第四話 日米交渉

「日本という国は、機能不全を起こしている。

だが、日本人の底力を侮ってはいけない」

というシーボルトの言葉を、ペリーは、失意の中で思い出していた。


だが、彼は諦める訳にはいかない。

この日本遠征は、彼の軍人としての最後の仕事となるだろう。

ならば、それを失敗で終わらせる訳にはいかなかった。

日本とは、戦えば絶対に勝てるのだ。

日本人に、自分を批判する口実を与えてしまった、かつての自分の軽挙を後悔しながらも、その戦力差を利用して、何とか逆転することが出来ないか、ペリーは必死で考えていた。


だが、じっくり考える余裕も与えず、佐久間象山が迫ってくる。


「貴殿は我が国の法を犯し、軍事的脅威を与え、恫喝したのだ。

本来ならば、この親書の通り、二度と来ないで欲しいと答えるのは当然であろう。

その内容を変える為には、アメリカが我が国の軍事的脅威でないことを示し、我が国の防衛に協力することを皆に示す必要がある。

それならば、恫喝したように思われた軍艦が、我が国への貢ぎ物であったと示すのが一番だ。

そうすれば、これらの軍艦を恐れた者たちは、自分の臆病さを恥じることとなり、アメリカ人への拒否感も多少は和らぐであろうよ」


そう言って象山は笑って見せるが、ペリーには獰猛な肉食獣が舌なめずりをしているようにしか見えない。

アダムス参謀長がジョークとして、アメリカに軍艦が100隻あると言ってしまったが、それを根拠として、10隻もの軍艦を寄越せなどと、強欲にもほどがあるではないか。


「了解した。日本政府に何らかの品を寄贈することは、検討しよう。

だが、軍艦10隻は欲張り過ぎではないか。

ここには、まだ9隻しかないのだ。

10隻も渡したら、我々がアメリカに帰れなくなってしまうよ」


そう言ってペリーは笑って胡麻化そうとするが、象山はこれを逃がそうとはしない。


「何故だ?日本近海に50隻も軍艦があるのだろう。

それを呼び寄せ、乗り換えれば問題ないはずだが」


問い詰める象山を見ながら、中浜万次郎は苦笑を堪える。

ペリーの本当の情報を全部知っておきながら、何と性格の悪い。

実際のところ、ペリーの情報は、長崎から戻ってきた平八の報告書で確認済みなのだ。

オランダ側に確認し、ペリーが全権代理ではなく代将に過ぎないこと、アジア中のアメリカ軍艦を集めても20隻程度であること、全部知っていてペリーを追い込んでいるのだ。


「日本近海に軍艦が50隻あると言ったのは、アダムス参謀長のジョークだ。

笑って貰えると思ったのだが、それを本気にされるとは」


ペリーは苦笑して見せ、冗談もわからなかった、こちらが悪いとでも言うように答える。

だが、そんな誤魔化しを許す象山ではない。


「なんと、アメリカという国は公式の会談で現実と異なる数字を詐称し、それを冗談で済ませる国なのか。

会談の内容は、僕が全部、筆記してある」


そう言うと、象山は、今まで書いていた文書をペリーに見せる。

文書を見せられたペリーは凍り付く。

全ての会談が英語で筆記されており、50隻という発言もちゃんと書いてあるのだ。

ちなみに、象山は話しながらも筆記を止めていない。

交渉をしながらも、筆記を続けられる象山は本当に天才なのかもしれないと万次郎は感心するが、

ペリーにそんな余裕はない。


「公式の会談の場において、冗談と称して平然と嘘をつく貴殿らは天性の嘘つきなのか。

嘘つきは、貴殿たちだけなのか。それとも、アメリカという国そのものが信用出来ない国なのか」


あまりの言葉にペリーがカッとなる。

もともと、冗談のつもりで言ったことを、日本人が無知だから、勝手に本気にしただけのことではないか。


「佐久間、言い過ぎだ!黙れ!」


ペリーが大声で言い返そうとすると、江川が象山を英語で止め、次に日本語で話すのを万次郎が訳す。


「我々、武士は冗談など言わない。

だから、貴殿らが冗談を言っているなどわからず、嘘をつかれたと感じてしまうのだ。

我らと交渉するなら、必ずそのことを理解して貰いたい。

他に、冗談で言っていることはありませんか」


本当のところ、ペリーは全権代理ではないし、日本を攻撃する許可も受けていない。

だが、それを一々説明する気にはなれなかったので、ペリーは黙って頷くだけにする。


「承りました。それでは、他の発言は全て本当であるという前提で話させて頂く」


江川がそう言うと、ペリーはうっかりホっとした雰囲気を出してしまう。

まあ、江川もペリーがどんな嘘をついているか知っていて聞いているのであるが。


「日本には、佐久間のように異国を目の敵にするものもいれば、私のように異国に興味を持つものもいる。

だから、私としては、貴殿と協力して、お互いが納得して、利益をもたらす点を探したいのだ」


そう言われて、ペリーは希望を見つけたように頷く。

その様子を見て、作戦通りとほくそ笑む象山。

全ては事前に平八を含む4人で相談した通りの流れだ。

ペリーの油断を誘い失言させた上で、象山が追い込み、江川英龍が協力者のような顔をして妥協点に導く。

平八が繰り返し言っていたのは、勝ち過ぎないこと。

勝ち過ぎて、日本側がアメリカ恐れるに足らずと調子に乗られるのもマズイし、逆にペリーが日本に恨みを持ってしまっても困る。

アメリカは戦ってはいけない危険な相手で、ペリーには要求を勝ち取ったと思い込ませる必要があるのだ。


「だから、無意味な駆け引きはやめて、率直に話して頂きたい。

貴殿は何を望むのか。最低限、貴殿が成し遂げねばならないことは何であるのか」


そう言われてペリーは考える。

ペリーとて、代将とは言え、アメリカ海軍最高士官にまでなった男だ。

駆け引きはなしだと言われて、素直に駆け引きを止めるつもりはない。

弱気を見せず、要求を述べることにする。


「我々の要求は親書に書いたとおりだ。

まず、日本には捕鯨の補給にいつでも立ち寄れて、上陸、補給の出来る港を数か所開いて欲しい。

日本の近くには、鯨の良い漁場があり、アメリカの捕鯨船としては、 日本で石炭、食料、水の補給が出来ると大変助かるのだ。

もちろん、その代金は支払う。

そして、次に、日本との通商を始めたいのだ。

もちろん、日本が政策として、他国との通商をしていないことは知っている。

だが、アヘン戦争を起こしたイギリスという脅威がある以上、アメリカと通商し利益を上げておいた方が日本の為にもなる。

試しに何年か限定でも構わない。

アメリカとの通商を許可して貰いたい。

それが、実現出来ない限り、私はアメリカに帰れない」


最低限の要求を聞いているのに、図々しく最大限の要求をしてきたペリーに内心呆れながら江川が確認する。


「捕鯨の為の補給と交易が最低条件であると理解すればよろしいか?

その為に、こちらの出す条件は飲むと」


「そうだ。補給は緊急の為だけでなく、恒常的に補給出来る場所を確保する為の港を開いて貰いたい」


ペリーがそう言うと、象山が口を挟む。


「待て。補給出来る港を数か所開けという要求は受け入れられないぞ」


「どうしてだ」


「貴殿が日本の法を守らず、軍艦による威嚇を行ったからだ。

我らとしては、そのような無法行為を行う連中に港を開くことは出来ない。

そんなことをすれば、日本のアメリカに対する嫌悪感が爆発することになり、アメリカにとっても良い結果にはならない。

もし、それでも、開港を強要するというなら、この親書を出し、断る理由を説明するしかなくなる。

それで、アメリカ大統領にも、納得して貰えるだろう」


自分の軽挙の所為で、開港出来ないと言われ、ペリーは佐久間を睨みつけるが反論することは出来ない。


「残念ながら、私も同意見だ。日本本土での補給を許可することは出来ない。

そこで、妥協案を出そう。小笠原諸島での補給はどうだ。

あそこなら、捕鯨船も沢山来ているようだから、あそこで補給が出来ればかなり便利になるのではないか」


江川がそう言うと、ペリーがアメリカによるボニン島(小笠原諸島)領有を主張して反論する。


ここから、アメリカとの領土交渉が始まる。

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