第二十一話 宴の仕度が整う

長崎に平八達が到着してから、秋が過ぎ、冬がやってきた。


11月には、平八の夢の通り、プチャーチンが一旦長崎を去り、それを待っていたかの様に、いや実際に待っていたのかもしれないが、川路聖謨一行が長崎に到着する。


そして、その夜、すぐに海舟会の面々に呼び出しが掛かる。

プチャーチンと樺太の状況を確認しながら、わざとゆっくり来たとは言え、長旅で疲れているだろうに、そんなことも物ともせずに呼び出しをする川路聖謨は、おそらく夢で知った通りの人物なのだろうと平八は思った。


川路聖謨は、間宮林蔵の元上司で、江川英龍と共に西洋研究会である尚歯会に属していた人物。

交渉相手であるロシア人皆に好かれ、尊敬を勝ち得た人物。

そんな人が、海舟会の面々を呼び出し、にこやかに笑う。


「いやあ、お待たせした。

準備が整うまで、ロシアとの交渉をしてはならぬとの江戸よりのお達しでな。

何か月も時間を潰しながら江戸から来るのには、さすがに骨が折れたが、用もなく待たされた其方そなたらの方が大変だったろう。誠に申し訳ない」


川路聖謨は痘痕あばただらけの顔をクシャクシャにして頭を下げる。

金壺眼かなつぼまなこの丸い目は、引っ込んでいるのに、何処か愛嬌があり、とても勘定奉行という要職にあるお偉いお役人とは思えない風情だ。


「いえいえ、川路様、オイラ達は好きで勝手に長崎まで来て、長崎を堪能させて頂きました。

お詫びなんてして頂くには及びませんよ」


「そうか、長崎を堪能出来たか。

それは良かった。

そういうことならば、本題に入ろうか。

君らが海舟会、今話している君が勝麟太郎君。

私と同じあばた顔なのが長州藩の吉田寅次郎君。

その後ろに控えているのが。海舟会の黒幕、平八君。

最後に、その若いのが土方歳三君で良いのかな」


黒幕呼ばわりされて平八は否定しようとするが、勝さんは大きく頷く。


「いやあ、お見事。全部当たってますぜ。

オイラ達如きのことを、ワザワザ調べて来られたんですかい」


「如きとは随分、自分達を安くみておるようだな。

今、阿部様を始めとした幕府は、其方ら、海舟会の献策を基にして動いておる。

その様な策を出した者が何者であるのかを調べるのは当然であろう。

まして、これから話すことは公儀の秘密でもある。

もし、間諜でも混じっていれば大変なことになるではないか」


「まだ、間諜の疑いがあるんですか?

まあ、海舟会には立派な血筋の人間なんて、誰もいないから仕方ないのかもしれませんが。

異国に教えられたらマズイ情報があるなら、こちらで確認したことだけお伝えしますが。

そもそも、そんなに疑うなら、オイラ達が出島に言った時も、

幕府のお目付でも同席させれば良かったじゃねぇですか」


「うむ、確かにそうであったな。

通詞と目付を同席させておいた方が、オランダに情報漏れする恐れはなかったか。

ただ、目付もつけると、目付にも其方達の情報が伝わってしまうのが難しいところでな。

まあ、間諜の警戒をするのは、形式的なものだ。気を悪くせんでくれ。

それで、長崎での海舟会の活動を聞かせてくれないか」


「まあ、やったことは欠かさずに、大久保様宛ての報告書で出させて頂いているんですがね」


そういうと、勝さんは、まずオランダとの間で確認出来た国家間の法のことを説明する。


「オランダの説明した国家間の法に基づけば、アメリカの行動は蛮行に属するものであったことは、私も報告書で読んでいる。

だが、それは間違いないことなのか。

オランダとアメリカが裏で手を組み、嘘の情報を教えられている危険はないのか」


確かに、オランダの言ったことが嘘で強気に出たら、アメリカに攻撃の口実を与える危険はあるのか。

慎重ではあるけど、警戒するのは間違っていないかな。


「まあ、オランダが嘘を教えた可能性は低いと思いますぜ。

オランダにしてみりゃ、日ノ本との貿易を独占しておいた方が儲かる話。

アメリカと組んで、日ノ本を侵略する利益なんざ、ほとんどないと思いますぜ」


「だが、其方らの報告によれば、オランダは今や斜陽国家だというではないか。

日ノ本を実力で侵略する力などないとも聞いておる。

それならば、アメリカに脅迫されるなりして、従っている危険はないのか」


「そのようなことはあり得ないとは言えませんが、可能性は低いかと。

アメリカという国は、イギリスの植民地から独立して100年も経たない新興国家。

まだ、オランダを力でねじ伏せるだけの力はないでしょう。

それに、国家間の法やアメリカに関しては、ロシアにも確認しましたので、間違いないと思いますぜ」


あ、勝さん達、ロシア船に乗った時に、情報の確認までしていたのか。

さすがだな。

とすると、清の方の情報も。


「ちなみに、清の連中にも情報の確認をしましたがね。

アイツらはダメですわ。

こっちを見下している上に、正直に話すことさえしない。

奴らに言わせると、今でも清は世界の中心で、アヘン戦争でも負けてないことになってるんだからね。

こっちは、全部、知っているってのに」


「そうか、複数の情報を当たって確認をしていたのか。

だが、ロシア、アメリカ、オランダが手を組んでいた場合はどうだ?」


川路様が尋ねると勝さんが苦笑する。


「そんな場合は、お手上げですよ。

異国全てが本気で日ノ本を侵略しようとするなら、今の日ノ本にそれを防ぐ力はございません。

だが、幸いながら、異国の連中は、まだ、さほど日ノ本に注目してないと言います。

清の方がでかくて魅力のある獲物で、そっちに夢中かと。

だからこそ、清が食われている間に時間を稼ぎ、産業振興して兵を強くしようというのが海舟会の基本戦略なんですがね。

この方針が間違っていないか確認するには、少なくとも、ロシアが本当にイギリスと対立しているかは、

北蝦夷(樺太)に派遣した連中から、ある程度は確認を取れることだと思いますが」


「それに万が一、私が異国に騙され、日ノ本が侵略されるようなことになれば、私が責任をもって長州藩を説得し、日ノ本を守る先兵として戦い時間を稼ぐのであります。

その間に、戦の準備をして頂ければよろしいかと」


「なるほど、なるほど。口は悪いが冷徹な頭を持つ勝君と情熱家の吉田君か。

どうやら聞いていた通りの人物のようだな。

試すようなことをして、重ね重ね申し訳ない。

では、こちらも腹を割って話すことにしよう。

まずは、小笠原諸島の情報からで良いかな」


そう言うと、川路様はまず最初に小笠原諸島で起きたことの説明をしてくれる。

竜馬さん、桂さん、それに江川先生と中浜万次郎様の活躍のおかげで、小笠原諸島の日ノ本領有を平和的に住民に認めて貰えたということ。

水戸学の重鎮である藤田東湖様に中浜様が認められたということ。

小笠原諸島にアメリカ領であるという板が貼り付けられていたので回収したということ。

小笠原諸島に関しては、象山先生の予測通り、万事うまく行ったようだな。


「そうすると、ペリーの奴がもう一度来る時には、中浜様が通詞をされることは決まったということですか」


「ああ、そちらは藤田東湖様が徳川斉昭様を説得して下さったようで、問題ないようだ」


「そいつは良かった。じゃあ、もう一つの方の話も」


「いや、あっちの話は、江川殿が強硬に反対しておってな。

まだ、確定はしておらんのだ。

江川殿はペリーが戻ってくるまでに何とかしておくから必要ないと言っているようだが」


江川先生、何か、また無茶なことを始めているんじゃないかな。

働きすぎには気を付けて貰いたいと言うのに。


「まあ、最悪でも中浜様が通詞して下さるなら、平八つぁんの夢通り、条約に妙な文書が書かれて、後で余計な混乱する心配はなくなりそうので良しとしておきますか。

では、次に北蝦夷(樺太)の方の話なんですが、どうなっていますか。

ロシア兵は北蝦夷(樺太)にいたのか、いないのか。いたのなら、いくさになったのか、ならないで済んだのか。

北蝦夷(樺太)への砦建設は成功したのかどうか。

小笠原諸島より気になることではあるんですが」


「確かに、そうだな。では、北蝦夷(樺太)の件も伝えるとするか」


そう言うと川路様は樺太の件を説明してくれる。

藤田東湖様が団長となり水戸藩の攘夷派の多くが樺太まで行ったこと、樺太には既にロシア兵が来ていて砦を作り始めていたことが告げられる。


「もう、ロシア兵が来ていたんですか。で、いくさにはなったんですかい?」


「いや、それが松前藩藩主、松前崇広様がロシア兵の北蝦夷(樺太)上陸を聞いた時点で、北蝦夷(樺太)派遣への参加を決められてな」


川路様は、松前崇広様が意外な活躍を見せ、大量派兵決定、英語での通詞をした上で、小早(小型の戦船)に大筒を隠して乗せ、ロシアが武力行使をするなら、船を沈めると脅したことを伝えてくれる。


「へー、松前様がねぇ。平八っつぁんの話では、そんな話はなかったと思ったが。

どうだったっけ?平八っつぁん」


「いえ、アッシの夢では松前崇広様が、その様な活躍をされた記憶はございません。

確かに、この後、松前崇広様は、西洋通であるが故に最終的に老中に抜擢されましたが、大した活躍もせずに、あっという間に辞めることになったと記憶しておりますが」


「だよな。オイラも松前藩は、蝦夷地を召し上げられることになるって話は聞いたことがあるんだが、その藩主が優秀だったなんて、話は聞いたことがねぇや」


「であるならば、平八の夢では、幕府は優秀な人材を使いこなせなかったということなのでしょうな」


川路様は残念そうに呟く。


「でも、今は活躍出来たなら、良しとしましょうか。それで、ロシアは撃退出来たんですかい」


「報告書によると、まず、ロシアがイギリス、フランスといくさの最中であることは間違いないらしい。

ロシアの連中は、イギリスの侵略から守る為に北蝦夷(樺太)に駐留すると主張したらしいがな。

それに対し、北蝦夷(樺太)派遣団は、ロシアがいる方がイギリスやフランスの北蝦夷(樺太)攻撃を誘発するとして、北蝦夷(樺太)にあるロシアの旗を全て下げさせる為に、北蝦夷(樺太)の北端まで行ったそうだ。

ただ、北蝦夷(樺太)行きはロシア皇帝の命令ということなので、ロシア兵も勝手に離れることは出来ないとして、武装解除と日ノ本の法に従うことを条件に、駐留を続けているとのことだ」


「そいつは、思った以上の成果ですな。

でも、水戸藩ばかりの北蝦夷(樺太)派遣隊で大丈夫なんですかい?

攘夷だとか言って、ロシア兵に斬りかかったりしちゃいませんか」


「その辺は藤田様がうまく抑えているとのことだ。

武装解除したものに斬りかかるなど臆病者かと一喝し、情けをかけてやれと指示されているそうだ。

それで、ロシア兵の連中の多くは純朴なので、同じ釜の飯を食い、酒を飲みあうことで、攘夷一色だった水戸藩の連中も随分、態度を軟化させているようだぞ。

寒さ対策や砦の作り方、西洋軍艦の作り方などをロシア兵から教わっているとのことだしな」


「するってぇと、ロシアに日ノ本の北蝦夷(樺太)の領有を認めさせる代わりに、水戸藩が北蝦夷(樺太)でロシアと交易するという案も」


「うむ、水戸藩から、その様な提案が既になされているようだ。

これも、秋津洲から攘夷すれば、攘夷は成功だと、水戸藩に思いこませた佐久間殿の策通りだな」


「さすがは象山先生。おっそろしい程の切れですな。

じゃあ、全て象山先生の策通りに進んでいるということで良いんですか」


「いや、残念ながら日ノ本の軍の指揮権の統一については成功しておらん。

一橋慶喜公の下に、指揮権を統一させることに、水戸藩、薩摩藩、彦根藩は賛意を示したようではあるが、紀州藩、会津藩などの譜代の藩がこれに反対し、軍の指揮権は公方様にあるべきだとした為に、

結局、指揮権の統一は決まらなかったと聞いておる」


まあ、この辺りも象山先生の読み通りではあるのだけれど、井伊直弼のいる彦根藩を敵に回さずに済んだだけマシか。

多分、井伊直弼自身は力を付けた外様から軍備を奪い取る為ということで賛成したのだろうけど。

まだ、将軍継嗣問題で幕府が分裂する危険は残っているということか。

とすると、ペリーをあまりあっさり撃退してしまうと、かえって内乱の危険が上がるということか。

難しいな。象山先生は、どう考えているのかな。


「まあ、その辺は残念ですが、仕方のないことでしょう。

象山先生も、すぐに軍の指揮権を統一するのは難しいだろうと仰ってましたし。

今、考えても仕方のないことは、置いときましょう。

とりあえずは、もうすぐ戻ってくるロシアのプチャーチンとアメリカのペリー対策の確認をしておきませんか」


「そうだな。実際に会って感じたプチャーチンの様子や印象、そこから出る対策などを聞かせてくれないか。

それから、平八も夢で見て、伝え忘れたことがないかも含めて話してくれ。

参考にさせて貰おうと思う」


「そうですな。プチャーチンは紳士的で話の分る人物という印象を受けました。

ただ、奴さんもロシア皇帝の命令を受けてきている軍人、日ノ本との国交樹立、領地の拡大の為には、逆にかなりしぶとい敵にもなりうるのではないでしょうか」


こうして、プチャーチン対策の最後の打ち合わせが始まる。


さあ、宴の仕度はこれで終わりだ。


日ノ本が異国と戦って勝つ力なんかないのは承知している。

だが、簡単に日ノ本を餌食に出来るなどと思うなよ。


我らが狙うのは、ペリーであり、プチャーチン自身だ。


どちらが餌食になるのか、思い知らせてやるぞ。

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