第九話 巨大な「世界史の」分岐点
「慶喜公の宣言、その経緯と真偽については、諸説があるのですが、内容としては次のようになります。
一つ 天子様は薩長の手から逃れ、大阪城に慶喜公と共にあること
一つ 薩長は
一つ 故に、薩長の掲げる錦の御旗は偽物であり、倒幕の勅も偽物であったということである。
一つ それ故、倒すべきは薩長の偽官軍である
旨を宣言され、幕府の船で大阪城を出た新撰組をはじめとする者たちが各藩に通達し、高札を掲げました」
アッシがそう言うと、象山書院は、これまで以上に騒然とする。
そりゃあそうだ。
尊王を第一とするはずに薩長が、天子様を弑逆したなんて、最悪の部類の醜聞だ。
ざわつく中、一際大きな書院の主の声が、書院を制する。
「待ちたまえ!平八君!それは、本当なのかね?
もし、それが本当なら、それだけで薩長は朝敵となって滅びるぞ!」
「ですから、薩長側はすぐに反論をします。
一つ 昨夜、新撰組が御所に侵入し、天子様を誘拐していったということ
一つ それ故、慶喜公と共にいるのは、誘拐の結果であり、慶喜公こそ、今の時代の足利尊氏である
旨を宣言し、各藩に伝令、高札を掲げます」
「なるほど、足利尊氏と言えば、尊王を旨とする水戸学の人間から見れば、
天子様を利用し裏切った史上最大の悪人。
それを慶喜公に重ね、天子様を利用する男という印象を広めようとした訳か」
「ですが、確かに
「そんなはずはありません。
「だけど、新撰組ってのは、俺たちのことだろ?
俺たちだって、天子様を誘拐したりするはずがねーよ」
吉田さんと勝さん、土方さんが睨みあう。
「実際のところ、何か起きたのか、諸説があり、後の世でもわかっておりません。
確かなこととされているのは、新撰組の近藤さんが、睦仁親王を慶喜公のところに連れて来たということまでです」
「とりあえず、慶喜公が足利尊氏と同じ道を自ら選ぶとは思えんからな。
慶喜公が自ら誘拐を指示したなどということはないだろう」
「かと言って、私たちが天子様を誘拐するとは思えません」
と近藤さんがいうと
「ですが、長州の人間が、天子様を傷つけるとは、私も思えません」
と桂さんが反論する。
でも、長州は御所に砲撃とかしているからなぁ。
前の天子様の突然の病死に疑問の声があるのは事実なのだ。
貴人が亡くなった時は、直接会う人も少なく、
亡くなった理由が確認しづらいのは確かではあるのだけど。
少し前まで元気だった天子様が、突然、疱瘡(天然痘)にかかって急死される。
疑われても仕方のない状況ではあるのだよ。
「朝廷の多くのお公家さんは、新撰組が御所に忍び込んできたと証言しているのは確かなのです。
が、見たこともない天子様をどうやって、新撰組が誘拐出来たのか、薩長の説明に疑問の声が多かったのは確かですな」
そう、天子様も、親王様も基本的に直接、官位もない人間と会ったりしない。
だから、新撰組が天子様を誘拐したという主張には確かに無理があるのだよ。
「新撰組側の証言によると、そもそも新撰組は御所を襲撃なんかしていません。
新撰組は、京都市内を巡回中、倒れていた少年を保護していたところ、鳥羽伏見の戦いの後、少年はご自分こそ天子様であるとの素性を明かされたというのが新撰組の主張です。
それで、天子様がおっしゃるには、天子様はお父上が暗殺されたという事実を知り、それを知ってしまったご自身の命も危ないと思われ、御所を脱出してきたとおっしゃったそうです。
ですが、そのような重大事、新撰組の人間だけでは、さすがに判断出来ぬと、
その旨を会津公に伝えたところ、紆余曲折はあるのですが、
天子様が慶喜公と対面することとになったのだとか」
「それも、怪しい話だな。厳重に警備されている御所を、一人で外に出たこともないような天子様が抜け出して、助けを求めるなんて」
「ええ、確かに、疑問は出されています。そもそも、天子様が御所を脱出したというのは、いつのことなのか。御所の警備をしていたのは、幕臣の見回り組だったはずなのに、どうして市中の見回りをしていた新撰組が天子様を保護することが出来たのか。疑問は尽きません」
実際のところ、この時に何があったのかは日本の歴史上最大の謎とされていたよな。
そもそも、前の天子様が薩長に暗殺されたという証拠もない。
もし、天子様が本当に保護を求めてきたとしても、
父上が薩長に殺されたと思い込んでいたという可能性も否定できないのだ。
果たして、天子様はご自分の意思で逃げてこられたのか、
誘拐の後、お父上暗殺の話を吹き込まれ信じ込んだのか。
誰かが嘘を吐いているのは確実なんだけど、誰がどんな嘘を吐いたのか、確かめる方法がないんだよな。
「真実は、後の世でもわかっていません。
はっきりしているのは、旧幕府と薩長は、妥協できない、不倶戴天の仇同士となってしまったということです。お互いを天子様の弑逆犯、誘拐犯と
そう言うと、書院を再び静寂が支配する。
凄惨な戦いを想像したのだろうが、現実は、それよりも悲惨だ。
「それで、
「最初の大阪城を巡る戦いでは、薩長軍は天子様のいる大阪城へ大筒を打つことができません。
長州は御所に砲撃したこともあるし、指揮官は大阪城を撃てと言ったようなのですがね。
その結果、戦局は膠着します。
錦の御旗が掲げられた時、旧幕府を裏切ったと言われる藩も、動きが止まります。
そんな中、各地への伝令を済ました旧幕府軍の軍艦が薩長への砲撃を始めると、戦局は逆転します」
「軍艦て、幕府に黒船があるがか?」
「はい。この頃、旧幕府は、異国から最新型の黒船を買い取っているのです。
そして、その黒船で、薩長の船を完膚なきまでに叩き、全滅させます。
これにより、薩長は海からの補給を一切受けられなくなり、徐々に追い詰められていきます」
「大阪城に籠城しているところ、海からの補給が来るならば、信長公の本願寺攻め、石山合戦の再現だ。大阪城からは砲撃を続けられるのに、薩長側は攻撃出来なくなっていく。不利になって当然だな」
「そうです。ですから、薩長は、ここで二つの手を打ちます」
「一つは、天子様の譲位と、南朝の血をひかれる、新たな天子様の即位を発表です。
これは、天子様が慶喜公に誘拐され、社稷を司ることが出来ないため、北朝の子孫である睦仁親王に譲位して頂き、南朝の血をひかれる新たな天子様を即位して頂くこととなったと発表したのです。
このことは、慶喜公を今尊氏と印象付ける狙いもあったようですな」
「ナンチョーって、なんじゃ?」
龍馬さんが首を捻るので説明する。
「500年程前、朝廷が二つに割れ、足利幕府を支持する北朝と、足利尊氏から逃げた後醍醐天皇とその子孫が保った南朝に別れて、争った時代があったのですよ」
「500年も前のことを、言い出しちゅーがか。そんなもん、誰が本気にするんじゃ」
「いや、勤皇を名乗る武士なら、南朝の血というのは、無視出来ない。
水戸学では、三種の神器を持っていた南朝の方が正統であったとしているのだ。
そして、南朝の血を引くという人物が、三種の神器を用いて即位され、勅を出す。
正統性としては、十分だな」
象山先生が説明するが、龍馬さんは納得しないようで
「でも、500年も前の血統なんぞ、本当か、どうかわからんじゃろ。
系図だけで言えば、ワシも明智光秀の子孫ちゅうことになっちゅうが、
それがなんじゃっちゅうんじゃ」
「そういう疑問は当然だされました。
ですが、天子様を名乗る人物を直接批判出来る人物は、
勤皇の武士の間には、ほとんどおりませんでした。
そして、その正当性をもって、薩長は自分たちの本拠地である西日本の地固めをします。
これは、東日本に旧幕府の勢力が強かったということもあるのですが。
大阪城への直接攻撃ではなく、他の藩が旧幕府の味方をしないように協力を求めていく方法を選ぶのです」
「なるほど、そうすれば、途絶えていた補給は大分解消出来るか」
「はい。そして、薩長は次の手を打ちます。異国であるイギリスへの援軍派遣の依頼です」
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