第31話 テスト勉強2
「若菜、大丈夫か?」
「は、はい」
青白い顔の若菜と共に、リビングのソファに並んで座っていた俺は、身体を起こして彼女の前にしゃがみ込み、彼女の両手を自分の両手で包んだ。
以前のように震える、冷たくて小さな細い手。
つい口をつきそうになる謝罪の言葉をぐっと腹の中に押し込む。謝罪など、今の彼女にとっては少しの慰めにもならないだろう。
「三澄さんの手、ごつごつしてますね」
「……え?」
突然、頭上からかかった少し気の抜けるような言葉に視線を上げると、そこには、強張りながらも微笑む若菜の顔があった。
気付けば若菜の手の震えは既に止まっている。
「三澄さん、もう一度ソファに座ってもらえますか?」
「あ、ああ」
若菜の言葉に従い、立ち上がってソファへ腰を下ろした。その間に、若菜の手がするりと俺の手の中から抜ける。
「わか——」
ふと、若菜が身を寄せ、控えめに俺の左腕を掴んで肩に頭を載せてきた。彼女の体温がじんわりと伝わり、自分の体温が上がっていくのを感じる。
「えーっと……どうした?急に」
「ちょっとしたエネルギー補給です」
「そう、なのか……」
「はい、そうなんです」
心なしか若菜の声が、いつもの俺をからかうような調子に変わってきていた。
「三澄さん、もしかして緊張してますか?」
すぐ横にあるくりっとした瞳が俺の顔を覗き込んでいる。
「……若菜だって、顔が微妙に引きつってるぞ」
震えは完全になくなり、顔の血色も良くなっているが、それでもやはり緊張はしているらしい。
「こ、これは仕方ないんです。……あまりこっちを見ないでもらえますか」
「お、おう。悪い」
恥ずかしそうに目を伏せた若菜の言葉に従って少し右を向く。
そのままお互いに無言の時間が続いた。2人の呼吸音だけが周囲を満たし、時間感覚が狂いそうになる。
しばらくして、インターホンの鳴る音が響いた。
顔だけをインターホンへと向けてみるも、流石に画面に映った人間の判別は出来ない。
「若菜、いいか?」
「……はい」
若菜が自分から俺の肩に載せていた頭を上げ、寄り添うようにしていた身体を起こすのを待ってから、俺は立ち上がってインターホンの画面を確認した。
美月と律。2人の少女の姿が映っているが、どちらも少し顔が強張っているように見える。
「あ、あの、三澄さん。私も行きます」
知らぬ間に立ち上がり、覚悟を決めたようにこちらを見つめていた若菜へ、俺は、分かった、と頷いて彼女を引き連れて玄関へと向かい、扉を開けた。
私服姿の2人の少女。
一方は、白いシャツにデニム生地のショートパンツからすらりとした健康的な脚が伸び、もう一方は七分袖の白いブラウスに膝にかかるくらいの紺色のスカートが、僅かに風で揺れている。
「あ、もしかしてその子が?」
ラフな格好をした美月が、俺の身体越しに若菜のことを覗き見るようにしてそう口にした。その隣にいる律も、落ち着かないようでそわそわと視線を泳がせている。
「ああ」
居心地の悪そうに俯く若菜へと視線を送りながら俺はそう答えた。
「まぁとりあえず上がってくれ」
玄関先は空調が効いておらず、長話をするには都合が悪い。
俺が背後に控えていた若菜の肩を軽く押しながらリビングへと戻った後、しばらくして、靴を脱いだ律と美月もリビングの入口から姿を見せた。
「2人ともそこ座ってくれ」
既に席に着いている若菜と向かい合わせになるように、美月と律へ食事用の席に着くよう促し、彼女らがおずおずと椅子に腰を下ろすのを確認してから、俺は1人若菜の背後に立ったまま話を切り出す。
「帰り際に話した通り、彼女が陽ノ本若菜だ。俺としては仲良くして欲しいけど、強制は出来ない。ただ、彼女のことを良く知らないまま嫌うことだけは、しないようにしてくれないか」
席に着いた3人は黙ったままお互いに視線を合わせようとはせず、俺の言葉がちゃんと届いているのか少し不安になっていると、美月が突然顔を上げた。
「ねぇ三澄」
「ん、どうした美月」
「三澄はもしかして、りっちゃんからその子に乗り換えたの?」
「……は?」
突然こいつは何を言い出してんだ?
「だってさ!1個下の女の子と同棲って、それはもう完全にそういうことじゃん!」
「ちょっと待て!同棲って言い方もあれだし、何よりそういうことって何だ!」
「なにって、そりゃあねえ?りっちゃん」
「……ねえって、何がよ」
むすっとした表情の律。
「むふん、これは……修羅場だねぇ」
「……ふん」
律は、俺や律にニヤニヤとした笑みを交互に向けてくる美月から顔を逸らした。
「美月、真剣に考えてくれ。大事なことなんだ」
いつも通りの軽薄な態度に、少しずつ怒りが込み上げてくる。
「いやぁ、考えたよ?でもさ、こんな重いのは疲れちゃうよ」
「っ!……そうか」
美月の遠回しな拒絶の言葉に、俺はショックを隠し切れず、つい顔を歪めてしまう。
美月なら、受け入れてくれるんじゃないか。そんな期待は叶わないらしい。まあこんな身勝手なもの、拒絶されても仕方がないだろう。
「だからね……」
突然、美月が椅子から立ち上がり、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。
「おい、なにを……」
美月を凝視し、身体を強張らせる若菜。俺はそんな若菜を守るように、思わず美月の前に立ち塞がった。
「……あらら。すごい大切なんだね、その子のこと」
どうしてそんな穏やかに笑っているんだ?それにわざわざ近づいてくる意味も分からない。
「大丈夫だよ三澄。友達の大切な人だもん。私はただ挨拶をしようと思っただけ」
「……え?」
挨拶って、それはもしかして……。
戸惑いながらもその場から横にずれると、美月はまた少し近づいて、若菜の目の前でしゃがみ込んだ。
「よろしくね、若菜ちゃん。私、千歳美月って言うの。美月って呼んで」
そう若菜を見上げながら告げる美月は、握手を求めるように右手を差し出す。
美月の優しげな笑みに、若菜は恐る恐るながら自らの手を持ち上げて、差し出された手を握った。
「よ、よろしく、お願いします……」
「うん、よろしくっ」
普段の快活さに満ちた笑顔を浮かべ、すくっと立ち上がった美月は、そのまま律へと顔を向ける。
「りっちゃんも。ちゃんと自己紹介とかした?」
「え?私?」
「そうだよ。これから友達になるんだから、それくらいしないと」
「いや、私は……」
「えー、でもじゃあなんで今日ここに来たのさ。そもそもこの勉強会、私と三澄の2人でやる予定だったんだからね?」
「うっ、それは……」
「覚悟決めなよ」
「うう……ああ、分かったわよ!いい若菜、先に言っとくけどね!三澄はあんただけが特別なわけじゃないんだからね!」
「……え?」
若菜が呆気にとられたかのような声を漏らした。
こいつはこいつで、なに言ってんだ?俺も流石に困惑せずにはいられない。
「なに、りっちゃん。さっきからずっと不機嫌だったけど、もしかして嫉妬してただけ?」
「う、うるさい!」
顔を赤くしながらそっぽを向く律。
「……いやー、これはこれは」
美月がニヤニヤと生暖かい視線を送ってきた。
「なんだ?」
「三澄も、大変だねぇ」
美月はそれだけ言って律へ近寄り、そのままじゃれつき始める。
わちゃわちゃとした2人の声を聞きながら、俺は若菜と顔を見合わせてお互いに呆れた表情を浮かべるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます