第28話 経験しないと分からない5

 その後も、女性店員が用意してくれた衣服を次々と試着していく若菜。俺たちが試着室に着いてから、体感的には大体30分が経過したところだった。


 最初に見繕ってくれた分の試着はとうの昔に済んだにも関わらず、それでもまだ俺たちがここにいるのは、今は隣にいる女性店員が追加分を用意し続けてくれているからで。


 もはや1人ファッションショーの様相を呈し始めた試着室一帯だったが、その中心にいる若菜はカーテンから姿を見せる度に、綻ばせた赤い顔を、次の服はないのかと催促するように店員の方へと向けるのだ。


「あの、可愛いとか似合ってるとか以外に、何かないんですか?」


 俺の語彙力の無さを責めるように、隣に立つ店員は呆れたような表情を向けてくる。


「いやでも可愛いし似合ってるんだから、仕方なくないですか?」


「……そうですね。なんかもう鼻血が出そうです」


「我慢してください」


 彼女の心情は理解できるが、流石に自重して欲しいものだ。あのカーテンの向こう側にいる女の子は、彼女にとっては赤の他人なのだから。


「……ティッシュいりますか?」


「ありがとうございます」


 苦笑いを浮かべた女性店員が差し出してくるポケットティッシュを、俺はお礼を言いながら受け取り、1枚引っ張り出して丸めてから鼻に添えた。


 少しずつ赤く染まっていくティッシュペーパー。


 危なかった。もう少し遅ければ、床掃除をしなければならなくなっていただろう。


 直後、カーテンが開かれ、若菜が顔を出した。白いノースリーブのブラウスに明るい赤のミニスカートと、活発さを感じさせる装いに、普段の少し大人びた雰囲気が薄まり、年相応の少女になったかのような印象を受ける。


「みす……三澄さん!?どうしたんですか!?」


「気にしないでくれ。ちょっと垂れてきただけだから」


「いや気にしないなんて無理ですよ!」


「そう言われてもなぁ」


 彼女のファッションショーが終わらない限り、おそらく鼻血は止まらない。チラとスマホで時間を確認してみると、もうすぐ7時半になろうとしていた。


 つまり俺たちは、1時間弱この店に留まっていたことになる。


 ここの他にもいくつか店舗を回るつもりだったが、もう書店に向かうことにした方がいいかもしれない。


「それで、良さそうなのは見つかったか?」


 俺は若菜に近づき、そう問い掛ける。


「え?えっと……」


 視線を落としたり俺を見上げたり、はたまた少しもじもじとしたりと、あまり落ち着きがない様子の若菜。


「それもすげぇ可愛いな」


「っ!……え、えへへ……」


 俺の言葉に表情が一気に明るくなり、にへら、と締まりのない表情を見せた。若菜の笑顔を見る度に、どこか満たされるような心地がして、そしてこの感覚が酷く懐かしいような気がして、だけど急に大量に摂取したために許容しきれなくて、鼻血として漏れているんじゃないかと思う。


 まぁ、本当のところは分からないけど。


「さ、若菜そろそろ本屋に行こうか」


「え?もうそんな時間ですか?」


「ああ。急がないと本を探す時間がなくなるぞ」


「っ!急いで着替えます!」


 ざぁっとカーテンが閉められ、慌ただしさを感じさせる物音が試着室の中から聞こえ始めると、後ろから、はぁ、と大きく溜息をつく音が届いた。


「すみません。色々と助かりました」


 その溜息の主である女性店員にそう声をかける。見れば何やら気分が悪いようで、顔を歪めながら鎖骨の辺りを手で摩っていた。


「ああ、いえ、それは仕事の範疇ですし、私も楽しかったからいいんです。ただ……」


「ただ?」


「なんか、もう口から砂糖が出そうです」


「ハハ、なんですか、新手の手品ですか?」


 マーライオンの如く砂糖を口から放出し続ける彼女を想像し、笑いが漏れる。


「……お客様ぁ、一発、殴らせて頂いても?」


「なんで!?」


 笑顔を引きつらせ、拳を上げる店員。なんでだ。彼女の冗談にノッただけなのに。


 そんなやり取りをしている間に若菜の着替えが済んだようで、カーテンが開いた。


 その後、最初に俺がが選んだものや女性店員の見繕ってくれたものも含めて約2万円分購入した俺たちは、足早に書店へと向かう。


「若菜。なんかちょっと歩くの速くない?」


「そうですか?そんなつもりはないんですけど……」


「そんな本屋に行きたかったのか?」


「あー、ええっと……はい。私、昔から小説や漫画が好きで」


「恋愛小説とかもよく読んでたのか?」


「はい。というかほとんど恋愛ものばかり読んでいました」


 なるほど。俺に恋愛を理解させるために恋愛小説や漫画を提示してきたのは、これが要因なのかもしれない。


 そんなことを思いながら、気付けばまた早足になっている若菜の後ろを、両手に持った袋をガサガサと鳴らしながらついて行く。

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