第38話 気付けば影は薄く2

「今日もあっついな……」


天上からさんさんと照り付ける日差しと、足元のコンクリートから伝わる熱気がじりじりと肌を焼き、加えて全身に纏わりつくような湿気から、一歩踏み出すだけで汗が滲む。まだ八時そこそこだというのにこの有り様。やっぱり夏はあまり好きじゃない。


「若菜大丈夫か?」


 俺は日傘を差しながら隣を歩く少女——手首から首元までを覆う薄手の黒シャツを長袖の白ブラウスからうっすらと透けさせながら、紺色のロングスカートを翻している——に、そう声をかけた。


「大丈夫ですって。三澄さん、それ今日何回聞くんですか」


「いやー、若菜ちょいちょい遠慮とかするから、今もほんとは無理してんじゃないかと思って」


「大丈夫です。三澄さん相手に、もう遠慮とか一切しませんから」


「お、おお、そうか……」


 その言い方、なんかちょっと怖い。いやまあ嬉しいんだけど。


 そんな俺の思いは流石にちょっと情けなくて言葉にできないが、動揺していることは伝わってしまったらしい。くすくすと楽しそうに笑う若菜につられて、つい笑みが零れた。


 この様子なら、ひとまず今は彼女の言葉通り大丈夫なんだろう。だが、はしゃぎ過ぎれば反動がくることは前回の買い物にて判明している。


 それにこの天候だ。半分吸血鬼である彼女にとっては毒以外の何物でもない。傘や服、日焼け止めクリームなどで防御はしているが、それらがどこまで彼女を守ってくれるのか、今の俺にはまだ分からない。


 やはり、注意するに越したことはないだろう。彼女が今日、一日中笑顔でいられるように。


 それから少し歩いて、俺たちは律の家の前に辿り着いた。一旦若菜に、玄関口から見えない敷地周りの塀に隠れてもらってから、玄関扉前にあるインターホンを押して応答を待つ。


 まだ、律の両親には若菜のことを話していない。お世話になっている方々でもあるから、いずれ俺の事も含めて話そうと思ってはいるが、若菜のことをあまり広めすぎるのもどうかと思って、決断できないでいた。


 ブツッというノイズ音の後に、律の母親と思しき声が聞こえてくる。


『おはよう三澄君。今出るから、ちょっと待っててね』


「あ、いや——」


 律さえ呼んでくれればそれでよかったのだが、俺が返事をし終わる前に再びインターホンからノイズ音が鳴った。間もなくして、目の前のドアがガチャリと開き、溌溂とした笑顔を湛えた中年の女性が現れる。


「さ、暑かったでしょ。入って入って」


「あ、いや、すみません大丈夫です。もうすぐ律の準備もできると思うんで」


 律のお母さんには悪いが、塀の外にいる若菜を一人にしたくない。それに、俺たちが家を出る前に律への連絡を済ませておいたから、家の中で待たせてもらうまでもなくじきに——


 ドンドンと、慌ただしく階段を下りてくる気配。


「ごめん三澄! ほらお母さんどいて。外出られないでしょ」


「あら律。別にそんなに急がなくてもいいじゃない、まだ朝早いんだし。久しぶりの三澄君とのデートだからって、そんなんじゃ今日一日もたないわよ?」


「ちがっ! デ、デートとかじゃないし! そう、デートじゃない……ほんとに。……はぁ」


 急に騒ぎ出したかと思ったら、急に溜息なんかついてしょんぼりし始める律。ころころと表情が変わる彼女は見ていて面白いのだが、今はそんな場合ではない。若菜が一人塀の外で待っているのだ。


「ええ? でも律、今朝早くから色々と——」


「ちょっお母さん!? 余計なこと言わなくていいから!」


 律は俺の事をチラチラと見ながら、自分の母親の口を両手で塞ぐ。相変わらず顔が赤い。


「すみません律のお母さん。俺たちもうそろそろ行かないといけないので……。ほら律も靴履いて」


「え? う、うん」


「ごめんね三澄君。そんなに急ぎだったなんて知らなくて」


 律が靴を履き始めたことによって解放された律の母親が、申し訳なさそうな顔をこちらに向けてきた。


「あ、いえ、特に謝ってもらうほどの事では……」


 律の母親が俺を家の中に招こうとしたのだって、きっと俺の現状が気になっての事なんだと思う。それを謝られてしまうと、流石に罪悪感を覚えずにはいられない。


「じゃお母さん、行ってくるね」


 靴を履き終えた律が、玄関の扉をくぐって俺の近くまで寄ってくる。


「ああうん。……三澄君、律のことお願いね」


「はい」


 そうして俺は会釈をしながら歩きつつ律の母親が扉を閉めるのを確認し、律と共に塀の傍でしゃがみ込んだ若菜の元へ。


「じゃ、行くか」


「はい」


 そう答えて立ち上がる若菜。表情や仕草等に別段異常がないことに安堵する。彼女と離れていたのはおそらく数分程度。心配しすぎなのは自分でも分かっているが、勝手に心が心配してしまうのだから、こればっかりは仕方がない。


 今一度律の母親がこちらを見ていないか確認し、俺たち三人は繁華街へと向かって歩き出した。

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