第37話 気付けば影は薄く1

 ひっそりと静まり返る教室内に響く、カツカツとペンを走らせる音や紙をめくる音。俺はそれらをBGMに目の前の用紙に設けられた空白を埋めていく。


 自分の情けなさに打ちひしがれつつもどこか諦めの気持ちがある自身に嫌気が差し、それでも手は動かないから外を眺めるしかなかったあの頃が、酷く懐かしく感じた。まだほんの一か月しか経っていないというのに、おかしな話だ。


 そういえば、美月はどのくらい解けているんだろうか。ふと、そんなことが脳裏を過る。彼女が授業時間以外で勉強をしている姿をこの七月中には、少なくとも俺は目にしていない。この分なら、俺の方が高い点数をとれてしまうんじゃないか?


 そんなことを考えている中、テスト終了の号令がかかり、こうして今学期の期末テスト全日程が終了した。


「くぅ~」


 大きく伸びをすると、ついそんな声が漏れた。そんな折、ふと隣から声がかかる。


「三澄どうだった?」


「結構いい感じだと思う。助かったよ」


「そっか、よかった。……それでさ三澄。今日って……」


 俺の返答に柔らかく笑った律が、急にもじもじと、どこか俺の様子を窺うような素振りを見せる。


「ああ悪い、今日バイトだ。なんか用事でもあったのか?」


「あーううん、いいの。バイト頑張ってね」


 律は気丈に笑ってはいるものの、気落ちしているのがバレバレだった。なにかしら用事があったことは確かなんだろう。もしかしたら、今日でないといけない何かがあるのかもしれないが、テスト準備のためにずっと休ませてもらっていた手前、流石に今日のバイトは休めない。


「うん、ありがとう。……そんで律。今週の日曜日、なんか予定あるか?」


「日曜日? うーん、特に何もない、けど?」


「じゃあ、そのまま空けておいてくれないか? 詳細は今日バイトが終わったら連絡するから」


「……それって」


「そんじゃな」


「あ、うん。じゃあね三澄」


 俺はそのまま一人教室を後にして、バイト先のファミリーレストランへと向かった。






「おはようございます、今井さん」


 俺はファミリーレストラン事務室のデスクにて、パソコンを睨んでいた今井にそう声をかけた。


「ああ佐竹君。おはよう」


 回転椅子を回してこちらを向いた今井が、にこやかに返事をしてくる。


「すみません、三週間近くも休ませて頂いて」


「いやいいよ。学生のバイトを雇った人間として最初からそのあたりは承知していたし、そもそも君は休まな過ぎだったからね。むしろ安心したよ」


 今井にも心配をかけていたらしい。確かに俺の勤務時間は、高校生としては異常だった。全く気にも留めていなかった人なんて——


「おはようございます」


 ありがとうございます。そう今井に答えようとして、背後からそんな声が聞こえた。


「ん、川田さんも。おはよう」


「おはようございます」


 俺もひとまず年上の少女へ挨拶をしておく。


「うん、おはよう」


 俺を一瞥した彼女はそれっきり興味をなくしたようで、俺たち二人の横を抜けて休憩室の方へと歩いていってしまった。もう既に一年くらいの付き合いにはなるのだが、相変わらず掴み所がない。これまでは俺の方の事情もあって付き合いを避けていたが、そろそろこういった部分もちゃんとしていかないといけないだろう。


 とはいえ、彼女が望まないのであれば、現状維持が最善か。


「それじゃあ俺も行きますね」


「うん、今日もよろしくね」


 今井の言葉に、はい、と頷いてから、俺は隣の休憩室へと向かった。そこには既に京華の姿はなく、更衣室の扉には使用中の札が掛かっている。


 俺は休憩室中央にある大きな長テーブルの一角に着席し、ポケットからスマホを取り出した。画面のなぞり、電子書籍閲覧用のアプリを起動して、そこに保存されたとある恋愛小説を選択する。


 まだ冒頭部分までしか読み進められておらず、しかしながら既にむず痒くなるような描写全開なものだから、なかなかに強敵である。


「……」


 それでも俺は読破することを心に決めていた。この本を読んでいることを話した時の若菜の嬉々とした様子が思い出され、つい笑みが零れる。まあそもそも、自分の成長のために必要なことではあるのだけど。


 そんなこんなで、時折、精神的にダメージを負いながらも小説を読み進めていると、突然、すぐ後ろから声が聞こえた。


「へえ。君、こんなものを読むんだね」


「っ!」


 咄嗟に振り向くと、そこにはバイトの制服に着替え、僅かに笑みを浮かべる京華の顔があった。彼女の身長の関係で、俺が椅子に座っていても見下ろされているという感覚がない。


「……急に背後から声をかけないでくださいよ」


 なんだか気恥ずかしくて、ついスマホの画面を彼女から背けた。


「ああごめんごめん、つい気になってしまってね。今の、恋愛小説だろう?」


 恋愛小説だと判別がつくだけの文を目にしたらしい。一体いつから後ろに立っていたのか。


「……そうですけど」


「はは、そっかそっか。青春だねぇ」


 そうカラカラと笑って俺の対面へと移動し、椅子に腰を下ろしてそのまま自分のスマホを取り出して指を動かし始める京華。もう既に今の会話——会話にしてはほとんど一方的なものに感じたけれど——は終わりらしく、いくら待っても口を開こうとする様子がない。


 なんなんだ。寡黙な人間かと思えば気さくに接してくるし、話しかけてきたと思ったら勝手に会話を切り上げて、それ以上しゃべるなとでも言わんばかりに周囲に壁を作る。


 本当に、彼女は訳が分からない。

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