第五話 幕末史概観4 幕府の衰退

「幕府の衰退は、先ほどお話しした筆頭老中の阿部正弘様が、

これまで幕閣の極一部の中だけで決めてきた政策や関連情報を、

外様大名や庶民に公開するようになったことから始まりました。

これまで、何も知らせずに勝手に幕府が決めていたことを公開したことによって、

幕府のやることが外様大名に、勤皇の志士と呼ばれることとなる侍たちに知られるようになり、様々な批判を受けるようになった訳です」


「何故、阿部様はそんなことをしたんでぇ?

まあ、おかげで、おいらが召し上げられるなら、ありがてぇことではあるんだけどさ」


「おそらく、阿部様は今の幕閣を見限っていたのだと思います。

ペリーが軍艦を率いて、この日ノ本に来ることは、

1年以上前からオランダの親書で知らされていたようなのですが、

幕閣の判断は、オランダの言うことなど信じるに値せず、

何もしなくて構わないというものだったようです」


「馬鹿な!アヘン戦争のことを知っていれば、異国を警戒するのは当然。

戦になれば、日ノ本が多大な犠牲を払うことになること位、誰でもわかることであろうが!」

象山先生が叫ぶ。


「おっしゃる通りです。

だが、阿部様がどんな対策を提案しようとも、

幕閣は旧態依然のやり方を変えようとしなかったそうでございます。

そして、追い詰められて、準備もなしで、

その場しのぎの対応しか出来なくなったのが今の状況。

そんな幕閣を見て、阿部様は、従来の譜代大名ではなく、

西洋に通じた西国の外様大名を幕府に取り込み、彼らの意見も力も利用しようとされ、情報を公開されたのではないでしょうか」


「なるほど、本来敵対勢力であった外様大名を取り込み、幕府の再生を図った訳か。

本来ならば、敵意を持った外様大名が力を付けるなど、

幕府としては歓迎できることではないはずだ。

だが、外様大名も、自分の意向が幕府に反映されるとあれば、

彼らの敵意は衰え、協力体制が構築できる。

なかなか、うまい手ではないか」

象山先生は感心して頷く。


「ですが、このことは譜代大名の反発を買います。

まあ、罰せられないにせよ、自分たちが排除されて外様大名が幕閣を動かすことになるのですから、気持ちは分からんでもありませんな。

そして、今から5年後、ハリスが下田に着任した翌年、阿部様が亡くなられると、

その不満は将軍継嗣問題として噴出します」


「将軍継嗣問題ってのは?」


「はい。先ほど、お伝えした通り、今の公方様は間もなく崩御なされ、

その嫡男が後を継がれますが、新しい公方様も病がちで、

政務を取り仕切れるような状況になかったとのことです」

もし、この嫡男が健康で長生きすれば、

また違う未来があった可能性もあるのだろうけれど。


「そこで、国難に対し、挙国一致で臨むべきとして、次の公方様に英名轟く一橋慶喜様ひとつばしよしのぶさまを擁立し雄藩連合がこれを支えるようにすべきと主張する阿部様、薩摩藩、水戸藩などの有力大名で組織される一橋派ひとつばしはと、時の公方様に血筋の近い紀伊藩主徳川慶福様を擁立し従来通り譜代大名がこれを支えれば十分と主張する譜代大名と大奥で組織される南紀派が対立します。

この対立は、結局、南紀派の彦根藩主井伊直弼様が大老となり、徳川慶福様が次の公方様と決めたことで決着されますが」

「まあ、こんな状況でお家騒動なんて、やっている場合かとも思うけどよ。

それで、話がまとまれば、それでいいんじゃねぇか?」


「収まれば良いのですが、井伊大老は一橋派の弾圧を始めてしまうのですよ」


「どうして、そのようなことをなさったのですか?」

吉田さんが尋ねるので、アッシは推論を述べる。


「何故、そんな行動を取ったかというのは、

実際に井伊大老に聞かなければわからないことでございます。

ですから、これは事実ではなく推論ですが、よろしいか?」

象山先生が頷くのを見て、話を続ける。


「後の世で、井伊様は、幕府の権威を元に戻そうとしたのではないかと言われておりました。

井伊様は決して暗愚な方ではございません。

幕閣の中でも数少ない開国派で、交易によって国を富ませるという見識もお持ちでした。

ですが、従来の幕府のやり方に固執し、

それと違う方法を取ろうとする一橋派を敵対勢力と考えてしまい

弾圧を始めてしまったのではないでしょうか」


「どうして、その様な判断をしたのだ。一橋派に謀反の企みでもあったのか?」


「井伊様はそのように信じておられたようですね」

色々な説があるけど、井伊様は本気でそう信じていたのだろう。

大日本帝国では彼を権力亡者の悪人としているけど、

アッシは彼を徳川の忠臣だったと思う。

彼は、徳川の権威を揺るがす外様大名、浪人、公家を根切りにしようとした。

全ては徳川のお家の為。

この人は、どこか石田三成公に似ていると思う。

忠臣で主君を守ることを第一に考えているけど、

余計なことをして逆に主君の家を衰退させる原因になった点でも、

よく似ていると思うのだ。


陽明学、この時代だと王学というのか、

そいつが、日ノ本に広がり、後に志士と呼ばれる連中の多くは、

正しい志さえ持って行動すれば、結果がどうであろうと構わない、

と命を懸けて行動したという。

確か、吉田さんや象山先生も、陽明学を信奉していたとか聞くよな。


いあ、むしろ、結果を考えて行動するなど、

商人が儲けようとするのと同様の卑しい行動であると考えていたとかも聞く。


だけどさ、結果を知っちまったアッシから見ると、

動機がどんなに良いものだろうと、

悲惨な結果を起こしてしまうことが良いことだとはとても思えねぇんだ。


それなのに、多くの日本人は原因と結果を平気でひっくり返す。

「心がけが良かったから」うまく行った。

失敗したのは何か邪な意図があったから、悪い奴がいたからだって言って、戦犯探しをする。


だけど、そんなんじゃねぇよな。

「いいひと」が善意から頑張っても、目的や方法を間違うと酷い結果になる。

悪人が私利私欲の為に行動しても、全体としての利益になることだってある。

現実って、そんなもんだろ?


だから、どんな正しい想いであろうとも、現実を見ず、方法を考えないなら、

最悪の結末に達する危険があることを、

せめて、ここにいる人たちには知っておいて欲しいものではあるのさ。

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