第十五話 一石二鳥か、虻蜂取らずか

「さて、異国への視察案が完全に潰されるとすれば、どのような理由が考えられる?」


「そりゃあ、海外渡航の禁に反するからでしょうよ」


「その通りだ。で、あるなら、次善の策は、海外渡航の禁に触れないようにする必要がある。

既に、採用されない理由があるのに、わざわざ提案をしても時間の無駄となるだけだからな。

さて、開国派、攘夷派、現状維持派、この三派に提案して、受け入れられそうなこと、

何があると思いますか?斎藤先生」 

あ、さすがに一応、師匠の江川英龍の友達には敬語使うのか。


「……軍備の強化ではないか」


「おっしゃる通りです。開国派だろうと攘夷派であろうと、武装した黒船が江戸湾に入り込み、恫喝したという事実を前に、軍備を強化する必要がないと言えるものはおりますまい。

実際、僕は10年も前に、水軍の強化をすべしと海防八策を提出しているのです。

もし、あの時、僕の意見を幕府が実現していれば、今更慌てることもなかったろうに」


「じゃあ、先生はまた水軍の強化を提案されるんですかい?

そんな事は今更、言わなくてもやると思いますが」

確かに、それはそうだ。

夢の中では、今まで禁止にしていた大船の建造を解禁、海軍伝習所を長崎に作ったり、オランダから蒸気船を買ったりと幕府は軍の増強で励んでいたはずだ。


「確かに、もう一度、海防八策を出したところで今更だな。

だから、もう一歩進んだ提案をする。

国防軍創設の提案だ。

各藩がバラバラに戦えば異国の良い餌食になるだけ。

幕府の下に、兵を再編することを提言するのだ。」


「そりゃあ、最初から兵をまとめておいた方が良いと思いやすし、

どこの藩の人間だなんてことに拘る必要はねぇとおいらも思いますが、

どうやったら、そんなことが出来るんですかい?」

いや、夢の中ではそう言う勝さんこそ、軍艦奉行になった時、神戸海軍操練所を作って、日本海軍を作ろうとしていたのですけどね。


「日ノ本を守る為だとして、日ノ本にある各藩、全300藩に協力させるのだ」


「協力ったって。

そりゃ、幕府の命令なら、お取り潰しが怖いから、何とかしようとはするでしょうけどね。

金を出せったって、何処の藩の懐もピーピー言ってるって話じゃないですかい。

逆さにしても、鼻血も出ない状況じゃないですかい?」


「そこで手がある。そこの、近藤君の隣の若いの。

相手を思い通りに動かすにはどうしたら良いと思う?」


「土方だ。

きっちり決まりを作って、上下関係をビシと叩き込んで逆らえないと思わせるのが一番じゃねぇか」


「確かに、それも一つの方法だな。

恐怖で縛れば、人は確かに従うだろう。

だが、それでは、効率が良くない。

人間は、やりたくないことを無理矢理やらされたと思うより、

自分で選んだと思ったことの方が積極的に動くものだからな」

象山先生は凄みのある笑みを浮かべて続ける。


「まず、エサを撒く。命令だけでなく、従えば利益があると思わせる。

次に、選択肢を与える。

そうすれば、どちらかを選ばねばならない様な気になるものだ。

だが、こちらで用意するのは、どちらを選んでも、こちらの利益になることだ。

これで、思い通りに人は動く。

その上、そうやって、自分で選んだと思うのなら、

人間というものは腹をくくって懸命になるものなのだよ」

それ、完全に騙り(詐欺)の手口です、象山先生。

武士の世界で、この人が浮くはずだよ。


「先生、それは卑怯ではありませんか?」

と真面目な吉田さんが象山先生の提案に拒否感を示す。


「それが、謀略というものだよ、吉田君。

軍師たるもの、卑怯だと批判されようと、最も効率的で、味方の損害が少ない結果を選ぶべきだ。

自分一人が卑怯者と批判されて、全体が助かるなら、軍師は迷わず、最高の手を打つべきなのだ」

象山先生は吉田さんに語るが、

吉田さんは納得いかないようで、膝の上で拳を固く握りしめている。

そんな様子を見て、ため息を吐いた勝さんは象山先生に聞く。


「それで、具体的には、どう提案されるんですかい?」


「まず、エサだ。日ノ本を守る為、力の結集が必要だとして、

希望する藩には参勤交代を免除することを宣言する。

もともと、参勤交代は、各藩の力を削ぎ、人質を置き、逆らえなくする為の制度だ。

日ノ本の危機に、そんなことをしている場合ではないだろう」

参勤交代の費用は移動だけで藩の収入の5分から2割。

江戸での滞在費用も入れると、藩の予算の半分位だったはずだ。

本当に、そんな費用が浮くとなれば、免除を希望する藩は多いだろうな。


「参勤交代の免除ってのは、ピーピー言ってる藩には、

確かに良いエサになりそうですけどね。

伝統を大事にする譜代の藩の方々は賛成なんてしないでしょ」

確か、夢の中では、今から9年後に参勤交代は緩和されたけど、

それが幕府弱体化の原因の一つになったと言われていなかったっけか?


「もちろん、ただ、参勤交代を無くすだけでは、各藩の力を増強させるだけだ。

そんなもの、賛同される訳がない。

参勤交代免除を希望する藩には、代わりの選択肢を与えるのだ。

参勤交代にかかる分の費用を日ノ本防衛の為に幕府へ支払うか、

その費用に当たる分のろくを貰う家臣を兵として、幕府に譲り渡すかだ」


「その金と家臣が国防軍になるってことですかい。

うまく行けば、スゲー金と人が集まりそうですけどね。

本気で、そんなこと出来るとお思いですかい?」


「そうだな。時節を見極めず、伝統に拘泥する馬鹿者どもは反対するだろうな。

だが、反対する理由は何だ?

外様大名の離反か?

その分の金と兵を奪うのだ。どうやって離反するというのだ。

まして、異国がいつ攻めてくるかも分からない状況で、幕府に反旗を翻すなんぞ、馬鹿のやることだ。

それでも、もし、反対するなら、反対する大名には日ノ本防衛の責任を取らせればいい。

それで、黒船に攻撃でも仕掛けてくれれば、馬鹿の立場は地に落ち、

僕の元々の策通りに、開国が円滑になされるだろうしな」

そう言うと、象山先生は黒い笑みを浮かべる。


「なるほどねぇ。

異国の侵略から、日ノ本を守る為に、国の力を幕府に結集するのだ。

そんなことをする必要はないというなら、自分で守って見せろとやるんですか?

そりゃあ、簡単に飲めねぇし、引き受けて黒船と戦って、負ければ赤っ恥だ。

もう、そいつは恥ずかしくて二度と攘夷なんて言えなくなるだろうな」


「それが選ばせるということですか?」

卑怯という言葉の印象と異なる象山先生の策に吉田さんが息を飲む。


「ああ、だが、僕の国防策は、これでは終わらないぞ。

旗本八万旗と言うがな、国を守るには、もっと大勢の兵と資金、水軍が必要なのだ。

参勤交代を緩和し、参勤交代に掛かる分の金か兵を出せと言ったとして、

どれ位の兵が集まると思う、桂君」


「他の藩は知りませんが、長州では資金は出すかもしれませんが、兵を提供することはないと思います」


「うん、まあ、その通りだろう。

貧しくて生活にも困窮している藩ならば、兵の提供は渡りに船だ。

兵を幕府に差し出せば、その兵は幕府の所属となり、ろくも幕府が払ってくれる訳だからな。

だが、藩にも面子めんつというものがある」


「まあ、金がないから、家臣を幕府に売り渡すなんざ、カッコ悪すぎでさぁ」


「それでは、幕府に反抗する勢力から兵を減らすという僕の目的にもそぐわない。

だから、令を付け加える。

異国と戦うにあたり、各藩でバラバラに戦えば各個撃破の的となることは必定。

攘夷をする権限は征夷大将軍である幕府の専権であり、

勝手に攻撃を始めることは許さない。攘夷をしたいならば、幕府に参加せよ、とな」


「確かに、攘夷を目指す侍なら、殿様に掛け合ってでも参加したい話かもしれませんが、それだけの碌が幕府にありますか?」


「だから、参勤交代を止めさせて金か兵を出させるのではないか。

家臣を手放さずに資金を提供する藩は長州のように少なくはないはずだ。

その上で、攘夷の為に戦う意思のあるものを、侍以外からも集める。

水軍増強するなら、船の扱いになれた漁師の参加も歓迎だ。

近藤君、土方君も、それに参加すればいい」

急に名前を呼ばれた近藤さんは背筋を伸ばし、土方さんはニヤリと笑う。


「でも、そりゃあ、身分制度の破壊って反対されませんか?」


「下田で江川先生も農兵の訓練はしておるぞ」


「だが、下田で農兵の訓練をしているだけでも、批判されていると、但庵(江川英龍のこと)も随分ボヤいておったぞ。それが国単位で動くとなると」


「……そうですか。では、皆、旗本にしてやればいい。

その上で、武器の管理を徹底し、元々持っていた刀や槍はともかく、

軍で預けた武器を持てるのは軍の中にいる時だけ。

こうすれば、農民反乱に繋がったりする恐れはないし、身分制度の破壊にも繋がらんだろう」


「結局、身分制度は残るんですか?つまらんのう?」

龍馬さんは不満げに呟くけど、そんな考え堂々と言って大丈夫なのか、この人。


「まあ、順番にだ。最初は身分制度が残っても、

最後は身分なんてどうでも良い世の中に誘導していけば良い。

僕は、反対する奴を説き伏せるのは得意だが、

目的を実現する為には、そもそも反対する隙を与えずに

気が付けば目的達成されている方が効率的だとは思わんか。

確か、平八君が夢で見た未来では、皆が兵になっておったと言っておったろう」


「確かに。夢の中では、国民皆兵と申しまして、

全ての者が若い時に訓練し、いざ戦の時は戦えるようにしておりました」


「そうか。国民皆兵か。

それでは異国対策で、最終的には、日ノ本の民全てを兵にしてしまおう。

そうすれば、身分制度なんて、馬鹿らしいものも有名無実となろう。

若い時に民草全員に訓練を施し、才能のある者は、そのまま将として採用出来るようにし、

兵としての才なきものは、軍役を終え、元の世界に戻れるようにする。

そうすれば、いざという時の兵は充実しながら、農業や工業の担い手もいなくならない。

社会は繁栄出来るであろう」


「ほうか。順番にすれば、身分制度はなくなるということじゃな。

面白い。わしも協力するぞ」


「ですが、先生。軍備の方はどうします?

金と兵が揃っても古い刀や槍じゃ、黒船には勝てやしませんぜ」


「武器を買う為には、とりあえず、オランダに頼むしかない。

が、そこで、幕閣に揺さぶりを掛ける。

このオランダをどこまで信じて良いのか。他の国に直接行ってて情勢を調べるべきではないのかとね」


「だけど、それは海外渡航の禁があるから」


「では、オランダを全面的に信用すると言うのか。

本当に良い武器を安く売っているとする根拠はあるのか。

買うなら、異国でどんなものを幾らで売っているか調べ、

奴らに騙されないようにするべきではないかと再度、異国の視察案を提案するのだ」


「海外視察の禁に触れることは諦めるんじゃなかったんですかい?」


「だが、これは理由が違う。

オランダを信じ、言い値で買うと言えば、異国を信じるのかと批判される状況。

果たして、誰がどうやって反対出来るのであろうな」


「つまり、先生の国防軍創設案は、異国視察団復活を狙った一石二鳥の策って訳ですか?」

勝さんが少々呆れ気味に尋ねる。


「いや、僕の策は、それだけでは終わらない。一緒に浪人の対策も行う」


「浪人の対策って、何のことですか」


「平八君が夢の中の話で言っていたろう。

浪人どもが刀を振り回し、僕や要人を襲撃すると。

実際に、そんなことがあるかは別として、異人や要人を勝手に襲撃されると困ることは事実。

ならば、対策を立てておくにこしたことはないだろう」

確かに、夢の中では、あるじに責任を問えない浪人が、剣を振り回して、殺戮を繰り返して、

日ノ本を混乱させていた。

もし、これを防げるなら、それに越したことはないか。


「刀とは、主を守る為にあるのであり、己の立身出世の為にあるのではない。

主なく、異人との戦いにも参加する気のないものは刀を持つことを禁ずる、

との令を幕府より発するのだ。

こうすれば、問題を起こしても本人以外に責任を問えない浪人から、刀を奪うことが出来る。

万が一、主持ちが凶行を起こせば主に迷惑を掛ける不忠となるから襲撃もしにくくなる。

そもそも、異人と戦う為の門戸は既に開いているのだ。幕府は兵として雇うと言って居るのだ。

それに参加せず、何故、刀を持つ必要がある。

ついでに、やくざ者からダンビラも取り上げてやれば、治安も良くなるだろうよ」


「そんなこと言ったって、刀を取り上げられる連中は反対するでしょう」


「反対したところで、浪人に世を動かす力などない。

謀反でも起こす気だとでも言うのか」


「なるほど、それなら、逆らえねえか。

だけど、先生は、一体、一石何鳥を狙ってなさるんですか?

虻蜂あぶはち取らずって、言葉知ってますか?

あんまり欲張ると、ロクなことになりやせんぜ」


「僕のような天才ともなれば、一つの策に、幾つもの策を絡めて、同時に実現出来るものなのだよ」


象山先生は自慢げに胸を張る。

確かに、実現出来れば、かなりの成果を上げられそうではあるのだけど、

問題は実現出来るかどうか。

象山先生の海防八策、本来提出する予定の開戦論、時を遡れば林子平の海国兵談等々。

実現していればこの国を守るはずだった提案をことごとく、踏みつぶしてきたのが、この国だ。


良い案だと安心することは出来ない。

実現する為の策も同時に立てなくてはならないだろう。

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