前だろうが。
その結果、調子に乗ったものが増えたとは思わぬのか」
「まあ、あれにも、色々と理由がありましてな。
それにしても、遅かったですな」
「遅かった?」
「増長した連中の頭を叩く為の策を聞きたいといことなのでしょう。
ならば、すぐに僕に聞きに来るべきでしたよ。
僕の立てた策なのですから、僕より改善策を出せるものがいる訳がないでしょう」
如何にも当然のように話す象山に江川は呆れ、万次郎は苦笑する。
その様子を見て、阿部正弘は万次郎に声を掛ける。
「おかしいか、中浜」
急に阿部正弘に声を掛けられたが、万次郎はさして慌てることもなく答える。
「この国では珍しいですが、佐久間様の様な態度の方は、アメリカでは結構おります。
それが何とも懐かしくて」
万次郎がそう言うと、象山が万次郎に噛みつく。
「僕の様な態度の人間がアメリカには、大勢いると言うのか。
才能はどうだ?僕に匹敵する才能のあるものはいるのか」
「いえ、佐久間先生の様な方には、会ったことがありません。
アメリカでは、謙虚に振る舞うより、自己主張をしなければならない社会ですから」
「そうか。能力もないのに、偉ぶる奴ばかりか。迷惑なことだな」
「お前の方が迷惑だわ!増長した方々をどうにかする前に、お前の増長を何とかせんか」
江川は思わず象山のあまりの言い様に口を挟んでしまう。
万次郎の言う通り、アメリカには象山のような人間が大勢いるとしたら、江川にとっては悪夢でしかない。
口論になりかけるのを阿部正弘が止める。
「そうか、アメリカの話は興味深いが、それは後で聞かせて貰おう。
佐久間、どうすれば、幕府の異国に対する増長を防げる」
「簡単です。異国など、恐れるに足らぬと仰る方々を集めて下さい。
そして、その方々に、大筒と鉄砲を用意させるのです。
異国を簡単に追い返せるというなら、それだけの力を見せてみろと言ってやれば良いでしょう」
象山がそう言うと江川英龍が慌てる。
「待て、待て。まさか、それで、今回手に入れた大砲や鉄砲と比べさせるつもりか」
「その通りです。大口を叩いた所で、圧倒的な力の差を見せつければ、
もうアメリカなど恐れるに足らずなどと恥ずかしくて言うことは出来なくなるでしょう」
確かに、今回、象山が手に入れた大砲と鉄砲の性能差は圧倒的だ。
威力、射程距離を比較すれば、全く勝負にはならないだろう。
「だが、それでは、反対された方々の面子が丸つぶれになるではないか」
公の前で武士に恥をかかせればどうなるか。
武器の用意をした藩の家臣達は主君に恥をかかせたとして、切腹させられることになるだろう。
どうして、この男は、そういう配慮が出来ないのかと江川は苛立つ。
「今回、アメリカを追い返せたのは、アメリカ政府が日本攻撃を命令していなかったからに過ぎません。
まともに戦えば、圧倒的な兵力差に、あっという間に負けていたでしょう。
そんな事も理解出来ない阿呆には黙って貰った方が、この国の為です」
象山が傲然と言い放つが、阿部正弘としても、もっと穏便に済ませたいところだ。
そもそも、恥をかかされたと思った連中が逆恨みして、敵に回ったら、余計な手間が掛かることになるだろう。
「確かに、それは一つの方法としてあるだろう。
だが、もっと穏便な方法はないのか。敵はなるべく作らぬ方が良い。
佐久間なら、他の策も立てられるだろう」
阿部正弘がそう言うと、象山は少し困ったような顔をする。
「阿部様も、平八の様なことを仰るのですな。
僕としては、邪魔をする阿呆どもは追い払いたいところだったのですが」
江川英龍は、平八の名前を聞いて、少しホっとする。
あの男が既に象山と相談しているならば、ちゃんとした落しどころを用意しているのだろう。
やはり、象山という男は平八という手綱がないと、何処まで走るかわからない暴れ馬だ。
「では、江川先生が幕閣よりお褒めの言葉を頂いた時に、アメリカ撃退の功は、江川先生だけではなく、沿岸で警備をしていた方々がアメリカの軍艦に脅威を与えたおかげだとお答えください」
「それでどうなる?」
「それで、阿部様は警備の者の功だと言われても、それでは誰を一番手柄としたら良いかわからなくなる、と困って見せて下さい」
「それで、警備の方のどなたかが、いざ戦となれば、最も役立つのは自分だ、と言って下されば、後は簡単でしょう」
「議論が紛糾したところで、砲術の試しを私から提案するのか」
「仰せの通りです。阿部様も、噂通り、なかなか飲み込みが早いようですな」
「こら、阿部様に、その言い方はいくら何でも無礼だろう」
江川が止めるのを阿部正弘は苦笑して止める。
「構わぬ。それで、警備の者たちが持ってきた武器を揃えて競わせ、第一功を決めるのだな」
「はい。それで、恐らく第一功となるのは、
薩摩、佐賀、宇和島藩など新しい軍備を揃えつつまる外様大名でしょう。
競い合い、外様に負けることは恥かもしれませんが、大言壮語を吐いた後でなければ、さほど酷い恥辱にはならぬはずです」
「確かに、恥辱を感じるよりは、外様大名の脅威を感じる者の方が多いだろうな」
「そうです。同じ条件で競い合い、勝つのは一藩だけ。
後は全て敗者であるなら、恥をかかされたと思う者は少ないでしょう。
そして、第一功が決まった後、最後に、僕がアメリカから手に入れたスプリンフィールド銃とペクサン砲を使って見せるのです。
名目は、そうですな、アメリカよりの寄贈品のお披露目というところでどうでしょう」
「なるほど、外様大名に脅威を感じているところ、それを遥かに上回る脅威を見せつけてやるということか」
「はい。それで、アメリカなど恐れるに足らずと言うような阿呆はいなくなるでしょう。
スプリンフィールド銃は既に中をらせん状に削るライフリングという加工をしておりますから、射程距離、命中精度、打ちやすさ、全てにおいて、外様大名が持っていそうなゲベール銃と比較しても圧倒的です。
ペクサン砲は青銅製ではなく鉄製、その砲弾は1里近く飛ぶ上に、命中と同時に爆発する炸裂弾を発射します。
これで、無学な庶民ですら、アメリカの脅威を理解することでしょう」
象山はドヤ顔をして見せるが、阿部正弘は内心で冷や汗をかく。
それ程の脅威が、何門黒船に乗っていたのか。
話を聞いただけの自分で驚くのだから、実際に見せられる衝撃はどれだけのものなのだろう。
そして、その全てを見越して、アメリカから大砲と鉄砲を借り受けていた佐久間象山の才に阿部正弘は驚きを隠せなかった。
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