第36話 暗雲の兆し3
若菜の作ってくれたクリームパスタを食べ終え、俺の部屋での勉強を再開してから、もうじき二時間になる。俺は切りのいいところまで済ませると、息をついて周りに視線を送った。
隣で今もペンを動かし続ける律と、対面で首を捻っている若菜。そして、この部屋の棚から持ちだした漫画片手に若菜の勉強を見てあげている美月。俺は邪魔にならないよう静かにコップを持ってお茶を一気に煽り、ベッドの端に背を預ける。
すると、大きく息をついた律がぐっと腕を上げて伸びをした後、ことりとペンを置いた。
「そろそろ終わりにしましょっか。美月、若菜の方はどう?」
「んー? 今ねぇ、二次関数の場合分けに苦戦してるみたい。若菜ちゃん、こういうのは最初にグラフを書いて、目で見て分かるようにするんだよ。グラフがないと減点されることもあるしね。……方程式の変形はできる?」
「……すみません、そこからお願いしてもいいですか?」
「おっけー」
そんな二人のやり取りを尻目に、律は身体をこちらにスライドさせて俺と同じようにベッドの端にもたれかかると、すぐ隣の俺にギリギリ聞こえるくらいの声で呟く。
「美月、意外に面倒見いいのよね……。相変わらず自分の勉強はしないけど」
「ああ。……あいつ結局この三日間、一度も自分の教科書を開かなかったな」
美月の学校用鞄からは、ペンケースくらいしか取り出されていないにも関わらず、ぺしゃりと凹んでいる。そもそも教材の類を持ってきていないのかもしれない。
「これでどうしてあの成績が維持できるのかしらね……」
本当に、どうしてここまで差ができたのか。勉強時間は俺とほとんど違いはなかったはずなんだけど。それに美月は運動部にこそ所属はしていないが、その高い運動能力を使って去年の体育祭や球技大会なんかは相当な活躍具合だった。せめて運動音痴とかであったならば、弄るネタができたのに。
そんなことを考えていると、ふと隣の様子に違和感を覚える。
「どうした律。そんなそわそわして」
そう言って隣に顔を向けると、
「え!? い、いや何でもない」
と、ピタっと合った視線がすぐに逸らされた。横顔が何やら赤くて、ちょっとした悪戯心が芽生える。
「んん? なんで目ぇ逸らすんだよ」
身体を捻って彼女の顔を覗き込もうとするも、突然視界が真っ暗になった。両手で頭をがっちり掴まれている感覚。
「おぉ、そんなに見られたくないのか」
俺は記憶を辿り、彼女の脇腹へ手を伸ばす。
「え? ちょっ」
ごそごそと律の動く気配が伝わってくるが、俺は構わず彼女の脇腹、柔らかさと共に伝わる肋骨の硬さを探し当て、人差し指でちょんちょんとつついた。
「ふふっ。ちょっばか、やめなさいっ」
律がしきりに身を捩っているのが、指の感触から分かる。だが、彼女が俺の目を塞いでいるその手を離さない限り、俺の手は止められないし逃げることもできない。
「ふふん、どうする? 律が手を離してくれれば止められるぞ?」
「そ、それは……」
「そうか」
俺は身体の向きを完全に律の方へと変え、本格的に脇腹をくすぐり始めた。
「くふっ! あはっ、あはははは!」
我慢しきれず、律はとうとう部屋中に響くような声を上げてしまう。
「はーい二人とも、イチャイチャするのもそれくらいにしようねー。でないと……今の二人のやり取りが全部、クラス中に拡散されます」
「「なっ!」」
「三澄がよく映ってないのが残念だけど……。いやぁー、りっちゃんはいい笑顔だねぇー。そんなにくすぐられるのが嬉しかったのかな?」
「ちがっ! 美月それ消しなさい!」
パッと律の手が顔から離れ、視界が回復する。見れば律は机に乗り上げて、美月のスマホへと手を伸ばしていた。まぁ、俺のことはあまり映ってないらしいし、動画の処理は律に任せればいいかな。今はそれよりも。
「若菜? そんな顔して、どうした?」
いかにもつまらなそうな表情を浮かべる若菜へ問い掛ける。勉強の邪魔しちゃったか?
「いえ、なんでも。……これで付き合ってないとか、色んな人を敵に回しそうですね」
所謂、リア充爆発しろ的なニュアンスを感じる。思えば、クラスメイトたちからもこんな視線を向けられたことがあった。となると、もう手遅れかもしれない。
「そ、そうか。それで、若菜は勉強一区切りついたか?」
「ああはい。それはもう大丈夫です」
「じゃあ、片付け始めようか」
俺と若菜は、今も攻防を繰り広げる二人を尻目に、勉強道具の片付けを開始する。クラス中に拡散するなんていう美月の発言なんかほぼほぼ冗談だろうし、そのうち落ち着くだろう。
案の定、ある程度律を弄って満足したのか、美月は保存されていた動画を消去したらしい。律も美月も片付け——美月の場合は筆入れを鞄にしまうだけ——を始めた。
「ああそうだ、二人とも。明日からはどうする? 勉強会、続けるか?」
「え? 私、テスト終わるまでは毎日続けるものだと思ってんだけど……」
俺の唐突な問いに、律は片付ける手を止めてこちらを向いてそう答えた。
「おおん、律はやる気いっぱいだな。じゃあ美月は? 元々俺が三日坊主にならないか監視するって話だったろ?」
思った以上にやる気な律に感謝しながらも、再度美月にも尋ねる。
「あー、私は……」
そう、困ったような笑顔を浮かべた美月は、少しの間目を泳がせ、、
「やっぱり、やめとこうかな」
と、力ない笑顔ではっきりと告げた。
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