第40話 気付けば影は薄く4

 俺はその後も二人に挟まれながら、デパート内の通路を歩く。席の空いている店舗は思いのほかすぐに見つかり、扉のない開けた入口をくぐって、黒や茶などを基調とした落ち着いた雰囲気の店内へ。すかさずレジ内の店員から、笑顔と共に快活な声がかけられた。


 店内の客はまばら。当然レジ前も空いていて、メニュー表の置かれた店員の前まですぐに辿り着く。


「二人はどうする?」


「んー、私新作のやつにしようかなぁ。すごい美味しそう……って思ったけど、やっぱりこっちにする」


 律はメニュー表に大きく取り上げられている、苺と生クリームが大量に使われた豪華なものから一転、簡素なゆずティーを選択する。


「え? あー、じゃあ俺はその新しいやつにしようかな。若菜は?」


「……あの、私、こういった場所初めてで。何を選んだらいいのか……」


「あー、そういうこと」


 若菜の言葉で納得がいった。目の前のメニュー表の至るところには、普段使わないような言葉が羅列されていて、初めて訪れる人間には気が引けてしまうんだろう。


「じゃあ、この新作のやつにしてみよっか。若菜、苺はいけたよな?」


「苺は好きですけど、でも……。いや、はい。遠慮、しないんでした」


 どこか自分に言い聞かせるようにうん、うんと頷く若菜。そんな姿にほっこりしながらも、俺は店員へ注文内容を伝えていく。


 一通りの注文と支払いを済ませ、レジからずれた位置で待機していること数分。奥から商品を持った店員の一人が現れた。俺たちはそれらをそれぞれ受け取って、座る場所を探す。


「窓際のとこにするか」


 四人掛けのテーブル席では、さっきみたいなぎくしゃくしたことになりかねない。二人も異存はないようで、俺の先導で縦長のテーブルの前に丸椅子が並べられた席へと向かい、腰を下ろす。


 もはや当然のように俺を中央にして座っている彼女ら。クラスの連中とかに見られたらどんな顔をされるんだろう。……俺の気にしすぎかな。


 ひとまず頭の中を切り替えて、目の前の飲み物に意識を向ける。グラスから伸びる太めのストローに口を付けてズズッと啜ると、コーヒーとキャラメルの混ざり合った独特な苦味の中にしっかりとした甘味が感じられる。ザクザクとした氷の食感も非常に楽しい。


「若菜、美味いか?」


 チラと左隣に視線を送ると、夢中になって赤い液体を啜り上げながらもぐもぐと口を動かす若菜の姿があった。


「あ、はい。なんていうか、すごいですね。デザートを食べてるみたいです」


「そっか。気に入ってもらえてよかったよ」


 にこりと笑い、若菜はまたストローに口を付けようとして、こちらに視線を戻した。


「そういえば三澄さん、最初これを頼もうとしてませんでしたっけ。どうして別のものにしたんです?」


「ああそれは、なんていうかいつもの慣れっていうか……。こういうデザートとかは、律といつも分け合ってたから。二人で二種類頼めば、二つの味を楽しめてお得、みたいな」


「……へー、律さんといつもそんなことをしていたんですか」


「あ、ああ」


 白けたような表情になる若菜。あ、あれ、若菜はこういうことあまり好きじゃないのかな。ちょっと潔癖なところがあるのかもしれない。と思ったけど若菜は自分のグラスをこちらに寄せて、


「じゃ、じゃあ、これ飲んでみますか?」


 少し遠慮がちにそんなことを言い出した。 


「え!?」


 そう声を上げた律の方へ咄嗟に顔を向ける。


「おお、どうした律。そんな大声出すほどか?」


 確かに、脈絡のない若菜の今の行動には少し驚かされたけど。


「い、いや……」


 そう視線を泳がせる律。いやこれは、泳がせているというよりも、若菜をチラチラ見ていると言った方が正しいのか?


 少し身体を逸らして二人を交互に見やると、律の視線を受けた若菜が顔を伏せているというように受け取れてしまう。もはや、俺を挟んでいてもぎくしゃくしてしまうのか。三人で勉強会をしていた頃は、結構上手くやれていたんだけどな。


 それでもここは俺がなんとかしないと。例え美月のように上手くはやれないとしても。


「そういや律もあの苺のやつ飲みたそうにしてたよな。ちょろっと若菜にもらったら?」


「「……え?」」


 両隣から二つの視線が俺に向けられた。


「若菜も、俺にあげる分を律にあげるってことで。だめか?」


「あ……い、いえ、大丈夫です」


「ありがとう。じゃあ……はい、律」


 差し出された若菜のグラスを律の目の前に置く。律は俺や若菜の顔色を窺うようにしながらも、おずおずとストローに口を付けて、少しだけ啜り上げた。


「お、美味しい……」


「律、どうしてそれ自分で頼まなかったんだ?」


「……カロリーが、すごいのよ」


 律は俯き、まるで仇でも見ているかような瞳で呟いた。


「え? ああ、まあ確かにカロリーすごそうだけど、律痩せてるしそんなに気にするほどか?」


「ううん、ダメなの。油断したらそこで終わり。いらないところにどんどんどんどん……」


「あー、そういや去年の夏休み明けの律、顔周りとかちょっと丸くなってたな」


「うそっ、気付いてたの!? というか何で見てるの!?」


「いや……まあ、見るだろ」


 夏休み終わりといえば、律と俺の仲がちょうど一番険悪になっていた頃。正直、もはや律のことしか見ていなかったと言ってもいい。


「うう……」


 恨みがましく睨みつけてくる律。女子に対して丸くなったとか、言わない方がよかったかもしれない。


「だ、大丈夫! 丸くなったって言っても、やっとそれで普通っていうか、ちょうど良くなってた気がするし!」


「そ、そう? 三澄ってもう少し丸い方が好み?」


「え? いや好みって……」


 返答に窮していると、俺のグラスが視界の端からスッと消える。見れば若菜がストローをしっかりと口にくわえ、薄茶色の液体をズルズルと勢いよく飲んでいた。


「……これも美味しいですね」


 まるで美味しくなさそうに若菜はそう呟いて、俺の方へグラスを返してくる。なんか今日の若菜、ちょっと様子がおかしいような……。


「おい若菜、もしかして具合——」


 コンコン……


 突然の音の方へ視線を移す。にこやかに笑うクラスメイトの女子が二人、こちらを見ていた。視線が合うと、二人してひらひらと手を振り始める。美月とよくつるんでいた子たちだった。


 二人はそのまま足早に入口まで歩いて店内に足を踏み入れると、レジを経由せず直接俺たちの方へと近寄ってきた。若菜が俺の背中に張り付くようにサッと身を隠す。


「おはよー、佐竹君に藤林さんと……あと、誰?」


「あー、この子は俺の親戚だよ。ごめん、ちょっと人見知りが激しくてな」


 咄嗟にそう誤魔化す。俺の事情を、両親が既に亡くなっていることも含めて知らない彼女らであれば、このくらいの嘘でも十分だろう。


「そうなんだー。それで、美月も一緒?」


「え、美月? 今日は一緒じゃないけど……」


「あれ、そうなんだ。てっきり今日は佐竹君たちと遊ぶんだと思ってたんだけど……」


「いや、誘いはしたんだけど断られたよ。用事があるって」


「何の用事かって聞いてる?」


「いや聞いてない」


「んあーそっかぁ、うちらも聞こうとしたんだけど、教えてくんなくってねー」


 俺は特に聞かなかっただけなんだけど。でも、友人である彼女たちに言えないような用事ってなんだろう。少し気になる。


「にしてもそっかぁ。二人とも、もう家族ぐるみの付き合いなんだねぇ」


「へ?」


 素っ頓狂な声を上げる律。マズい。俺の発言が思わぬところに飛び火し始めた。しかし俺が思考を巡らせている間にも、クラスメイト二人の会話はどんどん進んでいく。


「うんうん、結婚は佐竹君が十八になってからかなぁ」


「け、結婚!?」


「大学に通いながら同棲ってこともあるかも?」


「同棲!?」


 律の顔はどんどんと赤くなっていき、とうとうテーブルに突っ伏した。黒い髪の毛の隙間から、赤く染まる耳が小さく顔を出している。こりゃもうダメだ。


 そうしてしばらく俺と律を茶化してくれたり、若菜へ少し話しかけたりしてくれた後、彼女らはまたひらひらと手を振りながら店を去っていった。


 未だ顔を上げず、何やら不気味な笑い声を呟き始めた律の様子を、俺と若菜は顔を見合わせながら眺める。


「若菜、一回何か話しかけてみてくれない?」


「ええ!? 三澄さんが話しかけてくださいよ!」


 ぶんぶんと首を振る若菜。俺が何かすると、また暴走するんじゃないか。そんな懸念から何も声をかけられない。おいこれ、マジでどうすんだ。誰か助けてくれ。

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