第41話 かつての光は今どこに1
次の日。静かな教室内で今回のテストへの総評を語る教師を尻目に、俺は右下隅に64と書かれたプリントを睨み付けていた。
平均点よりほんの少しだけ上の点数。もう少し良いと思ったんだけど、流石に見積もりが甘かったらしい。この点数だと、おそらくまた美月に辛酸をなめさせられるのだろうが、自業自得だと押し黙る他ない。
赤点スレスレだった今までを考えれば、むしろ驚異的な成長と言えるかもしれない。ひとまずは解き直しに集中しよう。次こそは美月を見返してやる。
問題、解答の書かれたプリントをそれぞれ傍に置き、問題の解説をし始めた教師の言葉を聞きながらノートへとシャープペンシルを走らせていった。
そうして授業が終了し全体での挨拶を済ませた後、隣の席の女子生徒を見やる。
「律、どうだった?」
「98点だった」
「おおん……流石だな。逆にどこ間違えたんだよ」
「文章題の記述で減点されたの。詰めが甘かったわ」
僅かにに悔しさを滲ませる律。満点でなければ、いやもはや満点であっても満足はしない、というような気概を感じさせる。
「三澄は?」
この流れ、そして恩人でもある彼女に自らの成果を報告することは当然ではあるのだが、少し抵抗がある。律なら馬鹿になんてしないことは分かってるんだけど。
「……64点」
「うん、平均点はとりあえずクリアね。それで解き直しは済んだ? 分からないところとかなかった?」
「大丈夫。授業中の解説だけで十分理解できたよ」
「ほんと? 遠慮しなくても何でも教えるわよ?」
「はは、ほんとに大丈夫だって。相変わらず世話焼きだな」
椅子に座ったまま乗り出すように身体を前傾させる律の頬に、俺は人差し指突き刺す。むに、と柔らかな感触を返すと共に、彼女は少し眉をひそめた。
「んむ、もう何……もしかして、迷惑だった?」
俺の言葉を非難と捉えたらしい。少し配慮が足りなかった。
「いやそうじゃない。ただ、俺もいつまでも支えてもらう側なのは嫌だからな」
「……私、ほんとに三澄を支えられてる?」
「ああ。だから心配すんな」
「うん……」
それでも納得のいっていない様子の律。正直、隣で笑っていてくれるだけで十分なんだけどな、と思いつつ、流石に言葉にはできないので彼女の両頬をムニムニと弄ってみる。
「んもう、さっきからなによ」
むすっとした顔ながら、律は俺の手を振り解こうとはしない。とりあえずもうちょっと続けてみよう。
「なんか顔の筋肉が凝ってそうだなと思って」
「……なにそれ。マッサージのつもり?」
避難の色が僅かに籠った視線。
「ふむ……」
「何がふむ、よ」
唇を尖らせる律の顔を両手使って両側から押し潰す。更に口がとび出し、皮膚が中央に寄って、いつもの綺麗な顔が台無しになった。
「あは、変な顔」
「……」
くしゃっとなった顔のまま、律は無言でじっと俺を見据えてくる。ヤバイ、ふざけ過ぎたか。思わず手を離しそうになったその時、律の両手がこちらに伸びてきた。
そしてそのまま俺の顔を両の掌で覆うと、ぐにっと親指で小鼻を上側に持ち上げ豚鼻にすると同時に、人指し指によって目尻が下方向へ引っ張られる。
「ふふっ、とゅすこぬふんぬこおぬぇ」
「何言ってるか分かんねぇぞ」
まあとりあえず目的は果たせた。俺が離れるのに応じて律も手を離してくれ、空いた手で互いに自分の顔をぐにぐにと解す。
にしても、美月の奴はどうしたんだろう。こうして遊んでいればひょっこり顔を出してくるかと思っていたが、あてが外れたらしい。もうじき休み時間も終了するし、少し急ぐか。
「律、俺ちょっと美月のとこ行ってくるわ」
「え? う、うん」
自分の回答用紙を持って椅子から腰を上げ、律に見送られながら、廊下側から二列目にある美月の席へと向かうと、自席に座り、机に頬杖をついてぼうっとどこかを眺めている彼女の姿が目に映った。
「おーい美月、体調でも悪いのか?」
彼女の顔に手をかざすようにしてひらひらと左右に振ってみる。
「んあ? あれ三澄、どうかしたの?」
「どうかしたって、それはこっちが聞いてんだけど」
「え? ああ何でもない何でもない。ちょっとボーっとしてた」
にへらと笑いながら、今度は彼女自身が自分の顔の前で手を左右に振った。
「涎垂れてたぞ」
「うぞ!?」
慌てて口元に手を持っていき、ペタペタと触り回る美月。思わず笑みが零れた。
「嘘」
「……ほほー、これはやってくれたね三澄。この後どうなるかは分かってるんだろうね?」
美月はそう、にやりと邪悪な笑みを浮かべながら、スカートのポケットごそごそと探る。
「知らん。どうなるんだ」
「りっちゃんとのキス写真をみんなに公開します!」
バッ、と勢いよくスマホを掲げ、美月はそう高らかに宣言した。
「はあ!? ちょっ、お前それは!」」
まさかあの朝の、美月の奴に見られてたのか!? 思わず身を乗り上げ、彼女のスマホを奪おうと手を伸ばす。
「うっそー」
俺の手をひょいと躱すようにして、美月はそう口にした。
「……」
してやられた。目の前にある美月の笑顔が凄まじく腹立たしい。彼女が女でなければ、全力のデコピンくらいはお見舞いしていたかもしれない。
「へっへっへ、引っかかったね三澄。そんな写真なんか持ってないよーん」
「……」
俺は無言で彼女の顔の前に手を伸ばし、中指を引き絞る。
「いだっ、なにすんの!」
「デコピン」
「そんなことは分かっとるわ!」
「ああそれでさ、美月テストどうだったよ」
つい手を出してしまったことを誤魔化すために、本題を切り出した。
「……あー、それは……。三澄の方はどうだったの?」
「俺は64点だった」
「……そっか、ほんとに頑張ったんだね」
「?」
先程から急になんとなく歯切れが悪く、笑顔ではあるのにどこか暗さを感じる。嫌味ったらしさも感じさせないし、一体全体どうしたのか。
「お前はどうだったんだよ」
「私? 私は……」
そう、少し口籠った後、
「52点」
と、にへらと力なく笑う美月の姿が、そこにはあった。
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