第十話 日本の分裂
「異国へ援軍派遣を依頼するなど、正気の沙汰ではない。
日ノ本の争いに、異国を介入させれば、
奴らが日ノ本に食い込む口実を与えてしまうではないか」
象山先生は怒るが、それだけ薩長が追い詰められていたということだろう。
「一応、薩長側は、イギリスの力を借りて、
この内戦を短期で終わらせるつもりだったようですがね。
イギリスと薩摩は、以前、
そして、イギリスは、この時代の地球の覇権国家。最強の海軍を持つ国です。
その海軍が、旧幕府海軍に襲い掛かり、旧幕府海軍の最新鋭艦二隻を大破させ、海上補給の安定を復活させます」
「それで、旧幕府軍が大人しく降伏してくれれば良いのだが、天子様を守る為だ。
そうはならんだろ」
「おっしゃる通りです。この時、勝様は、これ以上の異国の介入を防ぐために、天子様の安全を条件に、降伏することを慶喜公に提案されて、全ての役職から罷免されたようですがね」
「おいらがかい?」
実際、ここで慶喜公が降伏を決断していれば、イギリスの影響が強くなったかもしれないけれど、ギリギリ日ノ本の独立は保たれたのかもしれない。
だけど、勝ち目があるのに、あえて負けるなんて選択肢は誰にも選べなかったのだろう。
せめて、天子様の命運が掛かっていなければ、違う選択も出来たかもしれないけれど。
「慶喜公は、最初フランス、次にロシアに援軍を求めます」
「何故、この二国に援軍を求めたのだ」
「フランスは、元々、幕府と協力関係を結んでおり、
フランス皇帝ナポレオン三世と慶喜公も、それなりに親しい関係を築いていたのです。
幕府の軍の訓練もフランス式。幕府の最新鋭艦もフランス製でしたしね。
ところが、日ノ本とフランスの距離は遠すぎました。
援軍を送ろうとしても、イギリスの妨害でたどり着けないのです。
それで、日ノ本から距離の近いロシアに援軍を求めることになります」
「だが、距離が近ければ、それだけ介入の度合いも深まるだろう。
それは、日ノ本にとって危険な選択ではないのか」
アッシは頷いて、話を続ける。
「ロシアは元々、国家の拡大を旨とする北の国家であり、
凍らない港を求め、南への領土拡大を国是とする国です」
「そんな国と組めば、日ノ本全土が危険になるんじゃねぇか?」
「援軍の条件は、日ノ本全土を取り返した暁には、
蝦夷地を割譲するということだったようですがね。
ロシアは、そのまま、日ノ本を乗っ取る気満々であったようです。
しかし、ロシアにはイギリスを倒すだけの力はありませんでした。
そもそも、ロシアは、旧式の陸軍国家で、最新型の黒船もない国家だったのです。
イギリスの海軍と正面から戦って勝てるだけの戦力はございませんでした」
「じゃあ、結局、薩長が勝って終わったのかい?」
「いえ、そうはなりませんでした。
ロシアは正面からイギリスに勝てる戦力はありませんでしたが、
数だけは揃えることは出来たのです。
だから、ロシアは旧幕府軍へ補給を十分にすることが出来ました。
そして、イギリスは、それほど本気ではなかった。
彼らから見れば、日ノ本全部を占領するのは、
犠牲の割に利益が少ないと見做されていました。
本来、
日ノ本にはイギリスが欲しがるような資源がない。
おまけに、イギリスの望むような作物を作らせる広さも、気候もない」
そう言うと日ノ本こそ、地球最高の場所だと信じている人々からは不満の声が漏れる。
亭主、女房思うほど、モテもせず、てな言葉があったけど、
故郷は誰にとっても素晴らしいものだとしても、他人にその良さがわかるとは限らないからな。
「その上、日ノ本を占領するのが手間なことも、イギリスはわかっておりました。
以前の薩摩との戦争でも思わぬ被害を受けていたようなのですが、
今回の旧幕府の最新鋭艦を大破させた時にも、
実はイギリスの軍艦も想定以上の大きな被害を実は受けていたようなのです。
その上で、ロシア海軍とも一戦を行うなど、
割に合わないことこの上ないと判断されたとのことです」
そう言うと、怒りとも、嘆きとも言えない雰囲気が象山書院に漂う。
アッシらには、重要この上ない日ノ本の未来が、
異人たちは、武士の馬鹿にするソロバン勘定で、損と判断され、占領を諦められたと聞いて衝撃を受けているようだ。
日ノ本を軽く見られ侮辱されたと憤るもの、情けない気持ちになるもの、様々のようだ。
言葉にならない想いがあるようだが、何か聞かれることもないので、話を続けることにする。
「その結果、戦は
沿岸の町は異国からの大筒で攻撃され焼かれることになります。
そうして、どちらが勝つかも見えない泥沼の戦争が10年も続き、日ノ本全土が荒廃します。
多くの武士が死に、百姓たちも戦に駆り出されるようになっていきます。
近藤様、土方様も、この戦で戦死なさったと聞いております」
「イギリスとロシアの動きはどうだい?」
「彼らは、日ノ本武士の勇猛果敢な戦いぶりに恐怖を覚えるようになっていったようです。
最初は、砲撃で日ノ本を焼き、銃を撃ち、狩りでもするような気分で、
反撃する武士を大分殺したようなのですがね。
すぐに、武士は、銃との戦いに順応していき、一所懸命の武士だけでなく、百姓も果敢に戦うようになったそうです。
そして、異人たちによる上陸作戦ではイギリスもロシアも、多大な犠牲を払うようになり、最終的に占領は断念したと言われています」
あ、そういえば、この象山書院には、大胆な機動戦でイギリス上陸部隊を壊滅させて、東洋のナポレオンと恐れられた越後長岡藩の河合継之助も通っていたのだった。
この現場に、河合さんも呼んでおいた方が良かったかもしれないな。
少なくとも、後で、象山先生から、河合さんに伝えておいて貰った方がいいだろう。
「とりあえず、異人に武士の意地は通せた訳か。それで、日ノ本はどうなるのだ?」
「結局、日ノ本は二つに分裂したまま、停戦することになります。
既に、異国と交渉する時から、双方とも、日ノ本と名乗るのは不自由であるという異人たちの指摘もあったこともあって、随分前からそれぞれ別の国名を名乗っていたようですがね。
最終的に、出来たのは二つの国です。
まずは、薩長が中心となり京を都とし、菊の紋を国旗として、西日本の地域を支配する大日本帝国。
これに対し、旧幕府が中心となり江戸を都として天子様を江戸城にお迎えし、日の丸を国旗として、東日本の地域を支配する正統日本皇国。
この二国が正式に成立することとなったのです」
「日ノ本が完全に二つに割れたのか。双方とも、相手の天子様を認められない状況で、よく
「はい。それだけ、10年に亘る戦がそれだけ日ノ本に大きな傷を残していたということでしょう。
互いに、イギリスとロシアに莫大な借金をして、もう頭が上がらない状況にありながら、
終わらない戦火のおかげで、産業も、農業も発達しない地獄のような状況。
戦で人が取られ、沿岸都市は常に砲火に見舞われちゃ発展なんぞ出来る訳がございません。
そんな中、勝様が慶喜公を説得し、京で帝国側と交渉を行い、停戦を勝ち取ったとのことです」
「そうかい。だけど、それじゃ、納得しねぇ奴も多かったんじゃねぇか。
天子様の為に死んだ連中は、薩長を倒して国を再び統一することを期待していたんだろうし。おいら、日ノ本中の嫌われもんになっちまったんだろうな」
勝さんがなんとも言えないような表情でため息を吐くように呟く。
「ですが、10年間に及ぶ
実際、ここから、帝国、皇国共に、奇跡のような復興と産業の振興を果たしていくことになります」
それこそが勝さんの停戦の目的だったのだろう。
これで、日ノ本は荒廃から救われることになる。
「どうして、そのような発展が可能だったのだ」
「この急速な発展は、10年戦争で、それぞれの国が
「戦となり、異国の援軍を受け入れ、攘夷などという愚かな夢からやっと醒めたということか。それで、戦の為とは言え、謙虚に異国から学ぶことが出来るようになった為に、国を発展させる基礎が出来てきた訳だな」
「そうですね。それから、帝国と皇国は、共に善政競争、産業振興競争をするようになったことも発展の一因だと言われています。
それは、停戦が終わった時に、相手を倒す為だったのかもしれませんが、
庶民にとってもありがたいことなのは、間違いございませんよ」
「産業振興競争は分かるが、何で善政競争なんぞ、するんでぇ」
「停戦で区分けはされておりますが、悪政を敷けば、土地を捨て、
あるいは、多くの武士が死んでしまい、双方、百姓を
銃の存在は、たいした訓練もしない百姓が簡単に武士を殺せるようにしました。
その為、可能な限り多くの民を戦場に送る必要が生まれたのでございますな。
だから、両国とも、自国の天子様こそ正統であることを教える為に、
無償の
多くの庶民が賢くなり、天子様に忠を尽くすようになるのですな。
更に、自国への忠誠心を増進する為、税の仕組みを変え、庶民に多くのものを与えていくようになります」
「庶民にとっちゃぁ、ありがてぇことだな。おいらも嫌われる甲斐があるってことか。」
勝さんが苦笑する。
「ただ、お互いの協力者の関係で、両国は変わっていきます。
まず、西の帝国はイギリスの影響を受け、人が集まり話し合いで国の方針を決める議会を作り、天子様は君臨すれども統治せずという統治形態を取るようになります。
これは、イギリスの統治形態の模倣と言っても良いのかもしれません。
覇権国であるイギリスの発展を民の力と見做し、模倣を試みたのでしょうな。
これに対し、東の皇国は慶喜公が摂政となり、慶喜公の娘が天子様に嫁いで、親王様がご生誕になられました。この方が次の皇国の天子様となられます。公武合体の完成ですな。
そして、皇国では、ロシア皇帝やドイツ皇帝を参考とした天子様のご親政が行われるようになります。
帝国に対抗して議会も作られますが、議会の話し合いはあくまで天子様への参考意見にしたに過ぎず、最終的には天子様がご自分の判断で、素早く大胆な改革を次々に実現されて参ります。
これが、ロシアよりも民の教育が進んでいた皇国には、
大いにはまり皇国発展の原因となったと言われておりますな」
「その停戦は、どれ位続くんだい?」
勝さんが心配そうに尋ねる。
「帝国と皇国は双方とも、相手国を最大の仮想敵国としながらも、すぐに戦うことも、
逆に交流することもございませんでした」
「どうしてかね?両国は不俱戴天の仇同士で、相手の天子様を互いに否定しあう間柄。
日ノ本再統一を望まないものがいるとは思えぬが」
「イギリスとロシアが日ノ本の再統一を望まなかったからですよ。
分割して統治せよというのがイギリスの異国の統治手法。
天竺も清もこれでやられております。
その点、今のような江戸300藩は良い獲物なのでしょうな。
ですが、10年に亘る戦で、日ノ本では、皇国、帝国共に、戦に勝つ為に中央に権力を集中していき、
藩の権限が徐々に奪われ、一つの国になっていきました。
しかし、それは、イギリスもロシアも望むところではない。
まして、日ノ本が戦えば勇猛で、あっという間に発展した恐るべき国なのは、イギリス、ロシア共にわかっておりましたからなぁ。
それだけ厄介な国なのに、資源も何もなく、奪えるものもない。
こんな国が統一して、集団で逆らって来れば、撃退に手間がかかって仕方がないと考えたのでしょう。
その為、イギリスとロシアは両国に他の面では協力的で民の好意を稼いで離れないようにしつつも、
再統一には非協力的な態度を取り続けました」
「なるほど、イギリスとロシアが邪魔すれば、再統一は難しいか」
「はい。長く続いた戦の結果、
イギリス軍とロシア軍は基地を日ノ本に作り、軍をそのまま駐留させるようになりました。
この軍は、一応、名目上は帝国、皇国防衛の為ですが、実状はイギリス、ロシアの利益の為の軍隊です。
だから、日ノ本の再統一などさせたくないイギリスとロシアは、
防衛の手伝いはしてくれても、侵攻の手伝いはしてくれませんでした。
その結果、日ノ本を再統一しようとするなら、帝国か皇国、どちらか一国だけで、相手国だけでなく、その同盟国の駐留軍を倒さなければならなくなる。
でも、そんなことは、不可能でした。
そうして、帝国、皇国の両国はイギリスとロシアに振り回され、
イギリス、ロシアの属国のような状況になっていたのでございます」
痛い程の沈黙が象山書院を支配していた。
武士である方々には、とうてい納得いかない最悪の状況なのだろう。
だけど、状況はこれでは終わらないのだ。
話を続けることとしよう。
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