第2話 はじめの一歩
考えた結果、アッシが向かったのは、赤坂田町だった。
素性のわからないアッシのような老いぼれに会って話を聞いてくれる可能性があるのは、刺客として自分の命を取りに来た坂本龍馬を弟子にしたという勝海舟だろうと考えたのだ。
勝海舟、この時代なら勝麟太郎か、彼ならば、とりあえず話位は聞いてくれるだろう。
年を取るにつれ、日本の分裂を決定的としてしまった京の会談を後悔し、捻くれたようだが、この時代の勝海舟は江戸っ子らしく、明るく軽かったとされている。
食うのにも困る貧乏だったらしいが、いかれた老人の話位聞いてくれるだろう。
そう考えて、アッシは勝麟太郎の開いていたという赤坂田町にあったという氷解塾というのを探して家を出る。
長年暮らしてきたお江戸だ。
赤坂田町までなら、簡単にたどり着ける。
だが、勝海舟の屋敷の前に立つとあっけにとられる。
なんて、オンボロさだ。
貧乏御家人だとは聞いていたが、私の長屋と大差ないぞ、こりゃ。
「あのー、ごめん下さい、勝様のお宅はこちらでございますか?」
アッシは、声を掛けると、引き戸を開け、
中から夢の中で見た写真で見たより若い男が顔を出す。
その顔を見て、血の気が引き、手足が痺れる。
恰好は貧乏御家人らしく、ボロボロだが、写真で見た通り、中々いい男だ。
「おう、勝はおいらだが、何のようだい?」
夢の中で見た人間が本当にいて、話をしている。
アッシには勝海舟と直接の面識はなかった。
だから、顔など知るはずもねえ。
ただ、夢の中で写真を見ただけだ。
その夢で見た顔と現実の人物が一致している。
ということは、あの夢はやっぱり、本当に現実に起こることなのか?
「おい、どうしたんだ、じいさん?真っ青な顔しているが」
勝さんはアッシを心配そうに見詰める。
「勝麟太郎様でございますね。氷解塾の」
「ああ、そうだよ。随分、青い顔をしているようだが、一体、おいらに何のようだい?
誰かのお使いって感じでもないが。
その年で蘭学を始めてぇ、とでも言うのかい?」
勝さんはアッシの服装を見て首を捻る。
まあ、アッシは貧乏長屋住まい。
とても、誰かのお使いで来るような恰好ではない。
かと言って、今更、蘭学を始めるような年でもないからな。
そこで、アッシは考えてきた言葉を口にする。
「ええ、実は、勝様に聞きたいことがございまして、参りました」
「ふーん、おいらに聞きたいことがね。
まあ、いいや、それなら、とりあえず、せめえ家だが、上がってくれ」
そういうと、背中を向けて家に入っていくので、アッシは後を追う。
期待通りのヌルイ反応ではあるが、本当に気安い対応だな。
江戸っ子らしいと言えば、江戸っ子らしいのだが。
それが、この勝さんの最大の武器であり、弱点とも言えるところだったのだよな。
ほとんど、家具のない家に入ってぼろ畳の上に座ることを勧めると、
「それで、おいらに聞きたいってことは何なんだい?」
と、勝さんはあぐらをかき、好奇心に目を輝かせて尋ねた。
「勝様は蘭学を学んでらっしゃると伺っておるのでお尋ねします。
夢で先に起こることを見るということはあるのでございましょうか?」
アッシは早速、考えてきたことを尋ねてみることとした。
アッシは夢で150年先の未来を見てきたかもしれないと思っている。
だが、それが本当のことであるという保証はどこにもない。
夢にあった驚くほどの現実感と、夢で見た勝海舟と現実の勝さんが一致する事実。
この二つを見れば、アッシの中ではあれがただの夢でないことは間違いない。
だが、夢で見たことが事実であるという保証なんかはどこにもないのだ。
夢で見た知識を使って言えば、夢で見た世界と、
今、アッシが現実に存在する世界線が一致している保証はないのだ。
加えて言えば、アッシが動いたところで、世界線が変動する保証もない。
夢の世界の物語の中では、蝶の羽ばたきでさえ世界が大きく変わってしまうバタフライエフェクトという現象があるという説と、運命とか世界意思やアトラクタフィールドとかいうものがあって、世界線は決まった地点に収束するという二つの見方が未来の物語の中には存在していた。
人の行動には無限の可能性があり、個人のちょっとした行動でも未来が大きく変わるという考え方と、人の行動など大河に小石を投げ込むような行為で大河の流れは変わり様がなく、変わったとしても元に戻ってしまうという見方がある訳だな。
だから、アッシはアッシの見たことが現実であるかを確認しながら、変える必要があるのならば、最初から自重などせずに最大限変えようと思ったのだ。
何しろ世界線を変えようとしたって、元に戻ってしまうかもしれないのだ。
破滅の未来が待っているなら、可能な限り大きく未来を変えた方が、まだマシだからな。
「ふーん、先に起こることを夢で見るねえ。
あいにく、おいらも、そんな話は聞いたことがねえな」
勝さんは顎を撫で考えながら答える。
「それで、お前さんは夢で何かを見て、それが現実となるかを確かめたくておいらのところに聞きに来たっていう訳だ。おもしれえな。お前さん、一体、何を見たんだい?」
勝さんは期待通り、アッシの見たことに興味を持ってくれたようだ。
アッシは勝さんの好奇心をくすぐるように答える。
「私は夢で150年先の世界を見ました。
そこで、勝様のフォトガラ(写真)も拝見したのでございます。
今の勝様よりお年を召し、ご立派な様子でございましたが、
その夢で見た勝様と今の勝様が一致しておりました。
加えて、夢に感じた驚くほどの現実感。
おまけに、今のアッシは、明らかに夢を見る前よりも知識が増えております。
ただの夢でこんなに沢山のことを知るなんて、ありうるのでしょうか」
アッシがそういうと勝さんは胡坐を崩し、立膝をついて、アッシに顔を近づける。
「150年先の世界か。それが、本当なら面白れぇが。
おいらのフォトガラ以外に、その夢が夢でないと確認する方法はあるのかい?」
「はい、それを確認したくて、アッシからも伺おうとも思っていたのですがね。
これからアッシの見た勝様のことをお尋ねします。
アッシが夢で見たことが事実であれば、あの夢がただの夢ではない
になるかと」
「なるほど、確かに、おいらのことを調べてないのに、詳しく知っていれば、おいらも信じてみようって気にはなるが」
勝さんはニヤリと笑って続きを促す。
「だが、調べりゃわかることを話しても証明にはならねぇぞ。その辺はどうする?」
「はい、ですから、これから先のことも話そうと思います。
勝様にあったことと、これから起こること。
それを幾つか話させて頂いて、判断して頂こうかと思います」
「ほう、これから、起こることか。
おもしれぇな。信じるかどうかはともかくとして、聞いてやるよ、話してみな」
「勝様は、もう黒船を見に行かれましたかな?」
「ああ、この間行ってきたぜ。お前さんは、浦賀でおいらを見かけたのかい?」
「いえ、勝様が見に行ったことは夢の中で知りました。
だから、もう行かれたのか、まだ行かれてらっしゃらないのか、確認したかった訳で」
「ほう、そうかい」
「ここが勝様の人生の分岐点となります。
間もなく幕府は、黒船の情報を外様大名はおろか、庶民にまで公開し、士農工商を問わず意見を募集します。
そこで、勝様の出された『海防に関する意見書』が老中阿部正弘様の目に留まり、勝様は幕府に召し上げられることとなります」
「幕府が黒船のことを公表し、身分を問わず意見を募集するなんて、俄かには信じがてぇな。
だが、だからこそ、もし、そんなことがあれば、お前さんの言うことを信じる気にするかもしれねえ。
それで、おいらが出す意見書の内容を言うことは出来るかい?」
口調は軽いが真剣な様子で勝さんは尋ねる。
「夢の中でも直接、実物を見た訳ではありませんが、こんなのを書いたと聞いた程度のことなら、言うことが出来ますよ」
「じゃあ、聞かせてくれねぇか?」
「たしか、異国と戦おうにも、科学力、資金力ともに向こうの方が勝っていることは否定できない。されば、まずは交易を行い、力をつけて、異国と対等に付き合える交渉を始めるべきであるとかであったと思います」
そう答えると、勝さんは真剣な表情で頷くと、つぶやく。
「驚いたよ。先の話はともかく、今の話は、今、おいらが考えていること、そのまんまだ。
どうやって見抜いたんだろうな。俄然、興味が湧いてきたぜ。
お前さんが、本当に先の世が見えるのか、それとも、天才イカサマ師なのか?
是非、見定めて見てえな」
「イカサマ師ではありやせんが、アッシが見たことが本当に起こる保証もありません。
だから、アッシの夢が現実になるのか、確認したく、こちらを伺った訳でして」
「なるほどなあ。とは言え、最初に言った通り、おいらは夢で先のことを知るなんて話は聞いたこともねぇんだ。
イカサマだとしても種を見抜けそうもねえしな。
おいらの知っている一番博学な先生のところに一緒に行ってみる気はあるかい?」
「へえ、喜んで」
アッシが即答すると、
「なんでえ、迷わず決めるんだな。
さては、おいらが紹介することを予想してやがったな?」
勝さんは苦笑しながら訪ねる。
「ええ、話を聞いて下さるなら、勝様が、一番可能性が高いと思っておりました。
が、なるべく多くの方に伝え、対策を練るには、勝様に、色々な方を紹介して頂く必要があると考えておりましたから」
「そうすると、誰に紹介するかも、予想しているってことかい?」
「はい、勝様の義弟にして、自称地球で一番の天才、佐久間象山先生でございますね」
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