第十話 長崎行きの理由

大久保様に長崎に行けと言われて、目を輝かせる学者組と警戒する武士組。

あ、龍馬さんは学者じゃないけど、大喜びみたいだね。

まあ、好奇心旺盛というか野次馬根性ってのは、この国の国民性みたいだから仕方ないのだけど。

阿部様の命令だから、長崎に行くというのは前提として、もう受け入れちゃっているのかよ。

順応性高過ぎないか?


「あの、大久保様、どうしてアッシらが長崎に行かねばならぬのでしょうか?

また、長崎で何をすればよろしいのでしょうか?」


そう聞くと、周りが驚いてこっちを見ている。

あ、そうか、エライお侍さんが命令だと言うなら、ひれ伏して従うのが当たり前か。

確かに、夢のせいで何か感覚が変わってしまっているのかもしれないな。


だけど、長崎に行かせるのが命令なら、余程のことがなければお手打ちになる心配もないだろう。

お手打ちにしたら、阿部様の命令が実行出来なくなる訳だし。

おまけに、大久保様は、急に斬りかかったりするような人にも見えないからね。


「なるほど、確かに変わっておるな。町民に命じて、こんなに真直ぐに問いを受けたのは初めてだよ」


「あ、これは、失礼致しました」

大久保様の驚きに反応して慌てて頭を下げる。


「いやいや、気にしないで良い。改まるに及ばぬと言ったことでもあるし。

阿部様にしても、そのような其方であるから、奇貨居くべし、と考えられたのだろうからな」


「そうですな。だから、平八君は手放せんのですよ。

僕ともあろうものが、阿部様からの上意であると言われれば、思考停止になりかけるところ、しっかり、こうやって声を上げてくれる。

実に得難い存在ですよ」


「いや、その、夢の影響で、どうもアッシは自分が自分ではないようで。ご無礼、大変失礼致しました」

アッシが再び平伏すると、大久保様が宥める。


「本当に良いから気にするな。

其方が礼儀を守らねばならぬ場所に行くようならば、注意をするが、ここでは構わん。

それで、長崎行きの理由と目的であったな」


そうだよな。

もし、本当にエライ方と会わなければならない羽目になったら、お手打ちにされかねない。

まあ、そんな人と会うことなんて、ありゃしないのだろうけど。

ないよな。

そんなことになったら、絶対に断ろう。

そんなことを考えていると、大久保様が続ける。


「海舟会に、長崎へ行って貰いたい理由は一つ。

我らの思いつかぬことをやってきて欲しいからだ」

大久保様がそう言うと、勝さんが首を捻る。


「思いつかねぇことをやってこいと言われましても、オイラ達だって、阿部様が何を考えているのかわからないんですぜ。

それなのに、思いつかねぇことをやってくれって言われましても」

勝さん、そこでアッシを見ないで下さいよ。

アッシだって、何でもかんでも覚えている訳じゃないので。


「阿部様も、長崎で情報収集するよう命じることは考えていたそうなのだよ。

ところが、平八の話を信じる限り、それがどうもうまく行かなかったようであるだろ」


「だから、僕は、長崎でするべきことを建白書に書いたはずでありますが」


「うむ、確かに書いてあったようだな。

まず、国家間の法を調べ、ペリーの黒船の行動が国家間の法の上でどういうものか確認し、オランダに伝える。

これによって、もし本当にペリーが君主の意に背いて脅迫したのであるならば、それだけでも致命的になるやもしれぬな。

それから、北蝦夷(樺太)の地図をオランダに提供し、今から50年も前に、我らが探検し、地図を作っていることを異人たちに知らしめること。

後は、オランダへの視察団派遣の為の提案をすることであったかな?」


「その通りです。よくわかっているではないですか。ならば、後は実行するだけですぞ」


象山先生は偉そうに腕を組んで、

及第点の回答を出してきた生徒に対するように大久保様に話しかける。

いや、その人、幕府のおエライさんですから。


「良く出来ているとは思う。

……だが、実現出来るものがいないのだ」

そう言うと、納得する勝さんに対して、吉田さんや龍馬さんは納得いかないようで首を捻る。


「どうしてですか?提言が良いことであるならば、実現すれば良いだけのこと。

それなのに、何故、実行するものがいないのですか」

すかさず、吉田さんは、大久保様に噛みつく。

困った顔をする大久保様を見ながら、勝さんが宥める。


「まあ、やった方が良くても、誰もやりたがらねぇことってのがあるのさ。

攘夷を叫ぶ連中が多い中、幕府の情報をオランダに伝えたらどうなる?

シーボルト事件で日ノ本の地図と最新の地球の地図を交換し、異国のことを知ろうとした幕府天文方の高橋景保様は死んでいるんだぜ。

それなのに、北蝦夷(樺太)の地図を渡したりしたら」


「それが必要ならば、やるべきです。

幕府の碌を貰いながら、幕府の為に働かない役人は盗人と変わらないではありませんか」

声を荒げる吉田さんを勝さんがいなす。


「まあ、確かに、そう言えねぇこともねぇけどさ。

人間、皆、吉田君ほど、偉くもなきゃ、立派でもねぇんだよ。

命令されるお役人にしたって、オイラなんかと違って、ご立派な家柄のお役人なんだろう。

だからこそ、命令に従ったとはいえ、自分の所為で、お家を断絶させる訳にはいかねぇだろ」


「しかし、今、この国が危険な時に」


「この提案が正しいと思っているのは、オイラ達だけさ。

いや、長崎に行けと命じられる阿部様は多少は良しとされているのかな。

だけどさ、吉田君が正しいと信じるからと言って、他の奴も正しいと分かるとは限らねぇんだよ」


「確かに、世の中、僕以外、バカばっかりだ。

せっかく、良い提言をしても、それを理解出来る奴は少ないのだよ」


象山先生、そういうことばっかり言うから、先生は才能の割に敵が多いのですからね。

もう、思っていても口に出さなければ良いのに。

大久保様も苦笑しているよ。


「つまりだ。幕府としては、オイラ達の提言が正しいと思うなら、自分で実行しろというんですね」

それで、問題が起きれば、アッシらが勝手にやったことにされて、トカゲの尻尾切りですか?

組織の論理としては正しいけどさ。

切られる尻尾にしてみたら、たまったもんじゃねぇな。


「そういうことか。良かろう。ならば、僕が行こう。

まったく、平八君の話がなくとも、オランダとの情報交換が必要なこと位、何故判らぬのか」


「いや、佐久間殿の長崎行きは松代藩が許さぬでしょう」

そう大久保様が止めると象山先生が腕を組む。


「うーむ、確かに幸教ゆきのり様は出来が悪かったからな。

ことの重要性など理解出来ず、僕を傍から離すことを恐れるかもしれぬな」


幸教様って、今の松代藩藩主ですよね。

確か、子どもの頃、教育係をしたことがあると聞いたことがあるけど、

それにしたって、人前で自分の藩の藩主の出来が悪いとか言っちゃダメでしょ。


「まあ、それにさ、万が一、このことで罰せられるようなことになっちまった時、象山先生を失う訳にはいかねぇだろ?

象山先生は、海舟会の船頭みたいなもんさ。

象山先生さえ無事なら、海舟会は向かう場所を間違えねぇですむだろ。

だからさ、オイラが行くよ」


勝さんがそう言うと、吉田さんが声を上げる。


「それなら、私も行くのであります。象山先生のご提案はこの国を救う必要な一手。

私は、今なら全国何処に行っても構わないと長州藩から許可を貰っておりますので、問題なく行くことが出来ます」


そうか、この頃だと、お武家さんは、藩の許可がなければ勝手に長崎に行くことも出来ないのか。

実際、吉田さんは東北に行くために、藩の許可を待てず脱藩までした人だからなぁ。

侍ってのは、不便なものだねぇ。

そうすると、行きたい空気満々だけど、土佐藩士の龍馬さんは今回の参加は無理かな。

確か、剣術修行の為に江戸行きを許されただけのはずだから。


ただ、このまま、言われた通り、長崎に行って、使い捨ての道具みたいにされるのも、何か面白くないな。

いや、この国を救う使命に燃えている人は良いのでしょうけどね。


「あの、大久保様、長崎に行く理由はわかりましたが、どのように行けば良いのでしょう?

阿部様の命であることを、あまり表沙汰にしたくないのであれば、出島に入る手形だけ用意して頂いて、後はこちらで長崎まで行けばよろしいのでしょうか?」


「いや、長崎までの御用船を用意しているので、それに便乗して貰う」


「便乗と申しますと?」


「阿部様の命で情報収集に行くものがおるのだ。

そのものと一緒に長崎に行き、その者たちとは別にオランダ商館長と会い、話をして来て貰いたい」


つまり、正使の裏でオランダと話をして、問題があったら、切り捨てるということか。

それなら、あまり大勢で行かない方が良いな。

全員で行って切り捨てられたら目も当てられないから。

まあ、アッシが行くことはどうも最初から頭数に入っているみたいだし。

せめて、どうせ断れないのだから、行くからには最大の効率を考えておくか。


「そうですか。では、路銀の心配はしないでよろしいので」


「うむ、安心するが良い。宿も食事も用意することになっておる」


「なるほど、そうでございますか。

それでは、一緒に行く方々は、出島にどんな情報を集めに行かれるのですか」


「それは、幕府の機密である。その様なことは気にせずともよろしい」


結局、アッシの正体がわからないから、なるべく情報を与えたくないってことか。

だけど、それじゃ、バラバラに情報を取るオランダが得をするだけになる可能性があるのだよな。

ここは幕府の動きは可能な限り知っておいた上でオランダと話したいのだけれど、そんな風に考えていると、象山先生が助け船を出してくれる。


「いや、大久保様、それはおかしいのではないですか。

この者たちは、幕府の為に命を掛けようとしているのです。

それならば、最大限の誠意を示して頂かなくては」


象山先生が偉そうに追及する。


「……確かに、そうではあるが」


「アッシの夢で、幕府はオランダに、ペリーを追い返せとアメリカ本国への連絡を頼み、蒸気船100隻の買い付けを依頼しておりましたが」


そう言うと大久保様の顔色が変わる。

どうやら、大久保様は只の使いっ走りではなく、多少の情報は掴んでいたようだな。

ただ、それでも、阿部様の意向を無視して勝手に教えることは出来ないか。

そんな風に考えていると、象山先生が提案する。


「長崎に行き、幕府の命を実現する為には、次のことを教えて頂きたい。

一つ、僕たちの建白書を何処まで実現するのか、出来ているのか。

その進捗状況、協力状況を教えて頂きたい。

状況次第で、オランダと話せることが変わってきますからな。

一つ、ペリーの持ってきた親書の内容を教えて頂きたい。

英語の原文とオランダ語訳、それから日本語でどう訳したのかも確認させて貰いたい。

平八君も、親書の中身までは知らぬのです。

僕なら全部読めますし、勝君もオランダ語なら読めます。

翻訳に間違いがないか、逆に親書に付け入る隙がないか確認しておけば、オランダとの情報交換で有利になるでしょうから、是非お願いしたい。

そして、最後に、北蝦夷(樺太)の地図を頂きたい。

これが北蝦夷(樺太)領有を異国に主張する根拠となるのです。

オランダに渡し、地球全体に北蝦夷(樺太)は、この国のものだと証明して貰わなくてはなりません。

その為には、地図位、貰わねば話になりませんな」

象山先生がそう言うと、大久保様は考え込み、腕を組む。


「確かに命を懸けて貰う以上、こちらも誠意を示す必要があるか。

わかった。私から阿部様に掛け合ってみる。

他に頼みたいことはないか?」


象山先生が頷くと、何故かアッシのことを見る。

何で、皆がアッシを見るのかな。

アッシからは特に、もうございませんよ。


こうして、大久保様との最初の会談は終わった。


そして、その数日後、ロシア船が長崎に来たとの報が入り、すぐに大久保さんが情報を持って、象山書院を訪れることとなる。

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