第32話 テスト勉強3

 俺の部屋のベッド前に置かれた横長の机を、俺を含め4人が囲んでいる。


 カリカリと、シャープペンシルをノートに走らせる音だけが部屋内に響く中で、俺の手は止まっていた。


 目の前の教科書に羅列された数式や文字。それらを見ていると頭がぼうっとし始めて、仕舞いには背後に手をついて天井を見上げ、ふぅと息を吐いた。


「三澄さん?一旦休憩にしますか?」


 俺のすぐ左に座りペンを走らせていた若菜が覗き込んでくる。


「え?ああいや、大丈夫」


 勉強を始めてから、まだ30分程度しか経っていない。休憩をとるには早すぎるし、そもそも疲れたわけではないのだ。


「おー、どしたどしたぁ?」


 俺の対面に座っていた美月が、四つん這いでこちらに近寄ってきた。


「いや美月、お前は呼んでないんだけど」


 広げていた教材を引き寄せて一か所にまとめ、美月から見えないよう背中から覆いかぶさるようにして隠す。


「えー、いいじゃん見せてみてよ。どうせ分かんないとこがあるんでしょ?」


「ぐっ、いやいいって。自分で解ける」


「もー、遠慮しないでもいいのに。……そうだ、若菜ちゃん!三澄を羽交い絞めにしちゃって!」


「えっ、は、羽交い絞め、ですか?」


「そう!後ろからガバッと!」


「おい美月何言ってんだ。若菜も、従わなくていいからな?」


「え、えっと……じゃあ」


 そんな言葉と共に背後から腕を回され、しがみついてくる若菜。じんわりと背中が温かくなる。


「ん!?ちょ、若菜!?」


 少し悪戯っ子の気がある彼女だが、まさかそこまでするとは思わず流石に焦る。机の上の惨状を隠したいのは山々だが、無理に抵抗すれば若菜がどこかを怪我してしまうかもしれない。


「って、あれ?」


 背後から、うんうんと可愛らしい唸り声が聞こえてくる。しかし、俺の腕の動きが阻害されるくらいで、身体が引っ張られるような感覚がほとんどない。


「……え?若菜ちゃん力入れてる?」


「い、入れてますっ」


 恐るべき力の弱さだった。ホッと胸を撫で下ろしつつ、視線を若菜から美月へと移す。


「あらら、そっかー。じゃあ仕方ない」


「ちょ、馬鹿!何すんだ!」


 美月の手が脇腹に差し込まれ、加えられる刺激に俺は身をよじりながら耐える。腕を掴んでやりたいが、ちょうど若菜の腕が邪魔で上手くできない。


「ふっふー、いつまで耐えられるかな?」


「ぐっ、わ、若菜っ、離してくれ!」


「……」


 え、反応なし!?


 若菜は俺の背中に張り付いたまま、一切動く気配がない。


「美月、止めなさい」


 突然、ピシャリと律の落ち着き払った声が届いた。じっと、美月を睨むように見つめている。


「ええー」


「やめなさい」


「……はーい」


 渋々ながら、案外あっさりと律の言葉に従う美月から視線を外すと、律はゆっくりと立ち上がり、こちらに近づいてきた。


「……ほら、若菜もいつまで抱き着いてんの」


 控えめに若菜の肩を揺する律。


「……へ?」


「離れなさい」


「あっ、は、はいっ」


 若菜は慌てるように俺の背中から距離をとる。その様子を見た律は、はぁ、と息をついて先程まで座っていた場所まで戻り腰を下ろすと、じろりと、俺たち3人へ向けて睨みつけるように視線を送ってくる。


「あ、あははー」


 少し気まずそうに笑う美月と、身体を縮こませる若菜。俺も目を逸らさざるを得ない。


「あっ、私、晩御飯の準備をしてきますね」


 若菜そう言って立ち上がると、勉強道具もそのままに、逃げるように部屋を出て行ってしまった。


「り、律?若菜には手加減してやっても……」


「うるさい。……それで、何が分からないの?」


「え?あー、うん、これなんだけど……」


 俺に向かって差し出してくる手に、使っていた教科書を渡して解きかけ問題を指差し、ノートも見せる。


「ねぇこれ、一年生の時にやった部分じゃない?」


「……ああ」


「え?りっちゃん、私にも見せて」


 律に身体を寄せて、俺が渡したノートを覗き込む美月は、


「……まさか三澄、こんなのも出来ないの?」


 と、明らかにドン引きといった様子。小馬鹿にされた方がまだいくらかマシだっただろう。


「……だから見せたくなかったんだ」


 そう言って、律に渡した教科書とノートを引き寄せようとした俺の手を、律の手が止めた。


「大丈夫。私が全部教えるから」


「……」


「私に任せて」


 真剣な律の眼差し。去年は応えることが出来なかったその瞳に、


「ああ、頼む」


 俺はそう返し、律の方へ身を寄せる。


「……この問題の取っ掛かりまでは合ってるんだけど——」


 律の説明は理路整然としていて、すんなりと頭に吸収されていく。断片的にしか存在しなかった知識が、段々と関連付き始め、たった1つの答えへと集約されていくような感覚。


「どう?出来そう?」


「ああ、大丈夫。……ありがとう」


 俺は自分の元居た場所へと戻り、次の問題へと手を付け始める。


 やはり彼女は強い。どれだけの壁が立ち塞がろうと、自分を曲げることなく突き進めるだけの力が律にはある。


 今まで埋めることが出来なかった溝へ、彼女の手を借りてようやく一歩踏み出すことができた。


 これからは、俺の番だ。

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