第九話 新たな任務

老中阿部正弘様が根回しに奔走する頃、そんな事とは知らず象山書院は平和でした。

いや、相変わらず象山先生や龍馬さんとか、話を聞きに来る人は大勢いるのですけどね。

1か月近くも話を聞いていれば、聞くことなくなりそうなのに、着眼点が面白いとか、面白い発想だとか言っては、アッシと話をしたがるのが不思議で仕方ない。


あの夢以来、知らなかったはずの知識が頭に入ってきたのは確かなのですがね。

それで、アッシは別人に変わっちまったのですかね?

知識が人を作るなら、まあ、そうなのかもしれない。

考え方も変わったのだろうか?

夢で見た誰かの影響があるのだろうか?

でも、自覚はないのだよな。


もう、アッシは年寄りさ。

目も悪くなり、前に比べて走れば息が切れるのも早くなったし、吉原に行きたいと思うことも滅多になくなった。

周りを見ていれば、昔からの知り合いだのが減ってきて、お迎えが近いこともわかっちまう。


だけどさ、頭ン中はね、正直、そんな年取った感覚にはなってねぇんだ。

これが、孫でもいて、年寄として敬って貰えるような身分なら、違うのかもしれねぇけどね。

気持ちは随分前から、たいして変わっていないのですよ。


だから、他の人間と違うと言われても、躊躇いしかないのでさぁ。


いや、実際、夢で見たのと違って、阿部様による黒船の情報公開はやってないのですよ。

象山先生なんかは、僕の提言を聞いて公開を控えるとは、なかなか話が分かるではないかとか言っていますけどね。

アッシは、やっぱり、あれは只の夢だったのかもと思い始めた位で。


まあ、与太話だとしても、それで生活の面倒をみて貰えるのはありがたいのですけどね。

あの夢で知識が増えている以上、完全に只の夢だとも思えないのではありますが。


そんな風に過ごしている中、象山書院に新たなお客様が現れたのでさぁ。


大久保忠寛おおくぼただひろ様、幕府の使いだ。


この人は確か、阿部様に下級武士から召し上げられて海防の目付になった人だったよな。

この人から先ぶれがあり、海舟会の面々が呼ばれたのだ。

建白書を書いたものを集めろとのお達し。

それで、久しぶりに海舟会の面々が勢ぞろいとなった訳だ。


「これで海舟会は、勢ぞろいかな?」

大久保様は案内され、上座に座ると部屋を見渡して声を出す。


「は、勢ぞろいにございます」

さすがの象山先生でも、頭を下げて挨拶をする。


「いやいや、改まるにおよばぬ。わしも、最近、お役目を貰ったばかりの下級武士だ。気楽にしてくれ」

そう言うと、素直に足を崩して胡坐に変える象山先生、勝さんと龍馬さん。

他の人は正座崩していませんよ。


「佐久間殿、この建白書は、そなたが中心で書いたのであろう。

どうして、海舟会等と名を隠して、建白書を献上したのだ」


「あ、それは、その」

象山先生が応えに詰まると、斎藤さんが助け船を出す。


「佐久間君は但庵に嫌われておりますからな。それで、名を出すのを躊躇ったのかと」


「いや、それだけではありませんぞ。

今回の建白書は平八君の夢を基に、勝君や吉田君ら、ここの者たちの声を聞いて書き上げたもの。

この佐久間象山、他人の功績を盗むようなことは致しません」

臆病と言われたのが気にくわなかったようで、象山先生は胸を張って答える。


「さようか。あの建白書は、江川殿も阿部様も興味深く読み、評価しているようであるぞ」


「そうでしょう。江川様も阿部様も評価して下さいましたか。なかなか、見る目があるようですな」

象山先生が踏ん反り返って腕を組むのを、大久保様が苦笑で受ける。


「ただな、この建白書の基となった平八の夢というものが何なのか、そこに皆が興味を持ち調べさせて頂いたのですがな」


「何も出て来やせんでしたか?」

勝さんが気楽に声を掛ける。


「ああ、三河からの無宿人。渡り中間など、口入れ屋で仕事を紹介され生活。

最近まで住んでいた長屋と、周りへの聞き込みもしたのだが、どうもわからぬ。

読み書きもロクに出来なかったはずなのに、一夜にして学者をも唸らせるようになっておる。

本人の話を信じれば、夢のおかげなのだろうが、

誰か別人が身寄りのない年寄りと入れ替わったと言われた方が納得出来る位の話であるよ」


「ほほう、入れ替わりですか。

僕らも彼が何者であるかに興味はあったのですが、入れ替わりは考えなかったな。

それで、何者と入れ替わったとお考えですか?

僕らも、彼の話を聞くまでは、幕府や異国の間諜の可能性もあると思っていたのですが」


え?そんな風に思われていたのですか、象山先生。

思いっきり疑われているじゃないですか。


「いやあ、それが、全くわからんのだよ。

最初、阿部様は江川殿と佐久間殿が組んで、幕府の情報を漏らし、平八君の夢をでっち上げたのかとも思ったそうなのだがな」


「それはないな。但庵は佐久間君が嫌いだ。佐久間君と協力する位なら、別の協力者を探すよ」

斎藤さんがそう言うと大久保様が苦笑し、象山先生は顔を顰める。


「阿部様がそのことを江川殿に尋ねた時も、それだけはないと江川殿は声を荒げたそうだよ」


「平八君の夢の知識の幅は広すぎる。

本当であるなら、幕府の裏側の情報から、異国の情報、これから先の地球の情報まで知っていることになる。

そんなものがどこにいる?

この日ノ本で、僕以上に、異国の情報に通じているものはいない。

その僕でも、彼に聞きたいことが山ほどあるのだ。

その上で、彼は幕府の情報、薩摩、長州、水戸の情報にまで通じている。

そんなこと、何処の間諜に出来るのだ?」


「まあ、これで平八つぁんが、話すことが偏ってれば、疑いようもあるんですがね。

平八つぁんは良くも悪くも公平で、やる気もたいしてございません。

建白書だって、象山先生主導で書いたものですからね。

何処かの間諜で、誰かに協力しているとは思えんのですよ」


「確かに、建白書を見ても、夢の話を見ても、誰かが得をするとはとても思えない状況ではありますな」


「まあ、平八せんせがなにもんだったとしても、この日本にっぽんの為になるんじゃったら、

正体なんぞ、どうでも良いんと違いますかいの?」


「何者かがわからねば、幕府として、正式に召し抱えることは出来ぬ」


「いや、そのようなことはお気になさらずに」


アッシがそう答えると大久保様はアッシをマジマジと見て尋ねる。


「江川殿に聞いておったが、本当に幕臣になりたくないと考えておるのか」

大久保様がそういうと、驚きが広がる。

まあ、驚いていないのは、地球で一番自分が偉いと思っている象山先生に、

身分に興味ない勝さんと龍馬さん位かな。


「はあ、アッシの夢は卜占のようなもの。当たるかどうか、わからぬものです。

そんなものを頼りにしているのが知られれば、アッシと違う意見の方がどう思われるか。

まして、それが外れれば?命がいくつあったって足りないじゃないですか」


「ご心配なさるな。平八君は本当に何も望んではいないようなのですよ。

従って、僕が雇い、彼の知識、意見を利用する。本人の同意も得ている。

それで、この日ノ本の未来に何の問題もないでしょうな」


「佐久間殿が、平八君の発言、行動の責任を取ると言うのかね」


「僕は、彼が何者であろうとも、うまく利用し、日ノ本を救ってみせる」


「オイラ達、海舟会は、色々、立場は違いますがね。

海の上の船のように、協力しあい、日ノ本を異国の手から救うってことには、同意出来ているんでさぁ」


「だから、佐久間殿だけでなく、海舟会の全員が責任を取るということか」

そう言うと大久保様は暫く考えてから、姿勢を正す。


「そういうことであるなら、いいだろう。阿部様よりの命令を伝えよう。海舟会よ。長崎に行くのだ」


世界線が揺らぎ始めたのを感じた気がした。

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