第6話 剣の時代の最後の侍

龍馬さんが3日後に象山書院に来ると約束したので、私と勝さんは品川の土佐藩下屋敷を離れ、江戸牛込にある天然理心流道場、試衛館を目指して歩き出す。


「坂本龍馬か。平八つぁんの言う通り、なかなか面白い男だったな」


「面白いですか?」


「ああ、ありゃあ、赤ん坊みてぇな男だな。

新門の親分のところにいる若ぇ衆にも、たまに似た奴はいるが、あいつは飛びぬけてるぜ」


「そんなに飛びぬけていますか」


「ああ、アイツは教えれば海綿のように素直に何でも吸い込んででかくなるかもしれない。

そんな感じがしたな。

まあ、周りにいる仲間だの、師匠だのが悪けりゃ、それに染まっちまいそうでもあるんだが。

ちゃんと育てりゃ、化けそうな気がするぜ」

師匠が悪ければ、か。

坂本龍馬は夢で見た後の世では毀誉褒貶が激しく、

大日本帝国でも、正統日本皇国でも、裏切り者の蝙蝠扱いされて、随分批判されていた。

だが、勝さんだけは最後まで弁護していたらしいなあ。

そんなことを考えていると、勝さんからアッシに声が掛けられる。


「ところで、次に行く牛込の奴はどんな奴なんだ?」


「近藤様、いや、今はまだ嶋崎勇様だったか、まだ勝太様でしたかな。

それに土方歳三様ですが、お二人は農家の出で、侍に憧れる若者ですな」


「侍に憧れるねえ。なってみりゃあ、そんないいもんじゃねぇんだが」

勝さんはちょっと渋い顔で呟く。

まあ、その意見にはアッシも賛成ではあるのだが。

侍に憧れた若者たちは、自分たちの心に描いた理想の侍になろうと

時代を突っ走って行ってしまうのだよな。

まあ、その結果、正統日本皇国の武の一翼を担い、

巨大な歴史の分岐点の一端を握ることになるのではあるのだけれど。


「もっとも、お二人とも今は数えで17,8歳の若者。

嶋崎様は試衛館を継ごうと努力しているところだし、

土方様は近所ではバラガキと呼ばれる悪ガキ。

石田散薬の行商をしながら、試衛館に通っているとか」


「ほう、そんな奴らが将来活躍するってぇのかい?」


「そうですね。それだけ大きく時代が動く。そんな夢を見たんでございますよ」


「侍に憧れるガキどもがねえ。

てぇことは、やっとうがぶん回される時代になるってことかい?」


「さて、先のことは話さないと象山先生にお約束しましたからな」


「何でぇ、覚えてたのかい?できれば、忘れて話して欲しかったんだがな」

勝さんは言いながら苦笑する。


「アッシとしては、話しても構わないのですが、

万が一、話したことが象山先生に知られて怒られると大変ですから」


「ああ、まあ、そうだな。

象山先生がへそを曲げたら、面倒なことになりそうではあるか。

しゃんめぇ。たった三日だ。

それまでに、これから何が起きるのかワクワクと、想像でもしながら待つことにするよ」


実際に、アッシの見た夢が現実になる保証はどこにもない。

最初は夢の通りのことが起こったとしても、最後の最後で外れるかもしれない。

いや、既に、幾つかの夢で見た未来を話してしまっている以上、

もう、あの夢で見た未来と同じことは起きないのかもしれない。

それでも、伝えるべきだと思ったのだ。

ここにいる英雄の卵達に。

アッシのような凡人ではなく、英雄となる彼らが知れば、

あの悲惨な未来をきっと回避してくれると期待するから。


とは言え、今回、近藤と土方にも声を掛けるかは正直迷ったところだった。

夢の中でも、この国全体を見て判断する勝さんと徳川の秩序を守ろうとする新選組出の部隊とは相性が悪く、夢で起こったことを回避するだけなら、近藤と土方を目覚めさせないままの方が良いような気もする。


それでも、彼らに伝えることにした理由は二つ。


一つは、夢の通りで起こることを回避することをアッシが望んだとしても、本来、手に入るはずだった他人の栄光だの成功をアッシが奪うことに抵抗があったこと。

国が割れ異国に支配とされたにしても、近藤達は正統日本皇国では武神と崇められ尊敬されるはずだった存在だ。

それを神様にでもなったつもりで、その未来を奪い取り、田舎の剣道場の主で終わらせることに嫌悪を感じたのだ。

まあ、これが快楽目的で、大量虐殺をやらかした極悪人とでも言うなら話は別なのだが。

盗み見た未来で他人の功績をなかったことにしてしまうのに、アッシは、どうも抵抗があるのだ。


老い先短い老いぼれが、死ぬ前に、神様気取りで、

誰かを踏みつけにして死にたいとはどうも思えなかったということなのだが。


そして、もう一つは、もっと不確かな理由。

もし、アッシの夢が現実に起こることの予知であった場合、放っておいても近藤達が絡んでくる可能性があるかもしれないと思ったからだ。

つまり、運命というものが存在して、近藤達がそれに乗り、私たちの計画を外から破壊して、本来の未来に戻す勢力となる可能性を恐れたのだ。

夢の中の空想科学小説というものでは、運命だの、世界線だの、アトラクタフィールドだの、世界意思だの、色々な言い方をしていたが。

それに彼らが巻き込まれて、事情も知らずに敵対してきたら、始末に負えない、と思ったのだ。


そんな風に、敵対勢力になる恐れがあるならば、その前にアッシの持つ情報を与え、自分たちで判断させ、出来れば味方にしようというのが、アッシの考えた方針だ。


敵対する恐れのある潜在的な敵は最初から自分の陣営に取り込むという政治的な判断。

こんな考え方は、夢を見る前のアッシでは決して出来なかったことだ。


それこそ、あの夢が、只の夢でなかった証拠だとも思えるのだが。

彼らを本当に取り込めるのか、取り込めたとして、取り込んだことにより、

彼らがどんな役割を果たすのか、もはや神のみぞ知るということだろう。


試衛館につくと、セミの声が響き渡る中、道場の外でも激しい稽古の声が響いていた。

「ほう、やってるねぇ」

勝さんは嬉しそうに笑うと道場の中に入っていくので、アッシもそれに続く。


この時代の建物には鍵なんてものはない。

ついているとしたら、大店の蔵にあるだけで、

入ろうと思えばどこにだって簡単に入れるようになっている。

アッシと勝さんが入ると道場にいた何人かの目がこちらに向くが、どうやら乱取りの稽古中だったようで、声を掛けてくるものはいない。


勝さんは土間に立ち、稽古が一段落するのを静かに待つので、

私もその少し後ろに立って待つこととする。


天然理心流というのは実戦重視と聞いたことはあるが、かなり荒々しい稽古だ。

剣術と言うよりは総合武術。

実戦的と言われるだけあって、剣術、こん棒、柔術、何でもありだ。

大事なことはやられず、倒れないことなのだろうな。

息を切らせた方からやられていく。


そんな稽古が驚くほど長く続き、全員が疲れて動けなくなってくるころ、止めの声が掛かる。


「ほう、やるじゃねぇか。

もう少し、止めるのが遅けりゃ、誰かが大怪我しても、おかしくねえ塩梅だぜ」

勝さんは楽しそうに呟く。

激しい稽古を自分でもしながら、周りの様子を全部把握していたという訳か。

これだけ激しい動きの中では、

脇で見ていたアッシだって、状況がわからなかったというのに。

冷静で視野が広いということだな。


稽古していた者たちが互いに礼をして別れ、道場に一列に座ると、止めの声を挙げた一人の若者が面を外し、こちらに近づいてくる。


随分若いが、写真で見た近藤勇だ。

あれだけ激しい稽古だったのに、息も切らしていない。

「失礼。お待たせしました。ご用件をお伺いします」

近藤は私たちのいる入口に来て頭を下げる。


「こちらこそ、突然の訪問失礼いたします。

私は直新陰流、島田寅之助先生の弟子、幕臣、勝麟太郎と申しますが、

嶋崎勝太君と土方歳三君はいらっしゃいますか」

そう言うと勝さんは頭を下げ、こっそり近藤に見えないようアッシの方を見て、

おいらも、こんな話し方出来るんだぜと言いたげにニヤリと笑う。


「嶋崎は私です。今は近藤家に入り、近藤勇と名乗っております。

土方歳三は、その」

と口ごもる視線の先に、写真で見た土方歳三が荒い息で大の字になって倒れている。


アッシが、あちらが土方様のようですと勝さんに囁くと勝さんは頷き


「いや、そのまま、精根尽き果てるまでの稽古の最中に突然来たこちらが悪いのです。

息が整うまでお待ちします」


「そう言って頂けると助かります。まずは、わらじを脱ぎお入り下さい」


近藤さんはそう言うと、勝さんだけを招き入れようとするが、勝さんはそれを制し、


「申し訳ないが、こちらも町人だが、おいらと同じお使いでね。

一緒に入れてやっちゃあくれねぇか」

と、アッシも一緒に入る許可を取ってくれる。


「それは、失礼しました。お名前は?」


「アッシは平八と申しやす。本日は佐久間象山先生のお使いで参りました」

そう言うと、近藤さんは頭を下げ、アッシも招き入れてくれた。


まあ、普通はアッシのことは勝さんのお付きの下男か中間にしか見えないよな。

恰好はともかく、実際、日雇いであちこちの中間をやったこともあるから、そんな風に見えるのも仕方ない。


そうして、アッシらは、近藤さん達との出会いを果たした。

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