第十六話 提案を実現する方法

「象山先生、ご提案は素晴らしいと思いますが、この提案を実現するには、どうしたら良いと思われますか?」

そう尋ねると、象山先生は怪訝な顔で尋ねる。


「提案が良いならば、採用し、実現して当然ではないのか?」


「ですが、先生の海防八策も採用されておりません。

この国は良い策だからと言って、それだけで実現される訳ではないのではないでしょうか」

そう言うと、象山先生は顎を撫ぜて考える。


「そこで、象山先生には、象山先生の策を幕府に採用させる為の策を練って頂きたいのです」


「策を採用させる為の策か」


「はい。それで、提案がございます。

策を時系列に分け、黒船が戻るまでに準備するべき短期の策、黒船が来た後にすべき中期の策、最後に10年先を見て考えた長期の策を提案されては如何でしょうか?

そうすれば、短期の策を仮に採用しなかったとしても、採用すれば良かったと思わせるものを残していれば、その後の中期、長期の策が採用され易くなるのではないでしょうか」


「なるほど、時系列に分けるか。

そうすると、僕の異国への視察案が中期の策、国防軍創設案が長期にあたるな。

これを採用させる為には、すぐに効果のある黒船対策を立てる必要があるな。

平八君の見た夢が、どこまで正しいかはわからんのだが、

君の夢では黒船はどんなことをしていくのか説明してくれぬか」


「そうですな。

夢の中では、アメリカの黒船はいくさをする許可をアメリカ君主に得てはおりません。

ですから、本来は、日ノ本を脅すことなど、出来ないはずなのです。

しかし、幕府は、結果的には、ペリーの黒船の脅しに屈し、日米和親条約を結んでしまいます」


「なるほど、その情報が本当であるか調べれば、

逆にペリーとやらを追い詰める武器になるな。他にはないのかね」


「ペリーだけではないのですが、

ロシア対策としてやっておいた方が良いことがございます」


「ロシア?そう言えばロシアも日ノ本に来ると言っておったな。

ロシアがどうしたのかね?」


「夢の中ではロシアも同じ時期に日ノ本に来まして、もうすぐ長崎に到着するはずなのですが。

アメリカとロシアに日ノ本の領土を奪われる恐れがあるのですよ」

そう言うと、吉田さん、近藤さん、土方さんら、過激組が色めき立つ。


「どこが奪われるのですか?」


「蝦夷の先にある樺太という島と八丈島の先にある小笠原諸島でございます」

そう言うと、少し弛緩した空気が生まれる。

まあ、何処かの藩が奪われたりする訳ではないから、

それ位という気になるのかもしれませんがね。

小笠原諸島をアメリカに奪われていると、どんなことになるのか。

その辺が想像出来ないのだろうな。


「それで、君の夢では、樺太と小笠原諸島はロシアとアメリカに奪われることになるのかね?」


「異国の法では、土地は先に見つけた者が所有出来ると決められております」


「そうか。異国の法がどうなっているのかも確認しておいた方が良さそうだな。それで?」


「樺太は50年程前、幕府の隠密、間宮林蔵様が探検し、

『大日本国国境』の標柱を建てて帰ったはずなのですが、

ヨーロッパに認められる記録が残っていなかった為、ロシアはこれを認めず、

日ノ本が譲歩することとなり、事実上奪われます」


「奴らの法から見て合法であろうとも認めないと言うのか」


「樺太には、今も既にロシア人とアイヌ人が在住している状況です。

そして、連中はヨーロッパで認められる証拠でないと我が国の捏造を疑い、

日ノ本の主張を認めないのです」


「私たち、武士は捏造などという卑怯な真似はしません」


「それを異人は知りません。

その上、連中は愚かなアジア人は騙しても構わないとすら思っております。

ですから、彼らのいるヨーロッパで、誰もが納得出来る証拠がなければ、

連中の主張が通ってしまうのでございますよ」


「それじゃ、日ノ本の主張なんぞ、通る訳がねぇじゃねぇか」


「ところが、小笠原諸島は守れるのです。

70年前に林子平殿が書いていた三国通覧図説のおかげで」


「三国通覧図説?何だい?そりゃ?」


「勝君は知らぬか。

70年前に書かれ、寛政の改革の時に松平定信様に発行禁止にされ、焼かれた書物だ」


「はい。この書物がヨーロッパに送られ、フランス語に翻訳されているのです。

そして、この中に、小笠原諸島は日ノ本の領土であると明確に書かれているのでございます。

これが証拠となり、小笠原諸島をアメリカから守れたと言われておりました」


「はー、70年も前に発禁にされた本が日ノ本を救ったってか。スゲー話もあったもんだ」


「そのような本があるのだな。

君の夢が本当なら、重要な情報であるし、

本当でないにしても、領地を守る為の提案は大きな利点となる」

そう言うと、象山先生は頭を上げ、辺りを見渡し、立ち上がると宣言する。


「ヨシ、それならば、今までのことをまとめ、幕府に提言しよう。

日ノ本を異国から守る為には短期、中期、長期の策がある。

これを実現さえすれば、日ノ本は無事であろう。

まず、短期において、黒船に対抗する為に実現すべきことが三つある。

一つは攻めてくるアメリカ、ロシアの情報を調べること。

連中がどのような法に基づいて行動しているのか確認する必要がある。

親書の受け取りを断っただけで本当にいくさをしても良いと法になっているのか。

アメリカに脅迫されたことも一緒にオランダに伝えて確認してやれば良い」

そこで、象山先生はニカっといたずら小僧のような顔を浮かべて呟く。


「もし、これで平八君の夢の通り、

ペリーがいくさをするなとアメリカの君主に言われたて来たのであるならば、中々面白いことになるぞ」


「夢の通りなら、確か来年の1月には、ペリーを出した君主とは違う派閥の者が

入れ札で新たな君主になっているはずですから、

日ノ本を脅迫して開国を迫ったなどという知らせがアメリカまで届けば、

ペリーは日ノ本に戻ってくる許可さえ貰えないやもしれませんな」


「入れ札?アメリカっつー国は、入れ札で君主を決めるんかいのう」


「坂本君、その話は、僕も興味があるが、今は話がぶれる。

夢で見たことが本当である根拠もないしな。対策の話を続けるぞ」


「あ、すまんです。じゃが、後で必ず聞かせてつかーさい」

土下座する龍馬さんを見て苦笑しながら、象山先生は話を続ける。


「さて、情報収集を提案する訳だが、

オランダを何処まで信じていいか不安であることも述べておく。

オランダは日ノ本との付き合いを独占したいのであろうから、

アメリカ、ロシアに不利な情報も流してくれるやもしれん。

だが、オランダにだけ都合の良い嘘を流してくる可能性も否定できない。

それ故、中期においては、情報収集先を増やすことを検討する必要があるとする」


「なるほど、そこで、次の異国視察案と繋げる訳ですかい」


「そうだ。果たして幕府はオランダを全面的に信じるのか、他の情報収集先を探すのか。

どちらであろうな。続けるぞ。

第二は、日ノ本の領土を守ることだ」


「さっき、聞いたことですね」


「うむ、夢が、本当になるかどうかはわからぬが、警告しておいて問題ないだろう」


「具体的には?」


「日ノ本の領土を守る為、樺太と小笠原諸島に幕府の役人を派遣し、国境警部の砦を築かせるのだ」


「樺太にはロシア人がいるかもしれませんから、いくさになるかもしれませんよ」


「実際に幕府が樺太に守備隊を送るかどうかは正直わからん。

だが、仮に守備隊を送っていくさになったとしても、

異国の脅威を幕府に実感させられるなら、効果としては十分だ」


「樺太に人を送り込むならば寒さ対策を万全にしないと寒さで人が死ぬ恐れもあります。

実行されることになった場合は、その点も強調しておいた方がよろしいかと思います」


「なるほどな。そこは気を付けよう。

それから、小笠原諸島の件は、守備隊を送る以外にも、

異国の本の中に小笠原諸島を我が国の領土である旨を記した本がないか探すことを提言しておこう。

平八君の夢が正しければ、先見の明として、この提言に一目置く理由となるだろうし、

正しくなくとも、異国への対策としては納得のいくものであろう」


「確かに、アメリカやロシアと領土問題が起きた時に、

予めそんな提言があれば、反対した奴の面目は潰れて、先生の信頼度は上がりますね」


「そうだな。そして、最後に、提言する三つ目の策は、

黒船が攻撃してきた場合に備え、指揮権を一つに集中することだ。バラバラでは絶対に勝てないからな。

攘夷と騒ぐ水戸藩に指揮権を任せてしまえば、

戦になっても、ならなくとも都合が良いのだが、まあ、これは実現の可能性はないだろう」


「これは、後の国防軍創設の為の伏線という訳ですね」

象山先生は頷くと続ける。


「そして、次に中期の策だ。

黒船に強要されて開国するなど、幕府の威信を傾けることに他ならない。

それは、国の安定を損なうこととなる。

従って、少なくとも、今回の開国要求を受け入れることはしないとする」


「ですが、それだけじゃ、対策にはなってないですよね。

それに、平八つぁんの夢が本当なら、開国派の阿部様にも採用されて貰えないでしょうし」


「一見、攘夷派にも受け入れやすく見せて、開国派にも飲みやすい提案をするのだよ」

ニヤリと笑い象山先生は続ける。


「しかし、ただ帰れと告げただけでは、今回はいくさになる恐れもある。

また、オランダと清だけを頼りに、異国の情報を収集しなければならない現在の状況に不安もある。

そこで、黒船の連中には、状況のわからない連中と開国するつもりはないから、

アメリカやロシアを視察させろと要求するのだ。

相手の国に行くのは、やんごとなき身分の方で、他の国にも視察を提案することも話してやろう」


「異人たちに競わせるってことですかい?」


「そうだ。異人が視察団を歓迎し、その懐を見せねばならない状況を作り出す。

行く先と人員は先ほど、話した通りだ。黒船の連中は手柄が欲しいのだろう。

断ることが果たして出来るかな?

その上で、日ノ本の攘夷派の連中には時間の引き延ばしと押出し交易案と言い訳出来るし、

開国派にとっても、視察団の派遣は望むところであろう」


「そして、長期の策が国防軍創設案ですか」


「そうだ。

神君家康公の時代、反乱する恐れのある大名が強くならないよう

参勤交代、大船建造禁止などの政策が取られてきていた。

これは、徳川250年の安定に大いに寄与したものである。

だが、それは日ノ本が地球で最も強い国家であったから実現出来た政策であって、

異国が攻め寄せて来る現在の情勢にはそぐわないものである。

今は、国を富ませ、兵を強くしなければ、異国に侵略される恐れのある時代である」


「夢の中では、それを富国強兵と申しておりました」


「うん、富国強兵か。それは良いな。僕もその言葉を使うことにしよう。

そして、富国強兵の為に実施すべきが、

先ほど告げた、国防軍創設、参勤交代緩和、国民皆兵、浪人からの刀狩りの策だ。

異国使節団派遣の策が通っていれば、行った方々も賛同してくれるであろうし、

今よりずっと多くの情報、武器の価格と性能の相場、産業の発展のさせ方、

何を作れば売れるのか等々の情報が入手出来るであろうから、日ノ本も安泰となるであろうよ。

後は、この策を、僕の天才の文章で書いて提出するだけ。

まあ、平八君の夢の通り幕府による民草への意見募集があればだがな。

それがなくとも、何とか多くの幕閣関係者に、この提案を上程することとしよう」

象山先生は、どや顔で笑って見せる。


「ならば、但庵(江川英龍)に伝えてはどうだ。

私も、この策は面白いと思うし、平八君の話をあいつに聞かせたいと思う。

但庵の奴が聞けば、老中の阿部様にも伝えてくれるだろう」

齋藤さんがそう言うと、象山先生が顔を顰める。


「江川先生ですか?僕は、先生にはどうも嫌われているようですから」


「先生、何をやらかしたんですかい?」


「江川先生のところには、軍学、砲術を習いに行ったのだが、いつまで経っても教えてくれないのでな。

本を読み漁り、軍学、砲術は自分で身に着けたのだ」

そう言うと師匠に対するあまりの無礼に、皆が呆れる。

その空気を見て、象山先生が慌てて言い訳する。


「仕方ないであろう。この天才に無駄な時間を過ごす余裕などないのだ。

伝授だの秘伝だのを得る為に師に仕えるなど、時間の無駄でしかないのだ」

象山先生がそう呟くと、斎藤さんが苦笑する。


「なるほど、温厚な但庵が嫌う訳だ。弟子に後足で砂を掛けられたようなものだからな」


「ですから、僕が考えた案だと知られると、江川先生は反対されるやもしれません」


「いや、あいつはそんなに、狭量な奴ではない。良い案であるならば、必ず伝えるはずだ」


「……しかし」

象山先生も江川先生を随分苦手に思っているみたいだな。


「じゃあさ、先生、提案は名前を隠して出せば良いんじゃないですか?」


「名を隠す?」


「今回の策は、象山先生一人で作ったものじゃないじゃないですか?

平八君の夢の話があってこそ、生まれたもの。

で、あるならば、別の名で提案書を記し、江川先生に見て頂く。

それで、阿部様に紹介して頂ければ御の字ってことでね」


「だが、それでは、江川先生が提案を自分のもののようにするやもしれん」

こういう邪推発言を普通にしちゃうから、象山先生は天才なのに、

今も後の世でも評判が良くないんだよな。


「但庵は、そんなに狭量ではないと言ったはずだが」

ほら、斎藤さんも友達を疑われて、少し気分を害しているみたいだ。


「……そうですか、では、やってみましょうか。

勝君、名を変えるとして、どんな名を名乗るべきだと思うのかね?」


「海舟会ってのは、どうですか?

そこの扁額にある海舟書屋から取ったんですけどね。

ここにいる人間は、全員協力すると決めたんだ。

海の上の船のごとく一蓮托生。

そういう意味も込めて、海舟会ってのはいい名前だと思うがね」

いや、海舟って勝さんが名前にするはずなのだけど。

完全に夢と異なることが起き始めているのか?


「海舟会、僕が船頭で、君らが船員ということか。

うん、良いだろう。

齋藤先生、その名で、江川先生に提出させて頂きます。よろしいでしょうか」


「うん、それでは、書き終わったら、私に届けてくれたまえ。

吉田君、届けに来てくれるかね?」


「はい、喜んで」


「平八君、但庵に話に行く時は、君もついてきて貰えるか」


「構いませんが、アッシも稼がないと生きていけない貧乏人でして」


「それなら、平八君は僕のところで中間として雇うことにしよう。

平八君からは聞きたい話が、まだまだあるようだしな」


「ありがたいお話しですが、アッシのような素性の知らぬものをよろしいのですか」


「構わん。君は雑用なぞ、しなくて良いからな。僕からの質問に答えていれば良いのだ」


「あ、それなら、わしも聞きたいことがあるぞ。

さっき言うてた入れ札で君主を決めるちゅうアメリカの話を聞かせてくれ」


「私も、お聞きしたいことが沢山あります」


「構いませんが、アッシの話は夢の話ですからね。信じすぎれば毒になる恐れもございますよ」


「構わねぇよ。信じるか信じねぇかは、おいら達次第。考えることは止めねぇから、安心しろい」


これが、世界を変えた出会い、海舟会誕生の瞬間だった。

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