第七話 幕末史概観6 志士の時代

「先ほど、お話した通り、吉田様亡き後、

吉田様のお弟子様たちは、吉田様の遺志を継ぎ、攘夷と倒幕に邁進します。

長州藩自体には、航海遠略策と言って、交易によって国を富ませ、

攘夷する力をつけるという意見もあったのですがねえ。

吉田様のお弟子の方々は、吉田様が死を賭して主張した攘夷に固執されたのですね」


「その私の弟子という人達は何をしたのですか?」

桂さんを一瞥して、吉田さんは、恐る恐る尋ねる。

いや、やらかすのは桂さんじゃないのですけどね。

まだ、弟子にしてもいない人間が何をしようと、

吉田さんに責任はないはずなのだけれど、この人は責任を感じるのか。

生真面目過ぎる人だな。


「イギリス公館の焼き討ち、下関で異国の艦船を砲撃などを行います。

そして、最終目的としては、攘夷を実行しない幕府を倒し、

朝廷のお公家さんと協力し、朝廷の権威を復活させることを目論見ます」


「長州だけで、異国に立ち向かったって、追い返せる訳ねぇだろうが」

勝さんがため息混じりに呟く。


「ええ、長州の行動は異国を怒らせて、日ノ本の立場を悪くするだけでした。

そして、長州の倒幕運動は天子様の逆鱗に触れます」


「天子様の?どうしてです?

攘夷が天子様のご意思であるなら、

長州は天子様のご意思に誰よりも忠実なはずではありませんか?」

吉田さんが興奮して、にじり寄ってくる。

ちょっと、目が怖いよ。


「まあ、一応は長州も、文書で、天子様に攘夷の意思を確認したようなのですがね。

天子様は、幕府を倒すつもりなんて、全くなかったのですよ。

それなのに、長州は天子様の意思に添わない幕府を倒せと大騒ぎ。

その上、倒幕派の公家と組んで、天子様の許可も得ずに勅を幾つも出しますからねえ。

結果、長州のお侍たちは天子様に疎まれ、長州派のお公家様と一緒に京を追放されます」


「何ということだ。朝臣あそんである長州が天子様のご意思を見誤り、

天子様に疎まれることになるとは」

吉田さんは畳を掴んで慟哭する。

だけど、長州の窮地はこれからなのですよ。


「ですが、長州の方々は、天子様の逆鱗に触れたという事実を直視しません。

天子様のそばにいる会津、薩摩、そして幕府が嘘を吹き込んだとします。

そして、君側の奸を撃ち、武力を持って進発し、長州の無実を訴えようとします。

ですが、御所を攻撃したということで、再び天子様が激怒。

朝敵として、長州征伐の勅を下されることとなります」


「それで、いくさになるのかい?」


「いえ、長州は朝敵のまま戦となることを望まず、藩主の謝罪と家老の切腹、山口城の破却などの条件を飲み、征伐を受けずにやり過ごそうとします。

ですが、吉田さんのお弟子さん達は、これでは収まりません。

幕府との融和を目指した人々を追い出し、幕府に再び牙を剥くのです」


「そんなことしたって、勝てっこねぇだろ。日ノ本中が敵になるんだぜ」


「ええ、おそらく、そのまま行けば、今度こそ長州は滅んだことでしょう。

ですが、それを坂本様が止めます」


「わしがか?」

龍馬さんが驚いて大声を出す。

まあ、驚くのは当然だよな。

今の龍馬さんには身分制度に対する漠然とした怒り位はあるかもしれないけど、

倒幕の意思も、長州への愛着もないのだろうから。


「この少し前まで、坂本様は、勝様の海軍操練所に参加してらっしゃいました。

藩の垣根を乗り越えた日ノ本の海軍を作ろうという勝様に従っていたのですな。

ところが、その海軍操練所に参加していた土佐のお仲間が、

倒幕運動する連中と付き合いがあったために、幕府に操練所が潰されちまいます。

それで、海軍操練所を追い出された坂本さんは色々あって、

薩摩藩の援助を受け異国と商売を始めておられていたようです」

「ほう、わしが異国と商売を。そんなことが出来る世の中になっとるがか」

龍馬さんは、嬉しそうに頷く。

この人は、本当に、前しか見ない人なのだな。

その前に、随分、不穏なことも言っているのに、気にならないのか。

この明るさは確かに魅力だ。

根っからの楽天家で、恨みとか、妬みとかを、外に出したということを聞いたことがない。

だから、敵だった人間や友人を殺した相手とでも平気で手を結ぶ。

そのおかげで、信念がないだの、蝙蝠男だのと批判されることも多いのだけど。

義に拘る侍ではなく、利に敏い商人がこの人の本質なのだろう。


「そんな坂本様が対立していた長州と薩摩を裏で手を結ばせます。

幕府が、長州征伐をする時に薩摩が参加しないことを約束させ、

薩摩経由で異国の武器を長州に売り払う。

そして、その年不作だった薩摩には豊作だった長州の米を売る。

それによって長州は息を吹き返し、

第二次長州征伐で来た幕府軍を撃退することに成功します」


「それで長州は救われたのですか」

吉田さんがホっとしたように呟く。

まあ、自分の遺志を継いだ弟子たちが、

故郷長州を滅ぼしたのでは、さすがにマズイと思ったのだろうな。


「はい。それどころか、長州が幕府を撃退したことにより、

倒幕の機運が一気に盛り上がります。

薩摩なども、裏で結んでいた長州との協力関係を表に出し、幕府に圧力をかけ始めます」

「そんなことをやってる場合じゃねえだろ。

日ノ本の中で互いに争えば、異国に隙を与えるだけじゃねえか」

勝さんが不満げに呟くが、まさにその通りなのだよな。


「おっしゃる通りです。

後の世では、そうやって日ノ本を分断しようという企みが

異国にあったという人々もおります。

薩摩は元々開国派で、この時から2年ほど前にイギリスと戦った後、協力関係を築いて、

イギリスと密貿易を始めておりましたし、長州も何度か異国と戦い攘夷など、

簡単に出来ないことは理解しておりました。

攘夷の為に腰抜けの幕府を撃つだなんて言っていたようですがね。

単純に、戦を仕掛けての攘夷なんて、もう、誰もやろうと思っちゃあいなかった。

徳川幕府を倒す大義なんざぁ、どこにもない状況での倒幕運動だったのですよ」

「そんな、せめて長州だけは天子様の意を組んで攘夷に励むべきなのに。

長州と薩摩は私利私欲で日ノ本を混乱させたとおっしゃるのですか」


吉田さんが顔面蒼白で尋ねるので、

アッシは大日本帝国側の言い分を伝えてやることにする。

「まあ、薩摩と長州は、天子様の下、新しい世を作ろうとしていたと言っていました。

だから、その時に、幕府の古い勢力が混じってしまっては、

これまでのような悪影響を及ぼしかねない。

だから、排除しようとしたのだと言っていたようですがね」


「馬鹿馬鹿しい。

幕府の古い勢力であろうと、僕ほどではないとしても、有能なものはいるだろう。

逆に、薩摩や長州にも、頭の古い人間はいるであろう。

無能な奴や悪影響を与えるものは、実際に問題が起こってから排除すればいいのだ。

わざわざ日ノ本の中で戦をすることによる危険性を考えれば、

幕府の有害な連中だけを排除し、

有能なものが幕府に参加出来るようにすればいいだけではないか」

せっかく、人が吉田さんに気を使っているのに、台無しにしないで下さいよ、象山先生。

吉田さんの顔色がますます青くなっちゃったじゃないですか。

仕方ない。話を進めよう。


「もっとも、この動きに天子様は同調なされません。

天子様は幕府を強く信頼され、幕府による攘夷を望んでおられますから」

そもそも、この時点でも、長州は朝敵のままだしね。

多少の例外はあるにしても、千年近く政権から離れてきた朝廷が再び権力を握るなんてこと、天子様は全然考えてなかったのだろうな。


「そのことについて、薩摩やお公家さんには随分不満な方がいらっしゃったようです。

ところが、徳川幕府には運悪く、薩長にとっては都合のいいことに、

天子様は突然、疱瘡(天然痘)にかかって急逝なされ、

天子様のご嫡男僅か15歳の睦仁親王むつひとしんのうが即位なされます」


「なんてこったい、よりによって、そんな時に」

勝さんがため息を吐く。

確かに、天子様の崩御で、この国の混乱は一気に深まる。

もし、この時、天子様が亡くならなければというのは、

正統日本皇国では、よく言われたことではあったのだけれど。


おそらく、これも日ノ本の運命を握った分岐点の一つだろう。

天子様が急逝されることがなければ、

おそらく、あんな血みどろの内戦に日ノ本が沈むことはなかったのだろうが、

現実という奴は本当に非情なものだな。

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