プロローグ2 オレハ、ナンダ?



……何がどうなっているのだ?



混乱する頭で辺りを見回す。



目を開くと見慣れたムシロが身体の下にあり、その先に土間と流しが見える。

もう、30年以上見慣れたいつもの風景だ。

アッシは、アッシであるはずだ。

それ以外の何者でもねえはずなのに。


それなのに、何だ?現実感が薄れている?

アッシが見た、あの現実味あふれるものは何だったのだ。

あれは夢だったのか?


アッシは見た。


生きていくのに困らず、信じられないほど、美味いものをいつでも腹いっぱい食べられ、楽しいもの、快適なものに恵まれているのに、満足出来ない男の姿を。


あれは、子どもだったのだろうか、老人だったのだろうか?

それも、もう、わからなくなってしまった。

それなのに、あの男の見た知識は、アッシの中に残っている。

それも、これから起きることについては、どういう訳か鮮明にだ。

どうして、こんなことが起きているんだ?


人間てぇやつは、知識も、考え方も、これまでの蓄積で作られるものだ。

それなら、アッシは、まだ本当にアッシだと言えるのか?


もっとも、アッシには、これまで生きてきた50年近い実感もある。

生活としての実感は私に侵食してくる知識を押し返し、

アッシがアッシであることを主張する。


アッシはもうすぐ50になるお迎えのちけえ老いぼれだ。

あの夢で見た世界ならともかく、今のお江戸では、いつ死んでもおかしくねえ。


アッシには、三河の農家の百姓の八男として生まれ、

お江戸に口減らしとして出されて、かれこれ40年近く生きてきた生活の実感がある。

もう年で身体がキツクなってきたが、日雇い仕事で働いてきた記憶は確かにある。

アッシは、金がなくなれば、口入れ屋さんで仕事を貰って働き、ある間は楽しんで暮らす生活をしてきた。


昨日も、浦賀に来たという黒船を見る為に、日雇い仕事を休んで見物に行ってきたばかりだ。

何の責任もない気楽な毎日。

そんな毎日が続いて行くものだと思っていたんだが。


だが、今のアッシは知っている。

いや、あの夢が現実であるならば、であるが。


この時から、たった16年で、盤石に見えた幕府の権威が揺らぎ、

この国が混乱の坩堝に叩き込まれ、真二つに割れることを。


日ノ本は16年後、大日本帝国と正統日本皇国とに分かれ争い、

その隙をつかれて、欧米列強国に食い物とされていくことを。


あれは現実なのか?

それとも、ただの夢に過ぎないのか?

あの現実感は、どうしても夢とは思えない。


夢の中では、あの時、日本が分裂さえしなければ、欧米に支配されたりすることなく、清やロシアやアメリカにさえ勝つことが出来て、今よりまともな生活が出来たのに、という声が満ち溢れていた。


夢の中のアッシはそんな現実逃避を冷笑していたが。

あの夢が現実なら、そして、それがまだ起きていない今なら、アッシはそれを変える機会を得たってことなのか?


いやいや、世の中をどうするかだなんて、お侍さんの仕事だ。

アッシが何を言おうと聞いて貰えないに違いない。

それどころか、余計なことを言えば、天誅の名の下、切られるかもしれない。


だいたい、アッシはいつ死ぬかわからない老いぼれだ。

16年も先に生きている保証だって、どこにもない。

そんなアッシが命を懸けて、この国を救おうとする意味なんてあるのだろうか?


自分が所属している団体だの組織が、周りから褒められりゃあ、自分が認められた気がする。


そうすりゃ、ショボい自分の人生が良いものだったような気分になれる。

だから、国だの、故郷だの、を批判されると怒って守ろうとするのだろ?

愛国心だのなんだのって、そんなもんだろ?


だけど、アッシは、どこにも属しない無宿人。

今更、そんな風に自分を胡麻化すことも出来やしねえ。


もし、アッシがもっと若ければ、商売でも始めて、

渋沢栄一や岩崎弥太郎のように金持ちになろうとしたかもしれない。


だけど、どんなに成功しようと、

あの夢で見た文字通り夢のような生活と比べれば、どうしたって見劣りする。

そんなものの為に、命を懸けるのか?


まして、アッシは老いぼれじゃないか。


もうすぐ死ぬのに、金をあっちからこっちに、かき集めて何になるってんだい。


家も、家族も何もないアッシには何かを残したい相手もいない。

これから、家や家族を作るのか?

そりゃあ、無理だろう。

アッシは、少し年を取りすぎた。

まして、家や子どもを残せば、人生に意味があったと思えるほど、楽天的にはなれない。


これから来るのはロクでもない時代だ。

戦が終われば多少はまともになるだろうが。

そんな中にガキとカミさんを残して死んでいきたいか?

それに、アッシに子どもが出来たとして、その子孫に夢を掛けるってのも、

あの夢を見ると現実逃避にしか思えなくなるのだよな。


親の人生は親のもの、子どもの人生は子どものもの。

子どもがアッシの何かを背負って生きてくれる訳じゃねえんだ。

アッシが死ねば、アッシの想いも、存在も全て消える。


今までの人生を振り返ると何も残っていない人生だった。

ただ、適当に働いて、楽しく過ごしてきた人生だった。

失うものも何もない。

残すものもなにもない。


それならば、今、死んでも構わねぇんじゃねえんだろうか。


アッシがこの時代のことを妙に鮮明に覚えているのも、その為なのじゃねぇのだろうか。

そうだな。伝えたことで、命を落としても、たいして、惜しい命でもない。

それより、見た夢を誰にも伝えず、この国が地獄に叩き落されるのを見たら。

アッシは後悔しないって言えるのかい?


伝えて、聞いて貰えなかったら、聞かねえ奴が悪い。


アッシの責任じゃねえ。


そうだよ、伝えるだけ伝えて、後は伝えた奴に任せて、放っておけばいいのじゃねぇか。


そう考えると、この先にある悲劇を誰かに伝えるべきではないかという気持ちになってくる。


あの夢が本当なのか?

たとえ、本当でも信じて貰えるかはわからない。

だけど、死ぬ前に伝えるだけ伝えてみるべきではないだろうか。


アッシの見たことは間違っているかもしれない。

正しくても、聞いて貰えないかもしれない。

でも、とりあえず、誰かに伝えるだけ伝えておこう。


伝えた上で、何を選ぶかは相手次第。


アッシには、もう関係ないことだ。


アッシは、その時は、本当にそう思っていた。

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