第23話 大切なことに変わりはないのに2

「……へ?」


 意表を突かれたような顔のまま固まった律の腕が、ゆっくりと俺の胸元に近づいてくる。

 

「え、嘘、どういうこと?付き合うってことは恋人になるってこと?え、じゃあ三澄、私のこと好きなの?ねえ、どういうこと?冗談とかじゃないよね?ねえ」


「ちょ、ま、揺らさないでって。おち、落ちつ、落ち着いてくれーー!」


 両手で胸倉を掴まれ、がくがくと頭が揺さぶられる。これ以上は、非常に、マズい結末が待っている。


「っ!」


 俺の悲痛な叫びが届いたのか、律は動きを止め、シャツの襟から手を離した。


 脱力するように背もたれに寄りかかり、空を見上げてゆっくりと何度も深呼吸をする。


 かなり危なかった。昼食を摂った後であれば、出していたかもしれない。


「ご、ごめん。それで、その、付き合うって……」


 律は顔を伏せながらも、上目遣いでこちらを窺うようにチラチラと視線を送ってくる。そんな律を、俺はじっと見据えて、


「ああ。恋人になるってことで合ってるよ」


 はっきりとそう告げた。


 ぱっと上げた顔がみるみる赤く染まっていく。キラキラと、瞳が輝いていた。


「じゃ、じゃあ三澄は私のこと、その、好きってこと?」


「ああ」


「異性として?」


「ああ」


 何度確認されようと、俺の意思は変わらない。


 見つめ返してくる律の目をじっと逸らさずに覚悟を示す。しかし俺の思惑とは裏腹に、彼女の表情が次第に不安そうなものへと変わっていく。


「……じゃああの女の子は、三澄と一緒に住んでる女の子のことはどう思ってるの?」


「若菜?それは前にも言った通り家族、大切な人だとは思ってるけど、恋愛感情はないよ」


「……そう」


 彼女の不安を取り除くべく、意識して言葉を選んだつもりだったが、律の不安の色は濃くなっていくばかり。


 いや、もう不安ではないのか?少しの緊張感を帯びた沈痛な面持ちをそう表したが、これは。


「三澄の、私を大切にしようって気持ち、すごい伝わったよ。……でもそれは多分恋じゃなくて、ただ大切ってだけ。あの吸血鬼の女の子に向けてるものと変わらない」


 心臓を、その手で掴まれたかのような心地がした。でもここで退くわけにはいかない。


「いや、違う。俺はちゃんと」


「ううん、きっと違わない。……三澄ってさ、誰かに恋をしたこと、今までになかったでしょ?そもそも、誰かを特別扱いすることもなかったはず。大切な人たちを、みんな平等に精一杯大切にする、それが三澄の長所で、短所でもあったから」


「それってどういう……?」


「三澄、やっぱり気付いてなかったんだ。今までね、たくさんの子たちが、三澄に告白する前にひっそりと諦めていったんだよ。自分だけが特別なわけじゃないってことに気付いて」


「……あれは、そういうことだったのか」


 中学の頃のとある光景が思い出される。


 1人泣いていた女の子。急いで駆け寄って、そして逃げるように走り去っていくあの後ろ姿。


「ねえ三澄。自分を犠牲にするのは、もう止めにしない?」


「……自分を犠牲って、どういう意味?」


「そのままの意味だよ。三澄、誰かを助けるためによくやるでしょ?あの吸血鬼の女の子の時だって。私、びっくりしたよ。とうとう命まで懸け始めたのかって」


「……」


「私怖いよ。いつか、誰かの為に自分の命まで捨てるんじゃないかって。だからもう、こんなことはこれで最後にして」


 切実な彼女の願いに、俺は応え方が分からなかった。


「それじゃあ私、教室戻るね」


「……ああ」


 呆然と、律の背中を見送る。


 俺の今までやってきたことが間違っていた?


 それともまさか、正しいはずのことを積み重ねた結果、間違いになったとでも言うのか?


 分からない。どれだけ自分に問い重ねようと、それらしい答えが見つからない。


 汗が雫となって頬を伝う。


 俺は一旦教室に戻り、弁当箱の蓋を開ける。


 色とりどりのおかずと艶のある白米。いつもならばそれらを前にして箸が進まないことなどないのだが、結局、それらが喉を通ることはなかった。

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