第22話 大切なことに変わりはないのに1
その日の放課後。
帰る支度を済ませると、すぐさまスタスタと教室を後にする律。その後ろ姿を眺めながら、俺はとある決意を胸に刻みつけた。
しかし、それを行動に移せる時間は今日はない。
俺は彼女に続くように廊下へと出て、校門までの道のりを突かず離れずの距離を維持し続けた。
そして校門より外からは別の道。彼女はおそらくそのまま帰宅するのだろうが、俺にはバイトがある。
住宅街を抜けて繁華街へ向かい、その一角にあるファミリーレストランの裏口から中へと足を踏み入れる。
廊下を抜けた先の休憩室。
「おはようございます」
とだけ告げて、シフト表の前に立つ少女の横を通り抜けようとしたところ、
「ねぇ」
と、声がかかった。
「はい?」
「来月、シフト全然入れてないんだね」
シフト表に顔を向けたままそう告げるショートボブの少女。
「ああ、はい。テストが近いですからね」
「へぇ、てっきり佐竹君にはテストはないものだと思ってたよ」
いつもの無表情を崩し、驚いたように呟く。
「あー、まぁ俺もそろそろマズいなと思ってきまして」
「なるほどね」
少女はそれっきりまた無表情に戻って、俺に視線を合わせることもないまま休憩室の中央に向かい、椅子に腰を下ろしてスマホを触り始める。
俺は透明人間にでもなったかのような気分になりながらも更衣室で着替えを済ませ、作業を開始した。
鍵を開け、家の扉をくぐると、トタトタと駆け寄ってくる少女の姿が目に入った。
「おかえりなさい」
「ただいま」
笑顔で見上げてくる彼女から、主人の帰りを待っていた子犬のようないじらしさを感じて、つい右手が彼女の頭の上に伸びた。
サラサラとした感触と共に、気持ち良さそうに笑う若菜の声が聞こえてくる。
「ふふ、もう、止めてくださいよ。私、子供じゃないんですよ?」
その言葉とは裏腹に、まるで嫌がる素振りを見せない若菜。
癒される。バイトによる疲れなど、あっという間にどこかへ行ってしまった。
しかしいつまでも続けてはいけない。もう既に夜も遅く、これ以上彼女の睡眠時間を削ってしまうわけにはいかないのだ。
いつまでも撫で続けようとする右手を、左手を使って若菜の頭から引き剥がす。
「あ……」
そんな名残惜しそうな目で俺の手を見つめるのはやめて欲しい。左手まで言うことを聞かなくなったらどうしてくれるんだ。
「あ、あー腹減ったな……」
「あ!今、用意しますから、ちょっと待っててください」
俺のわざとらしいアピールに、慌ててリビングへと戻っていく若菜。
ふぅと一息つき、俺は靴を脱いで玄関を上がる。
自室で着替えを済ませてリビングに来る頃には、食事の用意は既に完了していた。
「いただきます」「いただきます」
2人で手を合わせ、箸をもって食事に手を付け始めてからしばらくの間はお互いに沈黙が続く。そうして半分程度まで食べ進めたあたりで、俺の方から口を開いた。
「勉強、順調?」
「はい。三澄さんに貸して頂いた教科書、とても参考になってます」
「具体的にはどのくらいまで進んだ?」
「えっと、今数学は、もうすぐ二次関数が終わりそうで……」
若菜はつらつらと進捗状況を教えてくれる。
教科によってはまちまちだが、どれも恐るべき進行速度で、つい閉口してしまう。
このままだといずれ、俺が教えてもらう側に回ることになるだろう。
1つ年下の女の子に教えてもらう光景を想像してみると、情けなくて涙が出そうになった。
カリカリとシャープペンシルを動かす音が教室中に木霊している。
キーンコーンカーンコーン……
「はーい、それじゃあ今日はこれで終わりにしまーす。残りは明日までにやっておいてねー」
生物の教師の合図で問題を解く手を止め、学級委員の生徒の号令によって一斉に立ち上がり、礼をしてから着席をする。
ようやく昼休み。
今の授業は、あまり集中ができなかった。
未だ真面目に授業を受けることに慣れがなかったり、授業になかなかついていけていなかったりというのもあるが、何より1つ、これから行うことがひたすらに気にかかってしまっていた。
「律、ちょっといいか?」
弁当の準備をしようとしていた律に声をかけた。
「……三澄?どうしたの?そんな真剣な顔して」
「少し話があるんだ。場所を移動したい」
「いいけど……」
「それじゃあついて来てくれ」
「ああ、うん。ちょっと待って」
律が友人たちに声をかけ終わるのを待ってから、俺は律を引き連れて教室を後にする。
廊下を抜け、体育館近くに設置してあるベンチに2人して腰を下ろす。
「さすがに暑いな……」
日陰にはなっているが、それでも外の気温は高く、エアコンが稼働し始めた教室との寒暖差に、一気に汗ばんできた。
しかしその結果周囲に人はおらず、今の俺にとっては非常に都合がいい環境でもあると言える。
一度深呼吸をして気持ちを整える。
「……どうしたの、三澄。さっきから様子が」
「律」
覚悟を決め、俺は律に正対した。
「は、はい」
「俺たち、付き合わないか?」
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