第29話 経験しないと分からない6

 そうして書店に辿り着くと、少しうろうろと辺りを見回した後、少女漫画が多く陳列されている棚へと真っ直ぐに向かう若菜を微笑ましく思いながら、その後に続いた。


「あっ!これっ!」


「どうした?」

 

 若菜は平積みされた中から1冊、とある少女漫画を素早く手に取ると、


「三澄さん!これおススメです!きっと恋愛を知るきっかけになると思います!」


 と、今まで見たこともない程顔を輝かせて俺の方を向き、手に持った漫画を見せてきた。


「お、おう。そうなのか?」


「はい!この漫画、三澄さんみたいな鈍感無自覚系男子クラスメイトに主人公が恋をするところから始まるんですが——」


 興奮した様子で語られていくその漫画のあらすじや彼女お気に入りの場面。しかしながら、俺は若菜の勢いに圧倒され、なかなか彼女の言葉が頭に入って来ない。


 というか、三澄さんみたいな鈍感なんちゃらとか、なんとなく罵倒されたような気がするんだけど勘違いか?なぜか結構刺さるんだけど……?


 話が終わった後も若菜の興奮が冷めることはなく、他の漫画や小説も手に取っては早口で語り始めたり、何かを感じ入るような仕草をしたりと色々な表情を見せてくれる。


「三澄さん?どうしてそんなニヤニヤしているんですか?」


「なんか若菜が面白くて」


「っ!いや、これは……」


 俺の言葉にハッとした表情を浮かべた若菜は、慌てるように手に持っていた小説を戻した。


「いや別に恥ずかしがらなくてもいいぞ。好きなら全力で好きでいたらいいんだから」


 この言葉を聞いて、一瞬、ぼうっと俺を凝視する若菜だったが、何か耐え切れなくなったのか噴きだすように笑い、


「三澄さんって、たまにちょっと恥ずかしいことを言いますよね」


 なんて口にした。


「うええ!?それマジで言ってる!?」


「はい」


「あーそうかー、マジかぁ……」


 ショックだった。律や美月も、もしかしたら俺に対しそんなことを思っていたかもしれない。一度自分の人生を見つめ直したくなる。


「大丈夫ですよ。そういうところも含めて、三澄さんですから」


「それ全然慰めてなくない?」


 結局俺は恥ずかしい奴らしい。


 あはは、と声を上げて笑う若菜を尻目に、俺はいたたまれない気持ちになって先程若菜が手に取っていた1冊の本に手を伸ばす。


「あ、その本……。あの、それ少し暗めのお話なんですけど、三澄さんはそういったお話は大丈夫ですか?」


「ん?ああ、大丈夫」


 俺はそう言いながら裏表紙に書かれたあらすじを確認してみると、いくつか気になる単語が目に入る。


「それ、買うんですか?」


「うん、買ってみようかな」


 一応恋愛小説ではあるみたいだが、俺は恋愛へのきっかけ作りとはまた別の理由で、この本を買うことにした。


「さ、若菜。他になんかおススメの本はあるか?」


「あ、はい。あとは——」


 俺たちはその後も恋愛ものの作品を物色し続け、そのうちのいくつかを購入して書店を後にする。その頃には時刻は既に9時前になっており、帰路に就くことにした。


 1日の仕事を済ませたサラリーマンや大学生らしき若者たちでごった返す、電飾や人の声に満ちた繁華街を抜けて、道路脇にぽつぽつと設置された街灯に照らされる、人通りのほとんどない住宅街を2人並んで進む。


 若菜の口数は書店にいた時と比べてだいぶ少なくなり、たまに俺が呼びかけた時にだけ口を開く。そんな、普段俺に見せている落ち着きのある今の彼女の様子に少し寂しさを感じるものの、溌溂さを強要するつもりはない。


 書店へと向かう時とは打って変わって、非常にゆっくりとしたペースで歩く若菜に合わせて俺も足を歩を進めていると、突然、隣を歩く若菜の身体がふらりと揺れた。


「っ、大丈夫か!?」


 若菜の身体を慌てて支え、そう叫ぶ。


「……ごめんなさい。私、少し疲れてしまったみたいです」


 俺の支えを頼りになんとか体勢を立て直した若菜だったが、すぐに膝に手をついてゆっくりとした呼吸を繰り返す。その表情には明らかに力がなかった。


「若菜、おぶされ」


 俺はそう言い、若菜の前にしゃがみ込む。


「……ありがとうございます」


 若菜は特に遠慮をするような様子もなく、そう言って俺の首に腕を回し、体重をかけてきた。


 ふんわりと香る甘い匂いとじんわりと背中に伝わる体温。彼女の少し重苦しい息遣いが耳をくすぐる。


 俺はゆっくりと若菜を持ち上げ、立ち上がって歩き出した。


「重たくないですか?」


 顔の真横から、囁くような若菜の声が届く。


「いや、少し軽すぎるな。もう少し食べる量を増やしたらどうだ?」


「ふふ、でも私、そんなに食べられないんですよ」


「……」


 彼女のその言葉に、血を吸わない彼女が、食物の消化、吸収能力までも常人よりも劣ることを思い出す。


 こうしてたった数時間は歩き回っただけで疲れ切ってしまうのも、彼女の身体の特異性によるものなんだろう。


「ごめんなさい。少しはしゃぎすぎてしまいました」


「……楽しかったか?」


「はい。とても」


「それならいい」


「……三澄さんは、どうでしたか?」


「俺?」


「はい。三澄さんも、楽しかったですか?」


「楽しかったよ」


「本当ですか?私ばかりはしゃいでいた気がするんですが」


「本当だよ。テンション高い若菜は、見てて面白かった」


「ふふ、もう、三澄さん意地悪です」


 そうして互いに他愛ない会話を繰り返しているうちに、段々と若菜の声が途切れ途切れになり、気付けば彼女の規則正しい寝息が耳元にかかり始めた。


 そんな中、俺は今日の若菜との数時間を反芻する。


 俺は彼女のことを、もっと知らなければならない。


 吸血鬼と人間のハーフというハンディキャップがどれほどのものなのか。俺はその知識をほとんど持っていないし、彼女自身のことも、まだまだ知らないことがたくさんある。


 今日はこれだけで済んだ。しかしこれからもそうとは限らないのだ。


 彼女を失いたくない。もう1人は嫌だ。あの誰の笑い声も聞こえないリビングは、俺ではもう耐えられそうにない。

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